【完結】夜明けの猫は、致死量の愛の夢を見る

文野さと@書籍化・コミカライズ

文字の大きさ
14 / 61

第14話 予兆 1

しおりを挟む
 更に四年の月日が経った。
 オーリ、十八歳の秋である。

「ユカリノ様! 右から来ます! 大きい! あと十メルト!」
 オーリは樹上から指示を出した。
「よし!」
 目の前のケガレを祓ったユカリノは、息をつく暇もなく右から襲いかかる悪意の塊に向かって、霊刀フツを斜めに翳《かざ》し、構えをとる。
 大木の太い枝で足場を固めたオーリは、赤黒い怪物に向かって弓を放った。
 普通の矢でケガレは祓えない。しかし、ユカリノの髪を巻きつけた矢尻は、少なくとも動きを鈍くする効果があるのだ。
 これはユカリノの手伝いをしているうちに、オーリが掴み取った技である。

 八歳で森に捨てられ、ユカリノと出会った最初の三年間は、ひたすら人との関わりを覚え、時折ユカリノが訪ねてくれるのを待つだけの日々だった。
 その後の三年は、ほとんどユカリノの従者と言ってもいい暮らしで、ヤマトであるユカリノの苦悩や、自分ができることに向き合った。
 変わらないのは、誠心誠意ユカリノに尽くすことだ。
 ユカリノの髪を編み込んだ腕輪がお守りになるのなら、武器にユカリノの一部を組み込むのはどうか?
 そう思って、彼女の髪を梳く時に櫛に残った髪を矢尻に仕込んでみた。
 すると、効いたのである。それを見たユカリノは、自分の髪を耳元から切り落とそうとしたが、それはオーリが全力で止めた。
「なんで?」
「なんででも! 絶対にダメです! 究極にダメです! 怒りますからね!」
 ユカリノの髪を切るなど、とんでもないことだとオーリは思っている。いざとなれば、自分がケガレとユカリノの間に割り込めばいいのだ。
 長年ユカリノの傍にいたせいか、オーリはケガレの動きが読めるようになってきている。
 少しでも役に立ちたいと奮闘するオーリを見かね、ユカリノは自分が持っている、もう一つの霊刀をオーリに与えた。
 それは刀ではなく、刀子《とうす》と呼ばれる小さな刃である。
 ケガレはこの大陸の武器では祓えない。ヤマトの故郷であるアキツクニと呼ばれる、東の島で鍛えられた鋼《はがね》だけが悪霊を祓えるのだ。それは神の宿る水と火により、万回も打たれた刃だ。
 霊刀には一つ一つに名前がついていて、オーリには読めない文字で刀身に彫り込まれている。
 ユカリノは言った。
「そいつの名前はアスカという。お前はヤマトではないから、刀子のみの霊力でしか戦えない。武器を過信するな」
「はい」
 ヤマトは霊刀に宿る力に、自分の霊力をのせてケガレを祓う。だから、ヤマトでないオーリは、この小さな刀子の力が頼りだ。
 しかし小型のケガレならば深く斬れば有効だし、大きなものでも一瞬、動きを緩める効果は確認できたのだ。
「オーリはすごいな。ヤマト以外に、これほど霊刀を扱える人間を初めて見た。アスカと波長が合うのかな?」
「だったらいいな。俺、アスカ好きです。ちっちゃいところが特に!」
 ユカリノに褒められて、オーリは嬉しかった。だから、オーリは今日も弓や剣の腕を磨く。
 インゲルは大きな町ではないだけに、盗賊やケガレに狙われやすい。だからこそ、ユカリノの守屋が町の北東に置かれているのだ。
 ただケガレは、人を喰ってガキにならない限り、城壁を越えられないが、盗賊は違う。過去には実りの季節や、春に行われる女の成人式に、襲撃を受けたことがある。そのため、強い辺境警備が常駐しているし、街道の警備兵もいる。
 毎日の生活で忙しいオーリだが、その合間を縫って衛士や兵士たちに稽古をつけてもらっていた。大人である彼らも、オーリの素質を見抜き、将来の同僚だなどと軽口を叩きながら、稽古につきあってくれたのだ。
 少年の域を脱しつつあるオーリは、大人の兵士と対等に剣を交えられるほどの腕になっていた。

「今です! ユカリノ様!」
「リン・トウ・ビョウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン! 無に還れ!」
 左手で印を切りながら、優雅な直刀で、触手を伸ばそうとする赤黒い塊を薙《な》ぐ。途端にケガレは蒸発するように霧散した。
 それが祓い──浄化なのだった。
 しかし、この夜は新月ということもあって、湧き出すケガレは分厚く数も多かった。
 オーリもある限りの弓を放ち続け、ついには地面に飛び降りると、ユカリノを庇うように前に立って、刀子を振るった。オーリによって動きが鈍くなったケガレを、舞を舞うようにユカリノが祓ってゆく。
 気がついた時には夜明けの寸前、闇が一番濃くなる時刻だった。
「うあ!」
 大きめのケガレにユカリノが気を取られている時、地面から伸びた細い触手がオーリの右腕に巻きついた。しかし、巻きついた触手は、オーリが叩き斬ろうとした瞬間、蒸発してしまった。
 じゅ! という悲鳴のような音を発して。
「オーリ!」
 ユカリノが叫ぶ。
「大丈夫です。俺が斬りました」
 実はオーリの刀子は、間に合わなかったのだが、なぜかケガレの方が先に消えてしまったのだ。
「さぁっ!」
 オーリの背後に蟠《わだかま》っていた最後のケガレを、ユカリノが両断し、霧に変える。
 暗い森に水のような朝の光が差し込むのと、ユカリノが膝をついたのは同時だった。
「ユカリノ様!」
 オーリは息を弾ませて、剣に寄りかかるユカリノに駆け寄る。
「ユカリノ様! どこかお怪我を!?」
「だい……じょうぶ。少しあてられただけだ」
 一晩中ケガレを祓うと、いくらヤマトといえども、瘴気に当てられ、著しく体力を消耗する。昨夜は今までで一番大きなケガレが多く、苦しい戦いだった。初夏で、まだしも夜が短いことが幸いしたのだろうが、それでもユカリノの疲弊は酷い。
「私のことよりオーリ、腕を見せろ」
「俺のことなんて!」
「いいから見せろ。ああ、火傷のような痕が……」
 ねばねばの触手が手首に巻き付いたところが、輪のように赤く爛《ただ》れている。
「痛いだろう……すまないオーリ。私が遅かったから」
「痛くないです! それよりユカリノ様のほうがお辛そうです。今夜は久しぶりにシンゴンも使いましたし」
 オーリは傷のない腕で、ユカリノを支えた。ユカリノも限界だったのか、素直に身をまかしてくれる。
 シンゴンというのは大和に伝わる、邪鬼祓いの聖なる言葉だ。
 かつてはいくつかあったそうだが、残っているのは、このクジと呼ばれるシンゴンだけで、ユカリノは滅多にそれを使わない。霊力を持つ言葉は反動も大きいからだ。
「大丈夫だ。禊《みそぎ》をすればすぐに回復する。すまないが守屋まで支え」「失礼します」
 オーリはそう言って、片手でユカリノを抱き上げた。
「ちょっ……オーリ!」
「大丈夫です。ユカリノ様、力を抜いて、俺にもたれて」
「……む」
 上から微笑みかけるオーリの言葉に、ユカリノはゆっくりと目を閉じた。そのまま、のしのしと運ばれる。
 頼もしい揺れが心地よかった。


   *****

いきなり4年後です。
こっからこっから!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

処理中です...