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第2章 『その優しい音色ったら』
7.お裾分け
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時間が経つのはあっという間だった。
この間は、待っている時間は長いななんて思っていたのに。
いや、違うな。
何をして土日を越えたか、覚えてないんだ。
じいちゃんとばあちゃんの手伝いをした記憶はある。期間限定の日課である宿題だってちゃんとこなした。
ただ、月曜の今になって思い返して、何も具体的なことは思い出せないのである。
それだけ、今日という日を楽しみにしていたんだろうか。
……いや。楽しみだったんだ。
だから今、こんなに胸がざわついて落ち着かないんだ。
カラン、コロン、と下駄が躍る幾つもの音を見送った。
こんなところからでも、あの祭りに行く人は結構いるらしい。
そんなことを思いながら、その時を待つ。
「やあ少年。随分とアンニュイな顔で待ってるじゃないか?」
声を掛けてきたのは、受付のおじさんだった。
こんな日には暇も暇なようで、外で待つ僕の隣までやって来て缶珈琲を啜っている。
「アンニュイって、どんな顔ですか」
「うーん……ちょっとお高い薄暗いバーで、一人の女性が『はぁ』って溜め息吐いてるような顔に見えた」
どんな顔だ、それ。
都会の人間とはいえ、子どもの僕には想像も出来ない。
「いいね、真夏の青春だ」
「青春と言えば夏ですから」
「そうでもないさ。秋は秋の、冬は冬の、当然春は春の青春があるもんだ」
「どんな?」
「話すと長くなる。おじさんの経験談だけでも五日は話せるけぇ」
「……じゃあ、結構です」
「ははっ、手厳しい」
そう言って、おじさんは悪戯っぽく笑った。
「ええもんあげるが」
何を突然――そう返す間もなく、おじさんは小脇に抱えていた小さなバッグから、小分けにされた幾つかの飴玉にラムネ、ガムとを取り出し、こちらに手渡して来た。
「巾着に入れときんさい。あの子と半々でな」
当然のことのように『あの子』とは言うものの、それで変に弄ったり聞き出そうとはしないおじさん。
あの日もその前も、おじさんは僕らのことを認知はしているだろうけれど。何なら会話だって聞こえていそうなものなのに。
良い人、なのかな。
「……なんでラムネと飴玉?」
「朝、娘に貰ったんだ。これ食べて頑張って、っちゃな。でも自分、若干糖分は控えんといけんでぇ、今日来たもんに配っとるんだ」
「僕で何人目ですか?」
「なんとビックリ一人目だ! だけぇそれ全部あげるわ。この後も誰も来んだろうし」
「それは――お疲れ様でした」
「よせやい、皮肉に聞こえるで」
わざとらしく照れた所作で言うおじさん。
受け取ったそれらを有難く巾着に仕舞ったところで、
「かっこええ甚兵衛着てるが。肩の力抜いて気張りんさい」
一等落ち着いた声で、そんな言葉を掛けて来た。
「どっちですか、それ」
「どっちもだ。緊張はするだろうけど、夏祭りっちゃな楽しまんと損だ。相手のことを気にはかけても、自分も楽しむことを忘れんことだ。どっちかじゃなくて、どっちも楽しくないといけん」
「……めっちゃ経験談っぽい」
「ん、めっちゃ経験談だけぇな」
それはそれは。なるほど、先人の知恵というやつですか。
娘、という子がいるからには、奥さんもいるんだろう。
ならそれなりに、いやかなり色んな経験をしてきたんだ。
経験者は語る。語ってもらったからには、活かさせてもらうべきだ。
「夏休みが明けたら東京に戻るんだろ? 悔いのないよう、しっかり楽しんで来んさい」
「……はい。ありがとうございます」
頷く僕の、後ろの方へと目をやったおじさんは、ハッと目を見開いた後で身を翻した。
「お邪魔虫はここらで退散するけぇ、また土産話でも聞かせてな」
「え……?」
何があったのかと思わず振り返る。
その目線の先、遠くの方に、榎本さんの姿を見つけた。
この間は、待っている時間は長いななんて思っていたのに。
いや、違うな。
何をして土日を越えたか、覚えてないんだ。
じいちゃんとばあちゃんの手伝いをした記憶はある。期間限定の日課である宿題だってちゃんとこなした。
ただ、月曜の今になって思い返して、何も具体的なことは思い出せないのである。
それだけ、今日という日を楽しみにしていたんだろうか。
……いや。楽しみだったんだ。
だから今、こんなに胸がざわついて落ち着かないんだ。
カラン、コロン、と下駄が躍る幾つもの音を見送った。
こんなところからでも、あの祭りに行く人は結構いるらしい。
そんなことを思いながら、その時を待つ。
「やあ少年。随分とアンニュイな顔で待ってるじゃないか?」
声を掛けてきたのは、受付のおじさんだった。
こんな日には暇も暇なようで、外で待つ僕の隣までやって来て缶珈琲を啜っている。
「アンニュイって、どんな顔ですか」
「うーん……ちょっとお高い薄暗いバーで、一人の女性が『はぁ』って溜め息吐いてるような顔に見えた」
どんな顔だ、それ。
都会の人間とはいえ、子どもの僕には想像も出来ない。
「いいね、真夏の青春だ」
「青春と言えば夏ですから」
「そうでもないさ。秋は秋の、冬は冬の、当然春は春の青春があるもんだ」
「どんな?」
「話すと長くなる。おじさんの経験談だけでも五日は話せるけぇ」
「……じゃあ、結構です」
「ははっ、手厳しい」
そう言って、おじさんは悪戯っぽく笑った。
「ええもんあげるが」
何を突然――そう返す間もなく、おじさんは小脇に抱えていた小さなバッグから、小分けにされた幾つかの飴玉にラムネ、ガムとを取り出し、こちらに手渡して来た。
「巾着に入れときんさい。あの子と半々でな」
当然のことのように『あの子』とは言うものの、それで変に弄ったり聞き出そうとはしないおじさん。
あの日もその前も、おじさんは僕らのことを認知はしているだろうけれど。何なら会話だって聞こえていそうなものなのに。
良い人、なのかな。
「……なんでラムネと飴玉?」
「朝、娘に貰ったんだ。これ食べて頑張って、っちゃな。でも自分、若干糖分は控えんといけんでぇ、今日来たもんに配っとるんだ」
「僕で何人目ですか?」
「なんとビックリ一人目だ! だけぇそれ全部あげるわ。この後も誰も来んだろうし」
「それは――お疲れ様でした」
「よせやい、皮肉に聞こえるで」
わざとらしく照れた所作で言うおじさん。
受け取ったそれらを有難く巾着に仕舞ったところで、
「かっこええ甚兵衛着てるが。肩の力抜いて気張りんさい」
一等落ち着いた声で、そんな言葉を掛けて来た。
「どっちですか、それ」
「どっちもだ。緊張はするだろうけど、夏祭りっちゃな楽しまんと損だ。相手のことを気にはかけても、自分も楽しむことを忘れんことだ。どっちかじゃなくて、どっちも楽しくないといけん」
「……めっちゃ経験談っぽい」
「ん、めっちゃ経験談だけぇな」
それはそれは。なるほど、先人の知恵というやつですか。
娘、という子がいるからには、奥さんもいるんだろう。
ならそれなりに、いやかなり色んな経験をしてきたんだ。
経験者は語る。語ってもらったからには、活かさせてもらうべきだ。
「夏休みが明けたら東京に戻るんだろ? 悔いのないよう、しっかり楽しんで来んさい」
「……はい。ありがとうございます」
頷く僕の、後ろの方へと目をやったおじさんは、ハッと目を見開いた後で身を翻した。
「お邪魔虫はここらで退散するけぇ、また土産話でも聞かせてな」
「え……?」
何があったのかと思わず振り返る。
その目線の先、遠くの方に、榎本さんの姿を見つけた。
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