天よどうか死なせたもう

志智ろく

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仙人になった男2

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 気づいたとき、辺りは暗く、月が煌々と光を注いでいた。轟々という滝の砕ける音を聞きながら、空空は霞んだ視界の向こうで手を振っている何者かをぼうっと見つめていた。

「気づいたかい。やぁ、酷いもんだね。君を、天が与えたもうた奇跡の人を殺すなど」

 何者かの声に空空はぼんやりとした頭で言葉を反芻する。そうだ、酷い話もあったもんだ。よりにもよって薬の血を持つ俺を殺すなど――。

「誰だお前!」

 勢いよく起き上がって、何者かを睨む。目を擦り、ぼんやりしていた頭を無理やりたたき起こした。
 目の前にいたのは男だった。豪奢な、まるで女が着ているような袖のひらひらした着物を着ている。頭には重そうな冠が乗せられていて、その重さに負けているのか、男が歩くたびに体が大きく傾いだ。

「サイボって言えば、分かる?」

「サイボ……って、西王母か⁉」

「そうそれ。それの欠片みたいな。まぁ名もなき神仙だと思ってくれればいい」

 とりあえず自分のことはサイと呼んでくれと笑った男は、くるくると楽しそうに空空の周囲を回った。そのたびに冠の光が反射して、月の光とばらばらと地面に散らばらせた。

「あのあとお前の死体がどうなったか、知りたいか?」

「聞きたくないね」

「いいや聞いてもらう。お前はばらばらになり、その血肉から血管の一本、はては心臓や脳に至るまで、全てあの少年の薬として利用された。骨もね。残ったものは周囲に売りさばかれてたよ」

「だから聞きたくないと言ったのに」

 自分は人の嫌がることが好きなのだ。くすくす笑い声をあげるサイの表情は無邪気で子供のようである。

「そして我々仙人は、今まで人に尽くしたお前のクロウを鑑みて、仙人に召し上げた」

「は?」

「薬の体もそのままだぞ。喜べよ。これほど名誉なこともなかろう?」

 くすくす。うふふふ。くるくる回りながら笑い声を上げているがゆえに、空空の全方位からサイボの笑い声が聞こえてくるようだった。
 死したはずの己が、仙人に。その言葉を脳が理解した瞬間に、視界が真っ赤に染まり、脳が沸騰した。

「っふざけるな!」

「む?」

「今までの苦労を鑑みてだと? ならば俺に心地よい死を与えることこそ、俺の苦労に対する報いだろう! 今まで多くの人を救った! それではまだ足りないのか!」

 仙人になったということは、死ねないということだ。少なくとも、並大抵の方法では死なない。それに薬の体。死ぬな、生きて人を癒せ。そう言っているに等しい。生きたまま地獄を味わっているような気分を、ずっと味わい続けろというのだ。この神仙は。

「俺は、生まれついてよりこの体で、人を癒したくてこんな体になったわけではないのだ」

「だがお前はそれを使って人を助けてきたろう」

「あぁ、使えるものは使わねば生き残れない。少なくとも俺は官吏になれるほど頭はよくないし、商才もない。これを使って生計を立ててきた」

「だが、それを使えば宮廷にも入れたろう。何故に使わなんだ」

「宮廷だなんてあんな人の多いところ、俺は好かない」

「ふぅん」

 そこまで聞いてサイは面白くないと鼻を鳴らした。神仙に召し上げたのだから、精々面白いことをしてもらわねばつまらない。

「ま、せっかく生き返ったのだ。この世を謳歌するがいい。自分はお前の姿をじっくり見て楽しませてもらうから」

「っ」

 そう言い残して、サイはとんと地面を蹴って滝に飛び込んだ。神仙が飛び込んで死ぬはずがないと思いながらも、空空は滝を覗き込まないではおれなかった。
 水面に映る姿は髪のないいつもの空空の姿である。着物の袖をまくり上げれば傷だらけの腕が目に入る。
 サイを始めとする神界の者どもは俺を玩具として見ているのだ。だからこのようなことも平気でやるのだ。悔しさに唇を噛む。悔しいのはもちろん、その玩具として生きていくことしかできない己が、あまりにも情けなくてたまらなかった。
 此処には、おれないと思った。空空が死したことは山の麓の村には伝わっているだろう。日が昇れば、麓の村の男たちが山に分け入って木を樵るだろうから、それまでに此処から。

「離れなくては」

 庵の裏手から山に入る。薄っすら見える道は空空が長年かけて作った山奥に入るためのものである。茂みをかき分け、大股で山を登っていると、視界に附子ぶすが入った。
 附子は白や紫、薄紅色の花を持つ草で、全草に毒を持ち、特にその根が一番強いと聞く。
 不意に空空は足を止めた。この体が薬になるならば、いっそのこと毒にしてしまえ。そんな考えが天啓のように空空の脳裏にひらめいたのである。

 空空は無言で附子を採ると、おもむろに口に放り込んだ。あたりに生えているものは若いものでも構わず手に取り口に運んだ。するとものの数十秒で嘔吐き、腹の中身をひっくり返す有り様となる。は、はひ、と呼吸とも呼べないものを繰り返すが、やはり神仙になった影響か死ぬ気配はない。それどころか、たちまちのうちに症状が回復してきた気配すらある。

「……毒の効かぬ体になったか?」

ちっと舌打ちをして、空空は無言で採っていた附子を捨て山を再び登り始めた。
行く当てはなかった。ただ、ここではないどこかへ、遠く、人のいない地へと身を置きたかった。
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