その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第二部 三章

秘め事と思惑 2

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 ほどなくして公爵邸が見え、馬車停めに着いた。

 隣り合って座っているためアルトが先に馬車から降り、そっとエルに向けて手を差し出した。

「お手をどうぞ、王太子殿下」

 頬に笑みを浮かべ、ゆっくりと言う。

 普段はエルが先に降りて手を差し出してくれているため、今日はそのお返しだ。

 エルは外套のフードを浅く被りながらかすかに笑うと、そろりとアルトの手の平に己のそれを重ねた。

『ありがとう』

 声は聞こえないが、愛おしそうに見つめる瞳が、柔らかく弧を描く唇が、そう言っていた。

「──ただいま」

 邸の扉を開け、普段しているように小さく声を掛ける。

 エルが倒れる前までは月に二度は顔を見せに来ていたからか、少しだけ久しぶりに感じた。

 しばらくして忙しない足音が二つ、こちらに向かって聞こえてくる。

「に、兄さん……!?」

「ただいま、ウィル」

 アルトはにこりと微笑む。

 弟でありムーンバレイ公爵邸・現当主であるウィルが、アルトの姿を見つけるなり駆け寄って来ようと脚に力を込めた。

「おや、もう着かれたのですか。随分お早いご到着で、未だにもてなす準備は出来ていないのですが……」

「いってぇ……!?」

 しかし、すぐに追い付いてきたアルバートがいち早くウィルの手首を摑み、ギリリと背中に向けて捻り上げる。

「いた、痛い、って……アルバート、やっぱりお前なんか嫌いだ……!」

 ウィルはその態勢のまま、アルバートに向けてえる。

 後から痛みや痕が付かないよう力の加減をしているのだろうが、ウィルの悲痛な声が玄関にこだまする。

「どうぞ勝手に嫌ってくださいませ。その代わり、大切なお客様がいらっしゃいましたので失礼のないよう、くれぐれも失礼のないようお願いしますぞ」

 二度強調させてから言い終わるや否や、パッとアルバートが手を離す。

「この馬鹿力……! どこが耄碌もうろくした爺だから、だ!」

 ウィルはその場にくずおれるように膝を突き、摑まれた手首を反対の手で摩っては悪態を吐いた。

 どんなに小さな声で帰宅を知らせても、音を立てないよう扉を開けても、二人はアルトの来訪にすぐ気付く。

 傍目から見ても息が合っているが、その実仲が悪いと知ったのは結婚式を挙げてから最初に邸へ顔を見せた時だった。

(まさかここまでになるとは思わないよな……)

 つくづく大事にされているのだと思うと同時に、過保護だなと感じる。

 嫌だとは思わないまでも、少し恥ずかしかった。

「お見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございません。──ようこそ、エルヴィズ王太子殿下並びにアルト王配殿下」

 ウィルの言葉など聞こえていないというように、アルバートはきっちりと腰からお辞儀をするとゆっくりと続けた。

「しかしながらあまりにもお早いご到着で、もてなす準備ができておりません。しばらく応接室でお待ち頂く事になりますが、よろしいでしょうか」

 アルバートはこちらの唐突な来訪に驚く事なく、まるで事前に手紙で知らせていたかのような口振りで言ってくれる。

 それを有難く思いつつ、アルトは苦笑した。

「ああ、ゆっくりでいいから気にしないでくれ。……それより、いつも言ってるけど堅苦しい挨拶は止めてほしい」

 邸に帰る時のお決まりになりつつある言葉は、普段よりも格式張っており背中が痒くなるほどだ。

 自分だけならばまだいいが、今日ばかりはエルも傍に居るのだ。

 どう思われているか気になったが、今は隣りを見る気になれなかった。

(入る前に手を離しておくべきだった)

 そう力は強くないもののしっかりと握られており、心做しかエルがこちらを見ている気がして視線が痛い。

「おや、これは失礼を致しました。……では応接室でしばらくお待ちくださいませ。腕によりを掛けた茶菓子と紅茶を持って参りますゆえ」

 アルバートは口元を緩ませ、やや砕けた口調でもう一度同じ言葉を繰り返す。

 そして、ちらりと未だうずくまるウィルに声を掛ける。

「いつまでそうしているのです、名実ともに公爵となられたであろうお方が……。私はキッチンに向かうので、応接室へご案内して差し上げてください」

 では、とこちらに向けて会釈すると、アルバートは慌ただしくキッチンへ向かっていった。

「じゃあ行くか」

 ちらりとエルを見上げると、小さく頷いてくれる。

「ウィル」

 アルトはそっと弟の肩を叩き、立つように促す。

 のろのろと立ち上がると、その場でウィルは長い息を吐いた。

 どうやらアルバートに何か言いたいが、アルトだけでなくエルも居る手前怒りを堪えている様子だ。

「──よし。ご案内します、お二人とも!」

 やがてにこりと微笑み、ウィルが半ば鼻歌を歌いながら応接室の扉を開けてくれる。

(お前の情緒はどうなってるんだ……)

 まさか心優しいウィルの性格が変わる事になるとは露ほども思っておらず、アルトは困惑する。

 しかし公爵として書類の確認や視察など、引き継いだ事を頑張ってくれているのだと思うと何も言えなかった。

 アルトはエルと並んで足を踏み入れると、すぐに扉が小さな音を立てて閉まった。

「へ」

 やや違和感を感じてアルトが振り向くと、ウィルはこちらを見ては床に視線を落としてを繰り返していた。

「どうした、ウィル?」

「あ、えっと、……ですね」

 アルトの声にしっかりと視線をこちらに寄越してきたが、時折エルを見つめる瞳が敵愾心てきがいしんを剥き出しにしていた。

 しかし粗相のないようアルバートに注意された手前、何かを言いたいが迷っているようだった。

 するとエルの手がゆっくりと離れ、アルトは反射的にそちらを目で追った。

 エルは応接室のソファに浅く腰掛け、持ってきていた紙とペンを懐から取り出すとさらさらと書いた。

 すぐに立ち上がり、ウィルだけでなくアルトにも見えるよう紙面を差し出す。

『突然訪ねてすまない、ウィリアム殿。しばらくしたら戻るから、私も同席して構わないか』

「へ、え、あ……はい、大丈夫、ですけど」

 己の態度に気を遣わせてしまったことか、エルが声を出さず紙を向けてきたからなのか。

 どちらにしろ、ウィルが困惑するのは無理もない。

(アルバートはエルのことを言わなかったのか)

 当たり前だが、無闇に王宮での出来事をたとえ身内であっても話す事は有り得ない。

 しかし自国の王太子がある時から声が出なくなった、というのは王宮中に広まっている。

 王宮にほど近い場所でも既に噂になっており、悪い意味で尾鰭おひれも付いて民の間を駆け巡っているというのだから、この辺りに伝わるのも時間の問題だと言えた。

「……ウィル、聞いてくれるか」

 アルトはウィルを見つめ、ゆっくりと言った。

「なんでしょうか」

 どうやらこちらの話を聞いてくれる気はあるらしく、ひとまず安堵の息を吐いた。

「座って聞いてくれ。長くなる」

 アルトは先に二人掛けのソファに座ると、エルを軽く手招きしてその隣りに座らせる。

 ウィルは少し考える素振りを見せたものの、このまま退室はできないと悟ったのだろう。

 真正面に座り、緊張した面持ちでアルトを見た。

 じっと見つめてくるウィルの視線を一身に浴びながら、意を決して唇を動かす。

「実は──」

「お話とは王太子殿下に関する事でしょうか」

 半ば被せるようにウィルが切り出した。

 察しのいい弟の言葉に軽く目を瞠りつつ、アルトはゆっくりと首肯する。

「……ああ。二週間くらい前、だったかな。三日間アルバートが帰って来ない日があっただろ? あれはエルが倒れたからなんだ」

 エルは高熱でうなされ、三日ほど生死の境を彷徨さまよった事。

 その間レオンが呼んだという医師──まさかローガンが王宮に務めているとは思わなかったが、丁度息子に用があって王宮に居たアルバートが部屋に駆け付けてくれた事。

 このまま二人が居てくれなければ、自分はしっかりと気を保てなかった事。

 事細かとはいかないまでも、アルトはウィルの反応を見ながらすべてを言葉にした。

「……本当に、兄さんに何もなくて良かったです。でも貴方も気を抜くと無茶ばかりされるので、オレとしてはそこも心配なんですが」

 はぁ、とウィルは嘆息する。

「よく分かってるな……」

「兄さんの弟ですから。そこらの人間よりよぉく知っていますよ」

 実際に無茶をしている自覚があるため、否定できない己が恨めしい。

 しかしウィルに論破されてしまうと、次はエルを見るのが怖かった。

 気のせいではなく、隣りに座る男の圧が徐々に増しているように感じる。

「……ここからが本題なんだが」

 そこでアルトは息を吐き、勇気を出してちらりとエルを見つめた。

 すると思った以上に美しい水色の瞳と視線が交わり、淡く目を細められた。

 先程感じていた圧はなりを潜め、その代わり『大丈夫だ』と言われている気がした。

 ウィルも居るというのに、心臓が小さく音を立てる。

(いや、キュンじゃなくて!)

 心臓の痛みにアルトは気付かない振りをし、改めてウィルを見つめて言った。

「あんまり詳しくは言えないけど、しばらくの間ここに滞在させて欲しいんだ」

 大丈夫か、とアルトは続ける。

「……その間、兄さんはどこにも行きませんか」

 ウィルはやや顔を俯け、ごく小さな声で呟く。

「ああ、行くとしても孤児院くらいだと思う。……それがどうしたんだ?」

 エルが倒れる前は定期的にフランツの元へ行き、子供たちの様子や足りないものをその都度調達していたが、顔を見せないようになって二週間も経ってしまった。

 アルトがいなくてもルシエラが定期的に孤児院に訪れているようだが、それでも気掛かりだというのは否めない。

(あいつの事だし多分何もないと思うけど、明日にでも顔を見せに行くか)

「……ウィル?」

 ほんの少しの高揚感はそのままに、アルトは黙ってしまった弟の名をもう一度呼んだ。

「……いいえ、久しぶりに兄さんがこちらに長く居られると思うと嬉しくて。普段ならば、すぐに帰ってしまわれますから」

 ウィルは恥ずかしそうに頬を掻き、小さく鼻を啜った。

 そこでウィルはエルに視線を移す。

 先程のような敵愾心というものは感じられなかった。

「エルヴィズ王太子殿下のお気に召すかは分かりませんが、滞在中は公爵として精一杯のおもてなしをさせて頂きます」

 ふっと口元に笑みを浮かべ、落ち着いた口調で言うウィルのさまは公爵としての片鱗を見せていた。

 エルはウィルの言葉に頷き、柔らかく微笑む。

「……では、しかとご案内しましたのでオレはこれで」

 ウィルはややあってソファから立ち上がると、退室するために扉に脚を向けた。

「……あ」

 扉がわずかに開けられると、ふんわりとした甘い香りが応接室の外から漂い、アルトの鼻腔を掠めた。

「どうやらアルバートがケーキを焼いているみたいですね。もうしばらく待っていてください」

 アルトが何か言う前に、ウィルがにこりと背中越しに笑いながら言う。

「ここまでしなくてもいいんだけど……でも、楽しみだ」

 アルバートの作る菓子、特にパウンドケーキは絶品だ。

 一度しか食べたことがないが、初めて食べた時の感動は忘れられない。

 最初こそ、ここまで美味しいものを幼い頃からから食べていた『アルト』を恨みもしたものだった。

「ウィル」

 アルトは小さくも、これから大きくなるであろうウィルの背中に声を掛ける。

「なんでしょう、兄さん」

 ゆっくりと振り向き、ウィルは首を傾げた。

 自分よりもふわふわとした金髪に、柔らかな紫色の瞳がこちらを見つめている。

 そう長い間会っていないというのに、ほんの少しだけウィルが大きく感じた。

 アルトが王配として日々を生きているのと同じように、ウィルも公爵としての責務を全うしようとしてくれている。

 約三ヶ月の間、ウィルが確実に成長している気がして嬉しさが込み上げる。

「後で一緒に食べないか」

「はい……! すぐに終わらせてきます!」

 この日一番の笑顔を見せ、ウィルは応接室に通してくれた時よりもやや大きな鼻歌を歌って退室していった。

 扉が閉まり、しばらく。

 アルトはエルに視線を移し、困ったように苦笑した。

「ごめんな、騒がしくて。あと、勝手に滞在するって決めて悪い」

 嫌だったかもしれないのに、最悪の場合帰ると言われてしまう可能性を考えていなかった。

「エルに少しでも休んでほしくて、だから」

 しかしエルはふるふると首を振り、ペンを取るとゆっくりと紙に走らせた。

『大丈夫。ずっと俺のことを考えてくれていたんだろう? 朔真が謝る必要はないよ』

 流麗な字で書き連ね、ややあってこちらに紙を向けた。

『それに、こうしてここに来る事になるとは思わなかった』

 エルはペンを置くと、アルトの手に己のそれを重ねる。

『朔真と一緒になってよかった』

 殊更ゆっくりと唇を動かし、エルが口元を緩ませた。

 エルの美しい微笑みは見る者を虜にするのだ、と思うと同時にとてつもない高揚感に襲われる。

「おれ、も……俺も、エルの──っ」

 すべて言い終わる前にエルの顔が近付き、唇を塞がれる。

「っ、ぁ、まだ全部、言ってな……い、から」

 ちゅ、ちゅ、と優しく触れてくる口付けの合間に、アルトは息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「ん、っ……ぅ」

 わずかに開いた唇の隙間から、温かい舌が入り込んだ。

 肉厚なそれはすぐにアルトのそれを絡め取り、甘く吸い上げる。

 馬車の中でのキスは戯れだと言っているのも同然で、ずくりと知らず下腹部が締まる。

「もうすぐ、アルバートが……」

『まだ来ないよ』

 するりと手を取られ、擽るように手の平に言葉を綴られる。

『大丈夫だから、今は俺に集中して』

「そんな、できな……ぁ、やっ……!」

 ちゅう、と首筋に強く吸いつかれ、アルトはあえかな声を出す。

 ここは応接室で、いつアルバートがノックをするのかも、足音が聞こえてくるのかも知れない。

 だというのに、エルは余裕な顔色でこちらの反応を楽しんでいる。

 その事が羞恥心を掻き立て、同時に反応してしまう自分が醜い。

「っ……」

 ぬるりと口付けたところを舐め上げ、また吸い上げる。

 ふぅふぅと浅い呼吸をしながら、アルトは声を噛み殺した。

(声、出たら聞こえる……!)

 無意識に手の甲を噛み、瞼をきつく閉じる。

 しかしアルトの仕草に気付いたエルは、こちらに向けて手を伸ばした。

『噛まないで』

 形のいい唇が声を出さずにそう言ったかと思うと、噛んでいた手を取りじんわりと付いた歯型にそっと口付ける。

「や、だ」

 自分が付けた小さな噛み跡にすら嫌だとでも言うのか、こちらを見つめながら舌を這わせられる。

 その光景があまりにも妖艶で、加えて至近距離のためくらりと目眩にも似た感覚があった。
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