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第2部
第2部 4話 西の辺境伯家
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国王陛下の使者様との謁見は終わり、私たちはドリィの執務室に移動しました。
重苦しい空気の中、私、ドリィ、シアンはテーブルを挟んでソファに座りました。
テーブルの上には、先ほど受け取った書簡があります。
私の対面に座るドリィが、険しい顔で書簡を睨んでいます。怒りと共に冷気が滲み出ていて、執務室の中は冬のようです。
現実逃避気味に「謁見のために着替えて良かったわ」と考えました。
あのオペラピンクのワンピースは、軽やかで素敵ですが使者様に対し威厳を示せません。シアンに手伝ってもらい、ポーション職人長の衣装を着て髪を結い上げてもらいました。
ドリィも、いつもの黒い騎士装束姿です。
騎士装束で怒っているドリィ。雄々しさが増して……素敵。
内心でうっとりしていると、ドリィが重い口を開きました。
獣の唸りのような荒い声が響きます。
「【アドリアン・ベルダール辺境伯とルルティーナ・プランティエ伯爵の婚約は無効だ。プランティエ伯爵の婚約者は自分なのだから】か。ふざけた野郎だ」
「全くです。団長閣下とルルティーナ様の仲に割り込むなど……許されざる暴挙です。然るべき報いが必要です」
私の隣に座るシアンが同意します。こちらもかなり険しい顔で怒っています。
反面、私はそこまで怒っていません。
確かに私も、書簡を読んで驚き腹を立てましたが、二人が激怒しているせいか冷静さを取り戻せました。
それに。
「二人とも落ち着いて下さい。貴族院は訴えを退けたとありますよ」
そうです。訴えは事実無根として、すでに退けられたのです。
「だが、奴が君に求婚するのは禁じないと書いてある。君と奴の間に縁談があったことは事実であり、俺たちの婚約証明書が発行される前だから法的には問題ないと言ってな。
このふざけた野郎……パーレス・グルナローズは【秋実の大祭】で君に接触してくるだろう」
「無茶苦茶な話です。婚約が結ばれた事が無いどころか、一度も会ったことも手紙のやり取りもしたことがないのに」
思わず溜め息が出ました。
パーレス・グルナローズ様。
西の辺境をあずかるグルナローズ辺境伯の三男だそうです。
令息ご本人のことは一切知りませんが、グルナローズ辺境伯家のことは知識として知っています。
グルナローズ辺境伯家は歴史も古く、王族の降嫁を何度も受け入れている高貴な血筋です。
ルビィローズ公爵家と領地が近いこともあり関係が深く、ルビィローズ公爵の派閥だったアンブローズ侯爵家とも交流がありました。
ここからは私の知らなかった話です。
先代のアンブローズ侯爵とグルナローズ辺境伯……つまり私のお祖父様とグルナローズ令息のお祖父様は、特に親しかったそうです。
グルナローズ辺境伯家には、余っている爵位が幾つかあるので『いずれ互いの孫を婚約させよう』と、縁談が持ち上がりました。
これが、令息が主張する婚約の根拠です。どう考えても縁談未満の話としか思えませんが……。
時は流れて、先代アンブローズ侯爵は亡くなります。ですが、二つの家が結びつくのは政略的にも利点が多いので、縁談自体は無くなりませんでした。
グルナローズ辺境伯は、アンブローズ侯爵家次女の私を三男の婚約者にと申し出ていたそうです。
しかし、元アンブローズ侯爵は渋りました。
蔑んでいた『魔力無し』の私を、他家に関わらせたくなかったのかと思いましたが……。
不仲だった父親の要望通りに婚約させたくなかったそうです。
……つくづく、親子の縁が切れてよかったです。
ともかく、元アンブローズ侯爵が渋っている間に【蕾のお茶会】での事件があり、完全に流れたのだそうです。
事情はわかりましたが、不思議です。
「グルナローズ辺境伯令息は、どうして今さら私との縁談を持ち出したのでしょう?私と婚約しても何の利もありませんのに」
「え?ルティ、本気で言っているのかい?」
「ご興味のない事柄ですから、忘れてしまわれたのでしょうか」
あら?二人が頭を抱えてしまいました。私は何を忘れているのでしょうか?
「ルルティーナ様、貴女様は【特級ポーション】のレシピ開発者であり、この世で唯一【新特級ポーション】を作成できるポーション職人です。
しかも、陛下からプランティエの家名と伯爵位を賜られています」
ハッと気づきました。忘れていました。ドリィが苦笑いを浮かべます。
「君が国内外から注目される重要人物で、計り知れない価値を持つ女性だと思い出してもらえたかな?」
「はい……。お恥ずかしいです……」
もしここに義母様がいたら叱られていたでしょう。いけませんね。我ながら自覚が薄いですし、常識や社交界の動向に疎過ぎます。
立派なミゼール辺境伯夫人になるためにもしっかりしなければ!
「後はグルナローズ辺境伯家の都合だな。あの家は今、大変なことになっているから」
「どういうことで……」
ふと、気づきました。
グルナローズ辺境伯家は、ヴェールラント王国の西の辺境伯。ミゼール領と共に【帝国】との境界を護る家。
そしてルビィローズ公爵家とアンブローズ侯爵家と親しかった……。
「グルナローズ辺境伯家も【特級ポーション】の密輸に関わっていたのですか?」
「俺たちも国もそれを疑ったよ。
しかし調査と取り調べの結果、彼らは関わっていないことが判明した」
「そうでしたか。疑って申し訳ないです」
「だが、無関係だった。それこそが問題だ」
「え?」
「【帝国】への密輸ルートはグルナローズ辺境伯領を通過していた。
国境を護る役目を担う辺境伯家が、前ルビィローズ公爵の陰謀を長年に渡って見抜けなかった。大きな失態だ。当然、責任を追及する声も大きかった」
「ああ、言われてみれば。ですが、【夏星の大宴】の後も、グルナローズ辺境伯家にはお咎めはありませんでしたよね。辺境伯のご功績が大きかったからでしょうか?」
「いや、【帝国】と戦が無くなって久しい。彼自身に特筆するような功績はない」
「では……」
私はこれまで学び、収集した情報を脳裏に浮かべて考え、答えを導き出しました。
「王妹殿下が降嫁された家だからでしょうか?」
「正解だ。初めはグルナローズ辺境伯を適当な罪で裁いて処刑し、辺境伯家は男爵まで降爵させるはずだった。
もちろん領地や財産も最低限を残して没収だ。所有している他の爵位も取り上げるはずだった。だが……複数の臣下から反対が出た。
彼らの主張はこうだ『歴史ある名家であり、王妹殿下が降嫁され、パーレスら複数の王位継承者がいる家に対して罪が重すぎる』」
王妹殿下……グルナローズ辺境伯夫人は、妖精姫とも呼ばれる非常に人気があるお方です。
また、子沢山でも有名です。
「現在のヴェールラントは王族が少ない。もちろん公爵家などは王族の血を引いているが、グルナローズ辺境令息たちほど直系に近くはない。
『ある程度の罰を与えるとしても、王位継承者に相応しからぬ爵位に落とすのはもってのほか』とのことだ。
両陛下と議会の半数は厳罰を望んだが、王族が少ないのは事実。結局、間をとることになった」
グルナローズ辺境伯は、表向きは病を得て引退したこととなりました。実態は幽閉で、数年後に毒杯を賜ることが決まっているそうです。
辺境伯家は嫡男が継ぎ、グルナローズ辺境伯夫人はそのまま暮らすそうです。
シアンが説明を加えます。
「一見すると甘い罰にみえますが、そうとも限りません。
国からの厳しい監視と指導を受けることが義務づけられましたし、財産も自由には使えなくなりました。国境警備も領地経営も代官が行うので、辺境伯といえども形だけです。
さらに、グルナローズ辺境伯家が所有していた爵位のうち、辺境伯位以外は全て没収となりました」
「その結果、路頭に迷うことになったのが嫡男以外の子女たちだ。だからパーレスは、かつて君と縁談があったことを持ち出して訴えたのだろう。
厄介なのは、パーレスを後押しする者たちがいることだ」
重苦しい空気の中、私、ドリィ、シアンはテーブルを挟んでソファに座りました。
テーブルの上には、先ほど受け取った書簡があります。
私の対面に座るドリィが、険しい顔で書簡を睨んでいます。怒りと共に冷気が滲み出ていて、執務室の中は冬のようです。
現実逃避気味に「謁見のために着替えて良かったわ」と考えました。
あのオペラピンクのワンピースは、軽やかで素敵ですが使者様に対し威厳を示せません。シアンに手伝ってもらい、ポーション職人長の衣装を着て髪を結い上げてもらいました。
ドリィも、いつもの黒い騎士装束姿です。
騎士装束で怒っているドリィ。雄々しさが増して……素敵。
内心でうっとりしていると、ドリィが重い口を開きました。
獣の唸りのような荒い声が響きます。
「【アドリアン・ベルダール辺境伯とルルティーナ・プランティエ伯爵の婚約は無効だ。プランティエ伯爵の婚約者は自分なのだから】か。ふざけた野郎だ」
「全くです。団長閣下とルルティーナ様の仲に割り込むなど……許されざる暴挙です。然るべき報いが必要です」
私の隣に座るシアンが同意します。こちらもかなり険しい顔で怒っています。
反面、私はそこまで怒っていません。
確かに私も、書簡を読んで驚き腹を立てましたが、二人が激怒しているせいか冷静さを取り戻せました。
それに。
「二人とも落ち着いて下さい。貴族院は訴えを退けたとありますよ」
そうです。訴えは事実無根として、すでに退けられたのです。
「だが、奴が君に求婚するのは禁じないと書いてある。君と奴の間に縁談があったことは事実であり、俺たちの婚約証明書が発行される前だから法的には問題ないと言ってな。
このふざけた野郎……パーレス・グルナローズは【秋実の大祭】で君に接触してくるだろう」
「無茶苦茶な話です。婚約が結ばれた事が無いどころか、一度も会ったことも手紙のやり取りもしたことがないのに」
思わず溜め息が出ました。
パーレス・グルナローズ様。
西の辺境をあずかるグルナローズ辺境伯の三男だそうです。
令息ご本人のことは一切知りませんが、グルナローズ辺境伯家のことは知識として知っています。
グルナローズ辺境伯家は歴史も古く、王族の降嫁を何度も受け入れている高貴な血筋です。
ルビィローズ公爵家と領地が近いこともあり関係が深く、ルビィローズ公爵の派閥だったアンブローズ侯爵家とも交流がありました。
ここからは私の知らなかった話です。
先代のアンブローズ侯爵とグルナローズ辺境伯……つまり私のお祖父様とグルナローズ令息のお祖父様は、特に親しかったそうです。
グルナローズ辺境伯家には、余っている爵位が幾つかあるので『いずれ互いの孫を婚約させよう』と、縁談が持ち上がりました。
これが、令息が主張する婚約の根拠です。どう考えても縁談未満の話としか思えませんが……。
時は流れて、先代アンブローズ侯爵は亡くなります。ですが、二つの家が結びつくのは政略的にも利点が多いので、縁談自体は無くなりませんでした。
グルナローズ辺境伯は、アンブローズ侯爵家次女の私を三男の婚約者にと申し出ていたそうです。
しかし、元アンブローズ侯爵は渋りました。
蔑んでいた『魔力無し』の私を、他家に関わらせたくなかったのかと思いましたが……。
不仲だった父親の要望通りに婚約させたくなかったそうです。
……つくづく、親子の縁が切れてよかったです。
ともかく、元アンブローズ侯爵が渋っている間に【蕾のお茶会】での事件があり、完全に流れたのだそうです。
事情はわかりましたが、不思議です。
「グルナローズ辺境伯令息は、どうして今さら私との縁談を持ち出したのでしょう?私と婚約しても何の利もありませんのに」
「え?ルティ、本気で言っているのかい?」
「ご興味のない事柄ですから、忘れてしまわれたのでしょうか」
あら?二人が頭を抱えてしまいました。私は何を忘れているのでしょうか?
「ルルティーナ様、貴女様は【特級ポーション】のレシピ開発者であり、この世で唯一【新特級ポーション】を作成できるポーション職人です。
しかも、陛下からプランティエの家名と伯爵位を賜られています」
ハッと気づきました。忘れていました。ドリィが苦笑いを浮かべます。
「君が国内外から注目される重要人物で、計り知れない価値を持つ女性だと思い出してもらえたかな?」
「はい……。お恥ずかしいです……」
もしここに義母様がいたら叱られていたでしょう。いけませんね。我ながら自覚が薄いですし、常識や社交界の動向に疎過ぎます。
立派なミゼール辺境伯夫人になるためにもしっかりしなければ!
「後はグルナローズ辺境伯家の都合だな。あの家は今、大変なことになっているから」
「どういうことで……」
ふと、気づきました。
グルナローズ辺境伯家は、ヴェールラント王国の西の辺境伯。ミゼール領と共に【帝国】との境界を護る家。
そしてルビィローズ公爵家とアンブローズ侯爵家と親しかった……。
「グルナローズ辺境伯家も【特級ポーション】の密輸に関わっていたのですか?」
「俺たちも国もそれを疑ったよ。
しかし調査と取り調べの結果、彼らは関わっていないことが判明した」
「そうでしたか。疑って申し訳ないです」
「だが、無関係だった。それこそが問題だ」
「え?」
「【帝国】への密輸ルートはグルナローズ辺境伯領を通過していた。
国境を護る役目を担う辺境伯家が、前ルビィローズ公爵の陰謀を長年に渡って見抜けなかった。大きな失態だ。当然、責任を追及する声も大きかった」
「ああ、言われてみれば。ですが、【夏星の大宴】の後も、グルナローズ辺境伯家にはお咎めはありませんでしたよね。辺境伯のご功績が大きかったからでしょうか?」
「いや、【帝国】と戦が無くなって久しい。彼自身に特筆するような功績はない」
「では……」
私はこれまで学び、収集した情報を脳裏に浮かべて考え、答えを導き出しました。
「王妹殿下が降嫁された家だからでしょうか?」
「正解だ。初めはグルナローズ辺境伯を適当な罪で裁いて処刑し、辺境伯家は男爵まで降爵させるはずだった。
もちろん領地や財産も最低限を残して没収だ。所有している他の爵位も取り上げるはずだった。だが……複数の臣下から反対が出た。
彼らの主張はこうだ『歴史ある名家であり、王妹殿下が降嫁され、パーレスら複数の王位継承者がいる家に対して罪が重すぎる』」
王妹殿下……グルナローズ辺境伯夫人は、妖精姫とも呼ばれる非常に人気があるお方です。
また、子沢山でも有名です。
「現在のヴェールラントは王族が少ない。もちろん公爵家などは王族の血を引いているが、グルナローズ辺境令息たちほど直系に近くはない。
『ある程度の罰を与えるとしても、王位継承者に相応しからぬ爵位に落とすのはもってのほか』とのことだ。
両陛下と議会の半数は厳罰を望んだが、王族が少ないのは事実。結局、間をとることになった」
グルナローズ辺境伯は、表向きは病を得て引退したこととなりました。実態は幽閉で、数年後に毒杯を賜ることが決まっているそうです。
辺境伯家は嫡男が継ぎ、グルナローズ辺境伯夫人はそのまま暮らすそうです。
シアンが説明を加えます。
「一見すると甘い罰にみえますが、そうとも限りません。
国からの厳しい監視と指導を受けることが義務づけられましたし、財産も自由には使えなくなりました。国境警備も領地経営も代官が行うので、辺境伯といえども形だけです。
さらに、グルナローズ辺境伯家が所有していた爵位のうち、辺境伯位以外は全て没収となりました」
「その結果、路頭に迷うことになったのが嫡男以外の子女たちだ。だからパーレスは、かつて君と縁談があったことを持ち出して訴えたのだろう。
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