透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

11.連絡先を交換しよう

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「片道十五分、往復三十分! お菓子選びの分だけ預かり料金がかかりますよー!」

「えっ…! ちょっ、何分! 何分で幾らですか…!?」

「なんとビックリ、一分につきゼロ円なんです!」

「うわお、お得ですね…!」

 あと貴女は人を会話に乗せるのが上手いですね!

「あははっ! さすが都会っ子、ノリがいいね!」

「の、乗ったというより乗せられたんですけどね…!」

「あはっ! あはははっ!」

 明るく遠慮なく笑いながら、彼女は僕の手を離す。
 そうしてタイヤに両手をかけて――次第に、進む速度が少しずつ遅くなっていった。
 隣を小走りする僕の足も、いつしか徒歩に変わっていた。

「むむ……図書館からだと、行きがちょっとだけ上り坂なのがなぁ。それに暑いし」

「さすがにちょっとしんどいですよね」

「体力はある方なんだけどねー」

 笑って言う榎本さんは、図書館の中で見るより速く、そして強く、タイヤを回している。
 そんな様子を横目にただ歩くだけというのも――ね。

「わっ!」

 タイヤから腕に伝わる抵抗がなくなったことで、驚きの声を上げる榎本さん。
 隣から後ろへと移っていた僕の方へと首を回す。

「ふふっ。ありがとね」

「気楽な仲に、一々お礼なんて良いですよ」

「親しき中にも、だよ。お礼は大事」

「まあ、分かりますけど」

 小さなことでも、言わないよりは百倍良い。
 そうやって、僕も両親から言われてきた。

「それなら、僕もありがとうございます」

「えっ、何かしたっけ?」

「僕の絵を褒めてくれました」

「上手だからね」

「描いてくれって、言ってくれました」

「君に描いてもらえたら嬉しいだろうなって思うからね」

 榎本さんはそれを、別段考えた言葉じゃなく口にする。
 その素直さと明るさは、直接見なくとも眩しいくらいだ。

「描けたら、で良いからね」

「描きたいです」

「私、そんなに画になるかな?」

「それは描き手の腕次第ですね」

「お、それっぽい風に聞こえるね」

「それっぽいことを言いましたからね」

「ふふっ」

 榎本さんは笑う。
 口元に手を添えて上品に。

「あ、そうだ。図書館に置いて来ちゃったけどさ、後でメアドかアプリのアカウント交換しようよ」

「スマホ、持ってるんですか?」

「あ、今仄かに『こんな田舎なのに?』って香りがした」

「はい、思いましたけど」

「そういうのは匂わないように包みなさい!」

 車椅子のハンドルを握る手を、後ろ手にデコピンされる。
 ちょっとだけ痛かった。

「じゃなくて、交換しよ」

「――ええ、分かりました」

 同じ年頃の女の人のアカウントなんて、一つも持っていない。
 中学の頃は部活に入っていたけれど携帯は持っていなかったし、今はそういったこととは無縁だ。

 ――なんて考えている内、返答に一秒だか二秒だか詰まらせてしまった。
 それをまた目敏く見つける彼女の、何と悪戯っぽい笑みか。

「もしかして、女友達一号?」

「かもしれません。少なくとも、女の人のアカウントとかメアドとか、母親以外には持ってないので」

「おーそれは光栄だ。誰かの初めてになれるって、ちょっと優越感」

「僕が返信する保証はありませんけどね」

「ふふっ。うん、別に良いよ、それでも。見たら返せ、ちゃんと読んで返せ、なんて言いたくないし。気が向いた時に読んで、気が向いた時に返してくれた良いよ。まぁもっとも、私の方も何か送ることがあればの話だけどね」

「あはは。この分だと、図書館で話してるだけでネタも尽きそうですしね」

「そうそう。せっかくの交換が台無しになっちゃうかも」

 それは――うん、ちょっと寂しい気はするな。
 せっかく交換して話すというのであれば、やはり話題の一つや二つは取っておきたい。
 もっとも、それに足るだけの面白い生活が出来ている訳でもないのだけれど。

「ね。悠希くんって、電話はオッケーな契約?」

「多分。通信料は無制限の契約なので、アプリの方からの電話なら大丈夫じゃないですかね」

「おー、一緒だ。もしかして、動画とかよく見るから?」

「えっ、正解です――って、学生でわざわざ無制限なんて、そんな都合でもない限り珍しいか」

「うん、他に選択肢が無いね」

 学生にはやや重い契約だけれど、お小遣いや短期集中バイトから月々それにかかる分だけのお金はしっかりと親に渡している。
 親は「子どもがそんなこと気にしないの」と呆れ顔で言うけれど、バイトの経験があるからこそ、何にどれだけ掛かるのに稼ぐとなったらどれだけ大変か、ということを知っているから、毎月こっちから押し付ける形だ。

「どういう動画見るの?」

「うーん……やっぱり絵ですかね。プロの人のライブペイントとか、知らない画材の紹介とか、そういうやつです」

「おー、いいね。音楽とかは?」

「たまーに。流行りものより、集中したい時にクラシックとかジャズとかを流す程度でしょうか」

「クラシック、聴くんだ」

「集中材料なので、ゆっくりな曲ばっかりですね。『クープランの墓』とか『金の亀を使う女』とかは、リピートの設定するくらい好きです」

「おー、クープランの墓が出て来るんだ。さては君、そこそこ話せるね? 遅いテンポってことはメヌエットだよね。トッカータが有名な影に隠れた、名曲だね」

「トッカータも聴きますよ。作業じゃない時に」

「良いね、最高」

 榎本さんは、楽しそうに、極々自然な笑みを浮かべる。
 それは普段が作っているという訳ではなく、何というか、とても楽しそうな、心底好きなものについて話す時のような感じだ。

「ラヴェルは華やかな曲が多いですよね。カッコいいです」

「舞台映えする曲が多いよね。私も大好き。他は他は?」

 くるりと後ろを振り返りながら、榎本さんが嬉々として尋ねる。
 丸い瞳が、これでもかというくらいキラキラと輝いている。

「あとは――ドビュッシーのあれこれですかね。月の光なんか特に、初見で心を鷲掴みにされました。一番好きな曲です」

「分かる! 人の情に訴えかけるって点で言えば、私はドビュッシーが一番の作曲家だと思う」

「ですね。何なんですかね、あの絶妙に良い意味で鳥肌が立つ不協じゃない不協和音は」

「そうそう、おかしいよねあれ! 何であの音の重なり方で成立するのか分からないよ」

 絵のことは元より、誰かとクラシックの話をすることなんて初めてだ。
 お互いに好きなものを語り合うことが、こんなに楽しいことだったなんて。

「ふふっ」

 ふと、榎本さんが控えめに笑った。
 きょとんとする僕に彼女は、

「悠希くん、楽しそう。クラシック好きなんだね」

 知識こそ浅いものではあるけれど、聴くことそれ自体は、どちらかと言うと好きなんだと思う。

 いや、好きだ。
 作業の為に点けておいたものから自動再生で次の動画に進んだ時、それが知らないものであったらつい画面に見入ってしまう。

「弾いたことはありませんけど、聴くのは」

「良いじゃん。音楽の楽しみ方は人それぞれだよ。聴いてよし、弾いてよし。表現の仕方だってそれぞれなんだから。絵と一緒じゃない?」

「まあ、それは確かに。鑑賞専門とか、気に入ったものは片端から買う人だっていますしね。同じモチーフ相手でも描き手によって全然違いますし」

「そうそう。だからそれで良いのさ」

 ふふん、と鼻を鳴らしながら、人差し指で宙をくるり。
 趣味の話をしている時、彼女はとても自由で朗らかだ。
 図書館を出て、何分か経っただろうか。
 民家や何かの作業所らしいものがチラチラ見え始めた。
 その中に一つ、一軒家の表に御簾のかかった、そんな建物を見つけた。

「お、悠希くん正解」

 榎本さんが、僕の方に目をやりながら言う。

「視線で何見てるか分かるものなんですか?」

「大体ね。それに君、今『お、あれじゃない?』って感じに目がちょっと開いたし」

「うわ、下手なこと言えないじゃないですか」

「下手なこと言うような性格じゃないでしょ、君」

「分かりませんよ。滅茶苦茶に貴女の尊厳を破壊したがってる化け物かも」

「ぷっ! あははっ! 君が? ないない、絶対にありえないよ! 人畜無害な青少年そのものじゃない、あはははっ!」

 彼女はそれを、当然のように笑い飛ばす。
 見る目があるのか、自分の信じたい風に信じる質なのか。
 勿論、そんなことをする気は毛頭ないのだけれど、出会って二度目のこんにちはをしたばかりの人間を、そこまで信じられるものだろうか。
 他人というやつにどこか懐疑的な僕との、違いなのだろうか。
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