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第1章 『絵描きとクラシック』
4.欲と出会い
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昨日もそうだったが、帰り道はとても楽なものだ。
それもその筈。行きが殆ど登りだった分、帰りは下りばかり。足を回さずとも勝手に進んで行ってくれる。
楽ちん楽ちん。行きはよいよい、の反対だ。
ただ、数時間はいるつもりだった場所から早々に離れたことで、幾らか体力も気力も残っていた。それだけに、さっさと帰ってしまうのもアレだ。
ばあちゃんに言わせれば『キラキラ目を輝かせていた』らしい今朝の僕が、何も得られぬまま帰って来たともなれば、無用な心配をさせてしまうことだろうし、何より自分で自分が恥ずかしい。
――と、なれば。
その代わりとばかりに、他にもあんな風景があるのかなと探し出そうとする欲が出てしまうのも、創作という趣味趣向故のある種の悩みだ。
だと言うのに僕は、大多数の物事には消極的な癖に、こと自分の趣味に関しては思い立ったが吉日という質。忘れてしまう、或いは思いが風化してしまう前に、結果がどうあれやっておきたい。
気が付けば、家とは違う方向にハンドルを切っていた。
山を下りた辺りからだ。
見晴らしがよく、幾つか目印となりそうなものもある。万一迷ってもスマホという最高の味方だっている。
そんな安心感からか好奇心からか、僕は逸れたところから続く道なりに、頭を空っぽにして自転車を漕ぎ始めた。
太陽を隠す雲の無い、夏の夕刻。
日差しは強く、汗もじんわりと滲んできた。
しかして空気がからっとしているせいか、梅雨の時期ほどの不快感はない。
汗をかいているからこそ寧ろ、速度にのって全身で浴びる風が心地よい。
これが漫画やアニメなら、ワクワクするような、小躍りするような、希望に満ちた青春真っ盛りといったBGMがかかっていることだろう。
山間から離れ、田園を抜け、小さな畑を幾つか見送って――
「でっか……」
遠くの方に、塀に囲まれただだっ広い敷地を見つけた。祖父母の家もかなりのものだが、優にその四倍五倍はあろう広大さだ。
門の向こうには、これまた大きそうな日本家屋が見え隠れしている。
ここらの土地持ちか、田畑で成功したか、或いは先祖から継いだものか。
都会じゃまず見かけることのない田舎らしい赴きに、暫く見惚れた。
それこそ、こんな田舎だ。じいちゃんばあちゃん、或いは住職さんなんかが住んでいそうだ。
――そう、踏んでいたのだけれど。
大きな正門の隣に設けられていた、人ひとりが出入りする為に使うらしい扉から、母親くらいの年代と見られる女性が出て来た。
純粋な『和』の門構えにはとても似合わない、スリットの入ったロングスカートとノースリーブのブラウスに身を包んでいる。髪も明るい茶色で、真っ赤な紅がさしてある。
出て来たその女性は、脇に停めてあった車に乗り込むと、そのまま屋敷から発って、僕の脇を通り過ぎて行った。
すれ違いざま、横目に見えたのは、遠目に抱いた印象より幾らも若い風貌だった。
「綺麗な人……」
なんて、小さく零した矢先のこと。
開かれたままのその扉から、こちらを覗く一つの影に気が付いた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
小さなその声は聞こえたはずも無いけれど、すぐ後で、こちらを見やったその視線とぱったり合ってしまった。
瞬間、時が止まったように思えた。
真っ黒で真っ直ぐな、長く艶やかな髪。
ノースリーブのワンピース。
丸く澄んだ瞳。
そんな風貌で、車椅子に座っている女の子。
両手を膝の上で組んで、淑やかにこちらへ目線を向けている。
旧家名家のお嬢様、といった印象だ。
とんでもなく綺麗な出で立ちでありながら、車椅子に座っている――そんな、こう、何とも言えないアンバランスさに、僕は身体が固まってしまった。
気が付けば自転車を止め、ただそちらに目をやるばかり。
「…………?」
と、小首を傾げたかと思うと、
「…………」
一瞬目を伏せた後で、その子は扉を閉めてしまった。
「ぁ……」
それを見送る自分の、何とも情けない声。
耳に心地悪いそれはさっさと忘れようと努めながら、僕は再びペダルに足を添えると、力の限り漕いで、一目散にその場から離れて行った。
それもその筈。行きが殆ど登りだった分、帰りは下りばかり。足を回さずとも勝手に進んで行ってくれる。
楽ちん楽ちん。行きはよいよい、の反対だ。
ただ、数時間はいるつもりだった場所から早々に離れたことで、幾らか体力も気力も残っていた。それだけに、さっさと帰ってしまうのもアレだ。
ばあちゃんに言わせれば『キラキラ目を輝かせていた』らしい今朝の僕が、何も得られぬまま帰って来たともなれば、無用な心配をさせてしまうことだろうし、何より自分で自分が恥ずかしい。
――と、なれば。
その代わりとばかりに、他にもあんな風景があるのかなと探し出そうとする欲が出てしまうのも、創作という趣味趣向故のある種の悩みだ。
だと言うのに僕は、大多数の物事には消極的な癖に、こと自分の趣味に関しては思い立ったが吉日という質。忘れてしまう、或いは思いが風化してしまう前に、結果がどうあれやっておきたい。
気が付けば、家とは違う方向にハンドルを切っていた。
山を下りた辺りからだ。
見晴らしがよく、幾つか目印となりそうなものもある。万一迷ってもスマホという最高の味方だっている。
そんな安心感からか好奇心からか、僕は逸れたところから続く道なりに、頭を空っぽにして自転車を漕ぎ始めた。
太陽を隠す雲の無い、夏の夕刻。
日差しは強く、汗もじんわりと滲んできた。
しかして空気がからっとしているせいか、梅雨の時期ほどの不快感はない。
汗をかいているからこそ寧ろ、速度にのって全身で浴びる風が心地よい。
これが漫画やアニメなら、ワクワクするような、小躍りするような、希望に満ちた青春真っ盛りといったBGMがかかっていることだろう。
山間から離れ、田園を抜け、小さな畑を幾つか見送って――
「でっか……」
遠くの方に、塀に囲まれただだっ広い敷地を見つけた。祖父母の家もかなりのものだが、優にその四倍五倍はあろう広大さだ。
門の向こうには、これまた大きそうな日本家屋が見え隠れしている。
ここらの土地持ちか、田畑で成功したか、或いは先祖から継いだものか。
都会じゃまず見かけることのない田舎らしい赴きに、暫く見惚れた。
それこそ、こんな田舎だ。じいちゃんばあちゃん、或いは住職さんなんかが住んでいそうだ。
――そう、踏んでいたのだけれど。
大きな正門の隣に設けられていた、人ひとりが出入りする為に使うらしい扉から、母親くらいの年代と見られる女性が出て来た。
純粋な『和』の門構えにはとても似合わない、スリットの入ったロングスカートとノースリーブのブラウスに身を包んでいる。髪も明るい茶色で、真っ赤な紅がさしてある。
出て来たその女性は、脇に停めてあった車に乗り込むと、そのまま屋敷から発って、僕の脇を通り過ぎて行った。
すれ違いざま、横目に見えたのは、遠目に抱いた印象より幾らも若い風貌だった。
「綺麗な人……」
なんて、小さく零した矢先のこと。
開かれたままのその扉から、こちらを覗く一つの影に気が付いた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
小さなその声は聞こえたはずも無いけれど、すぐ後で、こちらを見やったその視線とぱったり合ってしまった。
瞬間、時が止まったように思えた。
真っ黒で真っ直ぐな、長く艶やかな髪。
ノースリーブのワンピース。
丸く澄んだ瞳。
そんな風貌で、車椅子に座っている女の子。
両手を膝の上で組んで、淑やかにこちらへ目線を向けている。
旧家名家のお嬢様、といった印象だ。
とんでもなく綺麗な出で立ちでありながら、車椅子に座っている――そんな、こう、何とも言えないアンバランスさに、僕は身体が固まってしまった。
気が付けば自転車を止め、ただそちらに目をやるばかり。
「…………?」
と、小首を傾げたかと思うと、
「…………」
一瞬目を伏せた後で、その子は扉を閉めてしまった。
「ぁ……」
それを見送る自分の、何とも情けない声。
耳に心地悪いそれはさっさと忘れようと努めながら、僕は再びペダルに足を添えると、力の限り漕いで、一目散にその場から離れて行った。
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