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第14話 予兆 1
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更に四年の月日が経った。
オーリ、十八歳の秋である。
「ユカリノ様! 右から来ます! 大きい! あと十メルト!」
オーリは樹上から指示を出した。
「よし!」
目の前のケガレを祓ったユカリノは、息をつく暇もなく右から襲いかかる悪意の塊に向かって、霊刀フツを斜めに翳《かざ》し、構えをとる。
大木の太い枝で足場を固めたオーリは、赤黒い怪物に向かって弓を放った。
普通の矢でケガレは祓えない。しかし、ユカリノの髪を巻きつけた矢尻は、少なくとも動きを鈍くする効果があるのだ。
これはユカリノの手伝いをしているうちに、オーリが掴み取った技である。
八歳で森に捨てられ、ユカリノと出会った最初の三年間は、ひたすら人との関わりを覚え、時折ユカリノが訪ねてくれるのを待つだけの日々だった。
その後の三年は、ほとんどユカリノの従者と言ってもいい暮らしで、ヤマトであるユカリノの苦悩や、自分ができることに向き合った。
変わらないのは、誠心誠意ユカリノに尽くすことだ。
ユカリノの髪を編み込んだ腕輪がお守りになるのなら、武器にユカリノの一部を組み込むのはどうか?
そう思って、彼女の髪を梳く時に櫛に残った髪を矢尻に仕込んでみた。
すると、効いたのである。それを見たユカリノは、自分の髪を耳元から切り落とそうとしたが、それはオーリが全力で止めた。
「なんで?」
「なんででも! 絶対にダメです! 究極にダメです! 怒りますからね!」
ユカリノの髪を切るなど、とんでもないことだとオーリは思っている。いざとなれば、自分がケガレとユカリノの間に割り込めばいいのだ。
長年ユカリノの傍にいたせいか、オーリはケガレの動きが読めるようになってきている。
少しでも役に立ちたいと奮闘するオーリを見かね、ユカリノは自分が持っている、もう一つの霊刀をオーリに与えた。
それは刀ではなく、刀子《とうす》と呼ばれる小さな刃である。
ケガレはこの大陸の武器では祓えない。ヤマトの故郷であるアキツクニと呼ばれる、東の島で鍛えられた鋼《はがね》だけが悪霊を祓えるのだ。それは神の宿る水と火により、万回も打たれた刃だ。
霊刀には一つ一つに名前がついていて、オーリには読めない文字で刀身に彫り込まれている。
ユカリノは言った。
「そいつの名前はアスカという。お前はヤマトではないから、刀子のみの霊力でしか戦えない。武器を過信するな」
「はい」
ヤマトは霊刀に宿る力に、自分の霊力をのせてケガレを祓う。だから、ヤマトでないオーリは、この小さな刀子の力が頼りだ。
しかし小型のケガレならば深く斬れば有効だし、大きなものでも一瞬、動きを緩める効果は確認できたのだ。
「オーリはすごいな。ヤマト以外に、これほど霊刀を扱える人間を初めて見た。アスカと波長が合うのかな?」
「だったらいいな。俺、アスカ好きです。ちっちゃいところが特に!」
ユカリノに褒められて、オーリは嬉しかった。だから、オーリは今日も弓や剣の腕を磨く。
インゲルは大きな町ではないだけに、盗賊やケガレに狙われやすい。だからこそ、ユカリノの守屋が町の北東に置かれているのだ。
ただケガレは、人を喰ってガキにならない限り、城壁を越えられないが、盗賊は違う。過去には実りの季節や、春に行われる女の成人式に、襲撃を受けたことがある。そのため、強い辺境警備が常駐しているし、街道の警備兵もいる。
毎日の生活で忙しいオーリだが、その合間を縫って衛士や兵士たちに稽古をつけてもらっていた。大人である彼らも、オーリの素質を見抜き、将来の同僚だなどと軽口を叩きながら、稽古につきあってくれたのだ。
少年の域を脱しつつあるオーリは、大人の兵士と対等に剣を交えられるほどの腕になっていた。
「今です! ユカリノ様!」
「リン・トウ・ビョウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン! 無に還れ!」
左手で印を切りながら、優雅な直刀で、触手を伸ばそうとする赤黒い塊を薙《な》ぐ。途端にケガレは蒸発するように霧散した。
それが祓い──浄化なのだった。
しかし、この夜は新月ということもあって、湧き出すケガレは分厚く数も多かった。
オーリもある限りの弓を放ち続け、ついには地面に飛び降りると、ユカリノを庇うように前に立って、刀子を振るった。オーリによって動きが鈍くなったケガレを、舞を舞うようにユカリノが祓ってゆく。
気がついた時には夜明けの寸前、闇が一番濃くなる時刻だった。
「うあ!」
大きめのケガレにユカリノが気を取られている時、地面から伸びた細い触手がオーリの右腕に巻きついた。しかし、巻きついた触手は、オーリが叩き斬ろうとした瞬間、蒸発してしまった。
じゅ! という悲鳴のような音を発して。
「オーリ!」
ユカリノが叫ぶ。
「大丈夫です。俺が斬りました」
実はオーリの刀子は、間に合わなかったのだが、なぜかケガレの方が先に消えてしまったのだ。
「さぁっ!」
オーリの背後に蟠《わだかま》っていた最後のケガレを、ユカリノが両断し、霧に変える。
暗い森に水のような朝の光が差し込むのと、ユカリノが膝をついたのは同時だった。
「ユカリノ様!」
オーリは息を弾ませて、剣に寄りかかるユカリノに駆け寄る。
「ユカリノ様! どこかお怪我を!?」
「だい……じょうぶ。少しあてられただけだ」
一晩中ケガレを祓うと、いくらヤマトといえども、瘴気に当てられ、著しく体力を消耗する。昨夜は今までで一番大きなケガレが多く、苦しい戦いだった。初夏で、まだしも夜が短いことが幸いしたのだろうが、それでもユカリノの疲弊は酷い。
「私のことよりオーリ、腕を見せろ」
「俺のことなんて!」
「いいから見せろ。ああ、火傷のような痕が……」
ねばねばの触手が手首に巻き付いたところが、輪のように赤く爛《ただ》れている。
「痛いだろう……すまないオーリ。私が遅かったから」
「痛くないです! それよりユカリノ様のほうがお辛そうです。今夜は久しぶりにシンゴンも使いましたし」
オーリは傷のない腕で、ユカリノを支えた。ユカリノも限界だったのか、素直に身をまかしてくれる。
シンゴンというのは大和に伝わる、邪鬼祓いの聖なる言葉だ。
かつてはいくつかあったそうだが、残っているのは、このクジと呼ばれるシンゴンだけで、ユカリノは滅多にそれを使わない。霊力を持つ言葉は反動も大きいからだ。
「大丈夫だ。禊《みそぎ》をすればすぐに回復する。すまないが守屋まで支え」「失礼します」
オーリはそう言って、片手でユカリノを抱き上げた。
「ちょっ……オーリ!」
「大丈夫です。ユカリノ様、力を抜いて、俺にもたれて」
「……む」
上から微笑みかけるオーリの言葉に、ユカリノはゆっくりと目を閉じた。そのまま、のしのしと運ばれる。
頼もしい揺れが心地よかった。
*****
いきなり4年後です。
こっからこっから!
オーリ、十八歳の秋である。
「ユカリノ様! 右から来ます! 大きい! あと十メルト!」
オーリは樹上から指示を出した。
「よし!」
目の前のケガレを祓ったユカリノは、息をつく暇もなく右から襲いかかる悪意の塊に向かって、霊刀フツを斜めに翳《かざ》し、構えをとる。
大木の太い枝で足場を固めたオーリは、赤黒い怪物に向かって弓を放った。
普通の矢でケガレは祓えない。しかし、ユカリノの髪を巻きつけた矢尻は、少なくとも動きを鈍くする効果があるのだ。
これはユカリノの手伝いをしているうちに、オーリが掴み取った技である。
八歳で森に捨てられ、ユカリノと出会った最初の三年間は、ひたすら人との関わりを覚え、時折ユカリノが訪ねてくれるのを待つだけの日々だった。
その後の三年は、ほとんどユカリノの従者と言ってもいい暮らしで、ヤマトであるユカリノの苦悩や、自分ができることに向き合った。
変わらないのは、誠心誠意ユカリノに尽くすことだ。
ユカリノの髪を編み込んだ腕輪がお守りになるのなら、武器にユカリノの一部を組み込むのはどうか?
そう思って、彼女の髪を梳く時に櫛に残った髪を矢尻に仕込んでみた。
すると、効いたのである。それを見たユカリノは、自分の髪を耳元から切り落とそうとしたが、それはオーリが全力で止めた。
「なんで?」
「なんででも! 絶対にダメです! 究極にダメです! 怒りますからね!」
ユカリノの髪を切るなど、とんでもないことだとオーリは思っている。いざとなれば、自分がケガレとユカリノの間に割り込めばいいのだ。
長年ユカリノの傍にいたせいか、オーリはケガレの動きが読めるようになってきている。
少しでも役に立ちたいと奮闘するオーリを見かね、ユカリノは自分が持っている、もう一つの霊刀をオーリに与えた。
それは刀ではなく、刀子《とうす》と呼ばれる小さな刃である。
ケガレはこの大陸の武器では祓えない。ヤマトの故郷であるアキツクニと呼ばれる、東の島で鍛えられた鋼《はがね》だけが悪霊を祓えるのだ。それは神の宿る水と火により、万回も打たれた刃だ。
霊刀には一つ一つに名前がついていて、オーリには読めない文字で刀身に彫り込まれている。
ユカリノは言った。
「そいつの名前はアスカという。お前はヤマトではないから、刀子のみの霊力でしか戦えない。武器を過信するな」
「はい」
ヤマトは霊刀に宿る力に、自分の霊力をのせてケガレを祓う。だから、ヤマトでないオーリは、この小さな刀子の力が頼りだ。
しかし小型のケガレならば深く斬れば有効だし、大きなものでも一瞬、動きを緩める効果は確認できたのだ。
「オーリはすごいな。ヤマト以外に、これほど霊刀を扱える人間を初めて見た。アスカと波長が合うのかな?」
「だったらいいな。俺、アスカ好きです。ちっちゃいところが特に!」
ユカリノに褒められて、オーリは嬉しかった。だから、オーリは今日も弓や剣の腕を磨く。
インゲルは大きな町ではないだけに、盗賊やケガレに狙われやすい。だからこそ、ユカリノの守屋が町の北東に置かれているのだ。
ただケガレは、人を喰ってガキにならない限り、城壁を越えられないが、盗賊は違う。過去には実りの季節や、春に行われる女の成人式に、襲撃を受けたことがある。そのため、強い辺境警備が常駐しているし、街道の警備兵もいる。
毎日の生活で忙しいオーリだが、その合間を縫って衛士や兵士たちに稽古をつけてもらっていた。大人である彼らも、オーリの素質を見抜き、将来の同僚だなどと軽口を叩きながら、稽古につきあってくれたのだ。
少年の域を脱しつつあるオーリは、大人の兵士と対等に剣を交えられるほどの腕になっていた。
「今です! ユカリノ様!」
「リン・トウ・ビョウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン! 無に還れ!」
左手で印を切りながら、優雅な直刀で、触手を伸ばそうとする赤黒い塊を薙《な》ぐ。途端にケガレは蒸発するように霧散した。
それが祓い──浄化なのだった。
しかし、この夜は新月ということもあって、湧き出すケガレは分厚く数も多かった。
オーリもある限りの弓を放ち続け、ついには地面に飛び降りると、ユカリノを庇うように前に立って、刀子を振るった。オーリによって動きが鈍くなったケガレを、舞を舞うようにユカリノが祓ってゆく。
気がついた時には夜明けの寸前、闇が一番濃くなる時刻だった。
「うあ!」
大きめのケガレにユカリノが気を取られている時、地面から伸びた細い触手がオーリの右腕に巻きついた。しかし、巻きついた触手は、オーリが叩き斬ろうとした瞬間、蒸発してしまった。
じゅ! という悲鳴のような音を発して。
「オーリ!」
ユカリノが叫ぶ。
「大丈夫です。俺が斬りました」
実はオーリの刀子は、間に合わなかったのだが、なぜかケガレの方が先に消えてしまったのだ。
「さぁっ!」
オーリの背後に蟠《わだかま》っていた最後のケガレを、ユカリノが両断し、霧に変える。
暗い森に水のような朝の光が差し込むのと、ユカリノが膝をついたのは同時だった。
「ユカリノ様!」
オーリは息を弾ませて、剣に寄りかかるユカリノに駆け寄る。
「ユカリノ様! どこかお怪我を!?」
「だい……じょうぶ。少しあてられただけだ」
一晩中ケガレを祓うと、いくらヤマトといえども、瘴気に当てられ、著しく体力を消耗する。昨夜は今までで一番大きなケガレが多く、苦しい戦いだった。初夏で、まだしも夜が短いことが幸いしたのだろうが、それでもユカリノの疲弊は酷い。
「私のことよりオーリ、腕を見せろ」
「俺のことなんて!」
「いいから見せろ。ああ、火傷のような痕が……」
ねばねばの触手が手首に巻き付いたところが、輪のように赤く爛《ただ》れている。
「痛いだろう……すまないオーリ。私が遅かったから」
「痛くないです! それよりユカリノ様のほうがお辛そうです。今夜は久しぶりにシンゴンも使いましたし」
オーリは傷のない腕で、ユカリノを支えた。ユカリノも限界だったのか、素直に身をまかしてくれる。
シンゴンというのは大和に伝わる、邪鬼祓いの聖なる言葉だ。
かつてはいくつかあったそうだが、残っているのは、このクジと呼ばれるシンゴンだけで、ユカリノは滅多にそれを使わない。霊力を持つ言葉は反動も大きいからだ。
「大丈夫だ。禊《みそぎ》をすればすぐに回復する。すまないが守屋まで支え」「失礼します」
オーリはそう言って、片手でユカリノを抱き上げた。
「ちょっ……オーリ!」
「大丈夫です。ユカリノ様、力を抜いて、俺にもたれて」
「……む」
上から微笑みかけるオーリの言葉に、ユカリノはゆっくりと目を閉じた。そのまま、のしのしと運ばれる。
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