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第5章 最後のレッスン
2.あなたの体温が、匂いが、名残惜しい
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翌日の月曜、会社へ連絡を入れたら大石課長もインフルエンザで休んでいた。
お子さんが先週半ばにインフルエンザにかかり、大石課長も具合が悪かったんだって。
金曜日に顔がちょっと赤かかったのはきっと、熱があったに違いない。
そんな状態で出てこないでよ!
まあさすが、熱があっても出社を強要する人だ、と言えるけど。
「具合はどうだ?」
夜になって滝島さんが様子を見に来た。
「滝島さん!」
夕方には熱も下がったみたいで、だるさはもうほとんどない。
「んー、熱は下がったか」
その大きな手を私の額につけ、熱がないかどうかみてくる。
「ん、もう下がったみたいだな」
マスクのせいで目だけしか見えない滝島さんがにぱっと笑う。
なんだかその笑顔にぽっと頬が熱くなったけど……また熱が上がってきたのかな。
「食欲はあるかー」
「あの……」
――ぐぅぅぅぅっ!
答えるより早く、お腹が鳴った。
「上等」
コートとジャケットを脱ぎ捨て、袖捲りで滝島さんがキッチンへ向かう。
「うどん作ってやるからちょっと待ってろ」
「あの、でも」
「お前が食ったら帰るから心配するな」
ぼーっと彼がうちのキッチンで料理するのを見ていた。
なんかずっと、見ていたい。
そんなことを考えている自分に気づき、ボッと顔が火を噴いた。
「できたぞー。
ん?
顔が赤いけど、熱下がってなかったか?」
心配そうにまた、手を額につけてくる。
それでさらに身体の熱が上がった。
「やっぱ熱下がってないな。
食ったら寝ろ」
「……そうします」
消え入りそうな声でそれだけ言い、箸を取る。
野菜のたっぷり入ったうどんは優しく身体に沁みた。
「……美味しい、です」
「そうか」
滝島さんは眼鏡の下で目を細め、私をずっと見ている。
なんだか恥ずかしくて、うどんだけを見つめたままちまちまと食べ進めた。
「……ごちそうさまでした」
「ん、おそまつさん」
空になった丼を手に滝島さんが立ち上がる。
「うどん、出汁に入れて温めたらいいようにしておいたから明日の昼、食え。
夜はまた、様子見に来てやるし」
話しながら彼はテキパキと片付けを進めていく。
「その。
もうひとりで大丈夫なので。
ご心配をおかけしました」
「そうか?」
片付けを済ませた滝島さんは私の前に座り、少しだけ眉間に皺を刻んだ。
「遠慮、しなくていいんだぞ」
「いえ。
インフルエンザとかうつったら大変なのに、こんなにしていただいて感謝しています。
……でも、なんで滝島さんが?」
熱も下がり、しっかり考えられるようになると不思議になってくる。
どうしてあのタイミングで滝島さんが訪ねてきたのか。
……英人はきっと、休日の食事代を浮かせたかっただけだろうけど。
「お前なー、こんなLINE送ってきて心配にならない方がおかしいだろ」
「へ?」
少しだけ操作し、渡された携帯を見る。
そこには【しぬ】とだけ私からのメッセージが表示されていた。
「……なんか、スミマセン」
「しかも電話、出ねーし」
こんなメッセージをもらったら、私だって心配する。
電話にも出ないとなると。
「ご心配をおかけしました」
「わかったなら、いい」
ぽん、ぽん、と軽く、滝島さんの手が私のあたまに触れる。
見上げるとレンズ越しに目があって、彼の首が少しだけ傾いた。
「どうかしたのか?」
「いえ……」
どうしてか、顔が笑ってしまう。
胸の奥がぽっと温かい。
「じゃあ、もう明日は来ねーけど、なんかあったらすぐ連絡しろ?」
「はい」
滝島さんはいいと言ったが、玄関までお見送りした。
「少しでも元気そうになってよかった」
「えっ!?」
いきなり、彼から抱き締められた。
お風呂に入れなくてもう三日目なのだ、臭くないか気になって慌てた。
「早く元気になれよ」
「……はい」
……でも。
滝島さんからはいい匂いがする。
微かに香るラストノートの匂いと、少しの体臭が混ざった香り。
いつまでもこの匂いに包まれていたい、それは私にそう思わせた。
「また連絡する。
熱が下がったからって無理せずにちゃんと寝とけよ」
「……はい」
離れた、彼の匂いが、体温が名残惜しい。
「おやすみ」
去り際、滝島さんがマスク越しに唇を――重ねた。
「……!」
パタン、とドアが閉まった瞬間、腰が抜けたかのようにその場に座り込む。
なんで、あんなこと。
キスなんてベッドの中でしかしたことがないのに。
ふらふらと部屋に戻り、ベッドに潜り込む。
また熱が上がってきたかのように身体が熱い。
いや、もうこんなウブな反応する年じゃないとわかっている。
けれど、あの滝島さんの顔は。
何度か深呼吸を繰り返し、冷静になった。
「そういえば」
なんで私は、滝島さんに助けを求めたのだろう。
誰でもよかったはずなのだ。
なのになんで。
翌日はすっかっり熱も下がり、体調も普通に戻っていた。
がしかし会社の規定で木曜までは出勤できない。
「絶対仕事、溜まるよね……」
なーんて嘆いてみたところで、どうしようもできない。
せっかく得た有給消化の機会だ、有効に使わねば。
パソコンを開き、週末にやるはずだった、プレゼンの資料を詰めていく。
準備に使える時間が思わず増えたんだ、ラッキーと思おう。
ひたすら休みの間、プレゼンの準備をした。
週末は予定どおり貸し会議室を借りて練習するって滝島さんから連絡もらったし。
お子さんが先週半ばにインフルエンザにかかり、大石課長も具合が悪かったんだって。
金曜日に顔がちょっと赤かかったのはきっと、熱があったに違いない。
そんな状態で出てこないでよ!
まあさすが、熱があっても出社を強要する人だ、と言えるけど。
「具合はどうだ?」
夜になって滝島さんが様子を見に来た。
「滝島さん!」
夕方には熱も下がったみたいで、だるさはもうほとんどない。
「んー、熱は下がったか」
その大きな手を私の額につけ、熱がないかどうかみてくる。
「ん、もう下がったみたいだな」
マスクのせいで目だけしか見えない滝島さんがにぱっと笑う。
なんだかその笑顔にぽっと頬が熱くなったけど……また熱が上がってきたのかな。
「食欲はあるかー」
「あの……」
――ぐぅぅぅぅっ!
答えるより早く、お腹が鳴った。
「上等」
コートとジャケットを脱ぎ捨て、袖捲りで滝島さんがキッチンへ向かう。
「うどん作ってやるからちょっと待ってろ」
「あの、でも」
「お前が食ったら帰るから心配するな」
ぼーっと彼がうちのキッチンで料理するのを見ていた。
なんかずっと、見ていたい。
そんなことを考えている自分に気づき、ボッと顔が火を噴いた。
「できたぞー。
ん?
顔が赤いけど、熱下がってなかったか?」
心配そうにまた、手を額につけてくる。
それでさらに身体の熱が上がった。
「やっぱ熱下がってないな。
食ったら寝ろ」
「……そうします」
消え入りそうな声でそれだけ言い、箸を取る。
野菜のたっぷり入ったうどんは優しく身体に沁みた。
「……美味しい、です」
「そうか」
滝島さんは眼鏡の下で目を細め、私をずっと見ている。
なんだか恥ずかしくて、うどんだけを見つめたままちまちまと食べ進めた。
「……ごちそうさまでした」
「ん、おそまつさん」
空になった丼を手に滝島さんが立ち上がる。
「うどん、出汁に入れて温めたらいいようにしておいたから明日の昼、食え。
夜はまた、様子見に来てやるし」
話しながら彼はテキパキと片付けを進めていく。
「その。
もうひとりで大丈夫なので。
ご心配をおかけしました」
「そうか?」
片付けを済ませた滝島さんは私の前に座り、少しだけ眉間に皺を刻んだ。
「遠慮、しなくていいんだぞ」
「いえ。
インフルエンザとかうつったら大変なのに、こんなにしていただいて感謝しています。
……でも、なんで滝島さんが?」
熱も下がり、しっかり考えられるようになると不思議になってくる。
どうしてあのタイミングで滝島さんが訪ねてきたのか。
……英人はきっと、休日の食事代を浮かせたかっただけだろうけど。
「お前なー、こんなLINE送ってきて心配にならない方がおかしいだろ」
「へ?」
少しだけ操作し、渡された携帯を見る。
そこには【しぬ】とだけ私からのメッセージが表示されていた。
「……なんか、スミマセン」
「しかも電話、出ねーし」
こんなメッセージをもらったら、私だって心配する。
電話にも出ないとなると。
「ご心配をおかけしました」
「わかったなら、いい」
ぽん、ぽん、と軽く、滝島さんの手が私のあたまに触れる。
見上げるとレンズ越しに目があって、彼の首が少しだけ傾いた。
「どうかしたのか?」
「いえ……」
どうしてか、顔が笑ってしまう。
胸の奥がぽっと温かい。
「じゃあ、もう明日は来ねーけど、なんかあったらすぐ連絡しろ?」
「はい」
滝島さんはいいと言ったが、玄関までお見送りした。
「少しでも元気そうになってよかった」
「えっ!?」
いきなり、彼から抱き締められた。
お風呂に入れなくてもう三日目なのだ、臭くないか気になって慌てた。
「早く元気になれよ」
「……はい」
……でも。
滝島さんからはいい匂いがする。
微かに香るラストノートの匂いと、少しの体臭が混ざった香り。
いつまでもこの匂いに包まれていたい、それは私にそう思わせた。
「また連絡する。
熱が下がったからって無理せずにちゃんと寝とけよ」
「……はい」
離れた、彼の匂いが、体温が名残惜しい。
「おやすみ」
去り際、滝島さんがマスク越しに唇を――重ねた。
「……!」
パタン、とドアが閉まった瞬間、腰が抜けたかのようにその場に座り込む。
なんで、あんなこと。
キスなんてベッドの中でしかしたことがないのに。
ふらふらと部屋に戻り、ベッドに潜り込む。
また熱が上がってきたかのように身体が熱い。
いや、もうこんなウブな反応する年じゃないとわかっている。
けれど、あの滝島さんの顔は。
何度か深呼吸を繰り返し、冷静になった。
「そういえば」
なんで私は、滝島さんに助けを求めたのだろう。
誰でもよかったはずなのだ。
なのになんで。
翌日はすっかっり熱も下がり、体調も普通に戻っていた。
がしかし会社の規定で木曜までは出勤できない。
「絶対仕事、溜まるよね……」
なーんて嘆いてみたところで、どうしようもできない。
せっかく得た有給消化の機会だ、有効に使わねば。
パソコンを開き、週末にやるはずだった、プレゼンの資料を詰めていく。
準備に使える時間が思わず増えたんだ、ラッキーと思おう。
ひたすら休みの間、プレゼンの準備をした。
週末は予定どおり貸し会議室を借りて練習するって滝島さんから連絡もらったし。
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