透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

9.駄菓子屋デート……ではありませんよ

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 土曜日。
 また、僕はあの廃線跡に来ていた。
 過去に描いたものから自信作をどれか選ぼうかとも思ったのだけれど、そもそも選ぼうとしている時点でベストじゃない。
 そういうことで、なら新しいものをしっかりと完成させて持っていこうかと思い至ったのだった。

 しかし――描けない。

 いや、描けはした。それも、これまでより一番高密度かつ完成度の高いものを。
 でもやっぱり、こうじゃない感が凄い。
 どう言ったものか、自分で描いておいて分からないけれど。



 日曜日。
 昨日よりはいいものが描けた。
 趣向を変えて、その荒廃した世界に息づく小動物を置いてみたりした。
 描いている間は、これだ、こうだ、と手応えはあった。
 けれどもやっぱり、いざ完成してみたら、うーんと首を捻るばかり。
 何が足りないんだろうか。何が。



 月曜日――

「こんにちは、悠希くん」

 榎本さんは、そこにいた。
 昼下がり。昼食を終えた後すぐに出て、ちょっと早いかもなんて思いながら到着した僕を、彼女の方が出迎える形で。
 小さな文庫本を読んでいる。
 誰の、何て作品だろうか。

「こんにちは。早いですね」

 椅子を引いて腰を下ろす。
 グッと机の近くまで手繰り寄せてから、隣の席に荷物を置いた。
 二席も使うなんて、他に誰も居なければこそ出来る暴挙である。

「家にいても暇だしね。宿題なんてどこでも出来るし、それなら好きなところに行った方がいいじゃない?」

「それは確かに一理ある――のかな」

 家にいたら集中出来ない、というのは分かる。誘惑が多過ぎて。
 しかしそれなら、自分を追い込む為に、好きなものが一切ない環境に身を投じるのが普通じゃないのだろうか。好きなところに行ったら、より集中出来なくなってしまうような。

(あー……普通、か)

 多分、それが彼女の『普通』なんだろうな。
 結局のところ僕も、大多数の思うものを基準にして考えてしまう癖は、当然のように持ち合わせているらしい。

「そう言えば、知ってた? この図書館、一階の奥から伸びるちっちゃな通路を抜けた先に、ちょっとした談話スペースがあるの。書物の持ち込みは駄目だけど、そこに限っては飲食が許されてるんだ」

「へぇ、珍しいですね」

「都会っ子でもやっぱりそう思うんだ? 良いよね。来た人思いの造りだよね」

「調べ物とか、人によっては執筆活動とか仕事とかってこともあるでしょうし、ちょっとした飲み食いがその場で出来るのは良いですね」

 休憩スペースや読書のスペースはあっても、飲食可というのは珍しい。
 あるところにはあるものなのだろうけれど、少なくとも地元にはそんなものなかった。
 そこそこちゃんとした都会なのに、だ。

 いや都会だから寧ろ、土地がなくてそんな親切なことが出来なかったりするのだろうか。
 難しい話だ。考えないようにしよう。

「今度、そっちの方でお話しするのも良いかもね。お互いに、ちょっとした軽食を持ち寄ってさ」

「おやつとか?」

「そうそう。あっ、駄菓子屋さん、あるよ! 都会っ子には珍しいんでしょ?」

 榎本さんは、嬉々として身を乗り出してきた。
 駄菓子屋、か。
 最近、そういう古き良きみたいなものを復刻するような催しはよく見かける。けれど、行ったことはないんだよな。
 そんな中で、まさか本物の田舎産駄菓子屋とは。

「良いですね。場所、教えて貰っても良いですか?」

「何で? 案内するよ?」

「えっ?」

「へ?」

 顔を見合わせ、二人揃って首を捻る。
 と、幾らかの間を置いた後で、榎本さんがニヤリと笑った。

「なぁに? デートじゃんとか思った?」

「あ、いや……まぁそれも有りますけど、どっちかというと、それ」

 思わなかったこともないけれど。
 僕は、視線で車椅子を指した。

「あぁ、そういう」

 なるほど、と頷く榎本さん。

「ふふっ。君、優しいね。何年も乗ってて慣れっこだよ、これ」

「そういう事情、こっちは未だ知らないわけですから」

 無論、こちらから聞き出そうとするような野暮をする気もない。

「でも、長距離の移動ってなると、やっぱりしんどいんじゃないですか? 車椅子での移動って、結構体力使うじゃないですか」

「知ってるの?」

「学校の授業で、十分ぐらい体験しただけですけど」

 たったの十分、それも平坦な廊下で体験しただけで、腕が棒になっていた思い出が蘇る。
 あの頃は、今より遥かに僕の身体自体が棒だった上、体力だってなかった。
 とは言っても、彼女はそんな頃の僕より更に幾らか華奢な訳で。
 見た目からの判断ではあるけれど、長距離移動させるには申し訳なさが勝る。

「長距離は、そりゃあしんどいよ。あと、山道は苦手。でも、そこそこ近くにあるから大丈夫だよ。たまーに行ってるし」

「通いなれた道ではあるわけですか」

「そゆこと」

「それなら、まぁ」

「ふふん。お姉さんにドンとお任せなさいな」

 胸を叩いて鼻を鳴らす。
 豊満な胸がスライムのように――って、それはもういい。

「あ、でも、悠希くんは駄菓子とかオッケーな家?」

「駄目な家とかあります?」

「うーん……アスリート家系とか、単純に親が厳しい家とか?」

「ではないので安心してください。それに僕、ジャンクなもの大好きなので」

 コンビニのホットスナックなんて特に、小腹が空いた高校生の味方だ。
 最近では値上がりもいいところだけれど。やや離れ気味になってしまった。

「じゃあそのうち、駄菓子屋デートの後ここに来よ。外で駄弁るには暑すぎるし」

「デートじゃありませんけど、分かりました。良いですよ」

「むぅ。良いじゃん別に、デートでもさ」

「恋仲じゃないんで」

「ちぇ、お堅いなぁ」

 つまらなさそうにするなら、もっとそれらしい顔で頼みたいものだ。
 尖らせた口が仄かに綻んでるの、僕は見逃さないぞ。
 弄ってやる気満々って顔だ。

「ふふっ。でも、ありがと。久しぶりに、ちょっと楽しみ」

「田舎だから何もない?」

「遊ぶ相手がいないから、かな。それに、レッスンが厳しいせいで、あんまり自由な時間もないし」

「レッスン――あぁ、ピアノの」

「そうそう。ここに来れる月、水、金は、それが無い日」

 ということは、火、木、土日はレッスン漬けということか。
 聊か酷だな。プロでも目指していたりするのだろうか。

 しかしそれなら、しんどいとは思っても、自由な時間がないことに口を尖らせたりしないだろう。
 方言に対しての制約の件もそうだ。ただそういう事実があるんだよって話ではなく、あれは不満の吐き出しだった。
 雁字搦め、と言ってしまっては行き過ぎかもしれないけれど、少なくともそういう方向の話なんだろうな。
 それとも、年齢ゆえの悩みだったりするのだろうか。僕と一つしか変わらないなら、いい年頃の娘さんということだし。誰かと、あるいはどこかに、遊びに行きたい盛りではあるだろう。
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