透明色のカンバス

石田ノドカ

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第2章 『その優しい音色ったら』

5.笑おうよ

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「悠希くん、結構くせ毛だね」

「まあ、若干天パ気味ですかね。傷んでます?」

「んーん、触り心地よし。ちゃんと手入れされてる髪だ」

 言いながら、わしゃわしゃと指先で髪をこねる。

「分かるものなんですか?」

「ちゃんと手入れしてる自分の髪と似た感触だからね。触る?」

 彼女は身を屈め、僕の目の前へと長い髪を垂らす。
 仄かに、香水かシャンプーかの良い香りが漂った。

「……やめておきます。女性に気安く触るのは、ちょっと」

「わお、紳士だね」

「トラブルが嫌なだけです」

「私がそんなことを騒ぎ立てるような人間に見える?」

「思いたくないですけど、要は臆病者なんですよ、ただの」

「言い換えると慎重だ。いいことだね」

「そっちの方が良いや。慎重なんですよ、僕」

 気のない返事をしつつ彼女に身を委ねながら、視界の端に捉えた足元から目を逸らした。
 二階から慌てて降りて来たことが原因だろうか、膝の辺りまでスカートが捲れあがっていることに、今になって気が付いた。
 細く白い足が露出してしまっている。

「あー……の、す、スカート…!」

「スカート? ああ、ごめんごめん。ありがとね」

 短い言葉の後で、捲れたスカートがおろされた。

「ふふっ。うんうん、やっぱり紳士だね」

「い、嫌でしょ、そういう目で見られるの…!」

「そういう目で見るの?」

「見ませんよ…!」

 見そうになっただけだ。未遂だ。まだ未遂なんだ。
 僕だけでなく、そっちだって年頃のくせに。余裕のある大人ならまだしも、同じ高校生でそういったことを笑って流せる方がどうなのだろう。

「それよりスカート……すみませんでした。そのスケブ触ったせいで、濡れてしまいました」

「そんなの、洗濯すれば済む話だよ?」

「絵具も、付いてしまっています」

「君が描いた絵の一部だよ? 光栄なことじゃん」

「ただの趣味ですよ」

「趣味でも全力でしょ? 手抜いた?」

「い、いえ、全力で……」

 弱弱しい返答に、彼女が頭をポンと叩いた。

「君は気遣い屋さんだね。疲れない?」

「……どうでしょう。分かりません」

「私相手に喋る時は、なーんにも考えないでいいよ」

「親しき中にも、じゃないんですか?」

「あ、そうだ。私が言ったねそれ」

「――ぷっ。なんですかそれ、もう」

 あまりに素っ頓狂な返しに、思わず吹き出してしまった。
 すると彼女は、

「よーし私の勝ち!」

 なんて高らかに言うのだった。

「やっと笑ったね。ふふん、私の勝ちだ」

「か、勝ち負けとか――」

「いーや勝ちだもんね。せっかくお姉さんの出血大サービス中なのに、ニヤニヤするどころか辛気臭い顔ばっかり。一個年上だよ? 女の子だよ? 私可愛いよ? ごめんやっぱり最後のは嘘だよ?」

「……余裕がなかったんですって」

「綺麗なことが取り柄でしょーなんて言っておいて?」

「それは…………恥ずかしいので、無かったことに」

「やだ。おかげで私、ちょっとだけ自分に自信が持てたもん」

 数日前の自分を殴ってやりたいくらい恥ずかしい。顔が熱くなってきた。
 そんなこと言ってたんだ、僕。

 ……言ってたな、たしかに。

 寒いしクサいしダサいし、何だこれ。
 雷でも落ちて記憶を飛ばしてくれないかな。

「楽しい話しよ、悠希くん。その方が良い。君が私の笑顔を見たがったように、私だってどうせなら楽しそうない顔が見たいもん」

 そう言って彼女はまた、僕の頭をポンポンと優しく叩いた。

「ね。前に言ってた懐かしいもの、今日持って来てる?」

「え――っと、はい。多分。ぐちゃぐちゃになってなかったら」

 リュックを漁り、例の袋を取り出す。
 破損なし、びちゃびちゃでもなし。
 ちゃんとビニルの袋で閉じられているタイプで良かった。

「おー、ぼうろ。これが?」

 差し出したそれを受け取った彼女は、ほうほうと意外そうな顔を浮かべた。
 それはそうだ。別段、それ自体が珍しい物という訳ではないのだから。

「小学校の頃、両親の帰省についてここへ来た時、買ってもらっていたお菓子なんです。十年ぶりだったから、懐かしくなって」

「なるほど、そういうことか。食べていい?」

「どうぞ。その為に持ってきたので」

「ふふっ。いただきまーす」

 笑って言って、彼女はお菓子の封を開けた。
 ああなるほど、こういうことか。
 以前、誰かの何かの動画を見ていた時、コメント欄に『お土産を遠慮なく開けてくれるのは嬉しいよね』と書いてあったが、その意味が分かったような気がする。
 後で食べるね、が悪いとは言わない。それは自由だ。空腹か否かってことも関係するだろうし。
 だけれど、ありがとうといただきますが一緒に来るのは、何だかとても嬉しい。
 その『ありがとう』って言葉が、気遣いでも何でもないんだなって実感だ。

「悠希くん、パス!」

「へ――? って、ちょっ…!」

 突如として声が響いたかと思うと、次の瞬間には宙を舞う一粒のぼうろ。
 慌てて口を開けたものの鼻に当たって、落ちゆくそれを手で掴む。

「ナイスキャッチ」

「落ちたら一粒無駄にするところでした」

 仄かに睨みながら、手にしたそれを口の中へと放り込む。

「でもセーフ」

「結果論です」

「ごめんごめん、美味しいから食べて欲しくてさ」

「それは知ってますって」

「いやいや、今この瞬間の美味しさを共有したいのさ。分からないかなぁ?」

「分かるような分からないような、ですよ。まあ、別に良いですけど」

 結果論と言うなら、落とさず済んだ上に美味しかった。
 やっぱり単純だな、僕は。
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