何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない

てんつぶ

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一週間後の早朝

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 神殿へ来るようにと言われてから一週間後の早朝。
 ノアの借りている小さな部屋で、神官長だというユネーブに渡された服に袖を通していた。
 今日ノアは神子候補として、神殿に行かねばならない。本来ならば明かすつもりのなかった治癒能力は、神殿がノアを救世の神子と呼ぶ程の能力だったらしい。竜と、その竜を助けた神子を祀る神殿にとって、ノアは重要な人物になってしまった。
 ただノア本人は、そのような立場をまだ受け入れているわけではない。
 一つ目は、ただ目立たず平凡に生きたいという願いのためだ。神子などと担ぎ上げられ、縁の薄い人間たちの信仰の象徴になるつもりはない。
 二つ目は、コネハがいるためだ。治癒力があるノアを神子と言うならば、竜人であるコネハはどうなるのか分からない。コネハは人間を良く思っていない。愚かな生き物だとすら思っている。その男に万が一神殿が目を付けてしまい、竜人だと気付かれてしまった時が恐ろしい。コネハを利用しようとするかもしれないし、怒ったコネハが神殿を滅ぼしかねない。
 そしてそのどちらも、限られたコネハとの時間が失われてしまう。
 ノアにとって見ず知らずの人間たちよりも、間違いなくコネハの方が大切だった。
 だがどうして大人しく神殿へと向かう準備をしているのかと言われれば、ただ一つ、ノアの出生をちらつかせられたからだ。
 ――貴方の出生の秘密、知りたくありませんか?
 一週間前、そうノアに囁いたのがユネーブだ。その風貌も相まって、油断できない相手だという認識ではあるものの、ノアの知らない母親の情報を知っている。産みの母親は今どこで過ごしているのか、それを知るためにこの国に来たノアにとって、ユネーブの提案はのむしかない。
 ――神殿に行けば、いいの?
 ――ええ。一週間後、迎えに行きます。
 慎重に頷くノアの後ろで、コネハがどこまで話を聞いていたのかは分からない。
 ただ「ノアが行くなら俺も行くぞ」とだけ主張した。意外にもユネーブは「もちろん」と快諾してたため、ひょっとしたらそれも織り込み済だったのかもしれない。
 そうして一昨日は、神殿に行くための衣装が二人分届けられた。竜人であるコネハを神殿に連れていくことに不安はあるが、むしろコネハを連れていく方が安全だろうとも思う。
 どちらにせよ、過保護なコネハはノアから離れないのだから同じかもしれない。招かれたのがノアだけでも、恐らくコネハは一緒に行くと言うだろう。
 既に着替え終わったノアの隣から、シュルシュルと衣擦れの音が聞こえた。見たこともないような華やかな衣装に身を包むコネハを、ノアはついチラチラと横目で盗み見てしまう。用意されていた上着の袖を通したコネハは、彼を見慣れたノアさえもハッと息をのむほど美しかった。
「ノア、さっきから何みてんだよ。今から敵陣に行くってのに、可愛い顔しすぎだ」
 そう言ってノアの額にキスをするのだから、顔が赤くなるのは仕方がないだろう。恋人同士になったばかりの、その初々しい空気は酷く甘い。
 キスされた額に手を当てながら、ノアは小さく唸った。
「コネハが、かっこよすぎるから」
 ラフな格好をしていても、整った顔立ちをしていることは理解していた。だが与えられた盛装に身を包んだコネハは、まさに神の化身ではないかと思うほど神々しいものがある。
 銀髪を後ろに撫でつけ、全てが露わになった顔立ちは老若男女全てを虜にすると言っても過言ではない。
「ノアだって綺麗だぜ? あの蛇男からの服ってのはムカつくけど、すげー似合ってる」
「そ、そうかな? 僕なんかが着て、おかしくない?」
 腕を持ち上げると、大きな袖がふわりと舞う。薄い布を幾重にも重ねられた白銀の衣装は、歴代の神子が着るものらしい。神官服とよく似たシルエットをしているが、裾が長く、織り込まれた細かい煌めきが華やかだ。まるで花嫁のようにも見えるその清純な立ち姿は、ノア自身が思っているよりも男心を刺激した。
 簡素なノアの部屋の中で輝くその姿は、まるで空から舞い降りた神の使いのようだった。
「めちゃくちゃ可愛い。マジで外に出したくない」
 そう囁きながら、コネハはノアの顔の至るところにキスをする。
「んっ、くすぐったいよ……あ」
 軽く重なった唇の感触に、思わず小さな声が出た。
 恋人となってから一週間、こうして折に触れキスが増えたがまだ慣れない。酷く甘い恋人としての距離感は、いつだってノアを舞い上がらせた。ちゅ、ちゅ、と啄まれ、そしてコネハの舌が入れてくれと言うように歯列をつつく。
「ぁ、ん……、んっ」
 それをおずおずと招き入れると、ぬるりと温かい舌が滑り込む。戸惑うノアの口腔内を、ゆっくりと舐めて愛撫していく。
「ふぅ……ン、んぁ、っ」
 口蓋を撫でられて、気持ちが良いなんて知らなかった。ビクビクと勝手に震えるノアの身体を、コネハはがっちりと掴んで離さない。どうしたらいいのか分からず、宙を彷徨うノアの腕は、コネハによって彼の背中に回される。思わずしがみついて、それが普段と違う上等な生地の感触に気づきハッと我に返った。
「コネハ! 駄目っ、終わりっ」
 甘い声を出していたノアが顔を背け、強くコネハを拒絶した。
「なんでだよ」
 良い雰囲気だったじゃないか。そう言いたげにややムスリとした表情のコネハから、ノアは赤い顔で距離をとった。このまま側にいてしまえば、また流されかねない。
「だ、駄目っていったら駄目! そろそろ迎えが来るから、準備しなきゃいけないしっ」
「ノアだってキスすんの、気持ち良かっただろ?」
「そ、それは……っ」
 あけすけに問われても、どう答えたらいいのか返答に困る。実際に気持ちが良かったが、それを肯定するのも憚られる。かといっていい歳をした男が、恥ずかしがるのもおかしい気がした。
 声は上擦り、目が泳ぎ、わたわたと両手を彷徨わせてしまう。
 性的なことに疎く育ったせいもあり、いくら今は恋人とはいえ、弟として一緒に育ったコネハに正直に申告する勇気もなかった。
「……っあ、あのっ」
 どうして良いのか分からず、泣きそうになるノアをコネハは慌てた様子で抱き寄せた。
「落ち着けって、ノア。なんも悪いことじゃねぇから。むしろ、嬉しいし」
 トクトクと規則正しく響く心音を耳元に当てられ、ノアは次第に気持ちが落ち着いた。
 コネハは昔から、どんな時でもノアを蔑むことは一度もなかった。体力も能力も劣る兄など、人間の国であれば迷惑に思う弟がほとんどだろう。だがコネハは常にノアの側にいてくれた。
 それどころか自分よりもノアを優先しすぎて、何度両親に叱られたことだろう。それを思い出して、ノアはコネハの背中に腕を回し、ぎゅっとその滑らかな上着を握った。
 優しく背中を撫でてくれる、大きなその手のひらが心地良い。
「俺はずっとノアが好きだったけど、ノアが同じ気持ちをすぐに返してくれるなんて思ってねぇし。無理しなくていい。ちょっとずつ、俺を受け入れてくれたらいいから。やりすぎた時は叱ってくれてもいいんだぜ?」
「そ、そんなことしないよ。多分」
 ノアを気遣いすぎるコネハの言葉を、慌てて否定しようとするものの、語尾は少しだけ小さくなった。やりすぎてほしい気持ちと、その先がどうなるのかという好奇心と不安がまぜこぜになっている。
 優しい唇が、静かにノアの頬に触れた。
「ノアのことだけが、好きなんだ」
 まっすぐすぎる言葉が、ノアの胸を強く打つ。締め付けられるような、甘く苦しいこの切なさを、一体どう表現したら伝わるのだろう。
「僕も」
 好きだよ。そう小さな声で呟いて、コネハを抱きしめる腕に力を込めた。
「あーマジで行きたくねぇ……。このまま村に連れ帰りたい」
 本当にやってしまいそうなコネハの言葉に、ノアは慌てて顔を上げる。
「そ、それは駄目」
「だってさあ? あいつ――ユネーブだっけ? 神殿のやつって言うより、暗殺ギルドの人間だって言われた方が納得できるようなヤツだったじゃん。神子候補です、なんて持ち上げる割に、俺のノアを下に見てるの丸わかりなんだよ」
 コネハは耳も目もいいが、それは聞こう見ようと思わない限りは、それらは人間とほとんど変わらない。コネハの態度から推測するに、ユネーブがノアに囁いた提案は恐らく聞かれてはいないだろう。
 だがノアが神殿に訪れることを決定づけた内容はまだ、コネハには伝えられずにいた。
(本当の家族を知りたいなんて、コネハには言えない)
 ノアとコネハは血の繋がりはなかった。その事実はコネハへの親愛を超えた愛情を確信できるきっかけとなった。だから今はその関係になんら後ろめたいものはない。
 しかし恋人になったからといって、家族として過ごした時間が消えたわけでもないのだ。
 自分が出生を知ることが、竜人村で過ごす両親やコネハを否定することに繋がるのではないかと、ノアは彼らを傷つけてしまうかことを恐れていた。
 だからこそコネハに詳細を話すことなく、こうしてユネーブに提供された服を来て、言われたとおりに神殿に訪問することを受け入れているのだ。その上、ノアのすることになんでも関心を持つコネハもなぜか、この件については何も聞いてこない。
 それがまた、ノアの罪悪感をチクチクと刺激する。
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