透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

2.廃線跡

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 ギィ、ギィ、ギィ……。

 錆びた金属と、滑らないチェーンの音。
 タイヤも、空気が抜けきっていたから入れていたけれど、ゴムが劣化しているのか、片道半ばで既に足が重い。
 それでも何とか、無いよりはありがたい精神で足を回す。

 更に数分――辿り着く頃には、すっかり棒になってしまっていた。
 けれど、

「うわぁ……これはいいな」

 疲れなんて吹き飛ぶくらいの景色が、そこには広がっていた。
 程よく錆びれた線路。そこを伝うようにして伸びる植物。
 すっかり手入れもされなくなった、くたっと斜めを向いた電線や看板も見事だ。そこにもまた、何かの蔦が絡みついている。
 話にあった通り周囲に民家はなく、観光地や人気スポットという訳でもないらしく、人影一つも見つからない。
 最高のスポットだ。

「直接持って来て描くのも有り――だけど、辿り着くまでがなぁ」

 道は決して簡単ではない。
 山道だし、所によりゴツゴツとした石や砂利道の上を走らなければ、辿り着けなかった。
 ノートと絵具類だけならリュックなんかで持って来られるけれど、これだけの景色、見ながら描くにはそれでは味気ない。やるならやるで、ちゃんとやりたい。

 しかし、イーゼルなんかは自転車では持って来られない。
 写真におさめ、それと記憶とを頼りに家で描くのが吉だ。

「悔しいけど、まぁ仕方ないし」

 僕はスマホを取り出すと、そこかしこにレンズを向け、必要な分だけシャッターを切る。
 遠くから。各パーツを近くから。異なる視点から。
 絵とする対象を多角的・立体的に捉え、その空間的意味合いを理解してから描いて初めて、絵には命が芽生える。
 僕が絵に触れるきっかけになったプロの人が、そんなことを言っていた。
 二次元であり二次元でないもの。それが絵なのだそうだ。

「それにしても――」

 静かだなぁ、とシャッターを切る手を止める。
 耳を意識的に欹ててみても、聞こえて来るのは木々や草花の擦れる音ばかり。
 誰かの話し声も、人工的な環境音も、動物の息遣いすら聞こえない。
 自分以外、植物以外の生命すら感じない、時が止まったような空間だ。

「気持ちいい……」

 吹き抜ける風が、頬を優しく撫でてゆく。
 胸いっぱいに吸い込んだ空気も綺麗で、息が詰まるような感覚もない。
 都会の便利な暮らしに慣れこそしているものの、自分には田舎の空気感が合っているのかも分からない。
 趣味も趣味なわけで、時間の進む速度がゆっくりな方が良いんだろうな。
 片道二十分の山道、という点さえ度外視すれば、絵描きに息抜きに散歩にと、毎日通い詰めたいところだ。

 電柱、線路、錆びついた看板――指先で少しずつなぞって、その感触も確かめてゆく。
 肌で感じてこそ絵の素材。これも、例のその人が言っていたことだ。

「――さて、と」

 一通り巡って満足したところで、僕はスマホをしまい、今一度その風景を遠くから眺める。
 物の配置や育ち方、色合い、空気感。
 それらを再確認した上で、頭の中でオリジナリティを入れる部分を組み上げ始めた。

 これだけ立派で綺麗な場所だ。そのまま描いたって絵にはなる。
 けれども僕は、そういった風景を更に風化させた、凡そ命というものが欠片も感じられないような、文明が滅びた更に後の創作物を好む。
 今現状あるこの風景から更に時間が経った時、どこかどう変化してゆくのか――そういったことを想像、妄想するのが好きなのだ。
 例のその人も、都会の街並みを風化させたイラストなんかをよく描いていたのを後から知った。それに更に感化されたのもある。

 何年前からだったろうか。
 気が付けば、更新されていたSNSは止まり、以降ずっと音沙汰が無い。
 小説に漫画にアニメに企業にと、日々目に留まるものでその人のイラストが使われたのも見たことがない。
 きっぱりと辞めてしまったのだろうか。
 フォロワーも閲覧数も多くは無かったけれど、仕事にも繋がっていて、これからという風に思っていたのに。
 もっとも、絵や小説、漫画といった娯楽分野に関しては、趣味から仕事となった途端に熱が冷める、或いは現実と理想との乖離に頭を悩ませる、というのはしばしば言われることではある。
 その人に関しても、そういうことだったりするのかもしれない。

 ――などということを考えつつ、僕は自転車に跨る。
 この風景と同じで、かつて使われていたものもいつかは風化していくものなんだろう――そんなことをぼんやりと思いながら僕は、運動不足が祟って重くなった足をペダルにかけた。
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