宙色ラテ

あしゅ太郎

文字の大きさ
1 / 24

再会はエスプレッソの香り(1)

しおりを挟む
「えっと……これで砂糖とミルクはここに置いて、トレーは……えっと……」

星野宙ほしのそらはカウンターの裏でおぼつかない手つきでコーヒーカップを並べていた。初めてのバイト初日、美術館内のカフェは平日にもかかわらず、ほのかに賑わっている。

「宙くん、そんなに緊張しなくていいって。カフェって言っても美術館だから、変な客は滅多に来ないしさ。」

店長の中川淳太なかがわじゅんたが、気楽そうにウインクしてくる。年上の雇われ店長らしいが、エプロン姿で髪を無造作にまとめた様子は妙に人懐っこい。

「は、はい……すみません……。」

「謝るの禁止ー! ここは芸術の殿堂! お客さんもカフェの空気も、アートだと思えば大体なんとかなる!」

「なんとかなるんですか……?」

「なんとかするのが店長ってもんだ!」

中川が親指を立てた瞬間、店のドアのベルが軽やかに鳴った。

「――いらっしゃいませ!」

思わず反射で声が裏返る宙。
ドアの向こうから現れたのは、落ち着いたスーツ姿の男性だった。

(……!)

宙の心臓が、小さく悲鳴を上げる。
柔らかい髪を無造作に撫でつけ、落ち着いた笑みを浮かべるその人は、紛れもなく――

「お、鈴谷じゃん。コーヒー買いに来た? 今日はブラック? 砂糖多め?」

「いや、今日はブラックで。中川さん、こんにちは。」

鈴谷遼すずたにりょうは、学芸員の名札を胸に、穏やかに笑った。その視線がカウンター奥の宙に気づく。

「……あれ? 宙くん?」

「……!!」

(やっぱり、鈴谷さんだ……!)

宙は思わず両手で胸を押さえそうになるのを必死で堪えた。高校まで家庭教師をしてもらっていた人。初恋の相手。忘れようとして忘れられなかった人。

「お久しぶりだね。星野宙くん。」

「……あっ……は、はい……久しぶりです……!」

声が裏返った。顔が熱い。ダメだ、働いてるのに。

「お、知り合い? ていうか家庭教師してたんだっけ、鈴谷。」

「はい、大学の時にね。まさかここで会えるなんて。」

鈴谷はふっと目を細めて笑う。その笑顔は、宙が何度も夢で見た、やさしい微笑みのままだった。

「宙くん、ここでバイトしてるんだ? なんだか嬉しいな。」

「……っ……あの……ありがとうございます……。」

「はは、緊張してる? 可愛いなぁ。」

「か、可愛いとか……!!」

中川が横でくすくす笑いながら、鈴谷にコーヒーを手渡した。

「鈴谷~、今度は宙にだけ奢ってってやってよ。先輩特権ってことで。」

「えっ、中川さんそれズルくない?」

「じゃあ今度な。」

「え……えええ……っ!?」

宙の耳まで真っ赤になるのを見て、鈴谷は楽しそうに笑った。

美術館のアートな空気に、ほろ苦いエスプレッソの香りと、甘くて苦い初恋が、再び混ざり合おうとしていた――。

---

「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ。午後から展示の準備もあるし。」

鈴谷がブラックコーヒーを片手に、カップのふちに口をつける。その仕草すら宙にはスローモーションで映る。

「は、はい……お仕事……頑張ってください……!」

「あはは、ありがとう。宙くんも、バイト頑張ってね。」

ニコッと笑って、鈴谷は軽く手を振って店を出て行った。
カラン、とドアベルの音が去っていく。

「……」

「……宙くん?」

「……はっ、はぃっ!?」

宙は中川の声に、夢から叩き起こされたみたいにビクッと背筋を伸ばした。

「いやぁ~宙くん、鈴谷に教わってたって言うからさ、てっきり塾講師とかかと思ったんだけど、家庭教師だったの? 個人で?」

「……あ、はい……高校受験の時に……」

中川は興味津々にニヤニヤしている。
これは絶対、余計なことを言ってくる顔だ。

「へぇー、家庭教師ってさ、家に来るんだよね? 宙くん家、誰か他に家族いるの?」

「あ……妹が一人……います……。」

「へぇ! 妹ちゃん! どんな子? 可愛い?」

「か、可愛いっていうか……普通です……普通の専門学生で……あんまり……」

言いながら、(あー陽里、今度来たら絶対この店長にいじられる……!)と内心で頭を抱えた。

「そっかぁ、いつか顔出さないかな~。お兄ちゃんバイトしてるとこ、見たいだろうし?」

「……か、顔は……出すかもです……時々、心配して来るから……」

「妹ちゃん公認で見守られてる兄! いいじゃん、青春だねぇ!」

(青春って……なんだ……。)

宙は思わずカウンターの端をギュッと掴んだ。

それよりも――今の問題はそこじゃない。

(……鈴谷さん……覚えてるかな……。)

思い出しただけで耳まで熱くなる。
あの頃。
まだ中学の制服を着て、必死に机に向かっていた自分。

(……ノートに挟んでた、鈴谷さんの落書き……。)

ただの勉強ノートの間に、こっそり挟んでたルーズリーフ。
「先生、寝癖ひどいな」とか「笑うと優しそうだな」とか、全部、思ったまま線にして描いて、ついでにハートとかまでつけて。

あれを、鈴谷が気づかずにパラパラめくって、「これ何?」って無邪気に聞かれたときの、あの地獄。

(……覚えてないよね……覚えてたら死ぬ……!!)

「……宙くん、顔真っ赤だけど大丈夫? 熱?」

「ちがっ……ちがいますっ!」

「おおこわいこわい、若者の恋は火力が違うな~」

「……こ、恋って……! なに言ってるんですか店長……!」

「いやぁ~恋以外でそんな赤くなれるの逆にすごいって。」

中川がにやにやとカップを拭きながら、ちらりと入り口の方を見る。

「でも宙くん、鈴谷ってさ……ああ見えてけっこう面倒見いいからさ~。職員からも人気だし。」

「……はい……。」

「もしかして……まだ好きとか思ってんじゃないの?」

「~~~~~~っ!!」

中川の口を両手で塞ぎたい衝動を必死で堪えながら、宙は顔を真っ赤にしたまま、カウンターの奥に隠れた。

――こんな初日で、宙の心臓はもう限界寸前だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

処理中です...