その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第三部 四章

和解の果てに 1

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 ピィピィと小鳥の鳴き声がどこかから聞こえ、アルトはゆっくりと瞼を上げた。

「う……ん」

 窓から差し込む陽光が眩しく、もそりと寝返りを打とうと身体を反転させる。

っ……!?」

 びきり、と腰の辺りに鋭い痛みが走り、アルトは声にならない悲鳴を上げた。

 それと同時に全身に重だるさを感じ、ひくりと頬が引き攣る。

(また、また俺は……!)

 流されてしまった、と思うと同時にエルを拒めなかった自分が嫌になってしまう。

 少し強く拒否の言葉を吐けば、そこで止めてくれた──と思いたい。
 
 それもこれもエルが怒っているのを頭で分かっていながら、己は目先の快楽と好奇心に負けてしまった事にあるのだが。

(恥ずかしかった、けど)

 改めて自身を見下ろすと、衣服を纏っているのにほっと安堵した。

 身体も清めてくれたようで、怒ってはいてもそういうところはしっかりとしてくれるエルの気遣いには頭が下がってしまう。

 そっとシャツに鼻先を近付けると、石鹸の香りがふわりと漂った。

 気絶するように眠ってしまったのはぼんやりと理解しているものの、意識が塗り潰される前のエルは優しかった。

 それまでは一方的で、何度こちらが『止めて』や『嫌だ』と叫んでも少しも止めてくれず、狂おしいほどの悦楽を与えられたというのに。

 しかしじくじくと痛む腰の奥に甘い疼きが残っているのは事実で、知らず頬が熱くなっていく。

「……こんなだから駄目なんだ」

 ぽつりと呟いた声は酷く掠れ、あまり言葉になっていない。

 同時に昨夜の事が脳裏に浮かびそうになり、慌てて頭を振って打ち消す。

 こうした事は頻繁ではないながらも、情事を思い出して照れてしまうほどでは自分もまだまだだと思った。

「……よし」

 ややあって気だるい腕に力を込め、ベッドから起き上がろうとする。

 すると、何か温かいものが指先に触れる感覚があった。

「うん?」

 緩くそちらに視線を向けると、アルトは小さく目を瞠った。

 そこにはベッドに上半身を預け、両腕で頭を守るようにしてすぅすぅと眠っている男が居た。

 座っている椅子は側にあるテーブルから移動させたようだが、少し寝辛そうにも見える。

「エル……?」

 髪は解いているものの艶のある黒髪はぐしゃぐしゃで、一瞬誰なのか分からなかった。

 加えてアルトが知らないだけかもしれないが、エルが眉間にやや皺を寄せて眠るさまは珍しい。

(なんでベッドで寝てないんだ?)

 そんな疑問が頭に浮かんだが、昨夜の事があったためエルなりに気を遣ってくれたのかもしれない。

(そんなに気にしなくてもいいんだけどな)

 少し斜め上を行くエルの優しさになんともいえない気持ちになり、同時にアルトは短く息を詰める。
 
 けれど、このままでは風邪を引いてしまうか身体を痛めてしまうだろう。

 辛うじて薄手のブランケットを背中に羽織っているものの、まだ春を少し過ぎているとはいえ冷える。

 規則正しい呼吸に安心した反面、このままでは体調を崩してしまうだろう。

 アルトは起こさないようそっとベッドから降り、自身に掛かっていた毛布をエルの肩に掛けようとする。

「さく、ま……?」

 ふっとエルの長い睫毛が震え、やや掠れた声音で名を呼ばれた。

「っ……!」

 ゆっくりと瞼が上がり、何度か瞬くとエルはがばりと立ち上がった。

 床に片足を降ろし、毛布を持った中途半端な体勢のアルトと視線が交わる。

「お、おはよう……?」

 何か言わねばならないと思うよりも早く、エルよりもずっと掠れた声で小さく唇を動かした。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、エルは自身に投げ掛けられた言葉が一瞬分かっていないようだった。

「──その、昨日はごめん」

 やがてエルは頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。

 顔を上げた表情は気まずそうな、ともすれば今にも泣いてしまいそうなそれに、今度はアルトが瞬きを繰り返す番だった。

「えっ、と……?」

 その謝罪が何を指しているのか、ここ二日色々な事がありすぎて──特に昨夜の事があったからか、すぐには分からなかった。

 そもそも互いに起き抜けなのだ。

 起きてすぐに愛しい男が視界に入ったまでは普段通りだが、ベッドではなく椅子で寝ていた。

 それだけでも違和感を持ったのに謝られるとは思わず、文字通り困惑する他なかった。

 するとこちらの心の声を悟ったのか、エルは椅子に座り直すとやや俯きがちに唇を開く。

「貴方の話も聞かずにあんな事……それに、朝も」

「あ、っ……」

 いつになく歯切れ悪い動きで紡がれた言葉に、そこでやっとエルが何の謝罪をしているのか理解した。

『知らない間にネロと仲良くなって……貴方は何も考えてないんだろうな』

 膝の上で果ててすぐ、やや霞みのかった意識の中で放たれた言葉を思い出す。

 あれはきっと嫉妬で、自分のいないうちにネロと親しくするな、と言っていたのだと今分かった。

 ただ、何をするにしてもやり方というものがあるのだが。

(嫌なら嫌ってすぐ言ってくれたらいいのに。そしたら俺も)

 堂々とネロと顔を合わせない理由が出来る。

 エルが嫌がっているから止めてくれ、とただ言っても聞いてくれない可能性があるが、理由が無いのに避けては申し訳ない。

 適当に理由を付ければいいと分かっているが、そうしない辺りお人好しだと指摘されても何も言えないだろう。

「身体は痛くない? 首も……ごめんね」

 きゅうと眉根を寄せ、心配で堪らないという声を隠すことなくエルが言葉を重ねる。

「あ、いや……」

 確かに身体は一日、早くても明日の朝まで満足に動かせないと思う。

 しかし、ここまで自分がした事に憔悴しょうすいしきっているエルを見るのは初めてで、なんとか普段通りに戻って欲しくて口を開こうとしたが止めた。

(多分だけど、今のエルには何を言っても駄目だ)

『お前は悪くない』と言ったとしても、また謝罪を重ねさせる事になる。

 自身の行動を反省しているのは十分に分かったが、必要以上に謝られても困るのだ。

 早朝の出来事に至ってはただ髪を結んだだけだが、真正面から見たエルがあまりにも美しく、羞恥を捨てきれなかった己にこそ非がある。

 それを気にしてくれたのか、わざわざ手作りのムースまで作ってくれた。

(そういえば、まだ食べてないんだったな)

 レオンが呼びに来た事で忘れていたが、エルが来てから食べようと思っていたムースの存在を思い出す。

 起きてすぐに時計を見たが、あと一時間ほどでフィアナが朝食を届けに来てくれる時間だ。

 エルの目の前で『ムースを持ってきて欲しい』と言うのは気が引けてしまうが、戻って来るのを待っていたと言えば許してくれるだろうか。

「……朔真」

 するとわずかに高い声が聞こえ、それまでの考えを打ち消してエルの方を見つめた。

 先程に比べて淡く眉を上げているものの、心痛そうな面持ちはそのままだ。

「こっち、来て」

 ぽん、とエルは自身の膝を叩いた。

 どうやらそこに座れと言っているようで、半ば立ち上がり掛けていたものの、再度ベッドに脚を掛けた。

 自身の重みでぎしりとベッドが軋み、しかしゆっくりとした動きでエルの真正面まで這っていく。

 じくじくと腰が痛んだが、手を伸ばせば頬に触れられるほどの距離まで来る。

「……いい子だね」

 朔真、と重ねて名を呼ばれる。

 その声音はあまりにも優しく、ともすれば情事を思わせる時のそれに近くて、不覚にも心臓が高鳴った。

「っ」

 そろりとエルの大きな手が己のそれに触れ、壊れ物を扱うように両手で包まれる。

 体温を分け与えるように包み込んだかと思えば、エルは何を思ったか自身の唇にアルトの手ごと引き寄せた。

 かと思えばぎゅうと深く握り締められ、指先から全身にじわじわと熱が伝わる。

 そのままもう一度唇に寄せられ、それきり黙り込んだ。

「エ、ル……?」

 小さく呼び掛けても、エルは目を伏せたまま微動だにしない。

 これではしばらくの間されるがままになるしかできず、しかしアルトはエルから目を逸らせなかった。

(やっぱり綺麗だ)

 長い睫毛が頬に影を落とすさま一つ取っても妖艶で、未だにこの男が自身を好いてくれているのが夢なのかと思ってしまう。

 元の世界ではただ生きるだけで、恋愛をする暇も無かった。

 一年を通して休みという休みも無いに等しく、何度も辞めてやろうと思ったものの、気付けばこの世界に居てエルに出会っていた。

 それから少しずつ愛し愛される喜びを知り、何度もすれ違う事はあっても最終的に和解し、本当の意味で生きるという喜びを知ったのだ。

(俺はお前に出会えて良かった。……でも)

 今のようにエルの辛そうな顔を見た事が何度かあり、目にする度に本当にこれで良かったのかと不安になったりもした。

 すべては『朔真』をこれ以上ないほど愛してくれるからで、好き過ぎるが故だと今なら分かる。

 ただ、悲しそうな顔を見るのが嫌なのだ。

 常に笑っていてくれとは言わないが、あまりに今のエルが悲壮感で満ちているためか悪い方へばかり考えてしまう。

(せめて俺がしっかりしないと。それから、不安にさせないように)

 こちらが少し気を抜けば、エルは何かしらを抱え込む節がある。

 それは己でも自覚しているためあまり強くは言えないが、なんでも話せるほど信頼されたかった。

(……俺がエルを守るんだ)

 剣を持てばリネスト国で右に出る者は無く、護衛に守ってもらう必要などないほどだと以前言っていた。

 それでもエルが辛い時、不安な時、一番に帰る場所は己の隣りであって欲しい。

 それほど深く愛しているため、寄り添いたかった。

 やがてエルは満足したのか、ゆっくりと瞼が上がる。

 エルは二度三度と瞬き、間近で絡み合った水色の瞳には自身の顔が映っていた。

 それまでどこかぼんやりとしていた思考が、はっきりと覚醒する。

「ご、ごめ……っ!」

 そこで今の状況がキス出来そうなほど近い事に気付き、アルトは無意識に後退あとずさろうとわずかに膝を下げた。

 しかし自身がいる場所がベッドの上だということも忘れ、体勢を崩しそうになる。

「朔真っ……!」

 来たる衝撃に備えてきつく瞼を閉じると、すんでのところでエルの腕に抱き留められた。

 ふわりと香った石鹸の匂いを自覚したと同時に、心臓が早鐘を打った。

「はぁ……危ないだろう」

 ぎゅうと腕の力を込められ、呆れを含んだエルの声が直接耳元に吹き込まれる。

 耳朶に触れるように唇を寄せられ、意思に反してぞわぞわと背中が震えてしまう。

「──ここ、痛い?」

 こちらの様子に気付いているのかいないのか、不意にエルの指先が首筋に触れた。

「っ……」

 瞬間、ぴりりとした痛みが走り、無意識に肩を竦める。

 そこは昨夜だけで幾度も花を散らされ、何度も歯を立てられた場所だ。

 鏡を見ていないため全貌は分からないが、きっと真っ赤になっているのは確実だろう。

「ノアに頼んで薬を届けさせる。……ごめん、痛いよね」

 すぐ傍から声が降り、何度目かも分からない謝罪を口にされる。

 エルは昨日の事をずっと根に持っており、こちらが何か言う隙を与えてくれない。

 心から反省しているのは痛いほど分かったが、それでも口を挟む権利はあるはずだ。

「な、んで……謝るんだ」

 アルトはエルの肩口に顔を埋め、小さく言った。

 ぴくりと肩が揺れたのを感じながら、尚も続ける。

「お前一人で抱え込んで。俺だって、俺が……ちゃんと言わなかったから、悪いのに」

「ちが──」

「違わない。大体、エルは頑張り過ぎなんだ」

 エルの言葉を遮るように声を重ね、そっと頬に触れた。

 氷のように冷たい体温にわずかに目を瞠ったが、きゅっと眉間に力を入れて耐える。

 そうでもしないと泣いてしまいそうで、これ以上心配させたくなかった。

「……何日か陛下がいないから頑張らないと、ってのは分かる。けど、自分でも疲れてるのに気付いてないだろ?」

 顔を上げると目元に触れ、うっすらと隈があるそこを何度も撫でる。

 思えば辺境伯らが滞在するようになってから、エルのわずかな変化にも気付いていなかった。

 王太子として国王の補佐をする反面、公務やその他の雑務もある。

 それだけでなく時にはパーティーも主催しているため、アルトが思っているよりもやる事が多いというのに。

 けれど自分は午前中からジョシュアの相手をしているから、と理由を付けてエルと触れ合う事も最小限だった。

 それをエルは何も言わず休ませてくれ、その優しさに甘えていたのだと今なら思う。

 心のどこかでは触れたいと思っていてくれて、少しでもいいから話したい──髪を結んで欲しいと言っていたのも、エルなりの触れ合いなのだろう。

 それを最初から分かっていたら、素っ気ない態度を取らなかったはずだ。

 恥ずかしさを押し殺して、真正面から顔を見て話せたはずだ。

 嫉妬されるのは嬉しい反面、もっと早く『ネロと仲良くするのは止めてくれ』と言ってくれていたら。

(……なんて考えても遅いけど)

 もう後戻りできない過去の事になってしまったが、ここまでエルが疲労を滲ませているのを見るのは嫌だった。

「エルのこと、もっと知りたい」

 やがてアルトは顔を上げ、ぽつりと囁くように言う。

 今すぐに寝ろとは言わないが、少しでも笑みを向けて欲しかった。

 エルには悲しそうな顔よりも笑顔が似合う。

 それは出会った頃から今まで変わらない、素直な思いだ。

「……俺にされて嫌なこととか、嬉しいこととか。疲れてる時はこうして欲しいとか、なんでもいいんだ」

 そう言い終えるとぎゅうと抱き締め、今度はこちらから耳朶に唇を寄せた。

「エルヴィズがして欲しいこと、教えて」

 だから悲しそうな顔をするのも、謝るのももう止めてくれ。

 そんな想いを言葉に乗せる。

「──貴方、は」

 何かに耐えるように押し殺した声が響いたかと思えば、ぐるりと視界が回った。

「っ」

 ぽす、と頭に柔らかな感覚が伝わり、押し倒された事に気付く。

 真正面から見つめた男は泣き笑っており、ぽたぽたと顔に熱い雫が落ちる。

「あ……っ」

 綺麗だと思った。

 場違いだというのは分かっていても、そう思わずにはいられない。

 アルトは無意識に手を伸ばし、エルの頬に触れた。
 ほろほろと伝う雫を指先で掬い取り、それを何度か繰り返す。

 こちらのされるがままにされており、やがてゆっくりとエルの顔が近付いてきた。

 キスされる気配を感じ、そっと目を伏せる。

「……朔真」

 甘く名を呼ばれて受ける口付けは、少し塩気を感じた。
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