透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

17.郷愁を誘う

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 と、すぐ横の方に『箕島酒店』と書かれた看板が立っていることに気が付いた。

「あ、ここか……」

 小さな木造家屋。いかにもガラガラガラと音が鳴りそうな硝子戸。瓦の三角屋根。
 おお、これぞ田舎の酒屋さんだ。

 心の中で感嘆しつつ戸を引く。
 思った通りのガラガラが耳を打った。

 店内は静かだった。
 灯りは点いているものの、誰も立っていない。

「な、なんて不用心な……」

 鍵も掛けずに受付もいないなんて。向こうじゃまず見かけない光景だ。
 田舎や下町、そういったところ特有の空気感を肌で感じる。

「すみませーん!」

 少し大きめに声を出す。
 と、二階の方からドタドタと慌てた様子の足音が聞こえて来た。
 カウンターの奥から顔を出したのは、輪郭にビッシリと立派な髭を蓄えた、筋骨隆々なおじさんだった。
 しかして見た目の威圧感とは裏腹に、とても優しそうな目元をしている。

「えっと、相良篤仁あつひとの名代で来ました」

「篤仁さん……お? おお! あんたゆー坊か! えらい大きくなったが!」

 僕の姿を捉えた瞬間、小走りで寄って来て、力任せに肩を叩くおじさん。
 どうやら、世間というやつはかくも狭いらしい。

「僕のこと、ご存知なんですか……?」

「相良と吉木よしきんとこの子だろ? 元気にしとるか?」

 吉木、というのは母の旧姓だ。
 なるほど確かに知っているらしい。
 苗字で呼ぶということは、学校の同級生か先輩だろう。

「元気も元気です、かね。今も、二人で海外赴任中なので」

「海外か! へぇ、へらくなったもんだなぁ。学生時代なんか、二人ともえらい大人しいっちゃな性格だったのに」

「大人しい? あの二人が?」

 僕の記憶の中にいる二人は、何だかんだと楽しい様子ばかり。
 テンションが特別高いというわけではないけれど、明るい人柄であることは確かだ。

「ああ、暗いってことはないんだけども、成人したあとと比べたら、遥かに口数は少なかったんだ。就職活動の為の面接練習なんかにも、俺が付き合ってやった。そんな二人が揃って海外っちゃな、見ず知らずの他人相手でも話せるようになったんだなぁ」

 しみじみと、昔日の記憶に思いを馳せるおじさん。
 それこそ僕がここへ十年から来ていなかったように、おじさんの方も両親とは十年以上会えていないのだろう。

「っと悪い、俺は梶原雄二かじわらゆうじ。相良さんとこのお酒だったな。準備は出来とるけぇ、ちょっと待っときんさい」

「あっ、はい、急ぎませんので、適当にお願いします」

「ははっ! あいつらに似て、よく出来た子どもだ」

 快活に笑うと、おじさん改め梶原さんは、店の奥へと消えていった。
 しんと静まり返った店内にてひとり、何となくそこかしこに目を向けてみるけれど、特別楽しめるようなものはない。
 お酒は飲めない年齢だし、知っているものも全くない。
 じいちゃんばあちゃんだけでなく、両親もアルコールの類は一切飲まないから。

 なんて思っていた矢先、ふと目に留まったものがあった。
 ぼうろのようなお菓子が入った小袋だ。

「これ――」

「おう、まだ母ちゃんの腕の中にすっぽり納まってた頃のお前さん、そいつが好きでよく食ってたな」

 やっぱり。
 僕はそれを、何となく覚えている。

 何かに泣きじゃくった僕が母に抱えられながら、ちみちみとこれを食べていたような、そんな朧気な記憶が蘇った。
 あれは――そう。母の髪が、まだ長かった頃だ。
 写真の中だけでしか知らないと思っていたあの容姿も、確かに僕の記憶の中にもあったらしい。

「それ、うちでしか売ってないんだ。まけてやるけぇ、久々に食うか?」

「――買わせてください。二つ、じゃなくて三つ」

「そうか? まいどあり。じゃあこのつまみやらと併せて――こんだけな」

 タタンと慣れた手つきで電卓を叩く。
 そうして表示されたのは、当然ばあちゃんから預かって来た分では足りない額だった。
 自分の財布、持って来てて良かった。

「ありがとうございます。二人が帰って来たら、おじさ――梶原さんのことも伝えておきます」

「おう、頼むな。こっちにいる間、またいつでも来なね。酒は出せんけどえ」

「はい。それでは、失礼します」

「はいよ、まいどあり!」

 歯を出してニカっと笑う梶原さん。
 なるほど両親が慕うのも分かるような人だ。
 僕は最後に会釈だけ残して、またガラガラと音のなる引き戸から外に出た。

 雨足は、来た時よりか幾分弱くなっていた。
 それを何ともなしに見つめながら、雨樋あまどいの下に見つけたベンチに腰掛け、今し方手に入れた小袋を開ける。
 一粒つまんで、そのまま口の中へと放り投げた。

(あぁ……うん、覚えてる。この味だ)

 控えめで素朴ながらも、確かに広がる懐かしい味。
 不思議と涙が出そうになるのを堪えながら、僕は二粒三粒と次々口の中へと入れてゆく。

 何だろうなぁ、この感じ。
 こういうのを『ノスタルジー』って言うんだろうな。

 数日前、十余年ぶりにここへと来た時、じいちゃんとばあちゃんの変わらない顔を見ただけでも何だかジンときたのに。
 久しぶりに訪れた土地で、久しぶりに触れる様々なもの――僕にとっての故郷ではないものの、そこに帰って来たような気分にさせられるのは、過去よく来ていた土地だからか、はたまたそれがこういった田舎だからか。

 ――いいな、こういう夏休みも。

 咀嚼しきったそれらを喉へと送って、ポケットからスマホを取り出す。
 新着のメッセージは無いけれど――彼女は今、何をしているだろうか。

「……ま、いいか」

 好きな時に好きなことを送って、好きな時に読んで好きな時に返すような関係、か。
 迷惑だろうかとも考えたけれど、電話でなくメッセージなら、後からでも読んでもらえたいいことだ。

『凄く懐かしいものと再会しました。まだ幼子だった頃、母に買ってもらっていたものです。お遣い先より』

 写真でも添付しようか、という考えは一旦保留。
 文面だけで送って、一度スマホをポケットに仕舞い直す。
 手に持っていた袋を開き、中身を検める。
 一つは両親へ、そしてもう一つは何となく彼女へ。
 思い出の共有って訳じゃないけど、何となく、本当に何となく、彼女にも持っていこうと思い立っただけだ。

「――よし」

 雨脚は更に弱くなった。
 帰るなら、今だ。

 閉じた傘を杖代わりに立ち上がって、僕は商店街から離れて行った。
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