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第3章 手にした真実
37話 元家令の証言⑴
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「お嬢様、お疲れでございますか? 先ほどからお顔が赤くていらっしゃいますが」
侍女の着る服をまとったエファが、鏡に映るレインリットの物憂げな顔に目を光らせる。
レイウォルド伯爵家の薬のおかげですっかり元気になったエファは、今朝からレインリットの侍女というあるべき姿に戻っていた。朝の支度を請け負い、レインリットの紅い髪を丁寧に梳かしていたエファが、覗き込むようにしてこちらを見る。
「そ、そうかしら?」
エドガーとの逢瀬から数日。レインリットはふとした拍子に思い出し、赤面してしまうことがあった。今もまた、あの温もりを思い出して鏡の中の自分が真っ赤になっている。赤い印は薄くなってしまったが、何気なく首元が気になってしまうのだ。その様子にエファの表情が暗くなった。
「まさかお嬢様、私の看病疲れが……」
「そんなことないわ! 私は毎日とても元気よ。今日は、ほら、マクマーンに会いに行くから」
「そうでございました。特徴を聞くに、私はマクマーンさんだと思うのですが、まだ決まったわけではございませんからね」
それを聞いたエファが相槌を打つ。そう、昨晩遅くに帰ってきたエドガーが、マクマーンが見つかったと知らせてくれたのだ。特徴的にマクマーンだと思うと言った二人に対し、エドガーはレインリットに顔を確認してほしいと言い出した。万が一違う場合もあり得るということで。
「エファ、髪は帽子で隠したいから、はみ出ないようにまとめてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
レインリットが着ているドレスは、中流階級の娘が着るような仕立てで、目立たないような燻んだ薄緑色のものだ。それに合わせて、エファのドレスも紺色で、未亡人が着ているような首元まで襟があるものである。
――うまくいけば、話ができるかも。
いきなり訪ねてきたレインリットたちを、マクマーンはどう思うだろうか。歓迎はしてもらえなくても、あの時のことを聞かせてほしい、とレインリットははやる気持ちを押し込める。父親の良き理解者であったはずのマクマーン。家令という立場から、ソランスターの領地経営、オフラハーティ家の采配、そのどちらもよく知っている男。
――突然解雇されて怒っている? クロナンはきっと紹介状も書いてあげてないに違いないわ……働き口なんて、ないでしょうに。
主人からの紹介状がないと次の仕事などほぼないに等しい、とエファが教えてくれた。マクマーンだけではなく、他の使用人たちも厳しい生活を強いられているのではないか、とレインリットはかつての使用人たちのことを思い、その心を痛めた。
§
エーレグランツ郊外にある丘陵地ナンテの古い家に、カハル・マクマーンは住んでいるらしい。
久しぶりの外出で、レインリットの気分は少しだけ浮上する。屋敷から出られずとも、エドガーはレインリットたちが退屈しないように配慮してくれていた。しかし、やはり外の世界はいいものだ、と馬車の窓から見える景色に目を移す。
「エドガー様、あのすごく大きな建物はなんですか?」
遠くからでも見えていたその建物は、近くに来たらさらに大きなものだった。硝子張りの壁の建物など見たこともなく、ここまで大きな建物はシャナス公国にはなかった。エファもあんぐりと口を開けて見ている。
「あれがかの有名なフェルナンド二世陛下の温室さ。エーレグランツの開発に伴ってここナンテに移設される時に、さらに巨大になったんだ」
「これが……。フェルナンド二世陛下の温室は、シャナス公国でも話題になりました。あれが全て硝子だなんて、こうして実際に見るまで信じておりませんでした」
「時間があれば中を見学させてあげたいんだけどね」
「いいえ、ここからでも十分です。すごいわ、これを人が造っただなんて……」
「中にはクヤの木があるんだよ」
「クヤの木? 南国の木ですよね。そんなものがあるのですね」
ソルダニア帝国の財力と技術力は、やはり世界一なのだとレインリットは肌で感じ取る。温室を過ぎると、今度は麦畑が広がる牧歌的な風景になった。道沿いに密集した家々が立ち並ぶそこが目的地のようだ。
「さて、お嬢様方、準備はよろしいですかな?」
レインリットたちに合わせて中流階級の服を着たエドガーが山高帽を被る。特徴的な銀色の髪は、染め粉を使っているのかありふれた茶色になっていた。目には片眼鏡をかけていて、洗練された、というよりは小洒落た感じがする。
さらに、今日の馬車は紋章も何もついていない、目立たないように偽装した箱馬車だ。町の入り口に馬車を止めると、今度は徒歩で移動する予定になっており、レインリットもブーツを履き、つばの広い日よけの帽子を目深に被る。
――夫婦の演技なんて、私にできるのか心配だわ。
先に降りたエドガーの手を借りたレインリットは、観光客を装って日傘をさす。エドガーに合わせて、レインリットも中流階級の娘に扮しており、隣に並ぶと少し緊張した。
「郊外と言ってもずいぶんと賑やかでございますね、奥様」
「店がたくさんあるのね。まあ、あれは狐狩りの絵だわ」
「まあ、あそこにも画家が。上手なものですね」
「メアリ、さあ行こうか」
エドガーが肘を曲げて促してきたので、レインリットはそっと腕に手を置いた。腕を組んで男性と歩くのは、家族以外でエドガーが初めてで、少しだけ緊張する。エファもエドガーが連れてきた従僕と並ぶと数歩離れて後からついてきた。
侍女の着る服をまとったエファが、鏡に映るレインリットの物憂げな顔に目を光らせる。
レイウォルド伯爵家の薬のおかげですっかり元気になったエファは、今朝からレインリットの侍女というあるべき姿に戻っていた。朝の支度を請け負い、レインリットの紅い髪を丁寧に梳かしていたエファが、覗き込むようにしてこちらを見る。
「そ、そうかしら?」
エドガーとの逢瀬から数日。レインリットはふとした拍子に思い出し、赤面してしまうことがあった。今もまた、あの温もりを思い出して鏡の中の自分が真っ赤になっている。赤い印は薄くなってしまったが、何気なく首元が気になってしまうのだ。その様子にエファの表情が暗くなった。
「まさかお嬢様、私の看病疲れが……」
「そんなことないわ! 私は毎日とても元気よ。今日は、ほら、マクマーンに会いに行くから」
「そうでございました。特徴を聞くに、私はマクマーンさんだと思うのですが、まだ決まったわけではございませんからね」
それを聞いたエファが相槌を打つ。そう、昨晩遅くに帰ってきたエドガーが、マクマーンが見つかったと知らせてくれたのだ。特徴的にマクマーンだと思うと言った二人に対し、エドガーはレインリットに顔を確認してほしいと言い出した。万が一違う場合もあり得るということで。
「エファ、髪は帽子で隠したいから、はみ出ないようにまとめてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
レインリットが着ているドレスは、中流階級の娘が着るような仕立てで、目立たないような燻んだ薄緑色のものだ。それに合わせて、エファのドレスも紺色で、未亡人が着ているような首元まで襟があるものである。
――うまくいけば、話ができるかも。
いきなり訪ねてきたレインリットたちを、マクマーンはどう思うだろうか。歓迎はしてもらえなくても、あの時のことを聞かせてほしい、とレインリットははやる気持ちを押し込める。父親の良き理解者であったはずのマクマーン。家令という立場から、ソランスターの領地経営、オフラハーティ家の采配、そのどちらもよく知っている男。
――突然解雇されて怒っている? クロナンはきっと紹介状も書いてあげてないに違いないわ……働き口なんて、ないでしょうに。
主人からの紹介状がないと次の仕事などほぼないに等しい、とエファが教えてくれた。マクマーンだけではなく、他の使用人たちも厳しい生活を強いられているのではないか、とレインリットはかつての使用人たちのことを思い、その心を痛めた。
§
エーレグランツ郊外にある丘陵地ナンテの古い家に、カハル・マクマーンは住んでいるらしい。
久しぶりの外出で、レインリットの気分は少しだけ浮上する。屋敷から出られずとも、エドガーはレインリットたちが退屈しないように配慮してくれていた。しかし、やはり外の世界はいいものだ、と馬車の窓から見える景色に目を移す。
「エドガー様、あのすごく大きな建物はなんですか?」
遠くからでも見えていたその建物は、近くに来たらさらに大きなものだった。硝子張りの壁の建物など見たこともなく、ここまで大きな建物はシャナス公国にはなかった。エファもあんぐりと口を開けて見ている。
「あれがかの有名なフェルナンド二世陛下の温室さ。エーレグランツの開発に伴ってここナンテに移設される時に、さらに巨大になったんだ」
「これが……。フェルナンド二世陛下の温室は、シャナス公国でも話題になりました。あれが全て硝子だなんて、こうして実際に見るまで信じておりませんでした」
「時間があれば中を見学させてあげたいんだけどね」
「いいえ、ここからでも十分です。すごいわ、これを人が造っただなんて……」
「中にはクヤの木があるんだよ」
「クヤの木? 南国の木ですよね。そんなものがあるのですね」
ソルダニア帝国の財力と技術力は、やはり世界一なのだとレインリットは肌で感じ取る。温室を過ぎると、今度は麦畑が広がる牧歌的な風景になった。道沿いに密集した家々が立ち並ぶそこが目的地のようだ。
「さて、お嬢様方、準備はよろしいですかな?」
レインリットたちに合わせて中流階級の服を着たエドガーが山高帽を被る。特徴的な銀色の髪は、染め粉を使っているのかありふれた茶色になっていた。目には片眼鏡をかけていて、洗練された、というよりは小洒落た感じがする。
さらに、今日の馬車は紋章も何もついていない、目立たないように偽装した箱馬車だ。町の入り口に馬車を止めると、今度は徒歩で移動する予定になっており、レインリットもブーツを履き、つばの広い日よけの帽子を目深に被る。
――夫婦の演技なんて、私にできるのか心配だわ。
先に降りたエドガーの手を借りたレインリットは、観光客を装って日傘をさす。エドガーに合わせて、レインリットも中流階級の娘に扮しており、隣に並ぶと少し緊張した。
「郊外と言ってもずいぶんと賑やかでございますね、奥様」
「店がたくさんあるのね。まあ、あれは狐狩りの絵だわ」
「まあ、あそこにも画家が。上手なものですね」
「メアリ、さあ行こうか」
エドガーが肘を曲げて促してきたので、レインリットはそっと腕に手を置いた。腕を組んで男性と歩くのは、家族以外でエドガーが初めてで、少しだけ緊張する。エファもエドガーが連れてきた従僕と並ぶと数歩離れて後からついてきた。
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