前世の婚約者ってなんですか?~溺愛御曹司と甘い現世生活~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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最終章 現世では幸せに暮らしました

2.光志さんが好き、です

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連れてこられたのは、何度か来たことがある光志さんのマンションだった。

「腹、減ってないか」

「……」

冷蔵庫を開けた光志さんだけど、私が黙っているからか、はぁーっとため息をついてドアを閉めた。

「なら」

私の手を掴み、引きずるように歩いていく。
開けたドアの先は――寝室、だった。

「あっ!」

勢いよくベッドに突き飛ばされ、光志さんがのしかかってくる。

「……涼鳴」

欲情した目で私を見下ろした光志さんの手が、頬を撫でた。
前回のことがあるから、きっと冗談。
そう思うけれど光志さんの目は完全に獲物を捕らえた肉食獣のそれ、で恐怖が身体を支配する。

「えっ、い、嫌……」

ガタガタと身体は震え、目にはうっすらと涙が浮いてくる。
光志さんの顔が近づいてきて、怖くて目を閉じた、が。

「なーんてな」

「……え?」

おそるおそる目を開ければ、視線のあった彼は右頬を歪めてにやっと笑った。
身体を離し、枕元に座って私のあたまをガシガシ撫でてくる。

「いいから寝ろ。
なにがあったか知らんが、寝てねーんだろ。
すっげークマだぞ」

「あの……」

起き上がろうとしたら、無理矢理枕に押さえつけられた。

「とにかく寝ろ。
こんな状態じゃまともな判断はできん」

「……はい」

もう、抵抗するのはやめた。
昨日は丸一日なにも食べていないし、もう二日まともに寝ていない。
光志さんの言うとおり、寝なきゃ。
そして起きたらなにか食べよう。
とにかく、体力を取り戻さなきゃ……。

目が覚めたら真っ暗だった。
部屋を出てリビングに行くと、光志さんは誰かと通話を終えたところだった。

「起きたか」

「……はい」

「ん、ちっとはましな顔色になったな」

立ってきた光志さんの指が、私の目尻をなぞる。

「腹、減ってるだろ。
いま温めるからちょっと待ってろ」

ソファーに座り、キッチンへ行った光志さんを待つ。
少しして出されたのはリゾットだった。

「旨いかどうかは保証しない」

「いえ、ありがとうございます」

スプーンですくって一口食べる。
優しい味は彼そのもののようだった。

「んで。
なにがあった?
まあ、だいたいの予想はつくが」

私が食べ終わるのを待って、光志さんが口を開く。

「……清人が、別れるって」

「マジか!?
いや、ありえねーだろ、あいつに限って」

光志さんは驚いているけれど、そうなんだろうか。
いや、私だってまだ、信じたいけど。

「清人、一昨日から帰ってこないです」

「マジか!?
連絡は?」

「ない、です」

「そりゃ、まあ、……うん」

私から光志さんが視線を逸らす。

「……そらもう、離婚決定だろうな」

「……」

わかっていた、そうなんだろうって。
けれど、第三者から決定打を打たれると、もう立ち直れない。

「……なあ、涼鳴。
俺がお前のこと、好きだって言ったのは覚えてるか」

そっと、光志さんの手が私を抱き寄せる。

「結婚しても諦める気はないって」

ぎゅっと抱き締められても、清人のようには感じない。

「俺は涼鳴を大事にするよ?
絶対に泣かせたりしないし、ひとりになんかしない。
いっぱい甘やかせて、愛して、幸せにする。
だから……俺じゃ、ダメなのか」

光志さんに目一杯、可愛がられている自分を想像してみる。
けれど、私が笑いかけている相手は何度やっても清人だった。

「……光志さんが好き、です」

「なら」

期待を持たせるより先に、首を振る。

「上司として、先輩として光志さんが好きです。
でもただ、それだけだから……。
私の思い描く未来の家庭に、光志さんはいない、から」

彼の胸を押し、腕の中から抜け出る。
見上げた光志さんは、泣きだしそうだった。

「私が愛しているのは清人ただひとりです。
だから清人じゃなきゃ、ダメなんです。
清人じゃ、なきゃ……」

出てきそうな涙は鼻を啜って耐えた。
私はこんなに、清人が好き。
じゃあ、清人は?

「でもお前、あいつは……」

「ごめんなさい。
たとえ、清人と別れることになっても、光志さんに恋愛感情は持てない。
光志さんはこんなに、優しいってわかってるけど」

「……そっか」

小さく呟いた光志さんが笑う。
その笑顔に胸がずきんと痛んだが、私の選択は間違っていない。

「あとで俺を選んでおけばよかったー、とか後悔したって遅いんだぞ」

「するかもしれません、後悔。
でも、選んだのは私だから。
後悔しても、この選択が間違っていたなんて絶対に思わない」

強い意志を込めて、光志さんを見返した。

「……涼鳴、強くなったな。
俺の前でぶるぶる震えてしゃべってたのが嘘みたいだ」

ふっ、と彼が表情を緩める。
目尻を少しだけ下げ、私の髪を撫でてきた。

「光志さんのおかげです」

「俺じゃねーだろ、旦那のおかげだろ。
結婚してからの涼鳴、いつもいい顔で笑ってる」

光志さんは苦笑いしているけど、そうなんだろうか。
そう、だったらいい。

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
今日はもう、帰ります」

「泊まっていきゃいいだろ」

「それこそ、敵の思うつぼなので」

――敵。
そうだ、愛子さんは敵。
その父親である柴山専務も敵。
清人は?
敵なはずがない。

「送っていく」

「でも」

「送らせろ。
こんな時間に女をひとりで帰らせるとか、危険だろ」

ニヤッ、といつもの笑みで光志さんが笑う。

「ありがとうございます。
よろしくお願いします」

光志さんはやっぱり優しい。
振られた相手の私を気遣ってくれる。
いつか、光志さんにもいい人が見つかったらいいのに……。

家に帰ったらやっぱり、清人は帰ってきていなかった。

「実家、なのかな……?」

なら、誰かにどうしているか訊いてみればいい。
お義父さんお義母さんはハードルが高いから……流人さん?

リビングのテーブルの上には昨日、愛子さんが持ってきた離婚届が置いたままになっていた。

「こんなもの……!」

破り捨てようとして手が止まる。
だってそれには、一切なにも書いていなかったから。

「あれ……?」

一般的に考えて清人が私と別れたいのなら、先にサインして渡すものじゃないんだろうか?
まあ、決まりがあるわけじゃないから、それが絶対とはいえないけど。
でも。

「清人の意思じゃ、ない、かも……」

ほんの僅かだけど、希望の光が見えた気がした。
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