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第33話 CDS
しおりを挟む時也が夜間警護にあたっている頃。内海巡査部長は県警本部の公安課室で、幾度目かの留守電を入れてから受話器を置いた。
「これでB組は終了……残り百五十二人か」
凝り固まった肩を揉みながら、長々と息を吐く。机上には、佐野渉が退学した佐幌南海高校の同窓会名簿が開かれていた。佐野が卒業するはずだった二〇二一年度に南海高校を巣立ったのは、全七クラス総勢二百十三名。その全員の住所と連絡先が名簿に記載されている。内海は東海林警部から内勤を命じられ、田端警部補が入手したこの名簿を使って佐野と交流があった人物を洗い出さなければならない。
普段はミネラルウォーターばかり常備している内海だが、今日の彼女のデスクにはコンビニで買ったミルクティーの紙パックが置かれていた。その傍らには、既に胃の中で消化されたチョコレートの包み紙が数枚重ねられている。
「自業自得だけど、気が遠くなる作業ね」
分厚い名簿のファイルを横目に、椅子の上で伸びをする。壁にかかったアナログ時計の時刻は、七時五分。窓の外では、マジックアワーの幻があと僅かで解けようとしていた。
しょぼつく目を擦り、席を立つ。片手で数えるほどの捜査員しかいない部屋を出て向かったのは、廊下のどん詰まりに位置する自販機スペースだ。小銭投入口に百五十円を入れ、迷わずに微糖コーヒーのボタンを押す。
「あれ、内海じゃん。今日から復帰か」
投げかけられた声に振り返る。ヘアカットモデルのように洗練されたパーマヘアを掻き上げながら、一人の若い男が内海のほうへ近づいてきた。
「神山部長。お疲れ様です」
「庁内で会うのは随分と久しぶりだな。もう大丈夫なのか」
「一昨日には退院して自宅療養していました。今日から勤務に戻っていいと医者の許可も下りています」
県警本部公安一課の神山律巡査部長は、パーマヘアを搔きながら「そっか」と呟く。
「ま、無理すんじゃねえぞ。どうせまたこき使われるんだし、休めるうちにしっかり休んどけ」
神山は新宮巡査部長と同期で、年齢も同じ三十二歳。国立大学の情報科学部を卒業しており、今回の事件ではCDSによるSNS解析を担当している。
CDS——正式には「Crimes Detecting System」と呼ばれる人工知能は、十年前に国内の警察組織が導入したインターネット解析システムだ。SNSを中心としたインターネット上の無数の投稿内容を人工知能が自動分析し、犯罪の前兆を炙り出す。投稿内容そのものだけではなく、ユーザー同士の繋がりまで解析にかけることができ、組織犯罪の特定にも一役買ってくれる。
ただし、解析結果を精査して実際の捜査に投入するのは捜査員、つまり生身の人間だ。精査内容は百パーセント正確とは限らないし、そもそも解析結果の情報量自体も膨大でそれらを精査するだけでもかなりの時間を要する。さらには大量の個人情報を扱うため、県警の中でも一部の捜査員しかCDSを扱えない。人工知能による捜査の効率化は、まだまだ課題が山積みだ。
「そういえば、佐野渉のSharingアカウントについて興味深い結果が出たぞ。お前んとこの優秀な警部補さんが持って帰った、佐野のパソコンのデータ解析が終わったんだ」
コールセンターまがいの業務も、朝から晩まで続けば集中力を欠くのは必然。内海は神山とともに、自販機スペースに設置された長椅子で休息をとることにした。
「佐野渉がSharingで使っていた〈ゴブリンお掃除隊〉のアカウントから、過去の投稿履歴を調べたんだ。記事には常に複数のユーザーから反応があって、概ね佐野の議員批判に賛同するコメントばかりだったが」
神山は自身のスマートフォンを取り出すと、Sharingアプリからゴブリンお掃除隊のアカウントページを開いた。
「これらのコメントを解析してユーザー元を辿ってみると、佐野渉自身が書き込んだ可能性が高いと判明した」
「つまり、佐野の偽装工作?」
内海の言葉に、「その通り」と短い返答。
「佐野が一人で複数のアカウントを所有して、それらのアカウントでコメントを残していたんだな。ゴブリンお掃除隊のアカウントからIPアドレスを追跡したが、特定できたのはネットカフェの経営会社のものだった」
「IPアドレスから居場所が割れないようにしていたんですね」
「ああ。それから偽装アカウントだが、いずれもコメントを書き込んだ時間帯が夜間に集中していた。佐野は日中に日雇いのアルバイトをしていたから、彼の行動パターンとも概ね一致する。一人で複数のユーザーを偽ってコメント欄がさも盛り上がっているように見せかける、子ども騙しのやり口だ」
神山のスマホ画面を覗きながら、内海はある疑問を口にする。
「記事の投稿数が少ない割に、フォロワー数は多いですね」
ゴブリンお掃除隊のアカウントページを指差した内海に、神山は「そりゃゴーストフォワーだよ」と返す。
「ゴーストフォロワー?」
「記事を投稿したりほかのユーザーの投稿に反応したりといったアクションが一切行われていないアカウント。フォロワー数の水増し目的で使われる場合が多いが、最終的には水増しどころかフォロワーの減少に繋がりかねない。何故だと思う?」
しばらく考えたのち、内海は無言で首を横に振った。
「たとえゴーストフォロワーでフォロワー数が増えたとしても、それらのアカウントからは何のコメントもリアクションもないわけだろ。つまり、投稿に対する反応がないわけだから自分のアカウント価値が下がってしまうんだ」
「なるほど。一時的なフォロワー増加にしかならないわけですね」
「その通り。ゴーストフォロワーにはアカウントを不正に売買してフォロワー数を増やすケースもあるが、佐野のアカウントが売買行為を働いていたかは判らないな。それらしいやり取りの痕跡もないし、あったとしてもとっくに削除済みだろうし」
「そのゴーストフォロワーの中には、佐野自身が偽装したアカウントも含まれているのですか」
「ああ。数はほんの一握りだけどな」
「偽装アカウントやゴーストフォロワーも含めて、佐野の周辺に怪しいアカウントの存在はありましたか。たとえば、APARとか」
神山巡査部長は今回の市議会議員失踪の捜査にも関わっていて、APARの一件も関知していた。
「APARのアカウントはアメリカ本部が運営する公式のものと、あとは個人のメンバーのものが存在している。ただ、どれも英語圏のユーザーばかりで日本人らしい活動家のアカウントは見当たらなかった。ま、これもCDSの解析結果で見た限りだから断定はできないが。APAR以外の動物愛護団体や関連するようなアカウントも、ほとんどフォローされていなかったな」
「ゴブリンお掃除隊の投稿に反応しているユーザーは、ゴーストフォロワーだけではなく通常のユーザーも含まれていますよね。その人たちはどうでしょう」
「そうだな……強いて言うなら、こいつとか?」
神山がスマホに表示したのは、〈ジャスミン〉と名乗るユーザーのアカウントページだ。K県を拠点に活動するとある環境保護団体のメンバーで、投稿写真やコメントの言葉遣いを見る限りでは二十代の女性と推察される。
「この、ジャスミンという人が何か」
「ゴブリンお掃除隊と直接的な関わりはなさそうだが、ゴブリンお掃除隊のコメントに反応しているユーザーと熱心にやりとりをしているんだ。そして何を隠そう、そのユーザーというのが」
「もしかして、佐野の個人アカウント?」
神山は内海に向かってパチンと指を鳴らす。そして、あるアカウントページを表示させた。
「この〈Evan〉ってのが、佐野の個人アカウントだ」
過去のコメントを遡ると、ゴブリンお掃除隊が投稿した〈立浜ネクストワールドの建設は、立浜の生態系を促進する悪行だ〉という記事に対して、Evanが〈まったくもってその通り。森林を伐採しながら、自然と触れ合うなんて謳い文句をよく掲げたものだ〉と返している。さらにそのコメントに対して、ジャスミンが賛同するコメントを返して……といったやりとりが繰り返されていた。
「やりとりを見る限り、このジャスミンという人は熱心な環境運動家のようですね」
「アカウント紹介の文言も、そんな感じだったぜ」
神山のスマホから足元に視線を移し、思案に耽る内海。そんな彼女に神山が「どうかしたか」と訊ねた。
「何だか、妙じゃありませんか」
「妙?」
「さっきの神山部長の話ですよ。佐野は特定の動物愛護団体や環境保護団体のアカウントをフォローしてもいないし、APARらしきアカウントとのつながりもないって」
「それのどこか妙なんだ」
「佐野がAPARで活動していたのなら、ほかの団体についてSNSで情報収集していてもおかしくないですよね。なのに、市議会議員を批判する投稿ばかりに集中していた」
ブラックアウトした神山のスマホ画面を凝視しながら、ふと呟く。
「佐野渉は、本当にAPARのメンバーなのでしょうか」
「戸羽署で聴取されたとき、自分はAPARの一員だと本人が証言したんだろ」
「田端係長の報告ではそうなっていますが……もしかすると、佐野は別の目的があってAPARに加入していたのかもしれません」
「別の目的って」
「断言はできませんが、テーマパーク建設の中止とか」
「立浜ネクストワールドか。けど、その理由だって自然保護が絡んでいるわけだろ。それとも、ほかに建設を阻止したい訳があるのか」
しばらく考え込んでいた内海は、神山の手元からゆっくりと視線を持ち上げる。
「ひょっとすると、逆なのかもしれません」
「逆?」
「私たちは、佐野がAPARの理念に共感したから加入した、という前提で物事を考えていました。ですが、そもそも前提から見直す必要があるのかもしれません」
「佐野はAPARの理念に賛同していなかった? それなのにメンバーとして活動する意味なんてあるのか」
「よく考えてみてください、殺される前の佐野の行動を。SNSでテーマパーク建設に関わる市議会議員を誹謗中傷したり、警察署の前で事前通告なしに抗議活動をして署に連行されたり。いずれも、APARの評判を下げる行為ではないですか」
神山は虚空を見上げながら「言われてみれば」とぼやく。
「APARの存在が明確になった引き金は抗議活動でした。それまで水面下に潜っていたAPARが、ここにきて急に表立ったことがずっと引っかかっていたんです。警察署の前を抗議の場に選んだ点も然りです。警官がすぐそこにいるのですから、下手な動きをすれば取り押さえられると想像できたはず……それもこれも、佐野がAPARの上層部の意思とは無関係に動いたものだったとすれば。警察にAPARの存在をアピールし、目を付けさせる狙いがあったとすればどうでしょう」
「佐野は、APARにとってトロイの木馬だったのか」
トロイの木馬は、敵側にそれと判らない形で刺客を送り込み、敵組織を内部から崩壊させる古代ギリシアの伝承に由来している。
「テーマパーク建設を進める市議会議員の脅迫と誘拐。建設計画の要であったトクミツ建設の社長殺し。一連の犯行をAPARによるものと警察に疑わせ、組織崩壊に繋げることが佐野の目的だった。そして、その目論みに気付いた組織のメンバーが粛清を下した。そう考えればすべての辻褄が合うと思いませんか」
「佐野が他団体の情報収集に無関心だったのは、そもそも目的が違っていたから、か。まあ、一応の筋は通るが」
腕組みして低く唸る神山に、内海は「あの」と控えめに声をかけた。
「実は、ある作戦を考えているのですが――」
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