老人と都会

B.Luis

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老人と都会

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 人生そのものを丸ごと故郷に置いてきてしまったようだった。

 初めて見る都会の街並みと人の多さに圧倒され、ぽかんと口を開けて大通りを歩いていると、いつの間にか色街に迷い込んでしまっていたらしい。
 それからしばらく歩く間、田舎者の老人でしかない私の袖を引く厚化粧の女たちを必死で振り払わねばならなかった。むっとするほどの香水と葉巻の匂い。彼女たちの吐息をしわの寄った頬や首筋に感じていると、村に暮らす純朴な娘っ子たちの顔をふと思い出して悲しくなった。彼女たちも都会に生まれ落ちることがあれば、老人にすら色目を使う売女に成り果てる可能性があったのだろうかと。
 すっかり疲れ切ってしまった私は、まだ陽があるうちに民宿へと引っ込み、ひとまずは旅の疲れを癒やすことにした。

   ◇

 翌朝、安宿の寝台で目を覚ました私は、長年の習慣として窓から顔を出し、鼻をひくひくさせて天の具合を確かめた。年をとって目も鼻も耳も鈍くなってきたはずなのに、天気予測の精度は不思議にも年々上がっている。

「よい天気ですね」

 と挨拶してきた宿屋の主人に、

「お昼まではそうでしょうね」

 と返すのを忘れなかった。
 主人は怪訝そうな表情を一瞬浮かべたものの愛想よく送り出してくれたが、村の連中であれば「大変。先に洗濯を済ませてしまわないと」と水場へ走ってゆくだろう。老人の勘に疑問を挟む者など、私のいた村にはひとりとしていなかったのだ。

 昨日、街へ着いたばかりのときは気がつかなかったが、山や森と同様に、都会にもよい気の流れと悪い気の流れが存在することが分かった。雑多に人工物が建ち並んでいるようで、その実、地域ごとに気配が異なる。澄んだ場所を往来する人々の目は澄んでいるし、淀んだ場所に入り浸っている人々の目はやはり淀んでいる。同じ都会に暮らす彼らがいくら鏡を覗き込んだところで気づくことはないだろうが。
 私は淀んだ気の流れを避けて歩き続け、待ちの中心部からは程遠い寂れた食堂へと入っていった。

 食堂は若者たちの溜まり場になっていて、彼らはささやかな賭け事に興じていた。
 見物人の客たちに冷やかされながらも真剣な表情で彼らが興じる遊戯は、故郷で若者たちが一度は没頭する遊びによく似ていた。
 村でも定番のエール酒が出てきて気分がよくなっていたこともあってか、私もその遊戯に参加し、運良く大勝を果たした。運の要素が大きい遊戯であるため、欲をかかず、その場に溶け込んでしまうような気持ちでのんびりと展開を愉しむことが肝要であることを経験から知っていた。どう足掻いても結果が伴わないことも多い遊戯の場合、全身の力を抜いて、強引に勝とうなどと思わないことだ。そうしたときの対処法もあるにはあるのだが、今回は使わずに済んだ。

「ご老体、なかなかお強いですな」
「はは、たまたまですよ」

 儲けた金で彼らにエール酒を奢ってやったのは、気のいい連中と出会えて私も心が幾分安らいだからであった。

「ご老体のような方がなぜこのような喧噪の街に出てこられたのです?」
「なんてことはありませぬ。私は生まれてから一度も村を出たことがありませんで。死ぬ前に一度、都会というものを見ておきたかったのですよ」
「なんと。ご容態が悪いのですか?」
「いえいえ。今はこの通りぴんぴんしておりますがね。なにせ歳なものですから、この先いつ何があるかは分かりますまい」
「なるほど」

 都会の若者たちは街の門までわざわざ見送ってくれた。こうして私は都会の短い観光を終え、自分の生まれ育った村へ帰ったのだった。
 都会もなかなかに捨てたものではない、と思いながら。



(了)
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