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第1部
番外編 初めてのクッキーを貴方と
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お久しぶりです。
アドリアン視点で、穏やかな秋の話です。
◆◆◆◆◆
汗の滴る夏は過ぎ、冷たく乾いた風が吹く季節となった。
俺、ミゼール領辺境騎士団団長アドリアン・ベルダールは中庭がよく見える部屋でそわそわしていた。
そう、そわそわだ。こんなに落ち着かないのは、初陣で魔獣に襲われた時以来だろうか?
「はあ……」
椅子に腰掛けたまま、机の上に置かれた花籠を見る。俺が摘んだ秋薔薇が目を楽しませてくれる。だが、落ち着かない。
目を転じ、中庭を眺める。色づき出した木々を風が揺らしている。晴れた空には鳥の影。清々しい景色だが、やはり落ち着かない。
部屋の出入り口を見てしまう。
「ルティとルティのクッキーはまだだろうか?」
この場にシアンがいれば確実に「鬱陶しいですよ。団長閣下」と言われるだろう言葉を吐きながら、俺は期待と緊張で浮き立っていた。
ルティ。最愛の婚約者の手作りクッキーが、やっと食べられるのだ。
◆◆◆◆◆
あれは、春の終わりのことだった。
ルティのポーションが瘴気を浄化できるとわかった、あの驚くべき遠征から帰還した日のことだ。
その日は休養日だった。ルティは、シアンたちとお茶会をしていたそうだ。
俺がルティに会いに行った時。茶器などは片付けられていたが、甘い香りが残っていた。
ルティがミゼール城で穏やかに日々を過ごせているのが良くわかり、俺は嬉しかった。
ルルティーナ嬢は、どのように過ごされたのだろうか。
詳しく聞きたかったが、その場では聞けなかった。【新特級ポーション】の効力と今後の対応についてを話さなければならなかったのだ。
だからその夜、シアンが報告に来た時に聞いたのだが……。
「ルルティーナ嬢の手作りクッキー……だと?」
ミシッ!手の力を緩める。思わず椅子の肘掛けを握り潰すところだった。
シアンは直立不動のまま、にっこりと微笑んだ。
「ええ。しかも初めて作った手作りクッキーです。とっても美味しゅうございました」
「な、なんて貴重な!俺の分は残しているんだろうな?」
「ありません。お茶会で全て頂きました」
「シアン貴様あ!俺が今日帰還するとわかっていただろうが!」
俺の身体を中心に冷気があふれる。シアンの侍女のお仕着せの裾が凍ったが、ハッと笑われると同時に砕け散った。
つくづく腹が立つ部下だ。
「お茶会出席者の特権です。見苦しい嫉妬はおやめください。それにルルティーナ様はお優しいお方です。閣下がお願いすればクッキーを焼いて下さりますよ」
「しかし!ルルティーナ嬢の初めてだったんだぞ!」
「誤解を招く言い方はおやめください。器の小さい嫉妬狂い閣下」
「シアン!口が過ぎるぞ!」
我ながら見苦しくわめいたが、ルティが初めて作ったクッキーを口にすることは出来なかった。
それどころか、クッキーを焼いてもらう機会も無い。
【新特級ポーション】の効力の確認と報告、国王陛下への謁見と宮廷舞踏会への参加準備、ルティの人生を憂いなきものにする為の準備。さらに、通常業務もある。
俺もルティも、ついでにシアンも忙しかった。
休養日が無くなるほどではなかったが、かと言って「俺のためにクッキーを焼いて欲しい」と、軽々しく言える状況ではない。
そんな中、ルティからクッキーをもらった。
ただしそのクッキーは、ミゼール城の料理長たちが孤児院と開墾地に配るために作ったものだった。ルティは息抜きを兼ねて包装を手伝ったのだという。料理長は、包装の礼に予備をいくつか渡した。
ルティはそれを俺にくれたのだ。日頃の感謝と労いだと言って。
俺は嬉しくて天に昇る心地だった。当然、美味しく頂いた。だが……クッキーを作ったのは料理長たちだ。ルティは型抜きすらしていない。
料理長たちには悪いが、ルティの手作りクッキーへの憧れは余計に強くなった。
悶々としている内に時がすぎて行く。
王家との謁見、宮廷舞踏会、ルティと俺にまつわる様々な問題が解決し……俺たちの想いは通じ合い、婚約者になった。
薔薇色の人生とはこのことだ。俺たちはさらに親しくなり、ミゼール城に帰還して幸せに暮らしていた。
そして、婚約者になったことで手作りクッキーをねだりやすくなった……のだが、やはり俺もルティも多忙を極めていた。
俺もルティも仕事内容は多岐にわたる。しかも、帰還前より明らかに増えた。おまけに婚約式の準備まであるのだ。
まさか、王妃陛下こと母上が参加を希望するとは……いや、お気持ちは嬉しいが。
休養日はしっかり取るようにしているが、こんな状況ではやはり「ルティの手作りクッキーが食べたい。俺だけのために焼いてくれ」とは言えない。
俺は願望を心の片隅に追いやった。
そして、ミゼール城に帰還して一カ月後。ようやく願望を叶える機会が回ってきたのだ。
昨夜。ルティとの晩餐の席、食後の茶を飲んでいる時だった。
俺もルティも、翌日から三日間の休養日を取ることになっている。その話題になった。
「久しぶりにゆっくりできるな。ルティは、何かしたいことや行きたい場所はあるだろうか?」
ルティはぽっと頬を染めた。
「私はドリィと二人でお茶会がしたいです」
「っ!そ、そうか」
あまりの可憐さに息が止まりかけたが、気合いで耐える。
二人でお茶会か。俺たちの出会いもお茶会だったからか、なんだか特別な響きがする。
「俺もルティとお茶会がしたい。明日でいいだろうか?茶菓子の準備は俺が……」
「い、いえ!」
ルティはハッとした顔になって声を上げ、さらに頬を染めた。
「お、お茶菓子の準備は私がします。あの……ドリィに私が焼いたクッキーを食べてもらいたいの」
「っ!」
今度は耐えられず息が止まった。だいぶ砕けて話せるようになったルティの可愛さと、俺にクッキーを食べさせたいと言ってくれた喜びで。
ルティの背後にいるシアンが「情け無い顔ですね。恋ボケ閣下」と、口の動きだけで伝えてきたがどうでもいい。
「君の手作りクッキーが食べられるなんて最高だ!楽しみにしている!」
「本当?嬉しいわ。頑張って作るわね」
ルティの花のような笑顔と言ったら!俺は手土産に、ルティに相応しい花を用意しようと決めた。
ルティは、俺が花を摘んで捧げると喜ぶのだ。
今朝摘んだ秋薔薇は、薄紅にほんの少し茶色が混じった色合いだ。控え目な香りと相まって、雪のように無垢な銀髪と、愛らしい薄紅色の瞳のルティに相応しい。
蔦と白い小花をアクセントにしてまとめてみたが、ルティに気に入ってもらえるだろうか?
俺はそわそわしながらまた出入り口を見て、背筋を伸ばした。
すると、人の気配と微かな音が聞こえた。二人分の足音。ワゴンが床を進む音。
ルティとシアンだろう。
心待ちにしていた来訪にワクワクしながら待つ。
しばらくして、扉を叩く音とルティが入室の許可を求める声がした。
「どうぞ」
「はい。……まあ!綺麗な花籠!これはドリィが用意してくれたの?」
「閣下にしては気が利いていますね」
「喜んでもらえて嬉しいよ。今朝、摘んだんだ。……シアン、一言余計だ」
ルティの笑顔に癒されつつ、シアンに釘を刺す。傍若無人な部下は片眉を上げ、茶菓子の準備をするばかり。
共に作業するルティには満面の笑みだ。
……一応、俺が主のはずなんだがな。
まあ、ルティを大切にしてくれているのはありがたい。
考えているうちに、香り高い紅茶のカップと取り皿と……ルティが作ったであろうクッキーが置かれた。
一気に目が釘付けになる。
クッキーは三種あるようだ。銀の大皿に美しく並べられている。
丸くて赤いジャムが乗ったもの、四角くて薄緑の粒が入ったもの、ゴツゴツしているナッツが入ったもの。
「それでは、私は扉の外に控えております。なにかございましたらお申し付けください」
「ええ。ありがとう。シアン」
「ああ」
扉を少し開けた状態とはいえ、俺とルティの二人きりになった。幸せだ。
「ルティ、さっそくだがクッキーを頂いてもいいだろうか?」
「もちろんです。お口に合えばいいのだけど……」
ルティがケーキトングで取り分けようとするのを制し、俺にやらせてもらう。
各種三枚ずつ取り分けていただく。まずは赤いジャムクッキーだ。
噛んだ瞬間、甘酸っぱい香りとバターの風味が広がる。甘味が強い果肉が少し残ったジャムと、控え目な甘さでサクサク生地が調和している。
薄紅の瞳が心配そうに俺を見ていたが、それは杞憂だ。お世辞抜きに美味い。
「とても美味しいよ。ジャムは木苺だろうか?」
ぱぁっと、ルティの顔が綻ぶ。
「嬉しいわ!ええ!ジャムは木苺で、そのジャムもクッキー生地も私が作ったの!」
「ルティが?それは凄いな。よけい美味しく感じるよ」
ジャムも手作りだなんて凄い。ルティは天才だ。
紅茶を飲みながら詳しく聞くと、薬草の研究をするうちに薬草茶作りに興味が出て、さらに料理への興味も強くなっていったそうだ。
「四角いクッキーは、ローズマリーとすり下ろしたチーズを入れてるの」
「どれどれ……ああ、塩気が利いていて香りがいいな。酒にも合いそうだ」
騎士団の辛党連中も好きそうな味だ。一枚たりとも渡さないが。
紅茶で口の中を流し、三種目に手を伸ばす。
パキッ。カリッと、香ばしいナッツの香りと……。
「蜂蜜の甘さ……懐かしい。ルティ、ひょっとしてこれは……」
ブルーエの母の味と良く似ている。ルティは嬉しそうに頷いた。
「ブルーエ男爵夫人に、ナッツ入り蜂蜜クッキーのレシピを教えて頂いたの。ドリィはブルーエ男爵家にあまり帰れてないと聞いてるから、作ったら喜んでもらえるかもと思って……」
ブルーエの母の故郷は養蜂が盛んで、よく蜂蜜が送られてきた。その蜂蜜を使った菓子や料理は、俺の実家の味だ。
「ルティ……」
久しぶりに食べた味、そしてルティの想いに胸が熱くなる。素直な言葉が出た。
「ありがとう。今まで食べたクッキーの中で一番美味しいよ。それに、君の気持ちが嬉しい」
「よかった……」
ホッとした様子で、ルティもまたクッキーを食べ始めた。
「誰かの為に料理をするのも、クッキーを生地から作ったのも初めてなの。ドリィに私の初めてをあげれてよかったわ」
ドリィに私の初めてをあげれてよかったわ。
俺の意識は虚空に飛んだ。飛んだ先で、俺とルティは純白の婚礼衣装を着て教会で愛を誓……。
「ドリィ?どうしたの?」
「はっ!い、いや、何でもない。嬉しくて気絶しかけただけだ」
落ち着け俺!ルティは純粋な気持ちで言ってくれているんだ!邪念よ去れ!
「まあ!大袈裟よ!これからも沢山、私の初めてをあげるのに……ドリィ?どうしたの?また固まってしまって……ひょっとして何か病気!?大変!シアン!こっちに来て!」
俺は情け無いことに「何やってるんですか。恋ボケ腑抜け閣下」と、シアンから叩かれるまで意識を飛ばしたのだった。
おしまい
アドリアン視点で、穏やかな秋の話です。
◆◆◆◆◆
汗の滴る夏は過ぎ、冷たく乾いた風が吹く季節となった。
俺、ミゼール領辺境騎士団団長アドリアン・ベルダールは中庭がよく見える部屋でそわそわしていた。
そう、そわそわだ。こんなに落ち着かないのは、初陣で魔獣に襲われた時以来だろうか?
「はあ……」
椅子に腰掛けたまま、机の上に置かれた花籠を見る。俺が摘んだ秋薔薇が目を楽しませてくれる。だが、落ち着かない。
目を転じ、中庭を眺める。色づき出した木々を風が揺らしている。晴れた空には鳥の影。清々しい景色だが、やはり落ち着かない。
部屋の出入り口を見てしまう。
「ルティとルティのクッキーはまだだろうか?」
この場にシアンがいれば確実に「鬱陶しいですよ。団長閣下」と言われるだろう言葉を吐きながら、俺は期待と緊張で浮き立っていた。
ルティ。最愛の婚約者の手作りクッキーが、やっと食べられるのだ。
◆◆◆◆◆
あれは、春の終わりのことだった。
ルティのポーションが瘴気を浄化できるとわかった、あの驚くべき遠征から帰還した日のことだ。
その日は休養日だった。ルティは、シアンたちとお茶会をしていたそうだ。
俺がルティに会いに行った時。茶器などは片付けられていたが、甘い香りが残っていた。
ルティがミゼール城で穏やかに日々を過ごせているのが良くわかり、俺は嬉しかった。
ルルティーナ嬢は、どのように過ごされたのだろうか。
詳しく聞きたかったが、その場では聞けなかった。【新特級ポーション】の効力と今後の対応についてを話さなければならなかったのだ。
だからその夜、シアンが報告に来た時に聞いたのだが……。
「ルルティーナ嬢の手作りクッキー……だと?」
ミシッ!手の力を緩める。思わず椅子の肘掛けを握り潰すところだった。
シアンは直立不動のまま、にっこりと微笑んだ。
「ええ。しかも初めて作った手作りクッキーです。とっても美味しゅうございました」
「な、なんて貴重な!俺の分は残しているんだろうな?」
「ありません。お茶会で全て頂きました」
「シアン貴様あ!俺が今日帰還するとわかっていただろうが!」
俺の身体を中心に冷気があふれる。シアンの侍女のお仕着せの裾が凍ったが、ハッと笑われると同時に砕け散った。
つくづく腹が立つ部下だ。
「お茶会出席者の特権です。見苦しい嫉妬はおやめください。それにルルティーナ様はお優しいお方です。閣下がお願いすればクッキーを焼いて下さりますよ」
「しかし!ルルティーナ嬢の初めてだったんだぞ!」
「誤解を招く言い方はおやめください。器の小さい嫉妬狂い閣下」
「シアン!口が過ぎるぞ!」
我ながら見苦しくわめいたが、ルティが初めて作ったクッキーを口にすることは出来なかった。
それどころか、クッキーを焼いてもらう機会も無い。
【新特級ポーション】の効力の確認と報告、国王陛下への謁見と宮廷舞踏会への参加準備、ルティの人生を憂いなきものにする為の準備。さらに、通常業務もある。
俺もルティも、ついでにシアンも忙しかった。
休養日が無くなるほどではなかったが、かと言って「俺のためにクッキーを焼いて欲しい」と、軽々しく言える状況ではない。
そんな中、ルティからクッキーをもらった。
ただしそのクッキーは、ミゼール城の料理長たちが孤児院と開墾地に配るために作ったものだった。ルティは息抜きを兼ねて包装を手伝ったのだという。料理長は、包装の礼に予備をいくつか渡した。
ルティはそれを俺にくれたのだ。日頃の感謝と労いだと言って。
俺は嬉しくて天に昇る心地だった。当然、美味しく頂いた。だが……クッキーを作ったのは料理長たちだ。ルティは型抜きすらしていない。
料理長たちには悪いが、ルティの手作りクッキーへの憧れは余計に強くなった。
悶々としている内に時がすぎて行く。
王家との謁見、宮廷舞踏会、ルティと俺にまつわる様々な問題が解決し……俺たちの想いは通じ合い、婚約者になった。
薔薇色の人生とはこのことだ。俺たちはさらに親しくなり、ミゼール城に帰還して幸せに暮らしていた。
そして、婚約者になったことで手作りクッキーをねだりやすくなった……のだが、やはり俺もルティも多忙を極めていた。
俺もルティも仕事内容は多岐にわたる。しかも、帰還前より明らかに増えた。おまけに婚約式の準備まであるのだ。
まさか、王妃陛下こと母上が参加を希望するとは……いや、お気持ちは嬉しいが。
休養日はしっかり取るようにしているが、こんな状況ではやはり「ルティの手作りクッキーが食べたい。俺だけのために焼いてくれ」とは言えない。
俺は願望を心の片隅に追いやった。
そして、ミゼール城に帰還して一カ月後。ようやく願望を叶える機会が回ってきたのだ。
昨夜。ルティとの晩餐の席、食後の茶を飲んでいる時だった。
俺もルティも、翌日から三日間の休養日を取ることになっている。その話題になった。
「久しぶりにゆっくりできるな。ルティは、何かしたいことや行きたい場所はあるだろうか?」
ルティはぽっと頬を染めた。
「私はドリィと二人でお茶会がしたいです」
「っ!そ、そうか」
あまりの可憐さに息が止まりかけたが、気合いで耐える。
二人でお茶会か。俺たちの出会いもお茶会だったからか、なんだか特別な響きがする。
「俺もルティとお茶会がしたい。明日でいいだろうか?茶菓子の準備は俺が……」
「い、いえ!」
ルティはハッとした顔になって声を上げ、さらに頬を染めた。
「お、お茶菓子の準備は私がします。あの……ドリィに私が焼いたクッキーを食べてもらいたいの」
「っ!」
今度は耐えられず息が止まった。だいぶ砕けて話せるようになったルティの可愛さと、俺にクッキーを食べさせたいと言ってくれた喜びで。
ルティの背後にいるシアンが「情け無い顔ですね。恋ボケ閣下」と、口の動きだけで伝えてきたがどうでもいい。
「君の手作りクッキーが食べられるなんて最高だ!楽しみにしている!」
「本当?嬉しいわ。頑張って作るわね」
ルティの花のような笑顔と言ったら!俺は手土産に、ルティに相応しい花を用意しようと決めた。
ルティは、俺が花を摘んで捧げると喜ぶのだ。
今朝摘んだ秋薔薇は、薄紅にほんの少し茶色が混じった色合いだ。控え目な香りと相まって、雪のように無垢な銀髪と、愛らしい薄紅色の瞳のルティに相応しい。
蔦と白い小花をアクセントにしてまとめてみたが、ルティに気に入ってもらえるだろうか?
俺はそわそわしながらまた出入り口を見て、背筋を伸ばした。
すると、人の気配と微かな音が聞こえた。二人分の足音。ワゴンが床を進む音。
ルティとシアンだろう。
心待ちにしていた来訪にワクワクしながら待つ。
しばらくして、扉を叩く音とルティが入室の許可を求める声がした。
「どうぞ」
「はい。……まあ!綺麗な花籠!これはドリィが用意してくれたの?」
「閣下にしては気が利いていますね」
「喜んでもらえて嬉しいよ。今朝、摘んだんだ。……シアン、一言余計だ」
ルティの笑顔に癒されつつ、シアンに釘を刺す。傍若無人な部下は片眉を上げ、茶菓子の準備をするばかり。
共に作業するルティには満面の笑みだ。
……一応、俺が主のはずなんだがな。
まあ、ルティを大切にしてくれているのはありがたい。
考えているうちに、香り高い紅茶のカップと取り皿と……ルティが作ったであろうクッキーが置かれた。
一気に目が釘付けになる。
クッキーは三種あるようだ。銀の大皿に美しく並べられている。
丸くて赤いジャムが乗ったもの、四角くて薄緑の粒が入ったもの、ゴツゴツしているナッツが入ったもの。
「それでは、私は扉の外に控えております。なにかございましたらお申し付けください」
「ええ。ありがとう。シアン」
「ああ」
扉を少し開けた状態とはいえ、俺とルティの二人きりになった。幸せだ。
「ルティ、さっそくだがクッキーを頂いてもいいだろうか?」
「もちろんです。お口に合えばいいのだけど……」
ルティがケーキトングで取り分けようとするのを制し、俺にやらせてもらう。
各種三枚ずつ取り分けていただく。まずは赤いジャムクッキーだ。
噛んだ瞬間、甘酸っぱい香りとバターの風味が広がる。甘味が強い果肉が少し残ったジャムと、控え目な甘さでサクサク生地が調和している。
薄紅の瞳が心配そうに俺を見ていたが、それは杞憂だ。お世辞抜きに美味い。
「とても美味しいよ。ジャムは木苺だろうか?」
ぱぁっと、ルティの顔が綻ぶ。
「嬉しいわ!ええ!ジャムは木苺で、そのジャムもクッキー生地も私が作ったの!」
「ルティが?それは凄いな。よけい美味しく感じるよ」
ジャムも手作りだなんて凄い。ルティは天才だ。
紅茶を飲みながら詳しく聞くと、薬草の研究をするうちに薬草茶作りに興味が出て、さらに料理への興味も強くなっていったそうだ。
「四角いクッキーは、ローズマリーとすり下ろしたチーズを入れてるの」
「どれどれ……ああ、塩気が利いていて香りがいいな。酒にも合いそうだ」
騎士団の辛党連中も好きそうな味だ。一枚たりとも渡さないが。
紅茶で口の中を流し、三種目に手を伸ばす。
パキッ。カリッと、香ばしいナッツの香りと……。
「蜂蜜の甘さ……懐かしい。ルティ、ひょっとしてこれは……」
ブルーエの母の味と良く似ている。ルティは嬉しそうに頷いた。
「ブルーエ男爵夫人に、ナッツ入り蜂蜜クッキーのレシピを教えて頂いたの。ドリィはブルーエ男爵家にあまり帰れてないと聞いてるから、作ったら喜んでもらえるかもと思って……」
ブルーエの母の故郷は養蜂が盛んで、よく蜂蜜が送られてきた。その蜂蜜を使った菓子や料理は、俺の実家の味だ。
「ルティ……」
久しぶりに食べた味、そしてルティの想いに胸が熱くなる。素直な言葉が出た。
「ありがとう。今まで食べたクッキーの中で一番美味しいよ。それに、君の気持ちが嬉しい」
「よかった……」
ホッとした様子で、ルティもまたクッキーを食べ始めた。
「誰かの為に料理をするのも、クッキーを生地から作ったのも初めてなの。ドリィに私の初めてをあげれてよかったわ」
ドリィに私の初めてをあげれてよかったわ。
俺の意識は虚空に飛んだ。飛んだ先で、俺とルティは純白の婚礼衣装を着て教会で愛を誓……。
「ドリィ?どうしたの?」
「はっ!い、いや、何でもない。嬉しくて気絶しかけただけだ」
落ち着け俺!ルティは純粋な気持ちで言ってくれているんだ!邪念よ去れ!
「まあ!大袈裟よ!これからも沢山、私の初めてをあげるのに……ドリィ?どうしたの?また固まってしまって……ひょっとして何か病気!?大変!シアン!こっちに来て!」
俺は情け無いことに「何やってるんですか。恋ボケ腑抜け閣下」と、シアンから叩かれるまで意識を飛ばしたのだった。
おしまい
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