この歌声が届くまで

蒼村 咲

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9月3日 水曜日

第17話 焦燥と疑念と覚悟と

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 気づけば月が変わってもう数日経ってしまっていた。
 私たちが何をしていても、あるいは何もしていなくても、毎日は当たり前に過ぎていくのだ。
 そのことにこんなにも焦燥を覚えることになるなんて、私は想像だにしなかった。

(こんなことしてる場合じゃないのに……)

 急がなければ手遅れになってしまう。
 本当ならもう、選曲も終わってパートごとの練習が始まっている時期なのだ。
 それなのに、私たちはまだ合唱祭の中止を覆せていないどころか、中止の原因すら解明できていない。そのうえ「合唱祭実行委員」という立場すら剥奪されてしまった。これからいったいどうすればいいのだろう。

 私は重い足取りで校門をくぐり、昇降口を目指す。

(……あ)

 反対側の入り口付近に、塚本くんらしき人影が見えた。一瞬声をかけようかと思ったが、よく見ると誰かと一緒のようだ。

(えっ?)

 思わず靴箱の陰に隠れる。
 塚本くんの隣にいるのは、なんと桐山会長だった。
 二人は何か話しているようだけれど、この距離からではその内容までは聞き取れない。かといって、むやみに近づいて盗み聞きが露呈──なんていう事態は絶対に避けたかった。残念だけれど、ただ気配を殺してやり過ごすほかない。

(ちょっと待ってよ……いったいどういう組み合わせなの?)

 解散命令の件で、執行部は敵だと判明したばかりなのだ。
 こんな朝早くに、それこそ人目を憚るように会っているなんて、私じゃなくても疑いたくなると思う。

(まさか、実は塚本くんが内通者だった……とか?)

 塚本くんが、合唱祭実行委員会の動きを逐一執行部に報告していたとしたらどうだろう。
 それを受けて何かしらの危険を察知した桐山会長が、先手必勝とばかりに解散命令を出した──…。

(いや、だったら桐山会長が私や乾のことを「物わかりがいい」なんて言うのはおかしいよね……)

 だめだ──少し考えただけでもつじつまが合わない。
 と、考え込んでしまったこの間、二人から意識をそらしてしまっていた。気づけば二人分の足音がすぐそばまで迫っている。

(……! 待って、見つかる……!)

 とにかくここから離れなきゃいけない。けど慌てて動いて変に大きな物音を立てたら意味がない。優先順位を決めかねて動けなくなってしまったその時だった。

「──!」

 死角から思い切り腕を引っ張られたのだ。
 衝撃のあまり危うく悲鳴を上げるところだったがなんとかこらえ、引っ張られるままに一本隣の通路に駆け込む。
 間一髪のところで、塚本くんと桐山会長の視界を外れることができた。ちょうど、昇降口からほど近い格技場で大きな物音がしたおかげで、足音にも気づかれずに済んだようだ。二人はそのまま、昇降口を出て教室棟へと向かっていく。

(ああ、もうだめかと……)

 大きく息をついたところで、ようやく周りを見る余裕が出てきた。私は息を整えてから、そばに立つ人影を見上げた。

「おはよう、木崎さん。こんなところで何してたの?」

「新垣くん……」

 私をこの通路に引っ張り込んだのは、なんと新垣くんだった。

「何もしてないわよ。登校してきたタイミングが悪くて、なんだか……気になる場面に場面に遭遇しちゃったってだけ」

「ふうん。そうなんだ」

「気になる場面」とは何なのかと追及しないということは、新垣くんも二人が会っているところを見ていたのだろう。
 それについて、どう思っているのか聞いてみたい。でもどう訊けばいいのだろう。「あの二人って、どういう関係なのかな?」なんて訊いてしまうと、違う意味に聞こえる。
 そんなことを悶々と考えていると、隣から「木崎さん」と呼ばれた。

「もし、真相が受け入れがたいような、認めたくないようなものだったらどうする?」

 何を訊かれているのか、とっさには理解できなかった。けれど私が──私たちが追っているのは、合唱祭中止に関する真相だけだ。

「……どういうこと?」

 新垣くんは、すでに何かを掴んだのだろうか。そしてそれが「受け入れがたい真相」だったのだろうか。新垣くんは私から目をそらし、職員室がある方向を見上げた。

「学校側にとっては、学校の決定に逆らったり学校の事情に首を突っ込んだりせずに、ただ素直に受け入れる従順な生徒の方が都合がいいわけでしょ? それにあえて逆らう勇気、ある?」

 再び私に視線を戻した新垣くんの眼鏡がキラリと光を反射した。なんだろう──なんだか妙に不安がかき立てられる。

「何が言いたいの?」

 私が低い声で問い返すと、新垣くんはなぜかふっと表情を和らげた。

「木崎さん、わりと優等生タイプでしょ? せっかく三年かけて築いてきたその地位を脅かしてまで、合唱祭にこだわれる?」

「な……」

 思わず絶句してしまった。新垣くんのことを、こういう物言いをする人だと思っていなかったのもある。けれど何より、彼の言葉はほとんど、合唱祭中止の真相を掴んだと言っているも同然だったからだ。

「あなたは……いったい何を知っているの?」

 自分でわかるくらいに声が震えている。合唱祭の中止の背後に、いったい何があるというのだろう。

「木崎さん、訊いているのはこっちだよ。知るということ──情報を手にするということには、責任が伴うんだ。知ったらそれで終わりじゃない。受け止めて、消化しないといけない。その覚悟が……ある?」

 睨まれているわけでも、凝視されているわけでもない。ただまっすぐに見つめられているだけなのに、私は新垣くんの目に射るような力強さを感じた。でもそれに気圧される私じゃない。だって──…。

「……あるわ。合唱祭は私にとって特別なものだから」

 私は幾分低いところからではあるけれど、新垣くんの目を見つめ返した。
 同時に心の中で、合唱祭は私の一番好きな行事だから、とつけ加える。

「……わかった。じゃあ明日の放課後、暁良と一緒に来て」

 新垣くんが静かに言った。伏せられたその目を、私はなおも見つめ続ける。

「どこに、行けばいいの?」

 私が慎重に尋ねると、彼はなぜかぎこちなく微笑んだ。

「その時になってみればわかるよ」

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