9 / 33
第1章 『絵描きとクラシック』
7.榎本ユリ
しおりを挟む
そうしてページを捲って――せめて見られても恥ずかしくないと思えるだけの力を注ぎこんだ、一番の力作を開いて机上に置いた。
一匹の金魚が、金魚鉢から跳ねた瞬間を描いたものだ。
いつだったか、知り合いの家に行った時に見たそれに感動して、脳裏に焼き付けた記憶のままに描き起こしたものだ。
それを一目見た彼女は、
「――ふふっ」
笑った。
口元に手を添えて、上品に。
「わ、笑わないって……」
「ごめんごめん。でも、揶揄するような意味は一切ないよ」
きっぱり、はっきりと断ってから、彼女は続ける。
「すごく活き活きしてるね、この絵。この一枚の紙の中で、金魚が生きてるみたい」
「ぁ……」
言葉を失ってしまった。
彼女が嘘を吐いている訳ではないということが、本能的にか分かってしまったから。
「ほ、本気で描いたものではありますけど、この頃はまだまだ駆け出し――というか、描き始めてちょっとした頃で……」
「上手いとか下手とかじゃないよ。思いというか、その人の熱を感じる。これを描いた時の君が、本当にワクワクしてたんだろうなって、想像出来る」
淡く微笑む彼女は、小さく言った。
「こういう絵、私、好きだなぁ」
仄かに染まった頬。
自然に緩んだ口元。
その絵を見つめる瞳の、何と優しいことか。
横顔に、いや彼女の纏う空気それ自体に、見惚れ、見入ってしまう。
「ね。ここには何しに来たの?」
「えっ? あ、はい、資料を探しに……絵の」
「歴史書とか地図?」
「はい、そんな感じのやつ」
「この町の?」
「はい」
「ふむふむ。なら、こっちにあるよ。来て」
肩を叩いて促しつつ、彼女が先導する。
僕も席を立ち、ゆっくりと進んでゆく車椅子の背中を追いかける。
随分と手慣れた様子でするりと角を曲がり、幾つかの本棚を見送った先で止まった。僕もその隣に並んで、差し込んである本に目を向ける。
そこには確かに、この町の名前と、文化史、地図、等々の文字が並んだ本があった。
「え、すごい……全部覚えてるんですか?」
「読んだやつはね。私、取り柄らしい取り柄はないんだけど、昔から記憶力だけは凄くいいんだ。役に立って良かったよ」
「取り柄……綺麗なことって、取り柄に入らないものですか?」
「へ?」
「えっ?」
真ん丸になった目を向けられてから数秒経ってようやく、自分が何を言ったのか理解した。
「あ――あー、その、ほら、画になる人だなって意味です。綺麗な髪とか綺麗な洋服とか、そういうやつ」
「ちょっと無理があるかな」
「……ですよね」
「あはは! 君、面白いね!」
彼女は、また口元に手を添えて、上品な所作ながらケラケラと声を上げて笑った。
笑って笑って、一頻り笑って、目元に滲んだ雫を指先で拾い上げて、ふぅと息を整えた後で僕に向き直る。
「ね、私って綺麗? 君には、私が綺麗に見えるの?」
とても真っ直ぐ、揺れることなく尋ねられる。
その視線に、声に、どう答えたものか迷うけれど。
気の利いた言い回しや誤魔化しなんて思いつかない稚拙な頭は、
「……ええ、まぁ」
殊の外あっさりと、素直な言葉を吐き出した。
「それ、髪とか洋服とか?」
「……じゃなくて、その、容姿というか、あと中身とか、そういうやつも……まだ貴女のことは全然知りませんけど、裏表のない人だなって感じます」
「そこまで聞いてないんだけど。流石に、ちょっと恥ずかしいかな」
「あっ――す、みません」
「ううん、責めてないよ」
ふわりと笑って、彼女は本棚の方に目をやった。
「ほら、私ってこんなじゃない? だから、どれだけ髪を整えても、どれだけ上品なお化粧をしても、どれだけ着飾ってみても、あんまり見向きされないんだよね。女として見られてないような感じ。普通じゃないから」
最後の一言が、いやに頭に残った。
響くような、脳を揺らすような、そんな言葉だった。
「普通って、何なんですかね」
「大多数と同じこと。同列に比較するものが一番多いやつ」
「――僕、それは違うと思うんですよね」
呟くような言い方に、彼女の視線が向いた。
「普通とか普通じゃないとかって、ただの主観の集合体なんですよ。人によってその度合いも違うのに集まり過ぎるから、馬鹿みたいにでっかい括りの『普通』になっちゃってるだけなんです。元々は、個人が思う、個人が持ってる基準を『普通』って言うと思うんです」
「――つまり?」
「……僕の基準だと、貴女は普通です」
同じ世界にいるんだ。何だって当然で、何だって普通だ。
まして同じ言葉を話して、同じようなものを見て、同じように笑っている。これが普通じゃなくて何だと言うのだろう。
「君、若いのに達観してるね」
「貴女の方が若いんじゃないですか?」
「先月十八になったよ。君は?」
「嘘、先輩なんだ……先月、十七になりました」
「えっ、同じ月なんだ。日にちは? 私、二十三日。六月だから、二かける三が六って覚えてる」
「……僕は、二三が六派です」
「同じ日!? うそ、すっごい偶然!」
口元を隠して驚く彼女。
「丁度一つ違うんだね」
「ほんと、マジの丁度一つ差なんですね」
こんな偶然、あるものなのか。
同い年じゃないだけ、まだある話ではあるか。
「私、榎本ユリ。『ユリ』はカタカナだよ」
「相良悠希。僕のは漢字です」
「あははっ! 漢字ですって、そっちの方が普通じゃん!」
普通なんて、令和のこの時代にはあったものじゃない。
ひと昔前までは『キラキラネーム』なんて言われていた類の名前だって、現代じゃ普通になっているものも大半だ。
「そう言えば、榎本さんは――」
「ユリ、でいいよ」
「……榎本さんは――」
「強情だねぇ」
いくら本人から促されても、初対面の年上女性相手に名前呼びはないだろう。
「榎本さんは、どうして図書館に? 探しものでもあったんじゃないんですか?」
それは、何てことはない質問のつもりだった。
けれどもそれを受けた榎本さんの方は、ほんの僅かに難しい顔をした。
それでもすぐに笑顔を浮かべて、
「暇つぶし」
とだけ答えてくれた。
「夏休みなんて言ったって、暇なんだよね。家にいる時間が長いだけでさ」
「やりたいこととか」
「それがこれ。図書館で適当に散策するの。楽しいよ」
「楽しいなら別にいいか」
趣味趣向なんて、当人だけのものだ。
それに何かとやかく言ったって詮無いことだ。
「そういう悠希くんは、帰省だよね? 訛ってない」
「それ、そっくりそのままですよ。榎本さんだって訛ってないじゃないですか」
「親の影響だよ。私、ピアノやってるんだけどさ。『舞台に立つ人間が田舎臭い方言なんか使うな』って」
「え、方言いいのに。博多弁とか惹かれません?」
いつだったか、テレビで『方言による同じ言葉の違う聞こえ方』みたいな特集をやっていた。
博多と青森の方言が、僕の中では一番だった。
「分かる! 『好いとーよ』ってずるいよね!」
「九州の方言って全部ずるいですよね。沖縄の言葉も結構好きです」
「あれはもはや多言語だよ。私、全然分かんない」
「僕も殆ど分かりませんけど、響きが何となく」
「なんくるないさー、って?」
「そうそう、そういうやつ」
「ふふっ。良いよね、たしかに」
キラキラ瞳が輝いて上機嫌になったかと思うと、次の瞬間にはやや控えめで淑やかな所作と笑い声。
コロコロと表情が変わって、何だか見ていて楽しい。
「帰省、どのくらい?」
「夏休みいっぱいです。八月の暮れまで。両親が海外出張で、その間祖父母の家に預けられてるんです」
「八月末……じゃあ、あと一ヶ月丸々はいるんだ」
ふむふむ、と頷く彼女。
どうしたのかと首を傾げる僕に、ふっと笑い掛けて。
「ね。暇な時で良いからさ。また絵、見せてよ」
「見せてって――別に構いませんけど、どこに行けば?」
「ここ。今日金曜日でしょ? 夏休み中は、月、水、金曜日に来ると思う」
「また随分具体的ですね。理由は聞かない方が良いですか?」
「——だね」
「そうですか。じゃあ聞きません」
「ふふっ。わざわざ食い下がらない人、好きだよ」
「それはどうも」
好き、という単語の持つ意味合いは多岐にわたる。
それに一喜一憂していては、遠くない未来で馬鹿を見るのは自分の方だ。
「ね、悠希くんさ。その内——」
何かを言いかけた矢先。
「お嬢さん、お迎えが来ましたよー」
受付の方から、おじさんの声がした。
僕ら以外には誰も居ないのか、遠慮のない大声だ。
「はーい!」
大声に大声で返して、榎本さんは、ふぅ、と息を吐いた。
「……ごめん、時間だ」
「いえ。あっ、時間っていうなら、今日くらいの時間にいますか? 月、水、金」
「うん、大体これぐらい」
「あの、迎えとか――」
「え? いらないいらない。ここ、うちから結構近いよ?」
「えっ……? あれ、そうなんですか……?」
「うん。私の足で十五分くらい」
足、というと車椅子のことか。
徒歩より幾らか遅い速度で十五分——ここらの地理に詳しくない僕が辿り着いたこの図書館は、あの豪邸からそんなに程近いところだったのか。
それは気付かなかった。
昨日とは違う方向に走ったつもりが、巡り巡ってぐるぐるした末、昨日と同じくらいのところに辿り空いていたとは。
「改めてよろしくね、悠希くん」
言いながら、榎本さんは手を差し出して来た。
「あー、えと……はい、こちらこそ」
おずおずと控えめに、ゆっくりと伸ばす手を、彼女の方から引き寄せて取られる。
人と握手をするなんていつぶりだろう――そんなことを思っている内、最後に「またね」とだけ言い残して、彼女はエレベータの方へと車椅子を走らせた。
「絵、か……」
人に見せて恥ずかしくないもの、あれ以外にあったろうか。
なければ――うん。また描こう。
新しいものを描いて、見てもらうのも良いかもしれない。
(――何で僕、こんなこと……)
昨日は何も得られず、肩を落としさえしたというのに。
十七歳。高校生。
僕は自分で思っているより、もっと単純な男子なのかもしれないな。
一匹の金魚が、金魚鉢から跳ねた瞬間を描いたものだ。
いつだったか、知り合いの家に行った時に見たそれに感動して、脳裏に焼き付けた記憶のままに描き起こしたものだ。
それを一目見た彼女は、
「――ふふっ」
笑った。
口元に手を添えて、上品に。
「わ、笑わないって……」
「ごめんごめん。でも、揶揄するような意味は一切ないよ」
きっぱり、はっきりと断ってから、彼女は続ける。
「すごく活き活きしてるね、この絵。この一枚の紙の中で、金魚が生きてるみたい」
「ぁ……」
言葉を失ってしまった。
彼女が嘘を吐いている訳ではないということが、本能的にか分かってしまったから。
「ほ、本気で描いたものではありますけど、この頃はまだまだ駆け出し――というか、描き始めてちょっとした頃で……」
「上手いとか下手とかじゃないよ。思いというか、その人の熱を感じる。これを描いた時の君が、本当にワクワクしてたんだろうなって、想像出来る」
淡く微笑む彼女は、小さく言った。
「こういう絵、私、好きだなぁ」
仄かに染まった頬。
自然に緩んだ口元。
その絵を見つめる瞳の、何と優しいことか。
横顔に、いや彼女の纏う空気それ自体に、見惚れ、見入ってしまう。
「ね。ここには何しに来たの?」
「えっ? あ、はい、資料を探しに……絵の」
「歴史書とか地図?」
「はい、そんな感じのやつ」
「この町の?」
「はい」
「ふむふむ。なら、こっちにあるよ。来て」
肩を叩いて促しつつ、彼女が先導する。
僕も席を立ち、ゆっくりと進んでゆく車椅子の背中を追いかける。
随分と手慣れた様子でするりと角を曲がり、幾つかの本棚を見送った先で止まった。僕もその隣に並んで、差し込んである本に目を向ける。
そこには確かに、この町の名前と、文化史、地図、等々の文字が並んだ本があった。
「え、すごい……全部覚えてるんですか?」
「読んだやつはね。私、取り柄らしい取り柄はないんだけど、昔から記憶力だけは凄くいいんだ。役に立って良かったよ」
「取り柄……綺麗なことって、取り柄に入らないものですか?」
「へ?」
「えっ?」
真ん丸になった目を向けられてから数秒経ってようやく、自分が何を言ったのか理解した。
「あ――あー、その、ほら、画になる人だなって意味です。綺麗な髪とか綺麗な洋服とか、そういうやつ」
「ちょっと無理があるかな」
「……ですよね」
「あはは! 君、面白いね!」
彼女は、また口元に手を添えて、上品な所作ながらケラケラと声を上げて笑った。
笑って笑って、一頻り笑って、目元に滲んだ雫を指先で拾い上げて、ふぅと息を整えた後で僕に向き直る。
「ね、私って綺麗? 君には、私が綺麗に見えるの?」
とても真っ直ぐ、揺れることなく尋ねられる。
その視線に、声に、どう答えたものか迷うけれど。
気の利いた言い回しや誤魔化しなんて思いつかない稚拙な頭は、
「……ええ、まぁ」
殊の外あっさりと、素直な言葉を吐き出した。
「それ、髪とか洋服とか?」
「……じゃなくて、その、容姿というか、あと中身とか、そういうやつも……まだ貴女のことは全然知りませんけど、裏表のない人だなって感じます」
「そこまで聞いてないんだけど。流石に、ちょっと恥ずかしいかな」
「あっ――す、みません」
「ううん、責めてないよ」
ふわりと笑って、彼女は本棚の方に目をやった。
「ほら、私ってこんなじゃない? だから、どれだけ髪を整えても、どれだけ上品なお化粧をしても、どれだけ着飾ってみても、あんまり見向きされないんだよね。女として見られてないような感じ。普通じゃないから」
最後の一言が、いやに頭に残った。
響くような、脳を揺らすような、そんな言葉だった。
「普通って、何なんですかね」
「大多数と同じこと。同列に比較するものが一番多いやつ」
「――僕、それは違うと思うんですよね」
呟くような言い方に、彼女の視線が向いた。
「普通とか普通じゃないとかって、ただの主観の集合体なんですよ。人によってその度合いも違うのに集まり過ぎるから、馬鹿みたいにでっかい括りの『普通』になっちゃってるだけなんです。元々は、個人が思う、個人が持ってる基準を『普通』って言うと思うんです」
「――つまり?」
「……僕の基準だと、貴女は普通です」
同じ世界にいるんだ。何だって当然で、何だって普通だ。
まして同じ言葉を話して、同じようなものを見て、同じように笑っている。これが普通じゃなくて何だと言うのだろう。
「君、若いのに達観してるね」
「貴女の方が若いんじゃないですか?」
「先月十八になったよ。君は?」
「嘘、先輩なんだ……先月、十七になりました」
「えっ、同じ月なんだ。日にちは? 私、二十三日。六月だから、二かける三が六って覚えてる」
「……僕は、二三が六派です」
「同じ日!? うそ、すっごい偶然!」
口元を隠して驚く彼女。
「丁度一つ違うんだね」
「ほんと、マジの丁度一つ差なんですね」
こんな偶然、あるものなのか。
同い年じゃないだけ、まだある話ではあるか。
「私、榎本ユリ。『ユリ』はカタカナだよ」
「相良悠希。僕のは漢字です」
「あははっ! 漢字ですって、そっちの方が普通じゃん!」
普通なんて、令和のこの時代にはあったものじゃない。
ひと昔前までは『キラキラネーム』なんて言われていた類の名前だって、現代じゃ普通になっているものも大半だ。
「そう言えば、榎本さんは――」
「ユリ、でいいよ」
「……榎本さんは――」
「強情だねぇ」
いくら本人から促されても、初対面の年上女性相手に名前呼びはないだろう。
「榎本さんは、どうして図書館に? 探しものでもあったんじゃないんですか?」
それは、何てことはない質問のつもりだった。
けれどもそれを受けた榎本さんの方は、ほんの僅かに難しい顔をした。
それでもすぐに笑顔を浮かべて、
「暇つぶし」
とだけ答えてくれた。
「夏休みなんて言ったって、暇なんだよね。家にいる時間が長いだけでさ」
「やりたいこととか」
「それがこれ。図書館で適当に散策するの。楽しいよ」
「楽しいなら別にいいか」
趣味趣向なんて、当人だけのものだ。
それに何かとやかく言ったって詮無いことだ。
「そういう悠希くんは、帰省だよね? 訛ってない」
「それ、そっくりそのままですよ。榎本さんだって訛ってないじゃないですか」
「親の影響だよ。私、ピアノやってるんだけどさ。『舞台に立つ人間が田舎臭い方言なんか使うな』って」
「え、方言いいのに。博多弁とか惹かれません?」
いつだったか、テレビで『方言による同じ言葉の違う聞こえ方』みたいな特集をやっていた。
博多と青森の方言が、僕の中では一番だった。
「分かる! 『好いとーよ』ってずるいよね!」
「九州の方言って全部ずるいですよね。沖縄の言葉も結構好きです」
「あれはもはや多言語だよ。私、全然分かんない」
「僕も殆ど分かりませんけど、響きが何となく」
「なんくるないさー、って?」
「そうそう、そういうやつ」
「ふふっ。良いよね、たしかに」
キラキラ瞳が輝いて上機嫌になったかと思うと、次の瞬間にはやや控えめで淑やかな所作と笑い声。
コロコロと表情が変わって、何だか見ていて楽しい。
「帰省、どのくらい?」
「夏休みいっぱいです。八月の暮れまで。両親が海外出張で、その間祖父母の家に預けられてるんです」
「八月末……じゃあ、あと一ヶ月丸々はいるんだ」
ふむふむ、と頷く彼女。
どうしたのかと首を傾げる僕に、ふっと笑い掛けて。
「ね。暇な時で良いからさ。また絵、見せてよ」
「見せてって――別に構いませんけど、どこに行けば?」
「ここ。今日金曜日でしょ? 夏休み中は、月、水、金曜日に来ると思う」
「また随分具体的ですね。理由は聞かない方が良いですか?」
「——だね」
「そうですか。じゃあ聞きません」
「ふふっ。わざわざ食い下がらない人、好きだよ」
「それはどうも」
好き、という単語の持つ意味合いは多岐にわたる。
それに一喜一憂していては、遠くない未来で馬鹿を見るのは自分の方だ。
「ね、悠希くんさ。その内——」
何かを言いかけた矢先。
「お嬢さん、お迎えが来ましたよー」
受付の方から、おじさんの声がした。
僕ら以外には誰も居ないのか、遠慮のない大声だ。
「はーい!」
大声に大声で返して、榎本さんは、ふぅ、と息を吐いた。
「……ごめん、時間だ」
「いえ。あっ、時間っていうなら、今日くらいの時間にいますか? 月、水、金」
「うん、大体これぐらい」
「あの、迎えとか――」
「え? いらないいらない。ここ、うちから結構近いよ?」
「えっ……? あれ、そうなんですか……?」
「うん。私の足で十五分くらい」
足、というと車椅子のことか。
徒歩より幾らか遅い速度で十五分——ここらの地理に詳しくない僕が辿り着いたこの図書館は、あの豪邸からそんなに程近いところだったのか。
それは気付かなかった。
昨日とは違う方向に走ったつもりが、巡り巡ってぐるぐるした末、昨日と同じくらいのところに辿り空いていたとは。
「改めてよろしくね、悠希くん」
言いながら、榎本さんは手を差し出して来た。
「あー、えと……はい、こちらこそ」
おずおずと控えめに、ゆっくりと伸ばす手を、彼女の方から引き寄せて取られる。
人と握手をするなんていつぶりだろう――そんなことを思っている内、最後に「またね」とだけ言い残して、彼女はエレベータの方へと車椅子を走らせた。
「絵、か……」
人に見せて恥ずかしくないもの、あれ以外にあったろうか。
なければ――うん。また描こう。
新しいものを描いて、見てもらうのも良いかもしれない。
(――何で僕、こんなこと……)
昨日は何も得られず、肩を落としさえしたというのに。
十七歳。高校生。
僕は自分で思っているより、もっと単純な男子なのかもしれないな。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
Emerald
藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。
叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。
自分にとっては完全に新しい場所。
しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。
仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。
〜main cast〜
結城美咲(Yuki Misaki)
黒瀬 悠(Kurose Haruka)
※作中の地名、団体名は架空のものです。
※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。
※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。
ポリン先生の作品はこちら↓
https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911
https://www.comico.jp/challenge/comic/33031
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる