透明色のカンバス

石田ノドカ

文字の大きさ
20 / 33
第1章 『絵描きとクラシック』

18.思い出話と大合唱

しおりを挟む
 その日の夜のこと。
 夕飯の後、風呂から上がったところで、スマホがブブッと震えた。

 新着メッセージ。送り主は、母だった。

『こんばんは、悠希。
 発つ時わちゃわちゃしててしっかり挨拶も出来なかったから声も聞きたいけど、元気にやってる?
 こっちは、お父さんと一緒に晩御飯を食べたところよ。赴任してからこっち、ようやっとありつけた自由な時間だから、羽目を外して好きなもの食べ過ぎちゃったわ。敢えて自慢ぽく言ってあげるけど。
 でもやっぱり、私には両親の味が口に合ってるわ。お母さんの手料理を毎日食べられるあんたが羨ましい』

 といった文面の後で、変な果実じみたキャラクターが涙ながらにハンカチを咥えているスタンプが押される。
 ははん、分かったぞ。
 悔しい、くやしい、く『ヤシ』い、ってか。

 何なんこれ。彼女といい、変なダジャレシリーズでも流行ってんの?
 随分とタッチも塗りも違うから、きっと別のイラストレーターさんなんだろうけど。

 まあ、スタンプのことは一旦置いておいて。
 まったく母らしいメッセージだ。

『こっちは風呂上り。
 夕飯は、超ふっくら炊き上がった白米と超純粋な味噌汁、鮭の塩麹焼きにらっきょうと福神漬けって最強の和食だった。写真でも撮って飯テロしてあげれば良かったかな』

 返信には、すぐにまたヤシの実スタンプが貼られる。
 それもその筈だ。母が母の、つまりはばあちゃんの手料理が羨ましいと話すところ、本当に羨ましかろうと思うのは、鮭に使った麹も漬物二種も、全てばあちゃんの仕込みだからだ。
 母はきっと、それをよくよく知っているのだろう。
 実家を離れるまでの何十年間か、そういったものを食べて来たのだろうから。

『仕事なんか放っておいて、今すぐにでも帰国しようかしら』

『はいはい、頑張ってね。また冬休みかに一緒に来ようよ』

『いいわねー高校生は。よくよく味わって食べるのよ』

『ん、分かってる。そこそこ贅沢な暮らしさせてもらってるって、ちょっと自覚出て来たから』

 両親がおらずとも寝食が担保されている上、その質も高いと来た。
 こんな贅沢、そのうちにバチが当たりそうな程だ。

『父さんは?』

『珍しくアルコールひっかけて、隣で大いびきよ。これは朝までぐっすりね』

『あらら』

 それはまた難儀な話だ。
 父は普段、いびきなんてかかずに眠っている。母は言わずもがな。
 異国の地であると共にそんな珍しい環境にあって、果たして母が眠れるのかどうか。
 それこそ、心休まる実家のご飯でも撮っておいたら良かったかな。

『あ、そうだ。梶原さんって人に会ったよ。二人のことよく知ってる人。箕島酒店ってとこに、ぎっくりやったじいちゃんの代わりに行って来た』

『あらそうなの? へえ、懐かしいわ。梶原先輩、元気にしてた?』

 先輩、だったか。

『すんごい筋肉にすんごい髭だった。昔からああなの?』

『え、誰それ? 母さんの知ってる梶原さん?』

『じゃないの? 梶原ゆうじ、って言ってたけど』

『あ、じゃあ母さんの知ってる梶原さんだ。へえ、今そんなことになってるんだ。あの人、学生時代はひょろこい棒人間だったのに』

『え、マジで? 想像出来ないんだけど』

『筋肉髭達磨って方が想像出来ないわよ。またお父さんとひやかしに行かなきゃ』

 筋肉髭達磨とは、また言い得て妙なあだ名だなぁ。
 僕からしたら、このテンション感で昔は大人しかったっていう、そんなあなたの方が想像に難いんだけど。

『あ、で、よろしくついでに懐かしいもの見つけたんだよ』

 最低限のものだけ着込んで、僕は居間に戻って例のぼうろの入った袋を撮って送った。

『あら懐かしい。へえ、まだ置いてあるんだそれ』

『なんか泣きそうになった。すんごい懐かしくて、すんごい遠い昔の記憶が蘇ったみたいでさ』

『いいわねそれ。うんうん、正しい田舎の暮らし方だわ』

 ふんわり優しく笑っている顔が浮かんだ。
 僕のこの感傷的な部分は、母親譲りなところが多分にある。

『二人にも買っといたから、帰ったら渡すよ』

『はーい。ありがとね』

 短い文面の後、蟻が手を振っているスタンプが貼られた。

『さてと。明日も早いから、おじゃま虫の母さんはここらで失礼するわね』

『え、もう? まだ八時過ぎ』

『こっちじゃ更に早い時間だけど、仕事ってのは大変なものなのよね。
 ゆっくり休んで、大いに羽を伸ばして、勉強はそこそこで頑張りなさい。二人にもよろしくね』

『分かった。そっちの二人も、程々に頑張って帰って来てね。父さんにもよろしく』

『はーい。じゃあね』

 最後には、可愛いハリネズミのキャラクターが手を振っているスタンプで締まる。
 いつだったか、何となく両親どっちもにプレゼントしたスタンプだ。

 元気そうで良かった。何よりだ。

 母さんとのトークルームから戻り、他の全部も表示されているページへ戻る。
 榎本さんからの返信は、未だなかった。

(まあ、そりゃそうか)

 高二と高三、男子と女子、趣味に暮らし方、何なら身体で異なる面もある。
 生活様式は随分と異なることだろう。すぐには返せないのも、当然と言えば当然だ。
 それを承知で、何ならその為にメッセージで送っておいたのだから。

「……ふぅ」

 冷房にさらされ幾分冷え始めた身体に、衣類を纏わせる。
 そうして一度キッチンの方へと足を運び、コップに麦茶を注いで戻った居間を通り抜け、広縁へと出た。

 低い椅子に腰掛け、麦茶を机上に置く。
 その隣にスマホを並べておいてから、窓を細く開いた。
 昼間の雨が嘘みたにカラッとした空気が、隙間から入って来た。それと同時に聞こえ始める、近くの田畑で大合唱している虫の鳴き声。

 地元じゃまず触れることのない空気感。
 これぞ田舎。何とも過ごしやすい、いい気分だ。

 何かで聞いたことのある話だが、虫の鳴き声を『音』と認識して心地よいと感じるのは、日本人だけなのだそうだ。理由は忘れてしまったけれど、他の国の人からしたら、それはただ喧しい雑音でしかないらしい。
 中にはそれを趣深いと感じる外人さんもいるだろうけれど、心地よいと感じるのが文化としてあるのは、日本だけだという話だ。

 鈴虫か蟋蟀かの声に紛れて、ウシガエルの鳴き声まで聞こえて来た。
 これは大合唱。真っ暗闇のオーケストラだ。

 ……さすがにこれは臭いな。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

Emerald

藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。 叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。 自分にとっては完全に新しい場所。 しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。 仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。 〜main cast〜 結城美咲(Yuki Misaki) 黒瀬 悠(Kurose Haruka) ※作中の地名、団体名は架空のものです。 ※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。 ※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。 ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031

処理中です...