その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第三部 二章

不意打ちな告白 1

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 辺境伯らが王宮に滞在し、数日が経った。

 それまでは至って平和だったものの、アルトは毎日のように廊下を走り回っていた。

「ジョシュ、ちょ……待っ、て」

「アルトにぃ、こっちこっちー!」

 というのも、父親であるネロはナハトと共に国王の執務室へ籠っているため、その間ジョシュアの世話を頼まれたのだ。

『マリアでもいいんだけど、あの子は女の子が苦手みたいなんだ。君の負担にならないように早く戻るから、その……お願い、してもいいかな?』

 マリアとは晩餐会の時に顔を合わせた女性で、年の離れたネロの妹だという。

 ジョシュアにとって叔母にあたるが、マリアとはあまり関わりがないため緊張してしまうらしかった。

 そう言うネロの言葉は終始歯切れ悪く、聞いているこちらまでイライラしてしまいそうだった。

『まぁ、俺で良ければ』

 半ば遮る形で子守りを了承したまではよかったが、最初こそ孤児院の子供たちの相手をするのと同じだと思っていたため、少し楽観視していたところもあった。

 結果として、ジョシュアは良く言えば元気いっぱいで、悪く言えば落ち着きがない。

 いきなり立ち止まったかと思えばすぐに走り出し、ぐいぐいと腕を引かれたかと思えばどこかへ連れて行かれる。

 体力は付いてきた方だと思っていたが、ジョシュアに着いていくので精一杯で息を整える暇も無いに等しい。

「あのね、ジョシュ、こんどはあっちいきたい!」

 艶のある黒髪が揺れ、丸く大きな紫の瞳がきらきらと輝いている。

 小さな指が指し示した方向は一際煌びやかな扉があり、心の中で『またか』と呟く。
 
 扉の真ん中には紺碧の宝石が輝いており、その周囲には精緻な装飾が施されていた。

「ちょっと……待って、な……」

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、アルトはもう一度『待った』をかける。

 扉の前には衛兵がおらず、しかし何か重要なものが納められているのは確実なのだ。

 どちらにしろ不用意に扉を開け、ジョシュアに何かあればアルトの責任となる。

(何もないってことはないだろうけど、壊したりしたら怒られるどころじゃ済まないぞ……!)

 悪い予感とそれまでの疲れを振り払うように、アルトは深く息を吐いて吸ってを繰り返す。

 やがて身体だけでなく心も少しずつ落ち着いた気がした。

「はやくはやくー!」

 ぐいぐいと上着の裾を引っ張ってくる幼子の頭をそっと撫で、ジョシュアを頼むと言った時のネロの言葉を考える。

『ジョシュが僕以外と楽しそうにしてるところ、久しぶりに見たんだ。だから、君に任せたいなって』

 ふっと微笑んだ顔は柔和で、とても『なぜ王宮の使用人に頼まないのか』とは聞けなかった。

 どうしてかネロの笑みは底知れず、ひとたび聞いてしまえば最後、何かが己に降り掛かる気がしてならないのだ。

(エルやケイトが苦手って言ってたのも分かる、気がする……)

 王太子としては厳格だが心優しいエルと、誰に対しても快活なケイト。

 対して常に人の顔色を伺っている節があり、どこか幸薄い印象を抱くネロとでは馬が合わないのだろう。

 父親が兄弟だからといって、その子供も仲が良いとは限らないようだった。

(でも)

「アルトにぃ?」

 どうしたの、と尋ねてくるジョシュアのくりくりとした瞳と視線が交わる。

 実際、ジョシュアの相手は大変だ。

 しかしそれ以上に可愛らしく、ただ一つ問題を挙げるとすれば、己の体力が付いていかない事だけが気がかりなのだ。

 毎日のように朝早くからあちこち連れ回され、夜になると疲れ果ててベッドへ沈む日々だった。

 特にこの数日はエルと顔を合わせているものの、話す暇はないに等しい。

 一緒にベッドで眠っているが会話らしい会話もなく、すれ違っている気がして少し寂しかった。

「……なんでもない。次はどこに行くんだ?」

 にこりと安心させるように微笑し、アルトはジョシュアの背を押して促す。

「えっと、ね」

 ジョシュアは一瞬丸い目を更に目を丸くしたが、すぐに口角を上げて腕を引いてくる。

(鍛錬、しないとな)

 アルトはジョシュアにされるがままになりながら、ぽつりと心の中で呟いた。

 何かあれば、それこそジョシュアのような幼い子供を守るために己が立ち向かわねばならない。

 王宮に居る時は心配いらないだろうが、念の為という意味で剣術を覚えるに越したことはないだろう。

 時間があればミハルドに付き合ってもらっているが、ここ一ヶ月は互いの都合が合わなかった。

 そもそもエル以上に顔を見ておらず、ライアンの傍を片時も離れられないのだと理解している。

 最後に顔を見たのは晩餐会の時で、その時ですら時々目が合うくらいで会話はなかった。

 こればかりは仕方ないと諦めているが、他の者に頼もうとしても屈強な男らは大きな身体を更に縮こまらせ、『王配殿下は何もしなくて結構です』と口を揃えて言うためどうしたものかと思う。

(レオンさんはエルの傍だし、ケイトは見当たらないし)

 他に了承してくれそうな者とは一向に時間が合わず、エルに頼むのはしゃくだった。

 けれどミハルドのお陰で基礎は身体が覚えているため、一人でも素振りくらいなら出来るはずだ。

「……勝手に行ったら怒られるかな」

 アルトは目線をずっと前に向ける。

 ここから鍛錬場までそう遠くないが、怒号や剣戟の音は聞こえてこない。

 今は昼を過ぎているため、昨日の時点であれば男らの野太い声が響いてくるというのに。

「なぁ、ジョシュア」

 アルトはそっとジョシュアに声を掛けた。

「なぁにー?」

 じっと見上げてくる瞳は輝いており、きゅうと握り返してくる小さな手は思ったよりも力強く、その強さに少し驚く。

「ちょっと行きたい所があるんだけど、大丈夫か?」

「いいよぉ」

 ふにゃ、とジョシュアは頬をほんのりと染めて笑った。

「どこいくの?」

 不思議そうにこちらを見上げ、尋ねてくるジョシュアの黒髪がさらりと揺れ動く。

「鍛錬場、だよ。昨日もその前も、大きい声が聞こえただろ? あそこ、分かるか?」

 アルトはジョシュアも分かるよう殊更ゆっくりと唇を動かし、鍛錬場のある場所を指し示した。

 今居る場所から外に出るとすぐに石造りの壁が見え、左右の大きな柱に挟まれた扉を潜ると目的の場所に辿り着く。

 中は観覧も出来るように王族を始めとした席が二階に設けられ、屈強な男が五百人入ってもまだ余裕がある広さがあった。

「アルトにぃ、おけいこするの?」

 見る間にジョシュアの目がきらりと光り、羨望の眼差しを向けてくる。

「バレたかぁ」

 どうやら自主的に稽古をしたいというのが全面に出ていたようで、アルトは小さく苦笑した。

 同時に鍛錬が何を指すのか知っているらしく、幼いながら関心してしまう。

「でも危ないからジョシュアは見てるだけな? 誰か居たら、絶対に俺から離れないこと」

 約束出来るか、とジョシュアに目線を合わせて問い掛けた。

「うん! やくそくする!」

 こくりと大きく頷き、ジョシュアは満面の笑みを見せる。

 ほんのりと染まった頬は好奇心に満ちており、ともすれば今すぐにでも駆け出してしまいそうな勢いだ。

「ありがとう、ジョシュアはいい子だな」

 言いながらアルトは小さな身体を抱き上げた。

 自分で歩くと言うかと思ったが、ジョシュアはそのまま首筋に抱き着いてくる。

「ジョシュ、いい子?」

「ああ、いい子だよ」

「ほんと?」

「本当。一番いい子だ」

 幼子特有の疑問にその都度返しながら、アルトは鍛錬場に続く道を歩く。

 子供の脚でもすぐに着くが、ジョシュアは朝から色々な所を満足するまで走り回っている。

 少し腕が重くなったなと思うと、その後を追って小さな寝息を耳が拾った。

「……寝たか」

 くすりと小さく笑いながら、起こさないようそっと抱え直す。

 ゆくゆくはこの幼子がネロの後を継いで辺境伯となり、時には争いの起こる場所へおもむくのだろう。

 それ即ち危険と隣り合わせであり、いつか唐突に会えなくなる日が来る。

 ナハトは左目を眼帯で隠しているため負傷したのだと分かるが、あと少し当たり所が悪ければあの世、という事も十分に有り得たのだろう。

 ネロはネロで目立った怪我はないものの、この先負傷しないとも限らない。

 それ以前に、辺境伯という重荷おもにをまだ年端もいかない息子に背負わせる事がどんなに辛いか、ネロの言動を見ていると心配でならなかった。

 こちらにとってはあまり知らない人間だが、それでも決まりきった運命は時に残酷だなと思う。

 同時に『アルト』もそれが嫌で、婚約から逃げ回っていたと知っているため尚更だった。

(でも……きっとジョシュアは逃げないんだろうな)

 どうしてかそんな予感がしてしまい、そう遠くない未来でジョシュアが立派になった姿を見る気がするのだ。

「う……ん」

 むにゃ、とジョシュアが小さな唇を動かす。

 頬にかかった黒髪をそっと指先で払いながら、ふとその顔を見つめた。

(……やっぱり似てる)

 初対面の時と同様、エルに瓜二つだと思った。

 それこそ小さい頃のようで、どこか不思議な気持ちだ。

 瞳はネロと同じ紫だが、その髪質はさらさらだ。

 母方の遺伝だろうと思うが、もう少し大きくなればネロよりもエルの方に似るのでは、と場違いなことを考える。

「まさか、な」

 ──エルの子供ではないか。

 庭先でジョシュアの顔を見た時、一瞬でもそう思ってしまった。

 けれど、そんな事はあるはずがないと真っ向から否定できない自分が憎い。

「──あれ、アルト?」

「っ」

 考え事をしながら廊下を歩いていると、柔らかく自分を呼ぶ声が背後から聞こえた。

「ネロ、さん」

 ややあって振り返ると、淡く口角を上げた男がこちらにやってくるところだった。
 
「いやだなぁ、呼び捨てでいいのに。その方がもっと仲良くなれるでしょ?」

 歌うように言葉を紡ぐさまは、それまで抱いていたネロの印象とはまるきり違う。

 常に鬱屈としていて、ともすれば知らないうちに儚くなってしまいそうな男だと思った。

 しかし今は明るく、晩餐会での時に見た顔が嘘のようだった。

「あ、ごめ……いや、すみません」

 アルトは無意識に謝罪の言葉を口にした。

 それが勝手な印象を抱いていたことへの謝罪なのか判然としないが、すぐにでもいなくなりたい衝動に駆られた。

「敬語もいらないよ」

 笑いを含んだ少し低い声が間近で聞こえ、そちらに顔を向けると同時に腕の重みがふっと消えた。

「ん……とと、さま……?」

 不意にアルトに変わって抱き上げられたジョシュアはもそもそと目を擦り、ぼんやりとした瞳をネロに向ける。

「っと、ごめんねジョシュ。寝ていていいから」

「ん、ぅ……」

 その言葉とよく知っている温もりに安心したのか、ジョシュアはまたすぅすぅと寝息を立てる。

「毎日ありがとう、アルト。この子の相手、大変だよね……ごめんね」

 ジョシュアの背中を優しく叩きながら、ネロは苦く笑う。

 目元の隈は初対面の時より薄くなっているが、それでも完全に消えたわけではなかった。

(ちゃんと寝てないんだろうな)

 元気が有り余っている幼子の相手を一人で見るのは、あまりにも労力が大きい。

 使用人に任せればその負担も軽減するのだろうが、直々にネロがいない間の世話を任されたのはアルトだ。

 普段はどう生活しているのか気になる反面、不用意に詮索するのはよくないと理解しているため、アルトはそれまでの考えを誤魔化すように唇を開く。

「いや、子供は好きだから大丈夫だ。……それより色々大変そうだけど、しっかり寝てるか?」

「心配してくれるの? 優しいね」

 少し高いところにある紫の瞳が細められ、ふわりと唇が上がる。

 何度か笑った顔を見ているが、ネロが微笑むさまはエルを彷彿とさせた。

 雰囲気こそ違えど、どこか似通っている部分があるのはやはり血縁者だからだろうか。

「……普通するだろ。だから何かあったら言ってくれ、出来る限り力になるから」

 エルが聞いていたら怒るだろうな、と思いながらじっと真正面の男を見つめる。

 するとネロは小さく肩を震わせ、アルトからふいと顔を背けた。

「ね、ネロ……?」

 ジョシュアを抱く腕も小刻みに震えており、しかし起きる気配はないようで少し胸を撫で下ろす。

「ああ……本当にいいな」

「え」

 不意に声音が一段と低くなったかと思えば、耳元にネロの唇が寄せられた。

「──君のこと、気に入っちゃった」

「はい?」

 何度も目を瞬かせ、懸命に言われた言葉を理解しようと頭を働かせる。

 しかしいくら考えてもネロの言葉の意図が分からず、ただただ唇を開いては閉じてを繰り返すしかできない。

「ふふ、何言ってるか分からないって顔だね」

 するとネロが一歩距離を詰めてきて、アルトは反射的に後退あとずさった。

 表情は笑っているのに、その瞳の奥は少しも笑っていない。

 加えて纏う雰囲気が変わったように感じ、二歩三歩と後退する。

 けれど離れた分以上に距離を縮められ、形容し難い恐怖も合わさってじりじりと後ろに下がるしかできない。

「あ、っ……」

 とん、と背中が壁にぶつかった感覚に、アルトは小さく声を漏らす。

 逃げられない、と悟った時にはネロが人ひとり分の距離を空けて立っていた。

 ジョシュアを腕に抱いていなければ、今頃ネロの腕の中に閉じ込められているのは明白だ。

「文字通りだよ、アルト。父さん以外で、君だけが僕に優しくしてくれるから」
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