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臨命終時
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私の名前は松下正三。
今年で80歳を迎える老人だ。
と言っても今はただ死を待つだけの寝たきりである。
食事やトイレは妻の介助なしではできない。
妻は私が70歳を迎える頃に倒れてから今日までずっと嫌な顔せず私の介護をしてくれた。
本当に彼女には感謝している。
何せ彼女と出会わなければ私は当に暗い部屋で孤独死。この世にいないだろう。
元々私は恋愛とは無縁であり長年独り暮らしだった。家と職場を行き来する日々。親を早くに亡くし兄弟もいない。
孤独死が当時49歳の私の脳裏には過ぎっていた。
※※※
私と妻の出会いはある日の休日、特にやる事もなかったので地域のゴミ拾いボランティアに参加した時だった。
「いつも遅くまでお仕事されているのにボランティアにも参加してくださりありがとうございます。」
そう声をかけてきたのが後の妻である梅だった。
「ははは。休日なのにやる事がないだけですよ。何せもうすぐ50歳にもなるのに一緒に遊ぶ友達も恋人もいませんから。」
「あらあら。それを言うならワタシもですよ。ワタシもこの町にはかれこれ20年住んでいますが縁のあるお話がないもんでねぇ。」
その後も私達は他愛もない話をしながらゴミ拾いを続けた。
彼女と話をして分かったことだが彼女もまた早くに両親を亡くしたらしい。それに加え意外にも内気な性格らしく友人も少ないらしい。
「自分でも不思議だわぁ。ワタシからあまり誰かに話しかけることは無いんですけど松下さんにはなぜか話しかけられたの。」
そう話す彼女は何だか嬉しそうだった。
清掃ボランティアの最後に私は
「また一緒にお話しましょう。」
そう言うと彼女は優しく微笑んだ。
彼女、梅との交流はこの後も続いた。
と言っても暫くはゴミを拾いながらお互い中身の無い話を延々とするだけだったが......
ただそれでも彼女との会話は今まで一人で生きてきた私にとってはとても新鮮なものだった。
彼女との交流が続いて3ヶ月、今更だが間違いなく私は彼女の事が気になっていた。
まさか今まで恋愛をしてこなかった私が異性を好きになるとは思わなかったが......
次の日曜日に梅さんを食事にでも誘おうと思う。
「梅さん、OKしてくれるだろうか......」
とうとう日曜日がやってきた。
今日は梅さんとの食事会をとりつける。
いつものように私は地域のゴミ拾いボランティアの中で梅さんに話しかける。
「今日はいつにも増してゴミが多いですねぇ」
「少子高齢化が騒がれてる中、うちの地域は若い方が多いですからねぇ。」
他愛もない会話を続ける中で私は梅さんに例の話を切り出すタイミングを見ていた。
「どうかしたんですか?」
「え?」
「いや、今日の松下さんソワソワしているご様子なので」
このタイミングしかない。私は梅さんに話を切り出した。
「実は梅さんとお話したいと思ってまして」
「今お話してるかと思いますが......」
......至極当たり前の事を言われてしまった。
「そうではなく、梅さんとはいつもゴミ拾いの1時間の合間でチラホラ話すだけなのでどこかお店でゆっくり話したいなと。」
「あらま。私とですか?」
「はい。」
「そうですか。じゃあ来週の日曜日ゴミ拾いが終わったら近くに美味しいコーヒーが飲める喫茶店があるのでそこでどうですか。」
「いいですね。ではそこで」
こうして私は梅さんとの約束を取り付ける事ができた。
次の日曜日、私は喫茶店「なごみ」へとやってきた。
初めて行く店だったがほんとに近い場所にある店だったので迷うことはない。
「この前もお話しましたけどここのコーヒーが美味しいんですよ。」
そう話す彼女、梅さんはいつにも増してニコニコとしている。
さて梅さんと話すきっかけを作ったもののいざとなると話す話題が思い浮かばない。
私は元々あまり人と話すのが得意ではないのだ。
しかし、ガチガチに固まっている私とは裏腹に梅さんは最近自分の周りに起きた話を延々と私に聞かせてくれる。
「それでね。昨日庭を掃除していたらお隣さんのミーヤ(猫の名前らしい)がね......」
彼女はとにかく話し続ける。
聞いてほしい話が沢山あるようでその内容も短時間でコロコロ変わる。
さっきまで家に蜂の巣ができた話をしたかと思えば今は近所の猫の話をしている。
私はずっと彼女の話しに相槌を打っていた。
※※※
40分位経っただろうか。
「って、あらやだ。私ばかりお話ししてしまったわね。ごめんなさいね。」と彼女は急に話を辞めて私に謝っていた。
「いえいえ、お恥ずかしながら私はあまり自分の話をするのが苦手でして。梅さんが楽しそうに話をしてくれて嬉しいですよ。」
「そうなんですか。でもさっきはワタシばかり話過ぎましたから次は松下さんの話も聞かせてくださいな」
「私の話ですか。でも、退屈な話になってしまいますよ?」
「退屈なんてことありませんよ。松下さんのお話、ワタシは大変興味ありますよ。」
「ははは、ではお言葉に甘えて。楽しいお話しというよりは愚痴かもしれませんが。」
私は梅さんに仕事の話をしていた。
「それで部長はいつも私にばかり仕事を振ってくるんですよ。おかげでいつもいつも残業です。社会人になってから0時前に家に帰れた事一度も無いんですよ。」
私は内気で臆病な人間なのでいつも部長に良いように使われる。だが、私とて人間である。ストレスも当然溜まるし、嫌なものは嫌である。
すると私の話を聞いて梅さんは突然小さく笑いだした。
一体どうしたのだろうか?私の愚痴に笑う要素は無いと思うのだが......
「すみません。突然笑ってしまって。松下さんって物静かな方なのでまさか仕事の愚痴を熱く語って下さるとは思わなかったもので。」
話していた私には分からないが、彼女には私の話がツボに入ったようだ。
「やっぱり、松下さんとのお喋りは楽しいわぁ」
「はは、お気に召して頂けたようで良かったです。」
「また、ここでお話ししましょう。」
梅さんは最後に私にそう話して今日は解散となった。
梅さんと喫茶店で話した翌日、私はいつも通り会社へ向かう。大学を卒業し、新卒入社してから約25年間勤めている会社である。
いつもなら重い足取りで向かうところだが今日はなんだか違った。足取りはいつも通り重いが気持ちの面で少し前向きな気持ちで出勤できた。
会社に出勤して朝礼が終わり、自分の席に戻ると早速部長が私のところに来る。
「松下君。来週の会議資料作成を君に任せるので早急に作ってもらえる?できれば今日の夕方までに作ってもらえると助かる」
「はい。わかりました。」
これである。うちの部長も決して働かない人では無いのだが、自分から見て面倒くさい仕事は私に押し付けるのである。
しかも、量もおかしい。大抵数時間では終わらない量なのである。
私はこれが原因で定時帰宅ができないでいる。
ただ、残念な事に私には部長に逆らう勇気がない。
「はい。わかりました。」この一言を言うのが私のお決まりであり、周囲の社員達にとって見慣れた光景となっている。
不満やストレスが溜まるばかりで本当に嫌になる。
仕事がようやく終わり、時計を見ると23時42分。終電が0時15分なので急いで駅へと向かう。今の会社に入社してから平日は毎日こんな生活だ。
会社を出て駅へと向かう途中に私はふと考える。
「何というか、寂しいなぁ」
ここ最近、一人で会社から帰る時何とも言えない寂しさ、孤独感に襲われる。
「今まではそんな事なかったのになぁ」
梅さんに出会ってからだろうか。
深夜2時、自宅に帰宅する。
ひとり暮らしなので当然「おかえり」の声をかけてくれる人もいない。
寂しくはない、はずであった。
だが帰り道に感じた孤独感は今もまだ拭えない。
「梅さんと話したいなぁ」
気づけば無意識にそんな事を口に出す始末。
「もし、梅さんと毎日少しでも話せたら...」
そんな想いから私は次の休日、梅さんと会ったら思い切って話してみることにした。
※※※
「......」
梅さんと思い切って話をしたい!と誓って早1ヶ月近く経つ。
私はといえば未だに平日は孤独に生きている。
「はぁ......」
溜息が出る。
私は未だに梅さんとは休日に他愛もない話をしているだけ。
言おうと誓っても本人を前にすると縮こまってしまう。
私という人間は本当に臆病である。
昔から私は他人に言いたいことが中々言えない人間であった。
何をするのも受け身であり、自分から何かを発信する事は滅多にない。
本当に自分という人間には呆れるし嫌になる。
逃げるに逃げて結局諦めてしまう。
これが私の今までの人生だ。
「...今回もまた私は逃げるのか」
私ももう50手前、このまま友人も恋人もいない人生を歩めば待つのは孤独死だろう。
いいのかそんな人生で...
暫く私は考え込む。
思えば悩みはするが直ぐに諦める癖がついていたのでこんなにも悩むのは新鮮な感覚だ。
「私にとって梅さんは何なんだ...」
諦め癖のある私がこんなにも悩む相手梅さん。
「私にとって運命の相手は彼女なのかもしれない。」
ここで機会を逃したら私は一生一人だ。
残りの人生もそう永くはないだろう。もう私には失う物もない。ならここで勇気を出さないでどうする!覚悟を決めろ!正三!
私は心の中で自分を奮い立たせる。
※※※
そしてまた訪れた日曜日。
今日も梅さんと地域ボランティアの後に行きつけの喫茶店「なごみ」へとやってきた。
「ここで今日こそ想いを打ち明けるんだ!」
心の中で強く意気込み、私は店の中へと入っていく。
※※※
「それでね。昨日はお向かいの笹倉さん家に上がらせて頂いてララちゃん(チワワ♀2歳)を撫でさせてもらったの。ララちゃん、家の人以外が触ろうとすると吠えちゃうらしいから普段は笹倉さんも噛まれないように注意してるみたいなんだけど私は大丈夫だったの!」
喫茶店に入るといつものように梅さんはよく喋る。特に動物が好きなようで動物の話になると他の話題よりも饒舌な気がする。あくまで私の直感ではあるけどね。
さて、いつもは私も彼女の話を聞いて和んで終わりだったけども、今日はそういう訳にも行かない。いい加減このもどかしさに決着をつけなくては。
私は梅さんの話を聞きながら静かに深呼吸をして息を整える。
梅さんの話に区切りがつき、少しの沈黙が訪れた頃、私は話し始める。
「実はですね。私は最近ふと寂しくなるのです。」
「ほう。」と梅さんはコーヒーを飲みながら私の話に相槌を打つ。
「梅さんも今独り暮らしですよね?1人の部屋にいるとふと寂しくなりません?」
すると、彼女は話し始める。
「前にも話したかと思いますがワタシはそもそも人付き合いが苦手なんです。ワタシは自宅で仕事をするのでその結果、ご近所の方とも話す機会が多いですが。」
「でも梅さんの話を聞く限り、梅さんからも話しかけてペットの犬を触らせてもらったりしているみたいですが......」
「そういった関係性の方はごく少数ですよ。この街って若い方が多い上に話せる仲になったと思ってもすぐにまた引っ越してしまう方が多いですから。」
「そうだったんですね。毎週梅さん、ご近所さんの色々なお話を聞かせてくれるので交友関係広いのかと思ってましたよ。」
「ワタシがいつも話す方は昔からこの街に住んでいる人達の事ばかりですよ。人見知りのワタシでも数十年も話していれば流石に慣れますから。」
正直、私としてはこの流れは予想外であった。
梅さんも実はひとり暮らしに寂しく感じていると踏んでその流れでお付き合いの話をしようと思っていたのだが。
「......では梅さんはひとり暮らしでも寂しいと感じた事は無いんでしょうか。」
私が疑問を口にすると梅さんはニコリと笑い、「そんなことはないですよ。人と話すのに緊張することはありますが、お話しする事自体は好きですから。話したいときに話を聞いてくれる方がいないのは退屈です。」と答えた。
梅さんが人付き合いが苦手な話をし始めた時はどうしようかと思ったが、今の梅さんの言葉を聞いて私は少し安心する。
いよいよ私も覚悟を決める時が来た。
「あのですね、梅さん。梅さんがもしよろしければ私と同棲を前提としたお付き合いをしてもらえませんか。」
「え?」
梅さんはキョトンとした顔をしている。私がまさかここで告白するとは微塵も思っていなかったのだろう。
「私ももうすぐ50です。正直、この年まで独り身で結婚は諦めていました。」
「孤独死も何度も頭を過りましたし、最近はそれも仕方ないと自分に言い聞かせていました。ただ、梅さんと出会ってその気持ちも変わりました。」
気づけば私は無我夢中で梅さんに対して話していた。
「誤解しないでくださいね。勿論、私は別に誰でも良かった訳ではありません!他でもない梅さんの人柄に惹かれたのです。もう一度言わせて下さい。私とお付き合いしてもらえませんか。」
※※※
私が告白をしてからすぐに無言の空間が訪れた。
正直、気まずい。
梅さんの顔色を伺うと何とも言えない表情をしている。
その顔は悩んでいる様にも見えるし、断り方を模索している様にも見える。
※※※
5分ほどが経ち、俯き顔だった梅さんの顔に笑顔が戻る。
「分かりました。私も正三さんとはどんな形であれこれからも仲良くしたいと思っていました。宜しくお願いします。」
それを聞いて私は心の中で密かにガッツポーズをする。
ただ、続けてこう言った。
「同棲の件についてはまだ待ってください。一応ワタシも今の家、賃貸で契約が残っているので。お付き合いを始めても暫くはお互い今と変わらない生活になると思います。」
「もちろんです。私はいつまでもお待ちしています。」
※※※
あの告白からあっという間に半年ほど経った。
「じゃあ、今日も帰るのは夜中だろうから無理せず先に寝てていいですよ。」
「毎日大変ですねぇ。お仕事を頑張るのはいいですけど身体も労って下さいね。」
そんな会話をして私は今日も会社に向かう。
つい先日から私は正式に梅さんと同棲を始めた。梅さんはずっと住んでいた賃貸の家を退去し、私も梅さんと暮らすには前の家は手狭だと思ったので前と同じ市内の広めのマンションに引っ越すことにした。
まあ、同棲を始めたと言っても私達はそれまでの半年間もお互いに休日は時間を作って今後の事を色々話していた。
そして同棲ではなく、正式に籍を入れる日程もそこで決めていた。
その日とは2週間後に迫った私の50歳の誕生日である。
※※※
「正三さん、お誕生日おめでとう!」
「梅さんもこれから宜しくお願いいたします。」
あっという間の2週間だった。
こうして梅さんと一緒になる事を今まで夢見てきたがそれが遂に叶ったのだ。
「誕生日を迎えてこれ程に嬉しかった事はありません。」
今年で80歳を迎える老人だ。
と言っても今はただ死を待つだけの寝たきりである。
食事やトイレは妻の介助なしではできない。
妻は私が70歳を迎える頃に倒れてから今日までずっと嫌な顔せず私の介護をしてくれた。
本当に彼女には感謝している。
何せ彼女と出会わなければ私は当に暗い部屋で孤独死。この世にいないだろう。
元々私は恋愛とは無縁であり長年独り暮らしだった。家と職場を行き来する日々。親を早くに亡くし兄弟もいない。
孤独死が当時49歳の私の脳裏には過ぎっていた。
※※※
私と妻の出会いはある日の休日、特にやる事もなかったので地域のゴミ拾いボランティアに参加した時だった。
「いつも遅くまでお仕事されているのにボランティアにも参加してくださりありがとうございます。」
そう声をかけてきたのが後の妻である梅だった。
「ははは。休日なのにやる事がないだけですよ。何せもうすぐ50歳にもなるのに一緒に遊ぶ友達も恋人もいませんから。」
「あらあら。それを言うならワタシもですよ。ワタシもこの町にはかれこれ20年住んでいますが縁のあるお話がないもんでねぇ。」
その後も私達は他愛もない話をしながらゴミ拾いを続けた。
彼女と話をして分かったことだが彼女もまた早くに両親を亡くしたらしい。それに加え意外にも内気な性格らしく友人も少ないらしい。
「自分でも不思議だわぁ。ワタシからあまり誰かに話しかけることは無いんですけど松下さんにはなぜか話しかけられたの。」
そう話す彼女は何だか嬉しそうだった。
清掃ボランティアの最後に私は
「また一緒にお話しましょう。」
そう言うと彼女は優しく微笑んだ。
彼女、梅との交流はこの後も続いた。
と言っても暫くはゴミを拾いながらお互い中身の無い話を延々とするだけだったが......
ただそれでも彼女との会話は今まで一人で生きてきた私にとってはとても新鮮なものだった。
彼女との交流が続いて3ヶ月、今更だが間違いなく私は彼女の事が気になっていた。
まさか今まで恋愛をしてこなかった私が異性を好きになるとは思わなかったが......
次の日曜日に梅さんを食事にでも誘おうと思う。
「梅さん、OKしてくれるだろうか......」
とうとう日曜日がやってきた。
今日は梅さんとの食事会をとりつける。
いつものように私は地域のゴミ拾いボランティアの中で梅さんに話しかける。
「今日はいつにも増してゴミが多いですねぇ」
「少子高齢化が騒がれてる中、うちの地域は若い方が多いですからねぇ。」
他愛もない会話を続ける中で私は梅さんに例の話を切り出すタイミングを見ていた。
「どうかしたんですか?」
「え?」
「いや、今日の松下さんソワソワしているご様子なので」
このタイミングしかない。私は梅さんに話を切り出した。
「実は梅さんとお話したいと思ってまして」
「今お話してるかと思いますが......」
......至極当たり前の事を言われてしまった。
「そうではなく、梅さんとはいつもゴミ拾いの1時間の合間でチラホラ話すだけなのでどこかお店でゆっくり話したいなと。」
「あらま。私とですか?」
「はい。」
「そうですか。じゃあ来週の日曜日ゴミ拾いが終わったら近くに美味しいコーヒーが飲める喫茶店があるのでそこでどうですか。」
「いいですね。ではそこで」
こうして私は梅さんとの約束を取り付ける事ができた。
次の日曜日、私は喫茶店「なごみ」へとやってきた。
初めて行く店だったがほんとに近い場所にある店だったので迷うことはない。
「この前もお話しましたけどここのコーヒーが美味しいんですよ。」
そう話す彼女、梅さんはいつにも増してニコニコとしている。
さて梅さんと話すきっかけを作ったもののいざとなると話す話題が思い浮かばない。
私は元々あまり人と話すのが得意ではないのだ。
しかし、ガチガチに固まっている私とは裏腹に梅さんは最近自分の周りに起きた話を延々と私に聞かせてくれる。
「それでね。昨日庭を掃除していたらお隣さんのミーヤ(猫の名前らしい)がね......」
彼女はとにかく話し続ける。
聞いてほしい話が沢山あるようでその内容も短時間でコロコロ変わる。
さっきまで家に蜂の巣ができた話をしたかと思えば今は近所の猫の話をしている。
私はずっと彼女の話しに相槌を打っていた。
※※※
40分位経っただろうか。
「って、あらやだ。私ばかりお話ししてしまったわね。ごめんなさいね。」と彼女は急に話を辞めて私に謝っていた。
「いえいえ、お恥ずかしながら私はあまり自分の話をするのが苦手でして。梅さんが楽しそうに話をしてくれて嬉しいですよ。」
「そうなんですか。でもさっきはワタシばかり話過ぎましたから次は松下さんの話も聞かせてくださいな」
「私の話ですか。でも、退屈な話になってしまいますよ?」
「退屈なんてことありませんよ。松下さんのお話、ワタシは大変興味ありますよ。」
「ははは、ではお言葉に甘えて。楽しいお話しというよりは愚痴かもしれませんが。」
私は梅さんに仕事の話をしていた。
「それで部長はいつも私にばかり仕事を振ってくるんですよ。おかげでいつもいつも残業です。社会人になってから0時前に家に帰れた事一度も無いんですよ。」
私は内気で臆病な人間なのでいつも部長に良いように使われる。だが、私とて人間である。ストレスも当然溜まるし、嫌なものは嫌である。
すると私の話を聞いて梅さんは突然小さく笑いだした。
一体どうしたのだろうか?私の愚痴に笑う要素は無いと思うのだが......
「すみません。突然笑ってしまって。松下さんって物静かな方なのでまさか仕事の愚痴を熱く語って下さるとは思わなかったもので。」
話していた私には分からないが、彼女には私の話がツボに入ったようだ。
「やっぱり、松下さんとのお喋りは楽しいわぁ」
「はは、お気に召して頂けたようで良かったです。」
「また、ここでお話ししましょう。」
梅さんは最後に私にそう話して今日は解散となった。
梅さんと喫茶店で話した翌日、私はいつも通り会社へ向かう。大学を卒業し、新卒入社してから約25年間勤めている会社である。
いつもなら重い足取りで向かうところだが今日はなんだか違った。足取りはいつも通り重いが気持ちの面で少し前向きな気持ちで出勤できた。
会社に出勤して朝礼が終わり、自分の席に戻ると早速部長が私のところに来る。
「松下君。来週の会議資料作成を君に任せるので早急に作ってもらえる?できれば今日の夕方までに作ってもらえると助かる」
「はい。わかりました。」
これである。うちの部長も決して働かない人では無いのだが、自分から見て面倒くさい仕事は私に押し付けるのである。
しかも、量もおかしい。大抵数時間では終わらない量なのである。
私はこれが原因で定時帰宅ができないでいる。
ただ、残念な事に私には部長に逆らう勇気がない。
「はい。わかりました。」この一言を言うのが私のお決まりであり、周囲の社員達にとって見慣れた光景となっている。
不満やストレスが溜まるばかりで本当に嫌になる。
仕事がようやく終わり、時計を見ると23時42分。終電が0時15分なので急いで駅へと向かう。今の会社に入社してから平日は毎日こんな生活だ。
会社を出て駅へと向かう途中に私はふと考える。
「何というか、寂しいなぁ」
ここ最近、一人で会社から帰る時何とも言えない寂しさ、孤独感に襲われる。
「今まではそんな事なかったのになぁ」
梅さんに出会ってからだろうか。
深夜2時、自宅に帰宅する。
ひとり暮らしなので当然「おかえり」の声をかけてくれる人もいない。
寂しくはない、はずであった。
だが帰り道に感じた孤独感は今もまだ拭えない。
「梅さんと話したいなぁ」
気づけば無意識にそんな事を口に出す始末。
「もし、梅さんと毎日少しでも話せたら...」
そんな想いから私は次の休日、梅さんと会ったら思い切って話してみることにした。
※※※
「......」
梅さんと思い切って話をしたい!と誓って早1ヶ月近く経つ。
私はといえば未だに平日は孤独に生きている。
「はぁ......」
溜息が出る。
私は未だに梅さんとは休日に他愛もない話をしているだけ。
言おうと誓っても本人を前にすると縮こまってしまう。
私という人間は本当に臆病である。
昔から私は他人に言いたいことが中々言えない人間であった。
何をするのも受け身であり、自分から何かを発信する事は滅多にない。
本当に自分という人間には呆れるし嫌になる。
逃げるに逃げて結局諦めてしまう。
これが私の今までの人生だ。
「...今回もまた私は逃げるのか」
私ももう50手前、このまま友人も恋人もいない人生を歩めば待つのは孤独死だろう。
いいのかそんな人生で...
暫く私は考え込む。
思えば悩みはするが直ぐに諦める癖がついていたのでこんなにも悩むのは新鮮な感覚だ。
「私にとって梅さんは何なんだ...」
諦め癖のある私がこんなにも悩む相手梅さん。
「私にとって運命の相手は彼女なのかもしれない。」
ここで機会を逃したら私は一生一人だ。
残りの人生もそう永くはないだろう。もう私には失う物もない。ならここで勇気を出さないでどうする!覚悟を決めろ!正三!
私は心の中で自分を奮い立たせる。
※※※
そしてまた訪れた日曜日。
今日も梅さんと地域ボランティアの後に行きつけの喫茶店「なごみ」へとやってきた。
「ここで今日こそ想いを打ち明けるんだ!」
心の中で強く意気込み、私は店の中へと入っていく。
※※※
「それでね。昨日はお向かいの笹倉さん家に上がらせて頂いてララちゃん(チワワ♀2歳)を撫でさせてもらったの。ララちゃん、家の人以外が触ろうとすると吠えちゃうらしいから普段は笹倉さんも噛まれないように注意してるみたいなんだけど私は大丈夫だったの!」
喫茶店に入るといつものように梅さんはよく喋る。特に動物が好きなようで動物の話になると他の話題よりも饒舌な気がする。あくまで私の直感ではあるけどね。
さて、いつもは私も彼女の話を聞いて和んで終わりだったけども、今日はそういう訳にも行かない。いい加減このもどかしさに決着をつけなくては。
私は梅さんの話を聞きながら静かに深呼吸をして息を整える。
梅さんの話に区切りがつき、少しの沈黙が訪れた頃、私は話し始める。
「実はですね。私は最近ふと寂しくなるのです。」
「ほう。」と梅さんはコーヒーを飲みながら私の話に相槌を打つ。
「梅さんも今独り暮らしですよね?1人の部屋にいるとふと寂しくなりません?」
すると、彼女は話し始める。
「前にも話したかと思いますがワタシはそもそも人付き合いが苦手なんです。ワタシは自宅で仕事をするのでその結果、ご近所の方とも話す機会が多いですが。」
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「そういった関係性の方はごく少数ですよ。この街って若い方が多い上に話せる仲になったと思ってもすぐにまた引っ越してしまう方が多いですから。」
「そうだったんですね。毎週梅さん、ご近所さんの色々なお話を聞かせてくれるので交友関係広いのかと思ってましたよ。」
「ワタシがいつも話す方は昔からこの街に住んでいる人達の事ばかりですよ。人見知りのワタシでも数十年も話していれば流石に慣れますから。」
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「......では梅さんはひとり暮らしでも寂しいと感じた事は無いんでしょうか。」
私が疑問を口にすると梅さんはニコリと笑い、「そんなことはないですよ。人と話すのに緊張することはありますが、お話しする事自体は好きですから。話したいときに話を聞いてくれる方がいないのは退屈です。」と答えた。
梅さんが人付き合いが苦手な話をし始めた時はどうしようかと思ったが、今の梅さんの言葉を聞いて私は少し安心する。
いよいよ私も覚悟を決める時が来た。
「あのですね、梅さん。梅さんがもしよろしければ私と同棲を前提としたお付き合いをしてもらえませんか。」
「え?」
梅さんはキョトンとした顔をしている。私がまさかここで告白するとは微塵も思っていなかったのだろう。
「私ももうすぐ50です。正直、この年まで独り身で結婚は諦めていました。」
「孤独死も何度も頭を過りましたし、最近はそれも仕方ないと自分に言い聞かせていました。ただ、梅さんと出会ってその気持ちも変わりました。」
気づけば私は無我夢中で梅さんに対して話していた。
「誤解しないでくださいね。勿論、私は別に誰でも良かった訳ではありません!他でもない梅さんの人柄に惹かれたのです。もう一度言わせて下さい。私とお付き合いしてもらえませんか。」
※※※
私が告白をしてからすぐに無言の空間が訪れた。
正直、気まずい。
梅さんの顔色を伺うと何とも言えない表情をしている。
その顔は悩んでいる様にも見えるし、断り方を模索している様にも見える。
※※※
5分ほどが経ち、俯き顔だった梅さんの顔に笑顔が戻る。
「分かりました。私も正三さんとはどんな形であれこれからも仲良くしたいと思っていました。宜しくお願いします。」
それを聞いて私は心の中で密かにガッツポーズをする。
ただ、続けてこう言った。
「同棲の件についてはまだ待ってください。一応ワタシも今の家、賃貸で契約が残っているので。お付き合いを始めても暫くはお互い今と変わらない生活になると思います。」
「もちろんです。私はいつまでもお待ちしています。」
※※※
あの告白からあっという間に半年ほど経った。
「じゃあ、今日も帰るのは夜中だろうから無理せず先に寝てていいですよ。」
「毎日大変ですねぇ。お仕事を頑張るのはいいですけど身体も労って下さいね。」
そんな会話をして私は今日も会社に向かう。
つい先日から私は正式に梅さんと同棲を始めた。梅さんはずっと住んでいた賃貸の家を退去し、私も梅さんと暮らすには前の家は手狭だと思ったので前と同じ市内の広めのマンションに引っ越すことにした。
まあ、同棲を始めたと言っても私達はそれまでの半年間もお互いに休日は時間を作って今後の事を色々話していた。
そして同棲ではなく、正式に籍を入れる日程もそこで決めていた。
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※※※
「正三さん、お誕生日おめでとう!」
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