宙色ラテ

あしゅ太郎

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ブラックコーヒーに混ざる独占欲(3)

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約束の日の夕方。
学校帰りの宙は、珍しくお気に入りのシャツを着て、駅のホームに立っていた。

(……普通の“お礼のご飯”……ただの……。)

頭では何度もそう言い聞かせた。
でも、胸の奥の高鳴りは、何度言い聞かせても静まらなかった。

「……っ……。」

スマホを取り出すと、画面には鈴谷からのメッセージが表示されている。

---

> 鈴谷:
着いたら教えてね
改札のところで待ってるよ

---

小さく深呼吸をして、電車を降り、改札へ向かうと――
そこには、スーツを脱いでラフなシャツ姿の鈴谷がいた。

「……あ。」

すぐに見つけて、鈴谷が軽く手を振ってくれる。

「宙くん、お疲れさま。」

「……お疲れさまです。」

目が合った瞬間、胸の奥がぎゅっと熱くなる。
家庭教師だった頃は絶対に見たことがない、私服の鈴谷。
少し大人っぽくて、それでいてどこか柔らかい。

「今日はありがとうね、来てくれて。」

「……こちらこそ……。」

一言一言がくすぐったくて、視線が定まらない。

「何食べたい? 和食って言ってたけど、好きなの選んでいいよ。」

「えっと……お任せで……。」

「そっか。じゃあ、前から気になってた店に行こうか。」

改札を出て、並んで歩き出す。
すれ違う人の視線が、宙には少しだけ恥ずかしかった。

---

鈴谷が選んだのは、駅から少し歩いた小さな和食ダイニングだった。
落ち着いた木目の内装に、ほのかにお出汁の匂いが漂う。

「ここ、雰囲気いいですね……。」

「うん。静かで話しやすいかなって。」

案内された奥の席に座ると、向かい合った距離が近くて、宙はまた緊張した。

「何飲む? お茶? ジュース?」

「……お茶で……。」

メニューを一緒に覗き込みながら、鈴谷がさりげなく身を寄せてくる。

「これとか好きそう。魚も美味しいらしいよ。」

「……はい……。」

(近い……近い……。)

声が近いだけで、思い出すのはいつも勉強を教えてもらってた机の距離感だった。

料理を注文し終えると、鈴谷がふっと笑った。

「宙くん、顔赤いよ。」

「……っ……赤くないです……。」

「ふふ、相変わらず可愛いな。」

さらっと言われて、宙は思わず箸袋をぎゅっと握りしめた。

---

運ばれてきた料理はどれも美味しくて、最初の一口を食べると、少しだけ緊張がほぐれた。

「ほんとに美味しい……。」

「気に入ってくれたならよかった。」

お茶を啜りながら、鈴谷はふと、少しだけ真剣な目をした。

「……宙くん。」

「……はい?」

「大学生活、ちゃんと楽しんでる?」

急に昔の“家庭教師の顔”で聞かれて、宙は思わず笑った。

「……うん……まぁ……。」

「……本当は?」

「……あんまり……。」

「……そっか。」

鈴谷は少しだけ視線を落として、すぐに優しく笑い直した。

「……じゃあ、また俺に教えてくれる?」

「……何を……?」

「……今の宙くんのこと。」

お茶の湯気越しに、鈴谷の目が柔らかく笑う。

それだけで、胸の奥にしまってた気持ちがまた溢れそうになる。

(……やっぱり、ずるい……。)

言葉は出せないけれど、今度こそ――
この時間だけは、あの頃と違って子どもじゃない自分でいたい。

そう思った宙の頬は、静かな店内でまた赤く染まっていた。

---

食事を終えて店を出ると、夜の街は思ったよりも涼しかった。
帰り道の歩道には、週末の人たちがぱらぱらと行き交っている。

「……ごちそうさまでした。」

「こちらこそ、来てくれてありがとう。」

並んで歩く距離は、さっきより少し近い。
鈴谷の歩幅に合わせて、宙も自然と歩みを合わせていた。

(……今の俺のことを教えてって……。)

さっきの言葉を思い出すだけで、また心臓が変な音を立てる。

「……あの。」

「ん?」

「……俺……あの頃……。」

宙は思わず下を向いて、つぶやいた。

「……ほんとに、鈴谷さんのこと……すごく……。」

途中で言葉が喉に詰まる。
けど、続きを言わなくても、鈴谷にはちゃんと伝わってしまう気がした。

横を見ると、鈴谷は歩みを止めて、街灯の下で立ち止まった。

「……知ってる。」

「……え……。」

「ノートに挟んでた、俺の似顔絵。覚えてるよ。」

宙の呼吸が止まった。

「……っ!」

「可愛かった。あれ見たとき、ちょっとドキッとしたんだよ?」

「うそ……。」

顔が一気に赤くなる。
思わず手で頬を隠したけど、鈴谷は楽しそうにくすっと笑った。

「……あの頃は俺、どうしていいか分かんなかったけど……。」

鈴谷が、そっと宙の手を取った。

人通りのある歩道で、指先だけを絡めるみたいに。

「……今はちゃんと、知りたいな。」

「……なにを……。」

「宙くんが俺に向ける顔、全部見せて。」

低い声が、夜風に紛れて宙の耳に落ちる。

「……っ……。」

言葉が出ないのに、手だけは離したくなくて、宙はぎゅっと指を返した。

鈴谷の指も、ゆっくりとその握りに応える。

街灯の下、淡くて甘い空気に包まれた二人の距離は――
あの頃よりも、ずっと近かった。

---

「……っ……!」

玄関を閉めた瞬間、胸の奥に押し込んでいたものが一気に溢れた。
靴もろくに揃えずにスニーカーを脱ぎ捨てて、宙は自分の部屋に飛び込む。

カバンを放り投げて、そのままベッドにダイブした。

(やばい……やばいやばいやばい……!)

枕に顔を埋めると、さっきの声がまだ耳に残ってる。

『……宙くんが俺に向ける顔、全部見せて。』

「~~~~~っ!!」

思い出すたびに、心臓が何度も爆発する。
ひとりだから声が漏れても平気だと思うと、余計に顔から火が出そうだった。

(なにあれ……ずるい……。)

頬が熱いのに、にやけた口元が自分でも止められない。

(……子どもの頃の俺、すごいの描いてたし……見られてたし……恥ずかしすぎるし……。)

枕に顔を埋めて足をバタつかせてから、勢いよく仰向けにひっくり返る。

「……っ……。」

天井を見つめても頭に浮かぶのは、展示室での低い声。
駅までの帰り道、そっと握られた指先の温度。

(……手……温かかった……。)

思い出すだけで胸がきゅっと締まるのに、そのくせ嬉しくて、つい枕を抱きしめてまたゴロゴロ転がる。

(……次、どんな顔して会えばいいんだよ……。)

羞恥と嬉しさでベッドの上をぐるぐる転がるたびに、シーツがぐちゃぐちゃになる。

けど――少しだけ開いたスマホの通知を見て、ふと笑みが零れた。

そこには、さっき鈴谷と別れ際に交わしたLINEの“また連絡するね”の文字。

(……俺……また会えるんだ……。)

ぽかぽかした胸の奥に、静かに確かに広がる小さな幸せ。

「……やば……。」

結局、夜は枕の上で何度もゴロゴロ転がっては、また恥ずかしさと嬉しさで顔を覆う宙で終わっていくのだった。
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