猫と嫁入り

三石一枚

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一話

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 立花麗たちばなうららかは憂いでいる。
 引きずる足は枷をはめられたかと思うほどに重く、似合わないほど長い丈の袴は、終始地べたを這いずっていた。さながらのたくる蛇のように。
 泥に濡れた裾すら気にせず麗かは、呆然と、ただただ惚けたように誰もいない大路地を歩く。
 突然の豪雨。突発的な通り雨。空は灰に染ってはいないに関わらず、晴天高くから不思議なほど叩きつけるような大粒の水滴が降り続く。
 人の波は既に身を屋内に隠しているのに対し、麗かはまるで気にする素振りをみせない。さも撃ってくれと言わんばかりに、その身を水にさらす。頬に続く温い水滴もそのままに。

 立花麗かは焦っている。
 余裕を見せることは、立花家にとりその栄華を下々に見せつけるための必要な手段である。
 と、当主立花吉助たちばなよしすけはその口で詠う。特に麗かは女であるが故に、名に恥じぬ美しい装いと体裁で殿方を持て成すようにと、口酸っぱくしていた。
 美しい装いなど、自身の身の丈にはあってない。まだ齢十四の麗かにとっては、少しばかり理解に乏しい部分であった。
 他と比べて華やかな暮らしであることはわかる。立花家は成長した。現当主の吉助の手腕によるものだ。
 だがしかし、それとこれとはきっと関係はない。
 麗かは麗かであって、親の絶対的な決めつけには酷く辟易していた。飾り立てることが人生の全てではない。金勘定で上位をとることなど、なんとも悲しいものか。若さながらに麗かはそう考えていた。

 立花麗かは哀しんでいる。
 着こなしが崩れた服も、泥でグシャグシャになってしまった袴も、値の高い革靴さえも、もうどうでもよかった。
 泥に倒れ、身を汚し、豪奢な簪を投げ飛ばし、顔を隈無く泥に漬け込んで、髪の毛先一本すら土に還してやろうかとすら思った。
 勿論思っただけである。麗かには、そんなはしたない行為をする肝っ玉は据えられてなかった。せいぜいできるのが、道に溜まった泥水に映る小綺麗な衣装を、踏みつけて歪ませてやる。それくらいだ。
 
 小綺麗な見繕いをした女が、人も通らぬ大路地で、それもこんな通り雨の中に身を晒す非常を他者が見ればどう思うだろうか。
 人に買われぬ売女か、精々が肌着良い土左衛門から着物を頂戴した浮浪者か。
 どちらにせよ、それは栄華ある立花家の令嬢としてあってはならない姿だろう。人に見られればそれこそ名を落とす。一族郎党の恥。男性一番で物事を考えてきた立花吉助にとって、女である麗かの所為で評判が悪くなるとしたならそれこそ勘当物だろうか。
 いや、もはやそれでもいいのかもしれない。それこそ、今ほど縛られた生活は送らないだろう。
 ふとそうなった時のことを考える。
 家を飛び出し、普通の服を買って、好きな時に飯を食い、暇な時に働けばいい。そんな楽しげなことを。
 釣り上がる頬が、ピリッとした刺激を生んだ。立ち所に思考が止まる。

 立花麗かは。
 ーーー私は。
 怒っていた。父上にも母上にも。

「家。帰りたくないな」

 未だひりつく左の頬は、少しだけ紅潮してしまっていた。さするほどに痛みは増すけれど、雨による冷やしでそれを和らげるしかない。
 この頬は父である吉助につけられたものだった。
 実の父から放たれた右の張り手は、乾いた音と共に私に痛みと違和感を教えた。衝撃と共に腰が砕けたことを鮮明に覚えている。体が崩れ、手に着いた土の感触。実父から差し向けられる視線とおなじ冷たさを持っていた。
 ぶたれた私は、なぜこのような扱いに屈さねばならないのか意味がわからなかった。胃が冷めていく感触、頭に血が上る衝動、言葉に変え難い憤りを腹に、私はその場から逃げるように走り出した。それがつい半刻ほど前のことである。

 飛び出してしまった、というか父に折檻された理由は以下の通りだ。本日付で、私の許嫁が決まったとの事だった。
 母は手鳴らしして私に装飾を施し、父は私に対して「無礼なきように」と強く諭した。
 相手はどうやら格上のご子息らしい。いわば政略結婚とされるものか。私の意見など聞き入れる気もない、自らの利己のみで仕向けられた地獄の沙汰。
 女である私には拒否権も、それに抗う権限すらない。父がいえばそれが絶対。男が言うなら黙って従え。時代の風潮で少しばかり女性の地位も上がったなどと新聞などに記されてはあったけれど、我が家は妙にふるくさい考えを捨てられずにいる一家だったので、それに追随するつもりは毛頭なかったらしい。
 装いを勝手に変えられた私は、勝手に決められた許嫁と、勝手に面会をさせられる羽目になった。なんと勝手が違う出来事だろう。
 現れた少年は確かに小綺麗で、優しそうな相手ではあったが、私としては気に食わない演出だった。

 きっとその事でなおざりな対応をどこかで私が取ってしまったのだろう。相手方宅から帰る途中、父の張り手が私に飛んできた次第だ。振り向かれた一発を武芸に通じない私が避けられるわけもない。

 結果としてこのザマだった。何もかもが嫌になる。家に帰れば怒気を孕んだ父がいるし、勿論母ですらが父の味方なはずだ。この結婚には、私の一生を生贄にして立花家の存続を強いものへしようとする目論見が感じられる。
 相手方はたしか地主の息子だったはずだ。両家の間で金巡りのいいものを得ようとしている魂胆だろう。
 相手方には悪いが私に乗る気はなかった。当たり前だ。勝手に決められた相手と結婚させられて子を授かって、一生のどこにも私の自由はきかないじゃないか。たとえ女だろうが、自分の決めた道に沿って生きたいに決まっている。親の描く人形劇の脇役にされてたまるか。

「どうすればあの頑固オヤジを黙らせられるか。天啓は浮かばないか・・・」

 立花麗かは悩んでいた。
 憂いて焦って哀しんで、同時に怒っていた。
 救いなく無情に打ち続ける雨粒の数多を、ただ私は仰ぐようにして被り続けていた。
 いっそ雨に溶け込んでしまいたいほどに。
 冷たい一滴一滴が矢の如く、容赦なく身体を蝕んでいく。
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