その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 五章

明らかになる事 4

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「では、またいらしてください」

 ルシエラは客人の相手をしていたため、ラディアに見送られてアルトとエルはソルライト商会を後にした。

 二人並んで馬車を停めている所まで歩く。

 エルは外套のフードを被り直したため、少し上にある顔はほとんど見えない。

 その事に寂しく思ったが、安易に素顔を見せては民たちに囲まれてしまう可能性も否定できないのだ。

 長身というのもあるが、如何いかんせんエルは目立つ。

 その美しい顔立ちは見る者をとりこにし、ひれ伏したくなるほどなのだ。

(いや、これは多分俺だけだと思うけど……!)

 己の想いを自覚してから、エルの一挙手一投足を注視している節はある。

 それを悟られないように押し殺しているが、いずれ気付かれてしまうのも時間の問題だろう。

(それにしても、ルシエラも見送りたかっただろうな)

 アルトは己の中の熱を逃がすように、商会への来訪を手放しで喜んでくれた青年の姿を思い浮かべた。

 勝手に商会を後にしたとあれば、すぐさま王宮に手紙でも送ってきそうな予感があった。

 もしくは直接王宮に来る可能性もあったが、それは城門を守っている騎士らが許さないだろう。

 エルはルシエラを嫌っており、ひと目でも視界に入れようものなら眼力だけで射殺してしまいそうなのだ。

 つくづく『アルト』は愛されているなと思いこそすれ、どこか素直に喜べない自分がいる。

 アルトはちらりと隣りを歩くエルを見上げた。

 外套のフードを目深に被っているためその表情は見えないが、王宮を出る前に比べて周囲に纏う雰囲気は幾分か和らいでいた。

 歩幅はこちらに合わせてくれているのか、ゆっくりとしたもので時折触れ合う手が擽ったい。

 それでも隣りを離れずにいてくれる心強さに、アルトは緩く口角を上げた。

 昨夜フィアナが涙ながらに言っていたが、やはり狂おしいほどエルに愛されているのだと自覚する。

 しかし、その愛を向けている相手は自分ではないのだ。

 どんなにこちらが好きという想いを返しても、アルトの身体の奥深くに語り掛けていると感じてしまうのだ。

(今日、エルに言わないと。俺は『アルト』じゃないって)

 エルの口から答えが返ってくるのは怖いが、このまま目を背けていては自分が辛いだけだ。

 アルトはしっかりと地面を踏み締め、エルと街の喧騒の中を歩いて行った。



 馬車に乗り込むと、行きの時よりもわずかに空気が澄んでいるようだった。

 エルは王宮を出た時と同じく、ただ変わりゆく窓の外を見つめていた。

 心做しか窓に向けられたエルの表情も、幾分か和らいでいるようだった。

 行きと同様にこちらを見る事はないものの、刺々しく重い空気は微塵も感じられない。

(やっぱり……綺麗だな)

 男にこんなことを言われても嬉しくないと思う──そもそも面と向かって言ったことはない──が、エルは贔屓目でなくとも美しい。

 初めて王宮で対面した時からずっと思っていたことで、はっきりと言葉にこそしていないものの、エルに対する思いは日に日に増して行った。

 女性的な顔立ちの下には、日頃の鍛錬の賜物なのか引き締まった筋肉があり、無数についた小さく薄い傷もエルの頑張りを伺わせた。

 アルトはその腕に何度となく抱き締められ、狂ってしまいそうなほどの愛を与えられてきた。

 その事を素直に受け入れたい思いもあれど、やはりその間には一つの隠し事が付き纏う。

(言うって決めたんだろ、何怖気付いてるんだ)

 アルトはやや俯けていた顔を上げ、ちらりとエルを見つめる。

 エルがゆっくりと瞬く度、長い睫毛が頬に影を落として幻想的な雰囲気を思わせた。

「……なぁ」

 意を決して放った声は掠れ、半ば囁きにも似たごく小さな声は、しかししっかりと届いたようだ。

 窓に向けていた視線をふとこちらに向けられ、真正面から見つめ合う形になる。

 美しい水色の瞳には自分だけが映っており、逆もまた然りだった。

 狭い馬車の中では互いの息遣いが分かるほどで、アルトの頬が知らず熱を持つ。

 それに気付かないふりをし、アルトは小さく唇を噛み締めると、ゆっくりと唇を開いた。

「その、ベアトリスさんは……どんな人、だったんだ?」

 商会を出てそう時間が経ってないため、この質問を投げ掛けるのは酷だろうか。

 エルはわずかに目を瞠ったものの、すぐに柔らかく微笑んでくれた。

 既に周囲を圧倒させるような棘はなく、ただただ普段通りの男にアルトはそっと安堵した。

「……お優しい方だったよ」

 エルのゆっくりとした口調は懐古している者のそれで、アルトは黙って耳を傾ける。

「俺を本当の息子のように可愛がってくれてね。貴方を連れて行ったあの庭で、よく一緒にお茶をした」

 その表情はどこか哀しそうで、しかし何か憑き物が落ちたように吹っ切れていた。

「貴方にも……会わせたかったな。きっと、自分のことのように喜んでくれたと思う」

 すると、エルは何かに耐えるようにきつく瞳を閉じた。

「俺の大事な人なんだって言ったら、なんて返してくれたかな。それで、貴方にどんな言葉をかけてくれたかな……駄目だな、俺はまだ──」

 段々と声が小さくなり、ついにはぼそぼそと口の中で呟かれた言葉は聞き取れず、アルトはもう一度尋ねるのも無粋な気がして押し黙る。

 今、エルはラディアに聞かされた事を懸命に受け入れようとしているのだ。

 今の今まで復讐に身を焦がし、やっと犯人の尻尾を摑んだかと思えば既にこの世にはおらず、残ったのは胸の内に燃え盛る炎だけ。

 それが消えることなくくすぶったままなのはどんなに辛いか、アルトにはとても想像できない。

 ただ、その辛さを分かち合う事だけは出来る気がした。

「──エル」

 そっとエルの手に両手で触れる。

 やや冷たい熱が手の平から伝わり、しかし確かに生きているのだと思わせられた。

「俺も会いたかった。会って……一生幸せにします、って言いたかった」

 エルの瞳を見つめ、今までの想いを言葉に乗せる。

 己の想いがすべて伝わらずとも、エルが信じてくれなくてもそれでもいい。

 その後に言う答えを聞くことの方が、ずっと怖いから。

「アル、ト……?」

「……でも、起きてしまった過去はもう変えられない。俺たちはこのまま、ベアトリスさんの分まで生きて……幸せになるしかないんだ」

 そこでアルトは一度言葉を切ると手の平に力を込め、ゆっくりと口を開いた。

「──今まで黙ってた俺の秘密、聞いてくれるか?」

「秘密……?」

 水色の瞳がいっそう丸くなり、エルは頭に浮かんだ疑問符を隠そうともしない。

 当たり前だ。

 今まで何を言うでもなく、ただ一緒に過ごしてきた中で突然『秘密がある』と言われれば、誰だっていぶかしむ。

「……ああ、でもここじゃ言えない」

 すぐ外では御者が手綱を操っている。

 自分がまさかこの世界の人間ではない、と第三者に知れてしまえば事だった。

 アルトの方から握った手はいつの間にかエルに深く絡められており、離れようとしても離せない。

「それは……俺にしか言えない大事なこと? 誰にも聞かれたくない?」

 呟きにも似た言葉に、アルトはゆっくりと首肯した。

「そうだ。だからごめん、今は言えない」

 謝罪とともに同じ言葉を繰り返し、アルトは小さく頭を下げる。

 仮にこの場で言えたとしても、悪い返答が返ってきた場合立ち直れず、王宮に着くまでの間が耐えられそうにない。

 アルトは顔を俯けてぎゅうと瞳を閉じ、エルの言葉を待つ。

 しかしエルは何も返すことなく、ただ手を握っていた。

 じんわりと温かくなっていく手の平とは対照的に、アルトの心は段々と冷えていく。

 それは王宮に馬車が停まるまで続いた。


 やがて煌びやかな王宮の城門を通り馬車停めに着くと、長身の男がこちらに向けて慌ただしく走ってきた。

「ああ、やっとお着きになられた……! さぁ、お早く城の中に入ってください。貴方様がいらっしゃらないと、何もかもが始まらないのですよ!?」

 普段纏っている騎士の軽装ではなく、国王の側近としての装いをしたミハルドが額に汗を滲ませながら言った。

「戻って早々に煩い男だ」

 ミハルドの姿を認めると、エルは低く苦々しい声で言いながら先に馬車から降り、アルトに手を差し伸べてくれる。

「……ありがとう」

 ありがたくその手を借りて降りると、にこりとエルが微笑んだ。

 どこかぎこちない笑みに申し訳なさを覚えていると、その間に割って入るようにミハルドが言い募った。

「何を仰いますか! 本来であれば商会へ向かうのは別日で良かったものを、貴方様がしきりに『今日行く』と言って聞かなかったからでしょう!?」

 来客された方の機嫌を誰が取ったと思っているのか、とミハルドが半ば嘆きながらエルに摑みかかった。

「私でも出来るできないがあるというのに、本当に貴方という方はいつもいつも無茶ばかり押し付けて……!」

「え、えっと……ミハルドさん、落ち着いて。な?」

 あまりのミハルドの剣幕に、アルトは慌ててエルから引き剥がした。

 しかし上背や肉体に天と地ほどの差があるため、そう距離が開くことはなく、自身を引っ張る力に気付いたミハルドが少し我に返っただけなのだが。

「っ、申し訳ございません。……しかし、エルウィズ様」

「すぐに向かうから、ご婦人方には上手く言っておいてくれ。──行くよ」

 エルはどこか呆れた声でミハルドの言葉を遮ると、ぐいと強引に手を引いてくる。

 やや足早に王宮の中に入ったエルに小走りで追い付きながら、アルトの頭の中は疑問でいっぱいだった。

 今日まで居た小屋に戻るでもなく、まっすぐにエルの寝室に向かってるいるように見える。

(いや、今からどこに行くとか関係ないだろ)

 どうやらミハルドの口振りでは断れない来客なようで、しかしエルの表情を見るに仕方ないと諦めているようだった。

(ご婦人方? 何か始めるって言ってたし、もしかして大事な用事なんじゃ……)

 本来であれば、今は公務であってもおかしくない時間だ。

 それを返上してまで商会へ共に来てくれただけでもありがたいというのに、先程の自分が言った言葉で困らせしまった気がしてならなかった。

 寝室へ向かう理由も、こちらがエルにとって不貞をしていると信じて疑っていないからだと推察する。

(だとしたら、本当にお前は……)

 呆れてものも言えない、という以外の何物でもなかった。

 離れていってしまうかもしれない、というエルの恐怖は十二分に理解しているが、ここまで来ると寝室に向かったとて満足に話を聞いてもらえないだろう。

「え、エル」

 アルトはややあって立ち止まると、同時にエルの足も止まった。

「アルト……?」

 突然のことにエルが訝しげに振り向き、そして握っていた手の平の力を強くする。

「っ、俺の話よりも、ミハルドさんの所に行ってくれ」

 想像よりも強い力に小さくうめき、しかしアルトはしっかりとエルの瞳を見つめて言った。

「いや、でも」

「別に夜でも大丈夫だよ。俺は、……もう逃げないから」

 何かを言いたそうに口を開いては閉じてを繰り返し、尚も渋ろうとするエルにアルトは微笑みかける。

「本当、に……?」

 怖々と問い掛けてくる男はまるで幼子のようで、こんな状況なのに愛おしく思う。

「ああ。だから行ってきて。お前が戻ってくるまで、ずっと待ってる」

 きゅうと繋いでいる手に一度力を込めると、ゆっくりとアルトの方から解いた。

 離れがたそうにこちらに腕が伸ばされたものの、エルは分かってくれたようだった。

 しかしそれも一瞬で、すぐさま腕を摑まれる。

 形のいい唇が耳元に寄せられ、声が直接流れ込んだ。

「……全部終わったらすぐに戻るから。──それまでいい子にできる?」

「っ!」

 やや高く、どこか甘さを含んだ声音で囁かれ、とくりと胸に甘い疼きが走った。

 まばらとはいえ、王宮内には使用人や騎士の姿が時折見える。

 こちらを見る事は絶対にないものの、アルトは別の意味でエルの中の情欲の火を付けてしまったのではないかと、今更ながら自覚した。

「返事は? アルト」

 にこりと至近距離で笑みを向けられ、アルトは小さく頷くしかできない。

「……じゃあ行ってくるね」

「っ」

 ぽんぽんと頭を撫でられ、それだけで頬に熱を持つのが加速する。

 しかし上機嫌にミハルドの元に向かうであろうエルを思うと、何も気の利いた言葉が出なかった。

(部屋、行かないと)

 アルトは一人、熱くなった顔に手をあてながらエルの寝室に向かう。

 数日ぶりに微笑まれただけでも心臓が慌ただしく音を立てるのに、今夜の事を思うと期待と恐怖とでおかしくなってしまいそうだった。

(……エルが戻るまで、言いたいこと全部まとめておくか)

 ただ『別の世界から来た』と言うだけなのに、酷く緊張している自分がいる。

 それは紛れもない拒絶されることへの忌避感だが、今更戻ろうとしても戻れなかった。

 火照った顔の熱が引かないままアルトが寝室の扉を開けようとすると、丁度廊下の向こうからきたフィアナに『どうしたのですか!?』と慌てられるまであと少し。


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