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9月1日 月曜日
第14話 朝の教室で
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週が明けて、月曜日になった。
私はまだ誰もいない自分の教室に、一人足を踏み入れる。
去年までなら合唱祭の朝練に充てられていた時間だ。でも今年は、普段なら合唱祭のために休みになる部活動の朝練も通常通り行われていて、開け放たれた窓からはかけ声やホイッスルが聞こえてくる。
合唱祭なんて、もともと存在しなかったかのようだった。
(どうしてなんだろう)
去年の情景が目に浮かぶ。
クラスで曲を決めるときの真剣さや、他と重なってしまった時の無念。
練習を始めた当初は、中心となってクラスを率いていた生徒を遠巻きに、まるで牽制し合うような雰囲気だったくせに、どういうわけかある瞬間を境にクラス全体が同じ方を向き出すのだ。合唱は、歌は、そこから驚異的なまとまりを見せる。
(それでも、実際はカタチだけで楽しんでたってことなのかな……)
始業式の日、体育館を埋めたあのざわめきは何だったのかと叫びたくなる。
合唱祭の理由なき中止への不満ではなかったのか。
(……みんなはどう思ってるんだろう)
もう決まったことなら仕方がないと受け入れているのか、あるいは受験や定期試験に集中できる、とむしろ喜んでいるのか。
もちろん私だって、今が受験の明暗を分けうるくらいに重要な時期であることはわかっているつもりだ。でも、だからってこの行事をこんなふうに中止にしてしまうのは何か違う、という気がしてならない。
(なんとか中止しないでほしい、例年通り歌いたい、聴きたいって思ってる人、どれくらいいるのかな……)
私はなんとなく、窓際に歩み寄った。この教室の窓からは、隣の校舎にある音楽室が少しだけ見える。
講堂など特別な場所は別として、音楽室はピアノ伴奏と合わせて練習できる唯一の教室だ。そのため、合唱祭の準備期間中は各クラスに利用時間が割り当てられる。ついでに言うなら、その調整も合唱祭実行委員会の仕事だ。
音楽室周辺は、違う校舎からでもわかるくらいにひっそりとしていた。今日は吹奏楽部の朝練もないらしい。
と、廊下から足音が聞こえてきた。生徒が誰か登校してきたのだろう。
「──おはよう」
落ち着いたアルト──幸穂ちゃんの声だった。私は振り返って答える。
「おはよう。早いね」
言ってしまってから、これは向こうのセリフだったかと考える。が、彼女は特に気にした様子もなく自分の席へと歩み寄る。
「朝練で癖がついちゃったの。道もすいてるしね」
彼女は机にカバンを置くと、教科書類をまとめて取り出した。そんな姿を見るともなしに眺めていると、幸穂ちゃんが再び口を開いた。
「──彩音ちゃんは、運動会とか体育祭って好き?」
唐突だったので、一瞬何を聞かれたのかわからなかった。私は窓際を離れて自分の席に向かう。
「うーん……。正直そんなに、かな。焼けるし……もともと運動好きじゃないのもあるけど」
私は正直に答えた。幸穂ちゃんはわかるよ、というようにうなずく。
「それって、合唱祭も同じだと思わない?」
そう言ってカバンのファスナーを閉め、彼女は私の顔を見る。
「……楽しめる人もいれば、そうでない人もいるところが?」
正面に向き直って言うと、彼女はうなずいた。
「午後の授業が休みになっても、拘束されるって意味では練習も同じだし、単純に集団で何かをやらされるのが嫌って人もいるでしょ?」
当然いるだろう。彼女が触れた体育祭の例で言うなら、チームの足を引っ張りかねないリレーなんかは私もあまり好きではない。
「でも厄介なことにね、運動は生きていくために必要って思われてるけど、音楽って娯楽とか教養の域だと思われてる」
幸穂ちゃんは静かにため息をつく。
「運動部と文化部ってね、学校からの補助金の額も全然違うの。まあ、うちの吹部は全国で戦えるレベルじゃないし、部活に関しては諦めもつくけど、正直学校行事までそうだとは私も思わなかったな……」
そう言って彼女は宙を仰いだ。きっと、吹奏楽部の部長を務めるなかでいろいろあったのだろう。
何と言っていいのかわからずただ見つめていると、幸穂ちゃんはふっと笑った。
「──ごめんね、急に。彩音ちゃんが合唱祭のこと気にしてるの、傍から見ててわかったからちょっと。でもやっぱりみんなすぐに慣れたし、きっと忘れるのもすぐだよ」
彼女に言われるまでもなく、合唱祭は日に日に、目に見えて存在感を失ってきていた。
実行委員会のメンバーたちですら、口には出さないけれどみんな感じているのだと思う。
その意味では、このまま目をつぶり耳を塞ぐことの方がきっと簡単なんだろう──他の、大多数の生徒みんながそうしているように。
でも私は、知らなければならないと思う。合唱祭の中止を撤回させるという当初の目的のためにはもちろん、たとえそれが叶わないとしても、私は知らなければならない。
「……あ」
そういえば、カバンを登校してきた時のままほったらかしにしていた。
私は幸穂ちゃんを見習って、中身をちゃんと机に移すことにする。ついでに時間割の順に並べ替えておこう。
と、まとめて持った教科書とノートの間からクリアファイルが一枚、するりと滑り落ちた。
「あ、落ちたよ」
幸穂ちゃんがすぐに気づいて拾ってくれる。
「ありがとう」
教科書たちを机にしまって両手を空けてから受け取る。見れば落としたのは今年度の時間割表だった。
(うわ、これ見たの久しぶりだな……)
一応カバンには入れていたものの、わざわざ取り出して確認することはほとんどなかった。というのも、春から毎週ずっと同じ時間割だから、もうとっくに覚えてしまっているのだ。学校によっては学期ごとに時間割が変わるところもあるらしいけれど、うちの学校では基本的には通年設定だ。
その時間割を入れたクリアファイルを、何の気になしに裏返してみたときだった。
「……!」
「年間行事予定表」なるものが現れたのだ。年度初めに配られた時、時間割と一緒にしていたのだろう。自分がやったことなのにすっかり忘れていた。
(行事予定か……ここにはちゃんと「合唱祭」の文字があるのに……!?)
思わず手を止める。おかしい──十月の欄のどこにも、「合唱祭」の文字がないのだ。
(あれ?)
落ち着いて見直そう──そうだ、前後月にあたる九月と十一月も、念入りに。そして最後には、四月から三月まですべての欄を指で追ってみた。けれど「合唱祭」という文字列は、ついに見つからなかった。
(どういうこと……)
心臓が嫌な音を立て始める。だって、この年間行事予定表が配られたのは四月のはずだ。なのに合唱祭の文字がないということは……まさか。
私はまだ誰もいない自分の教室に、一人足を踏み入れる。
去年までなら合唱祭の朝練に充てられていた時間だ。でも今年は、普段なら合唱祭のために休みになる部活動の朝練も通常通り行われていて、開け放たれた窓からはかけ声やホイッスルが聞こえてくる。
合唱祭なんて、もともと存在しなかったかのようだった。
(どうしてなんだろう)
去年の情景が目に浮かぶ。
クラスで曲を決めるときの真剣さや、他と重なってしまった時の無念。
練習を始めた当初は、中心となってクラスを率いていた生徒を遠巻きに、まるで牽制し合うような雰囲気だったくせに、どういうわけかある瞬間を境にクラス全体が同じ方を向き出すのだ。合唱は、歌は、そこから驚異的なまとまりを見せる。
(それでも、実際はカタチだけで楽しんでたってことなのかな……)
始業式の日、体育館を埋めたあのざわめきは何だったのかと叫びたくなる。
合唱祭の理由なき中止への不満ではなかったのか。
(……みんなはどう思ってるんだろう)
もう決まったことなら仕方がないと受け入れているのか、あるいは受験や定期試験に集中できる、とむしろ喜んでいるのか。
もちろん私だって、今が受験の明暗を分けうるくらいに重要な時期であることはわかっているつもりだ。でも、だからってこの行事をこんなふうに中止にしてしまうのは何か違う、という気がしてならない。
(なんとか中止しないでほしい、例年通り歌いたい、聴きたいって思ってる人、どれくらいいるのかな……)
私はなんとなく、窓際に歩み寄った。この教室の窓からは、隣の校舎にある音楽室が少しだけ見える。
講堂など特別な場所は別として、音楽室はピアノ伴奏と合わせて練習できる唯一の教室だ。そのため、合唱祭の準備期間中は各クラスに利用時間が割り当てられる。ついでに言うなら、その調整も合唱祭実行委員会の仕事だ。
音楽室周辺は、違う校舎からでもわかるくらいにひっそりとしていた。今日は吹奏楽部の朝練もないらしい。
と、廊下から足音が聞こえてきた。生徒が誰か登校してきたのだろう。
「──おはよう」
落ち着いたアルト──幸穂ちゃんの声だった。私は振り返って答える。
「おはよう。早いね」
言ってしまってから、これは向こうのセリフだったかと考える。が、彼女は特に気にした様子もなく自分の席へと歩み寄る。
「朝練で癖がついちゃったの。道もすいてるしね」
彼女は机にカバンを置くと、教科書類をまとめて取り出した。そんな姿を見るともなしに眺めていると、幸穂ちゃんが再び口を開いた。
「──彩音ちゃんは、運動会とか体育祭って好き?」
唐突だったので、一瞬何を聞かれたのかわからなかった。私は窓際を離れて自分の席に向かう。
「うーん……。正直そんなに、かな。焼けるし……もともと運動好きじゃないのもあるけど」
私は正直に答えた。幸穂ちゃんはわかるよ、というようにうなずく。
「それって、合唱祭も同じだと思わない?」
そう言ってカバンのファスナーを閉め、彼女は私の顔を見る。
「……楽しめる人もいれば、そうでない人もいるところが?」
正面に向き直って言うと、彼女はうなずいた。
「午後の授業が休みになっても、拘束されるって意味では練習も同じだし、単純に集団で何かをやらされるのが嫌って人もいるでしょ?」
当然いるだろう。彼女が触れた体育祭の例で言うなら、チームの足を引っ張りかねないリレーなんかは私もあまり好きではない。
「でも厄介なことにね、運動は生きていくために必要って思われてるけど、音楽って娯楽とか教養の域だと思われてる」
幸穂ちゃんは静かにため息をつく。
「運動部と文化部ってね、学校からの補助金の額も全然違うの。まあ、うちの吹部は全国で戦えるレベルじゃないし、部活に関しては諦めもつくけど、正直学校行事までそうだとは私も思わなかったな……」
そう言って彼女は宙を仰いだ。きっと、吹奏楽部の部長を務めるなかでいろいろあったのだろう。
何と言っていいのかわからずただ見つめていると、幸穂ちゃんはふっと笑った。
「──ごめんね、急に。彩音ちゃんが合唱祭のこと気にしてるの、傍から見ててわかったからちょっと。でもやっぱりみんなすぐに慣れたし、きっと忘れるのもすぐだよ」
彼女に言われるまでもなく、合唱祭は日に日に、目に見えて存在感を失ってきていた。
実行委員会のメンバーたちですら、口には出さないけれどみんな感じているのだと思う。
その意味では、このまま目をつぶり耳を塞ぐことの方がきっと簡単なんだろう──他の、大多数の生徒みんながそうしているように。
でも私は、知らなければならないと思う。合唱祭の中止を撤回させるという当初の目的のためにはもちろん、たとえそれが叶わないとしても、私は知らなければならない。
「……あ」
そういえば、カバンを登校してきた時のままほったらかしにしていた。
私は幸穂ちゃんを見習って、中身をちゃんと机に移すことにする。ついでに時間割の順に並べ替えておこう。
と、まとめて持った教科書とノートの間からクリアファイルが一枚、するりと滑り落ちた。
「あ、落ちたよ」
幸穂ちゃんがすぐに気づいて拾ってくれる。
「ありがとう」
教科書たちを机にしまって両手を空けてから受け取る。見れば落としたのは今年度の時間割表だった。
(うわ、これ見たの久しぶりだな……)
一応カバンには入れていたものの、わざわざ取り出して確認することはほとんどなかった。というのも、春から毎週ずっと同じ時間割だから、もうとっくに覚えてしまっているのだ。学校によっては学期ごとに時間割が変わるところもあるらしいけれど、うちの学校では基本的には通年設定だ。
その時間割を入れたクリアファイルを、何の気になしに裏返してみたときだった。
「……!」
「年間行事予定表」なるものが現れたのだ。年度初めに配られた時、時間割と一緒にしていたのだろう。自分がやったことなのにすっかり忘れていた。
(行事予定か……ここにはちゃんと「合唱祭」の文字があるのに……!?)
思わず手を止める。おかしい──十月の欄のどこにも、「合唱祭」の文字がないのだ。
(あれ?)
落ち着いて見直そう──そうだ、前後月にあたる九月と十一月も、念入りに。そして最後には、四月から三月まですべての欄を指で追ってみた。けれど「合唱祭」という文字列は、ついに見つからなかった。
(どういうこと……)
心臓が嫌な音を立て始める。だって、この年間行事予定表が配られたのは四月のはずだ。なのに合唱祭の文字がないということは……まさか。
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