透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

12.いざ突撃

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「さて悠希くん。お金は持って来てる?」

「ええ、財布は」

「よろしい。じゃあこれから、正しい駄菓子屋の楽しみ方を教えてあげるね」

「百円でどれだけ買えるかってやつ?」

「うわっ! うわー、うわーだよ! うわー!」

 ガバっと後ろを振り返りながら、オーバーに捲し立てる。
 車椅子がガクッと揺れた。危うく取りこぼしそうになったハンドルを掴み直して、何とか体勢を立て直す。

「何で先に言っちゃうかな!」

「いやいやいや、それが『正しい』だなんて思わないでしょうよ。僕だって知ってることを当てずっぽうに言っただけなんですから」

「うわー、うわーだよ」

「なんですかその『うわーだよ』ってやつ。それに、駄菓子屋からしたら大打撃じゃないですか。せっかくきた客が百円ぽっきりしか使ってくれないなんて」

「それは私も思った」

「流され易い…!?」

「でもお生憎様、私はそれを駄菓子屋のおじさんから教えて貰ったんだよね。だから合法!」

「別に違法じゃありませんからね」

 会話のテンポが小気味よい。
 何年来の友人だって話だ。

「悠希くん、駄菓子屋は初めてって言ってたっけ?」

「ですね。存在ぐらいは知ってますけど」

「うんうん、生粋の都会っ子を田舎色に染めるのって、ちょっと優越感だよね」

「それなりに背徳感ではあって欲しかったですけどね」

 何なら田舎ものが都会に染まる展開だって多くないだろうか。

「そういや、駄菓子ってインフレしないんですか?」

「物価?」

「ええ。向こうじゃ物の値段がどんどん上がって行ってて」

「まあ、多少は上がってるよ。それこそ消費税率が変わっちゃったし」

「百円で買い物できます?」

「私は最近五百円にアップグレードされましたのでね、ふふん」

「うわ、子どもの頃に出来なかった贅沢買いだ」

「大人の特権だよねー。私、趣味とかお金かかんないことばっかりだから、お小遣いもお年玉も溜まる一方なんだよ」

「それを駄菓子にって――あはは、流石は田舎者だ」

「良い暮らしでしょ?」

「まあ、そうですね。楽しそうではあります」

 正直なところ、僕は今この状況に満足している。
 買い物なんかで不便なことはあるのだろうが、それは都会だって同じだ。
 店や建物が多いというだけで、それが目的のものである訳でもない。
 画材なんか家の近くには売っておらず、結局はそれなりに移動はしなければならないし。

「趣味って言うなら、服はどうなんですか?」

「服?」

「ええ。この間も今日も、綺麗なもの着てるじゃないですか」

 今日の榎本さんは、薄手のロングスカートに、上はノースリーブの白いブラウス。
 全身真っ黒なのを二日続けて見たせいか、どこか新鮮だ。
 透き通った白い肌が、更に艶やかに見える。

「似合ってる?」

「ええ、とても」

「わお、そういうこと言えるタイプの子なんだ。都会っ子だねぇ」

「嘘言っても仕方ありませんからね」

「ふふっ。ありがと、嬉しいよ。一応、自分で選んで着てるものだからね」

 そう言って榎本さんは、気恥ずかしそうに頬を掻いた。

「これは――そうだ、春先頃に買ったんだ。おじいちゃんとお出掛けして、その時に」

 おじいちゃん――やはり、祖父母のどちらかの名前は出て来るか。

「ちょっと高かったけど、一目惚れしちゃってさ。可愛いって言ってくれて、嬉しいよ」

「可愛いとは言ってません」

「え、可愛くない?」

「……可愛いです」

「ひひっ。素直なんだー、年頃のくせに」

 聞いたことのない笑い方をする。
 テンション感と釣り合っているのは寧ろ、こっちの笑い方かな。
 普段の淑やかな方は、どちらかと言うと余所行きって感じだ。

「でもありがと。嬉しいのはホント」

「服、好きなんですか?」

「そこそこね。でも、私ってこんなじゃない? だから、好きでも似合うものがあんまりないんだよね」

 視線を両足に落とす。
 助け起こした時に分かったが、片方ではなく、両方が使えないのだ。
 この間も今日もスカートを選んでいるのは、不自由な身体で穿きやすいからって理由もあるんだろう。

「似合う似合わないっていうのも確かに重要かもしれませんけど、好きなものは好きで良い人じゃないですか?」

「散財させようとしてる?」

「なるほど、どれだけ我慢してるかは分かりました」

「ふふっ。我慢しなきゃ、何万も何十万も使っちゃうくらいにはね」

 おお、それはおそろしや。
 とは思うけれど――それだけ色々なものを手にした彼女の、色んなものを纏った姿というのも、面白そうではある。

「ショッピングモールとかあります?」

「車で三十分!」

「そこそこ近いですね」

「か、徒歩と電車で軽一時間ちょっと。どして? 画材でも買いに行きたいの?」

 くるりと後ろを振り返る彼女と、視線が交錯する。
 こっぱずかしくて少し逸らしながら、

「せっかくですし、そのうち見に行きましょうよ。買うか買わないかは置いておいて、着たい物とか気になる物、試着するだけでもしてみれば、我慢する気分だって変わるかもしれませんよ」

「なぁに、デートのお誘い?」

「お礼ですよ」

「なんの?」

「駄菓子屋案内」

「殆どお金のかからない趣味にめっちゃ嬉しいリターンだ!」

「……あと、絵を褒めてくれたのにも」

 ぽそりと呟くように付け加える。
 僕にとってはそれが、どれだけ嬉しかったことか。
 裏表なく向けられた賞賛の言葉が、どれだけ光を与えてくれたことか。
 彼女は知らない。きっと、無邪気に無意識に、無遠慮に口を突いたことだろうから。

 でも――それでも。

 彼女は、僕の表情からでも何か察したのか、ふんわり優しく笑った。
 笑って、視線を前の方へと持って行った。

「君の絵はね、凄いよ。本当に、心が籠ってる」

 そうしてもう一度、ゆっくりと僕の方へと振り返って言うのだ。

「私、君の絵、好きだよ」

 超高級の羽毛布団も、超完璧な比率で泡立てた石鹸も、何も敵わないような、とにかくも優しく温かな声で。
 彼女はそう言ってから、明るく穏やかで曇りのない、澄み渡る晴れ空のような顔で笑った。
 艶やかな長い黒髪が、吹き抜ける風に踊った。

 あぁ。眩しいな。
 僕には、彼女の放つ光は眩し過ぎる。

「ぁ――あ、と……それは、どうも……」

「うん!」

 言葉に詰まる僕を、彼女は不必要に弄ったりはしない。
 感動か恥ずかしさか、それがそういった理由から来る詰まりなのだと、分かっているように。
 彼女は自然と前を向いて、よし駄菓子屋に突撃だ、なんて冗談めかして言う。
 その背中にじんわりとしたものを見ながら、僕はハンドルを強く握り直した。
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