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9月4日 木曜日
第25話 屋上の風に吹かれながら
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ほとんど勢いで飛び出してきてしまった。行く当てのない私は、ひと気のない廊下を一人ぶらつく。
正直、桐山会長の言っていることはわからないでもなかった。
賞を取ることだけを目的に歌うのは違う──それは合唱の本質ではない、と。それはきっと正しい。
私だって、嫌々歌っている人たちの歌じゃ、何も伝わらないと思う。その中にいたんじゃ、いくら合唱が好きでも楽しくなかったと思う。だからそんな合唱祭ならもうなくていいっていう主張も、わからないわけじゃない。
でも、私にとっては最後の合唱祭だったのだ。どうしても寂しさをぬぐい切れない。
(ああ、いつもならこのあたりにも、練習の歌声が響いていたのに……)
合唱祭前になると、教室や廊下だけでは足りず、中庭や階段、渡り廊下など、あちこちが練習場所と化していた。文字通り至る所で、いろんな音符が飛び交っていたのだ。
でも今は、そんな音符はたった一つも漂ってはいない。
その現実から目を背けるように、私は屋上へと続く階段を上る。
屋上は、本当は立ち入り禁止で鍵がかかっているのだけど、生徒会室があるこの校舎の屋上への扉だけは、どういうわけか鍵が壊れたままになっているのだ。
極力音を立てないようにして、銀色の扉を押し開ける。と、差し込んできた夕日に目がくらみそうになった。
(今はもう、これで良かったんだと思わなきゃ……)
表面だけ真剣なふりして歌ったって、何も意味なんかない。そんな見せかけだけの歌では、誰の心も動かせない。そんな空々しい歌ばかりの、空っぽの合唱祭なんていらない──…。
私は夕日に染まった風に吹かれながら、屋上の中央へと進み出る。
「♪この翼だけは 折れることない……」
囁くように口ずさんだこの歌は、今年の合唱祭で推薦する予定だった曲。
数回しか聞いたことがないはずなのに、その数回でほとんど覚えてしまうくらいに好みの曲だった。
それなのに、今年は選曲のためのホームルームすら開かれなかったのだと思うと、寂しさで胸がつかえそうになる。
「♪信じ合える今の この瞬間を……」
目頭がひとりでに熱くなってきた。
やっぱり歌いたかったな──本当に、自分の心には嘘がつけないのだと思う。
合唱は一人ではできない。みんなと一緒じゃないと、合唱にはならない。これから先、私はいつか「合唱」を歌う時がくるだろうか。
(──!)
いつの間にか隣に人影があった。一瞬、先生に見つかってしまったのかと焦ったが、その人影は制服姿だ。
「続けましょう」
誰だろう、と見上げる前にその人影が言った。
なんと、よく聞き知った声だった。そしてワンテンポ遅れて、彼が言ったのが歌のことだと気づく。
私は大きく息を吸い込んだ。
「♪風に乗り舞い上がる いつか見たあの夢へ……」
(──! すごい……)
隣の彼──塚本くんが一緒に歌ってくれたのはテノールのパートだった。
鼻歌に毛が生えた程度だった私の歌が、一瞬で深みと厚みを増す。
そう、これが──私一人では歌えない歌。
誰かと、みんなと一緒じゃなきゃ歌えない歌。
「♪はためく希望とともに……」
心のこもっていない歌なんて、響かない。誰も聞きたいなんて思わない。それはきっと、桐山会長の考えるとおりなのだろう。
だけど私はやっぱり、この一人では歌えない歌を、聴きたいと思う。歌いたいと思う。
「♪どこまでも 飛んでゆくから──…」
最後のリタルダントは、お互いの顔を見ながら調整した。そして、屋上を吹き抜けていく風の中へと溶かすように、最後の音にディミヌエンドをかける。たった二人で紡いだ歌声は思いのほか儚く、私の脳裏に「あらゆる音は空気の振動に過ぎない」──なんてフレーズが浮かんだ時だった。
「──!?」
私は驚いて背後を振り返る。突然、数人分の拍手が聞こえてきたのだ。
いったいどういうわけか、私が通ってきた銀色のドアのそばにみんなの姿がある。新垣くんに乾に中村くんに、そしてなんと桐山会長までの姿が。
「なかなかいいんじゃない? その曲」
その言葉の意味がつかめず、私はぽかんと口を開けた。
「どうしてここに……」
なんとか絞り出すようにして尋ねると、乾が呆れて天を仰いだ。
「お前が話の途中で飛び出していったから、迎えに来てやったんだろ、こうして」
「迎えにって……どういうこと?」
今だ状況がつかめない私のそばで、塚本くんがふっと笑った。
「木崎先輩……やりますよ」
見上げたその先では、長いまつげに縁取られた目がキラリと光る。
「やるって何を……?」
「決まってるでしょう。合唱祭ですよ」
「……えぇっ!?」
いったい、私が出て行った後の生徒会室で何があったのだろう。
正直、桐山会長の言っていることはわからないでもなかった。
賞を取ることだけを目的に歌うのは違う──それは合唱の本質ではない、と。それはきっと正しい。
私だって、嫌々歌っている人たちの歌じゃ、何も伝わらないと思う。その中にいたんじゃ、いくら合唱が好きでも楽しくなかったと思う。だからそんな合唱祭ならもうなくていいっていう主張も、わからないわけじゃない。
でも、私にとっては最後の合唱祭だったのだ。どうしても寂しさをぬぐい切れない。
(ああ、いつもならこのあたりにも、練習の歌声が響いていたのに……)
合唱祭前になると、教室や廊下だけでは足りず、中庭や階段、渡り廊下など、あちこちが練習場所と化していた。文字通り至る所で、いろんな音符が飛び交っていたのだ。
でも今は、そんな音符はたった一つも漂ってはいない。
その現実から目を背けるように、私は屋上へと続く階段を上る。
屋上は、本当は立ち入り禁止で鍵がかかっているのだけど、生徒会室があるこの校舎の屋上への扉だけは、どういうわけか鍵が壊れたままになっているのだ。
極力音を立てないようにして、銀色の扉を押し開ける。と、差し込んできた夕日に目がくらみそうになった。
(今はもう、これで良かったんだと思わなきゃ……)
表面だけ真剣なふりして歌ったって、何も意味なんかない。そんな見せかけだけの歌では、誰の心も動かせない。そんな空々しい歌ばかりの、空っぽの合唱祭なんていらない──…。
私は夕日に染まった風に吹かれながら、屋上の中央へと進み出る。
「♪この翼だけは 折れることない……」
囁くように口ずさんだこの歌は、今年の合唱祭で推薦する予定だった曲。
数回しか聞いたことがないはずなのに、その数回でほとんど覚えてしまうくらいに好みの曲だった。
それなのに、今年は選曲のためのホームルームすら開かれなかったのだと思うと、寂しさで胸がつかえそうになる。
「♪信じ合える今の この瞬間を……」
目頭がひとりでに熱くなってきた。
やっぱり歌いたかったな──本当に、自分の心には嘘がつけないのだと思う。
合唱は一人ではできない。みんなと一緒じゃないと、合唱にはならない。これから先、私はいつか「合唱」を歌う時がくるだろうか。
(──!)
いつの間にか隣に人影があった。一瞬、先生に見つかってしまったのかと焦ったが、その人影は制服姿だ。
「続けましょう」
誰だろう、と見上げる前にその人影が言った。
なんと、よく聞き知った声だった。そしてワンテンポ遅れて、彼が言ったのが歌のことだと気づく。
私は大きく息を吸い込んだ。
「♪風に乗り舞い上がる いつか見たあの夢へ……」
(──! すごい……)
隣の彼──塚本くんが一緒に歌ってくれたのはテノールのパートだった。
鼻歌に毛が生えた程度だった私の歌が、一瞬で深みと厚みを増す。
そう、これが──私一人では歌えない歌。
誰かと、みんなと一緒じゃなきゃ歌えない歌。
「♪はためく希望とともに……」
心のこもっていない歌なんて、響かない。誰も聞きたいなんて思わない。それはきっと、桐山会長の考えるとおりなのだろう。
だけど私はやっぱり、この一人では歌えない歌を、聴きたいと思う。歌いたいと思う。
「♪どこまでも 飛んでゆくから──…」
最後のリタルダントは、お互いの顔を見ながら調整した。そして、屋上を吹き抜けていく風の中へと溶かすように、最後の音にディミヌエンドをかける。たった二人で紡いだ歌声は思いのほか儚く、私の脳裏に「あらゆる音は空気の振動に過ぎない」──なんてフレーズが浮かんだ時だった。
「──!?」
私は驚いて背後を振り返る。突然、数人分の拍手が聞こえてきたのだ。
いったいどういうわけか、私が通ってきた銀色のドアのそばにみんなの姿がある。新垣くんに乾に中村くんに、そしてなんと桐山会長までの姿が。
「なかなかいいんじゃない? その曲」
その言葉の意味がつかめず、私はぽかんと口を開けた。
「どうしてここに……」
なんとか絞り出すようにして尋ねると、乾が呆れて天を仰いだ。
「お前が話の途中で飛び出していったから、迎えに来てやったんだろ、こうして」
「迎えにって……どういうこと?」
今だ状況がつかめない私のそばで、塚本くんがふっと笑った。
「木崎先輩……やりますよ」
見上げたその先では、長いまつげに縁取られた目がキラリと光る。
「やるって何を……?」
「決まってるでしょう。合唱祭ですよ」
「……えぇっ!?」
いったい、私が出て行った後の生徒会室で何があったのだろう。
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