この歌声が届くまで

蒼村 咲

文字の大きさ
15 / 55
9月1日 月曜日

第15話 仮説と嫌な予感

しおりを挟む
 得意なはずの国語の授業も英語の授業も、私は今までにないくらい上の空だった。前の席の生徒が立ちあがったことで、かろうじて授業が終わったことに気づけたくらいに。原因はもちろん、あの年間行事予定表だ。
 だって、あの表に印字がないということは、遅くとも年度初め──おそらくは昨年度の時点で、合唱祭の中止が既に決まっていたということだから。

(でも、だったらなんでその時発表にならなかったんだろう……)

 もし──昨年度末ではなかったとしても、せめて今年度の初めにでも発表してくれていたら、今の合唱祭実行委員会が発足することもなかったはずなのだ。
 つまり、あんなふうにショックを受けることも、こんなふうに原因究明に奔走することもなかった。
 仮に中止が覆せないものだったとしても、少なくとも今よりは絶対に傷が浅くて済んだと思う。

(……あ、今だ)

 いつもやたらと友人に囲まれている乾がようやく一人になったのだ。私は立ち上がり彼に声をかける。

「ちょっと気づいたことがあるんだけど、今いい?」

 私の表情か、あるいは声に深刻な響きでも感じたのだろうか。乾はすぐにうなずき立ち上がった。

「いい話じゃなさそうだな」

 廊下に出るなりそう言った乾に、私はぐっと言葉を詰まらせる。良い話じゃないというのはその通りだけれど、私ってそんなにわかりやすい人間なのだろうか。

「……合唱祭だけど。中止はもしかしたら去年──正確には昨年度の時点で決まってたかもしれない」

 私が言うと、さすがの乾も顔色を変えた。

「どういうことだよ?」

 私は聞こえそうな範囲に人がいないのを確認してから手短に説明する。
 年度初めに配付された「年間行事予定表」に、合唱祭の文字がないこと。つまり、その表が作られたであろう三月の時点で、合唱祭は存在しないものとして扱われていた可能性が高いこと。しかも、あとで改めて確認したら、文化祭と体育祭はちゃんと記載されていたのだ。

「その、三月の時点ではまだ日時とか確定してなかっただけってことは?」

 乾が希望的観測を述べる。
 正直、その可能性は私も考えた。けれど結局棄却せざるをえなかったのだ。私は静かに首を振る。

「あくまで予定だし、仮決定でも打ち出すんじゃないかと思う……それに、わざわざ『変更可能性あり』って断ってる。もちろん、今日帰ったらどこかに去年の予定表が残ってないか探してみるけど」

 もし去年の年間行事予定表に「合唱祭」の印字があれば、この仮説──合唱祭は昨年度の時点で中止が決定していたという可能性──は決定的なものになってしまう。でも、そうなったとしてもまだ、中止の原因はわからないのだ。

(……?)

 返事がないのが気になって見てみれば、乾は何か考え込んでいる。

「どうしたの?」

 不思議に思って尋ねると、乾はかすかに呆れたような顔をした。

「お前、少しは考えろよ」

「え?」

 いったい何を考えろと言われているのだろう。
 話が通じていないと思ったのか、乾は一瞬顔をしかめた。が、すぐに表情を引き締める。

「仮にお前の考えが正しかったとして、なんで二学期まで黙ってたのか、だよ」

「なんでって……」

 私だって、せめて年度初めに発表してくれていたら、とは思ったけれど。
 そう思ったところでようやく気付く。乾は、なぜそうしなかったのかを考えろと言ったのだ。

「……年度初めに公表したら、何か都合が悪いことがあった?」

 自信がないながらにも言うと、乾は真剣な顔のままうなずいた。

「年度初めの時点では、中止を隠しておきたかったとも考えられるな」

「どうして……」

 思わずそんな言葉が口をついて出てしまう。が、その答えは自分で探さなければならないのだ。

「……だとしたら、今はそれがなくなったか、解決した。だから公表できたってこと?」

 言いながら、「それ」っていったい何なんだろうと思う。

「それかあるいは、年度初めの時点では──」

 乾が急に口をつぐんだ。その目は私の背後を向いている?

(うわっ)

 その視線を追うように振り返ってみれば、なんとそこには桐山会長の姿があった。
 そしてどういうわけか、彼はまっすぐこちらに近づいてくる。

「ちょっと。おたくの委員長、なんとかならないのか」

 ややとげのある言い方に、私は思わず身を引いた。

「……委員長って?」

 乾がもっともらしく首を傾げる。もちろん、桐山会長が新垣くんのことを言っているのは間違いないし、それは乾もわかっているだろう。
 でも「どうにかしろ」と言われる心当たりはない。その意味で乾の反応は正しかったと思う。

「合唱祭実行委員会の委員長だよ」

 彼らしくもなく、声には若干の苛立ちが滲んでいた。
 どうしたんだろう──私は乾と顔を見合わせる。

「『なんとか』って……何の話? だって、合唱祭は……」

 私が言うと、桐山会長は大きくため息をついた。

「彼も君たちくらい物わかりがよければいいんだけど」

(物わかり……?)

 どういう意味なのかはわからない。でも、少なくとも桐山会長の言葉を信じるのなら、新垣くんは委員長として何か行動を起こしている。

「優也が何かしたのか?」

 乾が訊く。が、桐山会長は気が済んだのか小さく首を振った。

「……いや、なんでもない。邪魔して悪かったね」

 そう言って踵を返す。

(「邪魔して悪かったね」って……)

 そんな台詞が芝居がかって聞こえないというのは、実はものすごく貴重な個性なのでは。去っていく桐山会長の背中を見つめながら、私はそんなことを思う。

「新垣くん、どうしたんだろう……」

 桐山会長が言ってしまってから、私は乾に尋ねた。が、彼も思い当たることがないらしく首を傾げている。

「さあ……でも何か──」

 乾が言いかけた瞬間にチャイムが鳴った。幸いにも、次は移動教室ではなくホームルーム教室での授業なのでそう慌てる必要はない。けれどまもなく担当の先生がやってくるだろう。

「……なんか、嫌な予感はするよな」

 教室に戻りながら、乾がぽつりとつぶやいた。
 そしてその予感は、早くも翌日に的中することになるのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

処理中です...