【完結】ヒトゥーヴァの娘〜斬首からはじまる因果応報譚〜

花房いちご

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番外編

クレマンの恋 中編

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 元王太子の裁判から半月が経った。

 クレマンはジャンに「元王太子が断種処理をされる前に会いに行く」と、告げた。

 執務室で夜食を食べている最中のことだ。ジャンはあからさまに顔をしかめた。

「明日の昼すぎに時間が取れるから、その時に行こうと思う」

「あの毒女の時もそうでしたが、わざわざ殿下が会ってやる必要はありません」

 毒女とはアレクサンドラのことだ。ジャンは、昔からこう呼んでいた。
 主人を痛め付けた彼女への嫌悪と憎悪は強く、己の手で殺せないことを心から残念に思っている。

「そうだね。でも、あまりにもしつこくて牢番が迷惑しているらしいし、これが最期だから会ってあげるよ。
 ついでに『貴方がたは全てを失った』と教えて差し上げよう。リュミエール嬢にそうしたように。悪趣味かな?」

「そんなことは問題ではありません。奴らの方がよほど悪趣味でした。私は殿下が奴らの悪意にさらされるのが嫌なのです。もう見たくありません」

 側近の心からの言葉に、クレマンの胸が痛む。思えば、ジャンには苦労と心配をかけてばかりだ。

「あと、殿下がわざと煽って暴れさせないかも心配です。いつもやり過ぎなんですよ。治療して後片付けする身にもなって下さい」

 心当たりがあるので気まずい。

「もう必要ないからしないよ」

「本当ですか?」

 疑わしげな問いかけを流しつつ、クレマンは夜食の残りを食べた。


◆◆◆◆◆◆


 翌日。
 クレマンは、最近気に入っている衣装を着た。暗い茶色を基調にし、銀灰色と水色をアクセントにしている。

 そして執務をこなし、予定通りの時刻に地下牢に向かった。

(この衣装の色合い。リュミエール嬢は気づかなかったが、元王太子は流石にわかるだろうか?)

 地下牢に到着した。相変わらず嫌な匂いがする不快な場所だ。
 ジャンが持つランプだけが光源なので、良く見えない。クレマンの衣装も見えにくいだろうから、牢番に全ての灯りをつけさせた。
 鉄格子の向こうにいる元王太子が良く見えるようになった。クレマンは眉をしかめた。

「うぅ……!だ、誰だ?」

 元王太子の艶やかだった金髪は灰色にくすみ、緑がかった碧眼も濁っている。しかも、肌は老人のようにガサガサになっていた。
 それなりに整った顔の男だったというのに、たかが半月で酷い変わりようだ。

(これは不味いな。身体だけは、健康な状態にしておかなければならないのに)

「クレマン!やっと来たか!早くここから出せ!この私をこんな目に合わせた奴らを皆殺しにしてやる!」

「裁判で貴方がたの罪は明らかになったというのに、いまだに理解できていないのですか?」

「罪!?何が罪だ!女を抱いただけだ!死んだ女は勝手に死んだんだ!金だって、あれは国の金だろう!なら王太子である私の金だ!
 私は悪くない!なのに断種だと!?出家だと!?ふざけるな!誰が修道院なんぞに行くか!
 早くここから出せ!私はエカチェリーナの婚約者だ!【帝国】が黙ってないぞ!」

 色々とおかしい考えを叫んでいるが、もう矯正などできないだろう。
 ただ、これだけは訂正しなければ。

「エカチェリーナ皇女殿下とお呼びしなさい。貴方はすでに王太子でも王子でもない。貴族ですらない。もちろん帝国の皇女殿下の婚約者でもない。ただの平民の罪人なのですから。
 罪人の分際で、彼の方を呼び捨てにするなど許されない」

 北方の大国【帝国】の第三皇女エカチェリーナは、元王太子の婚約者だった。
 帝国と王国の和平継続のための政略結婚である。

「私が平民だって!?馬鹿をいうな!大体、私以外の誰がエカチェリーナと婚約すると言うんだ!それに、あの女は私を愛して……」

「皇女殿下です。名前を呼ぶなと言っているのです。この程度のことも理解できないのですか?
 良くこれで王太子を名乗れたものだ。貴方が王位を継いでいれば、王国は滅びたでしょう」

「なっ!?なんだとぉ!?」

 クレマンは、不快な声を笑顔でさえぎった。

「しかしご安心下さい。旧王家は滅びましたが、王国は新王家および新政権の統治により維持されます。
 皇帝陛下も『元王太子との婚約は白紙とし、新しい王太子と婚約を結び直せば良い』とおおせです。
 最も、交渉するのは大変でしたがね」

 帝国だけではない。周辺諸国への根回しには苦労した。

「は?新しい王家?王太子?何を言っている?」

「……本当に、裁判で何を聞いていたんですか?」

 ガシャン!
 元王太子は鉄格子から手を伸ばし叫ぶ。

「うるさい!わけのわからないことを言うな!アレクサンドラの犬が!……ギャアアアアア!」

 ジャンが抜剣し指を切り落とした。

「控えよ罪人!このお方こそ、新王家ブリュイアールの第一王子にして、我が王国の王太子クレマン・ジーク・ブリュイアール殿下である!」

 ジャンの堂々たる名乗りに、クレマンはやや呆れ顔となった。

「立太子はまだだよ。気が早いな」

「早くないです。すでに公務もこなされているではないですか」

「第一王子の公務だ。情報は正確に伝えなければならないよ」

「な、お、お前、お前が……!?た、たかが侯爵令息がふざけ……ぐぎゃ!?」

 元王太子の足に剣が刺さる。ジャンはすぐに剣を抜き、クレマンにかからないよう血を払った。元王太子は見苦しくのたうちまわり叫ぶ。

「ぎゃああ!いだいいぃっ!死ぬ!殺されるうう!」

「こら、やり過ぎだよ。指を拾って、回復魔法をかけてやりなさい。ラクロワ修道院の皆様がお待ちなのだから」

「かしこまりました。……癒しの光よ。この者に降り注げ」

「ぎいぃ……!いでえぇ……!……うぅ……」

 ジャンは貴重な回復魔法使いなのだ。魔法によって、元王太子の指はくっつき、足の怪我も治った。
 ボロボロだった髪と肌も少しマシになる。

「後は栄養状態を改善すればいいかな」

「それで問題ないかと」

「よかった。ラクロワ修道院からは『ある程度は健康的な状態で引き渡して欲しい』と、言われているから焦ったよ。
 元王太子殿、ラクロワ修道院でどんな歓迎を受けるか楽しみですね」

「は?か、歓迎?修道院が?」

 この後におよんで何も理解していない。笑ってしまう。

「ラクロワ修道院。この名を聞いて気づきませんでしたか?貴方が取り巻きを使って、無理矢理押さえ込んで辱めた令嬢の家名です。
 ラクロワ修道院は、かの家が設立し運営しているのですよ。
 身持ちが固く清廉だった令嬢は自害した。失意した父親は嫡男に跡目を譲り、出家して修道院長に就任した。他にも、貴方の被害者とその身内がいるそうですよ。
 ここまで言えば、流石にお分かりですか?」

 元王太子の顔が一気に青ざめ、ガタガタ震え出す。

「ご安心ください。彼らは敬虔な信徒です。

 事故を装って殺されるか、生かさず殺さず虐待するか。どう考えても地獄が待っている。

「た、助けてくれ!頼む!」

 クレマンは、意味不明な言葉に本気で首を傾げた。

「リュミエール嬢もそうでしたが、何故、私が貴方を助けると思ってるんですか?」

「は?な、なぜ?あ、あんなにお前を取り立ててやったじゃないか!学友にしてやったし、仕事だって与えてやったし、なによりアレクサンドラを紹介してやった!」

「貴方といるのは不快でした」

「は?」

「低俗で愚かで下品で色狂いの貴方といるのは不快でした。
 学友になったのも、宰相補佐をしていたのも、貴方の口利きではありません。父の意向です。
 そしてリュミエール嬢との婚約は人生最大の過ちで汚点です。……ああ、これは違いますね」

 クレマンは、氷のように冷たい水色の瞳で元王太子を見て、形の良い唇を嘲りに歪めた。

「人生最大の過ちは、もっと早く旧王家とリュミエール公爵家を滅ぼさなかったことです。
 そうすれば、苦しむ民はもっと少なくて済んだ」

(元王太子から守れたのは一握りだ。ほとんどが、ラクロワ子爵令嬢のように歯牙にかけられた。
 計画が大詰めになった時期は、守ろうとすることすらできなかった。
 これは私の罪だ。
 一生背負う後悔だ)

 クレマンは内心で噛み締めた。

「下民なんぞどうでもいい!私を助けろ!エカチェリーナに連絡しろ!あの従順な女は私を助けるはずだ!」

 最後にこれだけは言っておこうと告げる。

「エカチェリーナ皇女殿下からは、お手紙で『クレマン殿と婚約できて嬉しく思います』と、お伝え頂いております」

(あの手紙は嬉しかった。何度も読み返している。私もずっと、エカチェリーナ皇女殿下と婚約できたらと夢見ていた)

 脳裏に、恋焦がれて止まない貴人の姿が浮かぶ。
 濃い茶色の巻毛、理知的な輝きを放つ灰色の瞳。物静かに見えて意志の強い、クレマンが愛する女性の姿が。

「なっ!?そ、そんなはずはない!あの女は私を愛している!何を言っても言い返さず、怒らず、常に従順だった!」

「彼の方は、貴方との婚約を心底嫌がっていました。だから助けは来ませんし、手紙の一通すら届かないんです。
 ああ、ご心配なく。彼の方のことは私にお任せ下さい。どこぞの元婚約者と違い、誠実に接するとお約束します。
 元王太子殿におかれましては、心置きなく残りの人生を贖罪と後悔で消費して下さい」

 聞き苦しい喚き声を背に、クレマンは地下牢から去った。 

(結局、この衣装がエカチェリーナ皇女殿下の色だと気づかなかったな。
 最初から最後まで不誠実な男だ。
 なのに愛されてると思っていたのだから滑稽だ)


 ◆◆◆◆◆


 地下牢を出た。クレマンは、王城の廊下を歩きながらジャンに聞く。

「それにしても不思議だ。どうして、彼らは私が助けると思ったんだろうか?」

 ジャンはしばらく考えてから答えた。

「クレマン殿下の演技がお上手だからですよ。何をしても従順で忠誠心のあつい家臣だと、本気で信じていたのでしょう」

「なるほど。確かに、細心の注意を払って演技していたからな

「まあ、一番の原因は殿下の笑顔ですね」

「私の笑顔?」

「ええ。【地上に舞い降りた天使】【空百合シエルスの君】などとたとえられるほど麗しいですから。
 まさか苛烈で厳格な一面をもっているなんて、誰も想像できないですよ」

 空百合とは、王国原産の百合だ。淡い水色の花を夏に咲かせるので、この名がついている。

「ちょっと待ってくれ。私は、まだその恥ずかしいたとえで呼ばれているのか?もう20歳だぞ」

 ジャンはニヤニヤ笑いながら頷いた。

「はい。殿下の柔らかな笑顔は天使そのもの。華やかな美貌は空百合のごとしですから」

「やめてくれ!……元王太子を煽ったのは悪かった。腹が立って、つい」

「おわかり頂けて幸いです。しかし、【空百合の君】と呼ばれるのは満更でもないのでは?
 初恋の君から……」

「ジャン!いい加減にしろ!」

 クレマンはぎゃあぎゃあと騒ぎつつ、過去を振り返った。



 ◆◆◆◆◆


 あれは6年前。クレマンが13歳の頃、陽射しの眩しい夏のある日のことだ。
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