透明色のカンバス

石田ノドカ

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第1章 『絵描きとクラシック』

19.声が聞きたくて

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(そういえば――)

 榎本さんは、これをどう感じるだろうか。ふと、思う。
 雨音ですら音階に聞こえ、それが不快であると言っていた。
 なら虫の鳴き声は殊更、身に堪えるものではなかろうか。

「ん?」

 傍らに置いていたスマホが震えた。
 画面には『新着メッセージ:榎本ユリ』と表示されている。

『こんばんは、相良くん。昼間はピアノを弾き通しだったんだ。懐かしい物ってなんだろ? 今度会う時、見せてよ』

 ワクワク、キラキラ、と期待に胸を膨らませる猫のスタンプ。
 おふざけダジャレコーナーじゃない時、基本は猫なんだな。

『そのつもりで、榎本さんの分も買っておきました。今度、またあの休憩スペースで食べましょう』

『おー、嬉しいな。ありがと』

 と、可愛い猫のスタンプ。
 僕の方も適当なスタンプを押したところで、しばらく返信が途絶えてしまった。
 何か用事でもあったろうかと思い始めた頃、ねえ、と短く続けられた。

『迷惑じゃなかったらで良いんだけどさ。また、ちょっとだけ電話してもいい?』

『丁度こっちも暇を持て余していたところです。お供に麦茶もありますから、好きにかけてもらって良いですよ』

 また幾らか間を空けた後で、

『ん、ありがと』

 短い言葉の後、着信を報せる画面に切り替わった。

『ごめんね、夜分に。こんばんは』

「ええ、こんばんは。どうかしました?」

 聞くと、榎本さんは『あー……』と言葉に詰まらせる。
 催促しないまま、僕は続く言葉を待つ。

『ちょっと、ね。声、聞きたくなってさ』

 弱弱しい声からなるそんな言葉を聞いた瞬間、心臓が一度ドクンと跳ねた。

「――そういう言い方、よくないですよ。ちょっとドキッとしました」

『ドキドキじゃなくて?』

「ドキッとです。心臓に悪いです」

『あ、はは。もう、悪い風に言わないでよね』

 榎本さんは、弱々しく笑った。

「虫の声ですか?」

『――うん。雨と一緒。よく分かったね』

「昼間は雨も降ってたので、そう言えば虫の声はどうなんだろうって、丁度疑問に思っていたところだったんですよ。答えはたった今、得られましたけど」

『うぅ……ごめんね』

「なにも、謝ることはないでしょう。別に悪いことしてるわけでも無いんですし、僕なんかと話して和らぐなら、幾らでも話し相手くらいにはなりますよ」

『僕なんかって、私、君と話すの結構好きだよ?』

「どうも。でも、それ言ったら僕も同じなので、謝るのは無しにしましょう」

『……ん、分かった。ありがとね』

「いえ」

 半分本音の、半分不透明。

 彼女と話すのは楽しい。それは本当だ。
 けれど、好きかどうかまでは未だ分からない。自分の中で未だ、そう思えているのかどうかまでは定かじゃないから。
 でも、やっぱりどちらかと言うときっと好きなんだろうなって思いはある。
 いつもよりちょっとだけ脈が速くなって、いつもよりちょっとだけ顔が熱くなるのは、きっとそういうことなんだろうなって。

 彼女と話すのは、楽しいし、きっと好きなんだろう。
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