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8月26日 火曜日
第6話 半年前の回想
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「──塚本くんって、なんで実行委員になったの?」
年度が新しくなって間もない頃の、合唱祭実行委員の顔合わせをした日のことだ。
話が一段落したところで、私は偶然近くにいた塚本くんに何の気なしにそう訊いたのだ。
すると塚本くんはなぜか少し照れたように首をかしげた。
「えっと、去年の合唱祭が楽しかったから、ですかね……」
「ええ……純粋すぎてまぶしい……」
やや大げさだったことは認めるけれど、紛れもない本心だった。
でも同時に、私の心には一つの心配が浮かぶ。
「でもそれだと、二年生は基本裏方になるから、去年みたいには合唱祭を満喫できないかもしれないよ?」
実行委員として立ち働くということは、合唱そのものに向けておける集中力や労力が単純に目減りするということなのだ。
「? どういうことですか?」
不思議そうに目を瞬く塚本くんに、私は「たとえば」と説明を始めた。
「私の例で言えば、去年は舞台裏のタイムキーパーだったんだけどね。おかげで肝心のステージはほとんど聴けずじまいだったのよ」
舞台の進行具合を確認しながら、次の順番のクラスが待機する舞台袖と、そのさらに次のクラスが最終確認を行うリハーサル室の間を、文字通り駆けずり回っていたのだ。当然三年生のハイレベルな合唱に聴き惚れる余裕なんて微塵もなかったし、自分の学年の発表ですら半分聴けたかどうかというくらいだった。
一応、後から録画は見せてもらったけれど、やっぱり生の演奏・歌声に敵うものではない。そう思うと、なんとももったいないことをしたような気がしてしまうのだ。
そんな内容のことを、言ってみればあちこち破れかけたようなオブラートに雑に包んで言うと、塚本くんはなぜかおかしそうに笑った。
「じゃあなんで木崎先輩は……今年も実行委員になったんですか?」
「え」
そんなこと、今の今まで考えたこともなかった。改めて振り返ってみるが、情けないことにちゃんとした動機は思い浮かばない。強いて言うならなりゆきだった。
「私はね……そう、あそこにいる牧村輝って子に去年無理矢理引っ張り込まれて。それで今年も半ば惰性で来ちゃったっていうのが一番近い気がする」
合唱祭実行委員会に眩しいくらいの希望や夢を抱いている若者──って言っても一歳しか違わないけど──に返す言葉としてはあまりにお粗末だけれど、事実なのだからしょうがない。
ふと見てみれば、件の輝は窓際で別の後輩を相手に先輩風を吹かせていた。
(……って!)
今更ながら、いい加減でやる気も不十分な先輩として、実行委員のマイナス面を力説してしまったことに気づく。どうしよう、これで塚本くんが「じゃあやっぱり一般生徒として参加することにしようかな……」なんて言って、実行委員を辞めてしまったら──…。
内心大慌てでフォローの言葉を探し始める私の焦りを知ってか知らずか──いや、おそらく私のそんな焦りを察したのだろう、塚本くんはくすりと笑った。
「うちの生徒なら誰もが見られる景色は去年見ましたから。今年は委員じゃないと見られない景色を見てみようと思ってるので」
「──!」
思わず言葉を失ってしまった。だって、塚本くんは実行委員になるのが初めての二年生で、一方私は実行委員も二度目になる先輩だというのに。まったくこの差は何なのだろうと悲しくなってくる。もちろんそれは見方を変えれば、頼りがいのある優秀な後輩が加わってくれた、ということではあるのだけれど。
(ああ、それなのに……)
気づけば目的地である教室に着いていた。
そっと盗み見た限りでは、塚本くんの表情に落胆や絶望の色はない。
それでも、塚本くんが初めて「委員じゃないと見られない景色」を目にできるはずだった今年の合唱祭が中止されてしまったということは、少なくとも現時点では受け入れざるをえない現実なのだった。
二学期に入ってからの突然の中止宣告は、もちろん私も含めて誰にとっても青天の霹靂だったと思う。
でも合唱祭への想いをあんなふうに語ったていた塚本くんが受けたショックは……もしかしたら私の比ではないかもしれない。なんとなく大人びたところのある塚本くんのことだから、それをわかりやすく表に出すことはないのだろうけれど。
でも、だからこそ私は前を見据えなければいけないのだと思う。私自身のためだけじゃなく、塚本くんや、合唱祭を楽しみにしてた大勢の人のためにも、中止の原因や理由を突き止めて、そしてその決断を下した誰かに中止を撤回させないといけない。
今日だって、そのためにここへやって来たのだから。今はまだ、何の手がかりもないけれど。それでも。
年度が新しくなって間もない頃の、合唱祭実行委員の顔合わせをした日のことだ。
話が一段落したところで、私は偶然近くにいた塚本くんに何の気なしにそう訊いたのだ。
すると塚本くんはなぜか少し照れたように首をかしげた。
「えっと、去年の合唱祭が楽しかったから、ですかね……」
「ええ……純粋すぎてまぶしい……」
やや大げさだったことは認めるけれど、紛れもない本心だった。
でも同時に、私の心には一つの心配が浮かぶ。
「でもそれだと、二年生は基本裏方になるから、去年みたいには合唱祭を満喫できないかもしれないよ?」
実行委員として立ち働くということは、合唱そのものに向けておける集中力や労力が単純に目減りするということなのだ。
「? どういうことですか?」
不思議そうに目を瞬く塚本くんに、私は「たとえば」と説明を始めた。
「私の例で言えば、去年は舞台裏のタイムキーパーだったんだけどね。おかげで肝心のステージはほとんど聴けずじまいだったのよ」
舞台の進行具合を確認しながら、次の順番のクラスが待機する舞台袖と、そのさらに次のクラスが最終確認を行うリハーサル室の間を、文字通り駆けずり回っていたのだ。当然三年生のハイレベルな合唱に聴き惚れる余裕なんて微塵もなかったし、自分の学年の発表ですら半分聴けたかどうかというくらいだった。
一応、後から録画は見せてもらったけれど、やっぱり生の演奏・歌声に敵うものではない。そう思うと、なんとももったいないことをしたような気がしてしまうのだ。
そんな内容のことを、言ってみればあちこち破れかけたようなオブラートに雑に包んで言うと、塚本くんはなぜかおかしそうに笑った。
「じゃあなんで木崎先輩は……今年も実行委員になったんですか?」
「え」
そんなこと、今の今まで考えたこともなかった。改めて振り返ってみるが、情けないことにちゃんとした動機は思い浮かばない。強いて言うならなりゆきだった。
「私はね……そう、あそこにいる牧村輝って子に去年無理矢理引っ張り込まれて。それで今年も半ば惰性で来ちゃったっていうのが一番近い気がする」
合唱祭実行委員会に眩しいくらいの希望や夢を抱いている若者──って言っても一歳しか違わないけど──に返す言葉としてはあまりにお粗末だけれど、事実なのだからしょうがない。
ふと見てみれば、件の輝は窓際で別の後輩を相手に先輩風を吹かせていた。
(……って!)
今更ながら、いい加減でやる気も不十分な先輩として、実行委員のマイナス面を力説してしまったことに気づく。どうしよう、これで塚本くんが「じゃあやっぱり一般生徒として参加することにしようかな……」なんて言って、実行委員を辞めてしまったら──…。
内心大慌てでフォローの言葉を探し始める私の焦りを知ってか知らずか──いや、おそらく私のそんな焦りを察したのだろう、塚本くんはくすりと笑った。
「うちの生徒なら誰もが見られる景色は去年見ましたから。今年は委員じゃないと見られない景色を見てみようと思ってるので」
「──!」
思わず言葉を失ってしまった。だって、塚本くんは実行委員になるのが初めての二年生で、一方私は実行委員も二度目になる先輩だというのに。まったくこの差は何なのだろうと悲しくなってくる。もちろんそれは見方を変えれば、頼りがいのある優秀な後輩が加わってくれた、ということではあるのだけれど。
(ああ、それなのに……)
気づけば目的地である教室に着いていた。
そっと盗み見た限りでは、塚本くんの表情に落胆や絶望の色はない。
それでも、塚本くんが初めて「委員じゃないと見られない景色」を目にできるはずだった今年の合唱祭が中止されてしまったということは、少なくとも現時点では受け入れざるをえない現実なのだった。
二学期に入ってからの突然の中止宣告は、もちろん私も含めて誰にとっても青天の霹靂だったと思う。
でも合唱祭への想いをあんなふうに語ったていた塚本くんが受けたショックは……もしかしたら私の比ではないかもしれない。なんとなく大人びたところのある塚本くんのことだから、それをわかりやすく表に出すことはないのだろうけれど。
でも、だからこそ私は前を見据えなければいけないのだと思う。私自身のためだけじゃなく、塚本くんや、合唱祭を楽しみにしてた大勢の人のためにも、中止の原因や理由を突き止めて、そしてその決断を下した誰かに中止を撤回させないといけない。
今日だって、そのためにここへやって来たのだから。今はまだ、何の手がかりもないけれど。それでも。
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