高嶺の娼婦は嫌われ騎士に囲われて

かべうち右近

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23.賓客の誘惑

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 話しかけてきた男性は、この夜会内にいる誰よりも高貴な装いである。白銀の髪に紫の瞳。それはタッサの王族に引き継がれる容姿だ。彼を見たエーギルが、すっと背筋を伸ばす。

「公爵」

「セタ公爵様。お初にお目にかかります。アルヤ・ライロでございます」

「うん、楽にしていいよ」

 カーテシーを取ったアルヤに、手を振って男――セタ公爵は気さくに話す。

 彼はタッサ王の叔父にあたる人物である。とは言っても、王弟の末の息子のため、年の頃はまだ三十になったばかりで、タッサ王よりも随分と若い男盛りの美丈夫だ。彼こそがエーギルの務める騎士団を抱えるセタ公爵であり、今回の夜会における一番の賓客である。

「エドフェルト卿が夜会に来てほしいだなんていうから、楽しみにしてたんだよ」

「御足労いただき、感謝いたします」

「婚約者殿に会えるのも楽しみにしていたからね」

「それは……」

 途端にエーギルが顔を曇らせる。

「ああ、誤解しないでくれ、エドフェルト卿。艶めいた意味じゃない。僕は手紙をくれた女性がどんな才女かと気になってね」

 セタ公爵に招待状を渡す際、アルヤからの手紙も渡してもらっている。そのことを言っているのだろう。

「才女だなんて、恐れ多いですわ」

「謙遜することはない」

 ちらりと周りの招待客をセタ公爵が見る。客は陰口は叩いていないものの、興味津々でアルヤたちを見ているようだった。

「僕だけじゃなく、他の招待客もきっとライロ嬢に会ってみたくて来たんじゃないかな?」

「は……」

 そう言われて、エーギルも周囲を見る。すると見ていたのを咎められるとでも思ったのか、ようやく客は視線を別にやったようだった。

「わたくしの出自に皆さま興味がおありなのですわ」

「それだけじゃない。こういう言い方はどうかと思うけれど……敬遠されていたエドフェルト卿からの夜会の招待に、手紙一つで応じる気にさせる君という女性に、皆興味があるのさ」

「ふふ、それはどうでしょうか」

 嫣然と笑ってみせ、アルヤははぐらかす。

 だが実際に、セタ公爵の言う通りだった。セタ公爵家の騎士団長として務めていてなお、エーギルは他の貴族の家門から敬遠されている。実際に共に戦場に立った騎士や、この場にいるセタ公爵がエーギルに対して普通に接してはいるにもかかわらずだ。

 だというのに、夜会の招待状を送る前に、アルヤが各家門にあらかじめ何度かやり取りした手紙だけで、夜会の招待状に対してほとんどが出席の返事を貰っている。これがアルヤの手腕でなくしてなんだというのだろう。

 今回招待されているのは、セタ公爵を初めとしたエーギルが普段仕事で関わることの多い家門である。騎士たち本人のみならず、家族まで招待に応じてくれたのはただの僥倖ではないのだ。

「とぼけるんだね。まあ、それはおいおい知っていけばいいかな。ライロ嬢、ダンスにお誘いしても?」

 セタ公爵の発言にに、ピリッとした空気が走る。エーギルの手にそっと触れて、アルヤは彼を見上げた。

「エーギル様」

 再びの渋面を作ったエーギルは小さく息を吐く。

「ああ、踊ってくるといい」

「かしこまりましたわ」

 婚約者がいるといえど、ファーストダンス以外は誘われたら応じるものだ。それが主催ならなおさらである。厳密にはアルヤは主催ではないが、エーギルの婚約者としてゲストをもてなす役を担っているから断れない。それは事前にエーギルに説明していたからこその、彼の返答だろう。

「悪いね、エドフェルト卿。婚約者殿を借りるよ」

 そう告げて、セタ公爵はアルヤの手を取り、ダンスの輪へと入っていった。

 踊り始めてすぐに、セタ公爵はアルヤの耳元に唇を寄せて囁きかけてくる。

「婚約者を放って僕と踊ってもよかったの?」

「お客様をダンスでもてなすのも主催の義務ですわ」

「僕とのダンスを義務だなんて言う女性には初めて会ったな」

 くるりとアルヤの身体を回して、まだ腕の中へとセタ公爵は引き寄せる。その顔は悪戯っぽい。きっと彼の言葉は嘘ではないのだろう。ただでさえ鼻筋が通った色のある美しい男だ。そのうえ、輝くような銀の髪に、たっぷりとした銀の睫、そして細められた目から覗く紫の瞳はいかにも彼の麗しさを引き立てている。おまけに身体の均整も取れているとなれば、独身の公爵の身分も相まって彼と踊りたがる令嬢は後を絶たないだろう。

 だが、そんな流し目に一切の動揺も見せずに、アルヤは軽やかに微笑んでみせた。

「まあ。『公爵様に誘われて嬉しかったです』とお答えすればよろしかったのでしょうか」

 もちろんそんなことはないだろう。無礼とも思える言葉に、彼はくすくすと笑った。

「ううん、正直なほうが僕も嬉しいね。ねえ、アルヤ・・・。僕はリクハルド。リクハルド・ヘンリ・セタだよ。君のことが気に入った。僕を名前で呼ぶといい」

 許可も得ずに名前を呼ばれたことに、アルヤはぴくりとも表情筋を動かさず、ほんのりと淑女の微笑みを浮かべたままだ。むしろ、その表情に固定された。

「恐れ多くも公爵様のお名前を呼ぶわけにはまいりませんわ」

「どうして? 君の身分は今、アルヤ・ライロ公爵令嬢だろう? エドフェルト卿との婚約にあたって、陛下が君の身分を戻したと聞いているよ」

 だからこそアルヤは『アルヤ・ライロ』と名乗っているのだ。敗戦国セウラーヴァの公爵家なうえ、没落しているとはいえ、平民の身分のまま嫁ぐよりはましだ。それに『英雄が公女を娶る』という形にするのは対外的に都合がいい。政治的な思惑がたっぷりと含まれた采配である。

「いいえ、公爵様。わたくしはエーギル様に嫁ぐ身。公爵様に慣れ慣れしくするわけには参りません」

 他の男との醜聞を作る訳がない。そういう意味である。けれどアルヤの意図をわかったうえで、リクハルドはなおも言い募る。

「でも僕がその気になれば、なんだって『命じる』ことができるよ。それに男爵から婚約者を取り上げることくらい簡単なの、君にだってわかるでしょう? 僕の機嫌を損ねないほうがいいんじゃないかな?」

「ご冗談がお上手ですわ」

「冗談じゃないさ。ねえ、アルヤ、僕のものにならない?」

 淑女の笑みを貼り付けたまま、アルヤはわずかに小さく息を吐く。もちろん踊る足のステップは軽やかなままだ。

「失礼なことを申し上げてもよろしいですか?」

「なんだい?」 

 楽しそうに目を細めたまま、リクハルドはアルヤを見つめる。熱がこもったその視線をまっすぐに見返したアルヤは、淑女の笑みを深める。 

「セタ公爵様は、どうしてわたくしを試したりなさるんです?」 

「どうしてそう思うの?」 

「だって、公爵様はわたくしに興味なんてないじゃありませんか」 

 途端にリクハルドは面食らった顔になった。 

「ふっふふ……」

 肩を震わせながらひとしきり笑い、ようやくおさまったところでリクハルドは息を吐く。

「参ったね。お見通しか」 

 先ほどまで誘惑するような甘い表情だったのが一転して、楽しそうになる。 先ほどまで美丈夫と評するに相応しかった表情が、急に少年のようである。

(あら、もう取り繕うのをやめられたのね) 

 アルヤは娼婦として過ごしてきた中で、男の嘘なんて簡単に見抜けるようになった。その瞳の奥に、アルヤを狂おしく求めるような情熱があったならば、このダンスに応じたりなんかしなかっただろう。もてなしの義務があるといえども、回避の方法はいくらでもある。けれども、リクハルドが向ける眼差しは終始アルヤへの興味だけなのだ。なのに耳元で甘い声で囁いてみたり、流し目を送ったりと、どうにもおかしい。これが浮き名を流す女誑しならばその目線すら偽ってみせるのだろうが、熱がない。

「そう。婚約者なんて作らなかったエドフェルト卿が急に連れ帰った女性だなんて、どんな悪女だろうってね。陛下があんなに勧めてたのに断り続けてた褒賞の代わりに娼婦を身請けするだなんて、酷い話だろう? そんな魔性の女ってことではなさそうだけど」 

 とんでもない本音を明かし始めたリクハルドに、思わずアルヤはくすくすと笑ってしまう。

(優しい方だわ)

 言っていることは侮辱だと捉えてもおかしくない内容だが、アルヤにとっては事実でしかない。それにどういう理由であれ、エーギルに目をかけているからこそアルヤを試したのだろう。ともすれば自身の悪評を招きかねないような方法でエーギルを守ろうとしたのだ。身体をはってでもエーギルを守ろうとするような人が、エーギルの主なのだ。その事実が嬉しい。

 だから、こんな失礼な発言に対して心からの笑みを浮かべてしまう。

「まあ。それは大事な審議でございますわね。でもわたくしが悪女じゃないだなんて、早計かもしれませんわよ。エーギル様を誑かしてるのは事実ですもの」 

「見たところ、それは単純に君たちが両想いってだけの話なんでしょう?」

 リクハルドもくすくすと笑って答える。

「わかりませんわよ、公爵様はわたくしが今まで、娼婦としてどう過ごしていたのかもご存知なのでしょう?」

「うん。知っているとも。だけど、知ってるからこそかな。エドフェルト卿を悪い意味で誑かそうとするんだったら僕のことだって騙しおおせるでしょう? 君はそんなつもりがないみたいだし、この夜会の状況を見ても素晴らしい女性のようだ」

「まあ、買いかぶりですわ」

「そんなことはないと思うけどね。とにかく、よかったよ」

「ふふ、ありがとうございます」

 口説くつもりのない相手との軽口は楽しい。そんなふうにしてアルヤとリクハルドは話しながら、一曲のダンスを終えた。ダンスの輪から戻ったアルヤを、ずっと見守っていたエーギルが迎えてくれたのだった。
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