宙色ラテ

あしゅ太郎

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すれ違いと口づけの温度(3)

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遠回りの帰り道。
人通りもほとんどなくなった小さな公園の横で、鈴谷はふと足を止めた。

繋いだ手を離すわけでもなく、静かに宙の方を向く。

「……宙くん、顔赤い。」

「……っ……。」

そう言われて気づけば、視線を落とす宙の頬はすっかり夜風じゃ冷めない熱を帯びていた。

指先がじんわり熱い。

(……言わなきゃ……。)

一歩踏み込まないと、ずっとこのまま届かない気がして――
宙は小さく息を呑んだ。

「……鈴谷さん……。」

「ん。」

「……俺……たぶん……。」

胸の奥にまとわりついてた言葉が、やっと形になる。

「……俺……男の人が……好きなんだと思います。」

一瞬だけ、繋いだ手が小さく動いた。
でも鈴谷は、ただゆっくりと笑ったまま、続きを待ってくれている。

「……だから……その……。」

声が震える。

「……鈴谷さんに……そんなに優しくされたら……俺……ちゃんと好きになっていいんだって……勘違いしそうで……。」

顔を上げると、街灯の光の向こうで、鈴谷がそっと目を細めた。

「……宙くん。」

低くて、あたたかい声。

「……勘違いじゃないよ。」

「……え……。」

「俺も……同じだから。」

にこっと、小さく笑って。

「……俺も男の子が好きで……宙くんの気持ち、ちゃんと分かるよ。」

ふっと触れた指先が、繋いでいた手から宙の頬へ滑ってくる。
親指の腹が、そっと火照った頬を撫でた。

「だから……もう、我慢しなくていい。」

「……鈴谷……さん……。」

鈴谷の手が、そっと宙の顎をすくった。

夜の街灯が、ふたりの輪郭を柔らかく溶かす。

「……宙くんの“好き”、ちゃんと俺にちょうだい。」

そっと触れるくらいの距離で、鈴谷の吐息が唇に触れた。

宙の心臓が、胸の奥で何度も跳ねる。

逃げないように、繋いだ手のぬくもりがぎゅっと深くなる。

(……ああ……もう……。)

ちゃんと好きになってもいい――
そう思った瞬間、宙の不安は夜風に溶けていった。

---

触れそうで触れない距離で、夜風がふたりを包む。

宙は、鈴谷の指先に頬をなぞられながら、小さく震えた声を絞り出した。

「……俺……。」

喉の奥で絡まっていた言葉が、ゆっくりと零れ落ちる。

「……中学の頃……鈴谷さんに家庭教師してもらってた時から……ずっと……。」

月明かりに照らされた鈴谷の瞳が、そっと揺れる。

「……ずっと……好きでした。」

宙の声が震える。

「……でも……鈴谷さんは……きっと……女の人が好きなんだろうって……。」

唇が小さく噛みしめられた。

「……先生で……大人で……俺はただの子どもで……。」

思い出すだけで胸がきゅっと締め付けられる。

「……だから……伝えたら……迷惑だって思って……言えなかった……。」

吐き出した瞬間、涙ではない熱が喉の奥にこみ上げた。

ふいに、鈴谷の手が頬から後頭部へ滑って、やわらかく髪を撫でた。

「……宙くん。」

低くてあたたかい声。

「……俺も……あの頃……気づいてたよ。」

「……え……。」

「宙くんが俺を見る顔……あのノートに描いてた落書き……。」

宙の心臓が跳ねる。

「……全部、すぐにわかった。」

苦笑するように、鈴谷の目が細められる。

「……本当は……応えたかった。」

指先が宙の耳の後ろをそっと撫でる。

「でも……あの頃の宙くんに俺が触れたら……きっと全部壊すって分かってたから。」

ゆっくりと言葉を選ぶように。

「……立場も、年齢も……俺の理性も……全部超えて、手を伸ばしたかったけど……。」

夜風の奥で、鈴谷の目が小さく揺れた。

「……大人として……“家庭教師”として……宙くんの将来をちゃんと考えたくて……。」

ふっと、寂しそうに笑って。

「……ごめんね。」

宙は言葉を失ったまま、鈴谷の胸に触れる距離に立ち尽くす。

「……でも、今なら……言える。」

そっと顎を指で持ち上げられる。

「……俺もずっと……宙くんが特別だった。」

指先が、宙の頬を伝って、唇のすぐ近くで止まる。

「……ずっと……触れたかった。」

夜の静けさが、ふたりを柔らかく包んだ。

「……好きだよ、宙くん。」

息を呑む間もなく、触れた唇の熱が全部をさらっていった。

---

(……好きだよ、宙くん。)

鈴谷の低くて優しい声が、唇に触れる直前まで胸の奥で響いていた。

ほんの一瞬、時間が止まったみたいに世界が静かになる。

その直後、宙の唇に、鈴谷の唇がそっと重なった。

やわらかくて、深くて、なのにやさしくて。
長い間閉じ込めていた想いを全部すくい取ってくれるみたいな熱。

「……っ……。」

最初は触れるだけのキスだったのに、鈴谷の指先が宙の頬を撫でるたびに、胸の奥がくすぐったくて、甘くて、息が漏れる。

(……ああ……。)

頭の奥が真っ白になりそうだった。

触れ合った唇の隙間から、小さく舌先が触れてくる。

驚いて目を開けると、鈴谷のまつ毛がすぐそこにあって、瞳の奥が自分を映していた。

「……っ……ん……。」

小さく息がこぼれると、鈴谷の指がそっと首筋を撫でて、くすぐったいのに背筋がゾクっとする。

(……これ、夢じゃない……。)

何度も胸の奥で問いかける。
だって、あの頃ずっと欲しかったものが――

今こうして、全部目の前にある。

離れたくなくて、宙の指先がそっと鈴谷のジャケットの裾を掴んだ。

鈴谷はくすっと小さく笑って、唇を離すと、まだ重なる息の奥で低く囁いた。

「……可愛い声……。」

「……っ……鈴谷さん……。」

「……もっと聞かせて。」

そう言って、もう一度ゆっくりと唇を重ねられた。

さっきよりも深くて、甘くて、少し意地悪で。
舌先が触れるたびに、身体の奥が熱くなる。

「……っ……ふ……。」

耳の奥で、自分の声が溶けていく。

ずっと言えなかった“好き”が、言葉にならないまま唇の奥で全部鈴谷に伝わっていく気がした。

宙はぎゅっと目を閉じて、もう一度ジャケットを掴んだ。

(……あの頃みたいに……遠くなんかない……。)

離れてしまったら壊れてしまう気がして、でも――
同時に、今度は絶対離れないって、心の奥で強く思った。

ふたりの吐息が夜風に混ざって、静かな公園に甘い熱だけが残った。

---

「……ん……っ……。」

もう何度目か分からない小さな吐息が、鈴谷の唇に溶けていく。

触れるたびに胸の奥が熱くなるのに、鈴谷の指先は頬や首筋をそっと撫でるだけで、それ以上は何も求めてこなかった。

(……苦しい……でも……気持ちいい……。)

ゆっくりと唇が離れる。

夜風がふたりの熱をすっと冷ます前に、鈴谷がそっと額を合わせてくる。

「……宙くん。」

低くて甘い声に、息が詰まった。

「……今日は……ここまでにするね。」

「……え……?」

思わず目を開けると、目の前で鈴谷が穏やかに笑っていた。

「……この先は……大事にしたいから。」

頬を撫でる指先が、ゆっくりと髪を梳く。

「……ちゃんと……宙くんが大人になったって分かってるけど……。」

微笑む目の奥に、大人の余裕が滲んでいて、宙の胸がきゅっと締まる。

「……俺の理性が、全部飛んだら……勿体ないから。」

「……っ……。」

言葉の意味を飲み込んだ瞬間、宙の顔がまた一気に熱くなる。

(……なに……それ……。)

もう触れていないのに、唇がまだ熱くて、胸の奥が甘くて苦しい。

鈴谷はくすっと笑って、ゆっくりと額を離した。

「……可愛い。」

「……っ……鈴谷さん……。」

恥ずかしさで言葉にならない声を漏らすと、鈴谷が宙の手をそっと握り直した。

「……またご飯行こう。」

「……はい……。」

「今度は……もっとちゃんと、デート。」

宙の指先を、鈴谷が自分の親指でやさしく撫でる。

名残惜しそうに視線を落としたまま、鈴谷は少しだけ身体を離した。

「……今日は送るよ。」

「……っ……あ、ありがとうございます……。」

さっきまで繋いだ手のひらが温かくて、でも離れた距離がもう恋しくて。

鈴谷が歩き出すのを追いかけるように、宙は慌てて隣に並んだ。

(……ずるい……大人……。)

でも――
その横顔を、またすぐに見られると思うと、胸の奥が甘く痺れた。

街灯の下を並んで歩く帰り道。
もう二度と、子どものままじゃいられない。

(……次は……俺から……。)

手のひらに残った熱を大事に握りしめて、宙はそっと目を閉じた。
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