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195年 袁煕転生
第5話 頼みますよ父上
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翌日、俺はマオに手伝ってもらいながら衣冠を正していた。
これから会いに行く相手は、河北一円を征する武門の棟梁、袁紹その人だからだ。
史実では袁紹は俺、袁煕の惰弱な部分を嫌って早々に後継者候補から外している。まだ先の話になるが、公孫瓚を滅亡させた後には、僻地である幽州へと追いやられるほどだ。
袁煕に対する風当たりは強いだろう。しかも仮病を使って、袁紹の凱旋祝いを欠席している。会う前から好感度はマイナスに振り切ってるのかもしれない。
「マオ、父上に先触れは出してあるよね」
「はい! 万事顕奕様のご意思通りに差配しておりますですよ!」
「それならいいんだ。苦労をかける」
「はうぁっ! 猫は顕奕様の手足でございますれば、お役目を賜れることは誉れでありますよ!」
恐縮しているマオの肩に手を置き、慰労の気持ちを伝える。
ふっと香る梅の香りは、マオの身に着けている香嚢からだろうか。少しだけ心が軽くなった気がした。
――
守備兵が戈を持って警備する、袁家当主の御座所の前。大きな門扉は朱と金で彩られ、豪族の威光を醸し出していた。
迂闊に近寄ると斬られる。自らの立ち居振る舞いを正しく機能させないと、無事には帰れないという雰囲気が漂っている。
「袁家当主、袁本初様が第二子。袁顕奕が拝謁の許可を奏上したい」
「承っております。どうぞ」
先触れは出してあるので、その後の入室はスムーズだった。
黒い頭巾を被った文官に先導され、俺は真っすぐに当主の座へと足を進める。
「御館様、第二子袁顕奕様が御前に参っております」
「うむ、下がれ」
やや高く、雅やかな声だった。
俺は顔を上げ、袁家の長たる袁本初その人と対面する。
「発言を許可する」
「はっ、許可を賜りましてお答えいたします。袁顕奕、先の凱旋に馳せ参じることが出来なかったこと、誠慙愧の念に堪えず、謝罪にまかり越しました。御父上のご寛恕におすがりしたく……」
袁紹。字を本初。今世の俺のパパンである。
河北一帯を征する大勢力の長であり、漢室に三公を輩出した名門の代表だ。
対面した袁紹は、立派な髭を蓄えた、気力みなぎる壮年と感じられた。椅子に腰かけているが、身長はかなり高いだろう。肉体も戦場で鍛えたのか、ガッチリとしている。
もっと金ぴかな衣装を纏っているかと思ったが、実用的な薄い黄色の直裾袍を身に着け、こぶし大よりも少し大きい冠を着けていた。
「まあ落ち着くがよい、顕奕。貴様の虚弱体質は幼少の頃より知っておるわ。こうして私を労いに来ただけでも、その気遣いは伝わるというもの。無理はさせぬから、大人しく養生しておれ」
「寛大なお言葉に感謝申し上げます。御父上の武功を間近で学びたかったのですが、ままならぬこの身ゆえ、ご期待に沿えずにおります。そこで本日、私は二つの案を奏上したく思います。発言の許可をいただけるでしょうか」
ほう、というような顔つきになった。袁紹は驚くと眉毛が片方吊り上がるらしい。
「何事にも受け身だった貴様が献策とな。子は見ぬ間に成長するとは聞くが、果たして良い方向に育っているか判断したくなるものだな。申してみるがいい」
ほっと一息いれ、俺はまず自らの修行の件を話す。
「この顕奕、このまま床に臥せているは武門の名折れとつくづく実感致しました。故にこの虚弱体質を治すべく、御父上の家臣のお力をお借りしたい次第でございます」
「自覚しているだけまだ見込みはあるか。娘二人にも見習わせたいものだ。それで、誰に師事したいのだ」
一軍武将全員、まとめて俺を鍛えてくれ。北方で首チョンコースは必ず避けるぞ。
「田豊様をはじめ智嚢の方々より学び、知恵や応用力、兵法を学びたく思います。また二枚看板の将軍様より武の稽古や、軍の動かし方を会得したく存じます」
「私の股肱の臣を、お前の教育役に貸せとな。ふ、顕奕よ、私の座を奪い取るつもりか?」
「滅相も御座いません。袁家の頭領は御父上をおいて他にはありません。この顕奕、戦乱の世にて御父上を補佐できるよう、この身を激流に任せたいと思ったまででございます」
袁紹はあごひげをしごきながら、目を細めて俺を凝視している。それはまるで、息子ではなく別の誰かと相対しているかのように。
「顕奕、何かお前の心を変える出来事があったのか。以前の貴様は、万事私の言うとおりにしか動けぬ者であった。こうして物申すなど考えられん程にな」
「汗顔の至りでございます。過去を清算すべく、今後の修行をさせていただきたくお願い申し上げます」
「よかろう、知に関しては沮授、武に関しては張郃に任せるとしよう。誰かある! 彼の者たちに顕奕を鍛えよと文を書いて届けよ。死ぬほどしごいてよいと加えておけ」
命令を受け取った文官は、急いで端っこにある文机でしたため始める。
さて、第一関門はクリアだ。次はほんとやべー話だよ。なんせ発案者が郭図だからな。
「二つ目を申し上げます。御父上に置かれましては、いずれ北方の公孫瓚と雌雄を決する時期が来ることと存じます。河北一円を全て袁家の旗に塗り替えるは、これ中華に平和をもたらすと同義でございます」
「公孫の下民どもの跋扈を許すつもりはない。彼奴等の助命であれば、聞く耳は持たぬぞ」
まあ、うん。公孫瓚はしゃーない。暴れすぎたから、放置しておくだけで害悪だ。
「はい。必ず打倒すべき相手でございます。して、その決戦はいつ頃が適しているかとの談義を耳に致しまして、畏れ多くもお尋ねする次第で」
「一門の行く末を占う大事な戦だ。即断で決めては鼎の軽重が問われよう。顕奕、何か策があるのか?」
「はっ、私は『徹底的な持久戦』と『農業改革』、しかるのちに『大規模な徴兵』案を奏上いたします」
「北の害虫風情に本腰を入れて動けと? 我ら名門袁家が、言い訳が許されぬほどの態勢で軍備を増強せよということか」
誰しもが欲しがる保身の言葉がある。
「あれは全力ではなかった」
そこらの賊徒を相手にするならば、まあ敗北もあってもいいだろう。勝敗は兵家の常であり、練兵の機会ととらえれば決してマイナスばかりではない。
公孫瓚は踏み台だ。河北全土を征するため、絶対に平らげなくてはいけない相手である。調練や練兵を積み重ね、大きな合戦で勝利する経験を得る。その時の感覚を持って、来たる曹操戦に備えておきたい。
「慎重論かと思われますが、万全の態勢で臨むのが良策かと。公孫瓚は義侠を掲げておりますが、その実小心者でございます。また騎馬に頼りすぎる悪癖がありますので、突撃すら許さぬ包囲網を敷けば必ず勝利することが出来るでしょう」
「それにしては大規模な提案だな。農業改革か、まあいい、その辺は沮授に後に訊ねる。しかして顕奕よ、お主は公孫瓚の欠点をあげつらったが、袁家が本腰を入れるほどの価値があると思ってのことか?」
「私が危惧しておりますのは、南方—―現在呂布や袁術と対峙している曹操の存在でございます。あの男を放置するは、袁家にとって最高の害となりましょう」
「宦官のこせがれ程度に気を揉むか。ふむ……まあいい、貴様の『持久策』は頭に置いておこう。他の幕僚と協議し、今後の方針を決める。それでよいな?」
「望外の喜びでございます。諸先生方の采配を楽しみにしております」
「言うようになったな。よし、下がってよいぞ」
「はっ、失礼いたします」
言うことは言った、郭図が提言した速攻論の真逆を伝えたのだ、これで負けるようではもうどうしようもない。
あ、しまった! 親父殿に金の無心をするのを忘れていた。
御座所から外に出て、自らの手持ちがすっからかんなことに気づく。
うーん、何か商売でも始めた方がいいのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は自室へと戻り、マオのお茶を楽しんだのだった。
――
袁紹は冷や汗をかいていた。
虚弱にして惰弱、優柔不断の袁煕が物おじせずに直言をしてきたことにまず驚いていた。以前までならば、口をもごもごさせるだけで、影に隠れてしまう男だったはずだ。
「あやつは本当に顕奕なのか……? 驚くほどに自軍の状況に通暁し、未来への展望も匂わせている。まったく別人のような、真っすぐな瞳だったな」
持久論……か。袁紹は椅子に深く腰掛けなおし、両手を組む。
「一理ある。公孫のイナゴどもと我らでは物量差が違うからな。賊徒をいかに撃破しようとも、公孫を潰さなくては次から次に湧いてくるものだ」
冀州の黒山賊に対応する部隊からは、援軍要請も入っている。
また長女の袁譚には北海を攻略し、孔融を倒すよう命を下すつもりだった。
「手広く兵を分散させすぎたやもしれぬ。顕奕の案を以て引き締めを図るのも悪くない手段だな」
袁紹は早速、自らの参謀たる田豊・沮授を呼び寄せることにした。
これから会いに行く相手は、河北一円を征する武門の棟梁、袁紹その人だからだ。
史実では袁紹は俺、袁煕の惰弱な部分を嫌って早々に後継者候補から外している。まだ先の話になるが、公孫瓚を滅亡させた後には、僻地である幽州へと追いやられるほどだ。
袁煕に対する風当たりは強いだろう。しかも仮病を使って、袁紹の凱旋祝いを欠席している。会う前から好感度はマイナスに振り切ってるのかもしれない。
「マオ、父上に先触れは出してあるよね」
「はい! 万事顕奕様のご意思通りに差配しておりますですよ!」
「それならいいんだ。苦労をかける」
「はうぁっ! 猫は顕奕様の手足でございますれば、お役目を賜れることは誉れでありますよ!」
恐縮しているマオの肩に手を置き、慰労の気持ちを伝える。
ふっと香る梅の香りは、マオの身に着けている香嚢からだろうか。少しだけ心が軽くなった気がした。
――
守備兵が戈を持って警備する、袁家当主の御座所の前。大きな門扉は朱と金で彩られ、豪族の威光を醸し出していた。
迂闊に近寄ると斬られる。自らの立ち居振る舞いを正しく機能させないと、無事には帰れないという雰囲気が漂っている。
「袁家当主、袁本初様が第二子。袁顕奕が拝謁の許可を奏上したい」
「承っております。どうぞ」
先触れは出してあるので、その後の入室はスムーズだった。
黒い頭巾を被った文官に先導され、俺は真っすぐに当主の座へと足を進める。
「御館様、第二子袁顕奕様が御前に参っております」
「うむ、下がれ」
やや高く、雅やかな声だった。
俺は顔を上げ、袁家の長たる袁本初その人と対面する。
「発言を許可する」
「はっ、許可を賜りましてお答えいたします。袁顕奕、先の凱旋に馳せ参じることが出来なかったこと、誠慙愧の念に堪えず、謝罪にまかり越しました。御父上のご寛恕におすがりしたく……」
袁紹。字を本初。今世の俺のパパンである。
河北一帯を征する大勢力の長であり、漢室に三公を輩出した名門の代表だ。
対面した袁紹は、立派な髭を蓄えた、気力みなぎる壮年と感じられた。椅子に腰かけているが、身長はかなり高いだろう。肉体も戦場で鍛えたのか、ガッチリとしている。
もっと金ぴかな衣装を纏っているかと思ったが、実用的な薄い黄色の直裾袍を身に着け、こぶし大よりも少し大きい冠を着けていた。
「まあ落ち着くがよい、顕奕。貴様の虚弱体質は幼少の頃より知っておるわ。こうして私を労いに来ただけでも、その気遣いは伝わるというもの。無理はさせぬから、大人しく養生しておれ」
「寛大なお言葉に感謝申し上げます。御父上の武功を間近で学びたかったのですが、ままならぬこの身ゆえ、ご期待に沿えずにおります。そこで本日、私は二つの案を奏上したく思います。発言の許可をいただけるでしょうか」
ほう、というような顔つきになった。袁紹は驚くと眉毛が片方吊り上がるらしい。
「何事にも受け身だった貴様が献策とな。子は見ぬ間に成長するとは聞くが、果たして良い方向に育っているか判断したくなるものだな。申してみるがいい」
ほっと一息いれ、俺はまず自らの修行の件を話す。
「この顕奕、このまま床に臥せているは武門の名折れとつくづく実感致しました。故にこの虚弱体質を治すべく、御父上の家臣のお力をお借りしたい次第でございます」
「自覚しているだけまだ見込みはあるか。娘二人にも見習わせたいものだ。それで、誰に師事したいのだ」
一軍武将全員、まとめて俺を鍛えてくれ。北方で首チョンコースは必ず避けるぞ。
「田豊様をはじめ智嚢の方々より学び、知恵や応用力、兵法を学びたく思います。また二枚看板の将軍様より武の稽古や、軍の動かし方を会得したく存じます」
「私の股肱の臣を、お前の教育役に貸せとな。ふ、顕奕よ、私の座を奪い取るつもりか?」
「滅相も御座いません。袁家の頭領は御父上をおいて他にはありません。この顕奕、戦乱の世にて御父上を補佐できるよう、この身を激流に任せたいと思ったまででございます」
袁紹はあごひげをしごきながら、目を細めて俺を凝視している。それはまるで、息子ではなく別の誰かと相対しているかのように。
「顕奕、何かお前の心を変える出来事があったのか。以前の貴様は、万事私の言うとおりにしか動けぬ者であった。こうして物申すなど考えられん程にな」
「汗顔の至りでございます。過去を清算すべく、今後の修行をさせていただきたくお願い申し上げます」
「よかろう、知に関しては沮授、武に関しては張郃に任せるとしよう。誰かある! 彼の者たちに顕奕を鍛えよと文を書いて届けよ。死ぬほどしごいてよいと加えておけ」
命令を受け取った文官は、急いで端っこにある文机でしたため始める。
さて、第一関門はクリアだ。次はほんとやべー話だよ。なんせ発案者が郭図だからな。
「二つ目を申し上げます。御父上に置かれましては、いずれ北方の公孫瓚と雌雄を決する時期が来ることと存じます。河北一円を全て袁家の旗に塗り替えるは、これ中華に平和をもたらすと同義でございます」
「公孫の下民どもの跋扈を許すつもりはない。彼奴等の助命であれば、聞く耳は持たぬぞ」
まあ、うん。公孫瓚はしゃーない。暴れすぎたから、放置しておくだけで害悪だ。
「はい。必ず打倒すべき相手でございます。して、その決戦はいつ頃が適しているかとの談義を耳に致しまして、畏れ多くもお尋ねする次第で」
「一門の行く末を占う大事な戦だ。即断で決めては鼎の軽重が問われよう。顕奕、何か策があるのか?」
「はっ、私は『徹底的な持久戦』と『農業改革』、しかるのちに『大規模な徴兵』案を奏上いたします」
「北の害虫風情に本腰を入れて動けと? 我ら名門袁家が、言い訳が許されぬほどの態勢で軍備を増強せよということか」
誰しもが欲しがる保身の言葉がある。
「あれは全力ではなかった」
そこらの賊徒を相手にするならば、まあ敗北もあってもいいだろう。勝敗は兵家の常であり、練兵の機会ととらえれば決してマイナスばかりではない。
公孫瓚は踏み台だ。河北全土を征するため、絶対に平らげなくてはいけない相手である。調練や練兵を積み重ね、大きな合戦で勝利する経験を得る。その時の感覚を持って、来たる曹操戦に備えておきたい。
「慎重論かと思われますが、万全の態勢で臨むのが良策かと。公孫瓚は義侠を掲げておりますが、その実小心者でございます。また騎馬に頼りすぎる悪癖がありますので、突撃すら許さぬ包囲網を敷けば必ず勝利することが出来るでしょう」
「それにしては大規模な提案だな。農業改革か、まあいい、その辺は沮授に後に訊ねる。しかして顕奕よ、お主は公孫瓚の欠点をあげつらったが、袁家が本腰を入れるほどの価値があると思ってのことか?」
「私が危惧しておりますのは、南方—―現在呂布や袁術と対峙している曹操の存在でございます。あの男を放置するは、袁家にとって最高の害となりましょう」
「宦官のこせがれ程度に気を揉むか。ふむ……まあいい、貴様の『持久策』は頭に置いておこう。他の幕僚と協議し、今後の方針を決める。それでよいな?」
「望外の喜びでございます。諸先生方の采配を楽しみにしております」
「言うようになったな。よし、下がってよいぞ」
「はっ、失礼いたします」
言うことは言った、郭図が提言した速攻論の真逆を伝えたのだ、これで負けるようではもうどうしようもない。
あ、しまった! 親父殿に金の無心をするのを忘れていた。
御座所から外に出て、自らの手持ちがすっからかんなことに気づく。
うーん、何か商売でも始めた方がいいのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は自室へと戻り、マオのお茶を楽しんだのだった。
――
袁紹は冷や汗をかいていた。
虚弱にして惰弱、優柔不断の袁煕が物おじせずに直言をしてきたことにまず驚いていた。以前までならば、口をもごもごさせるだけで、影に隠れてしまう男だったはずだ。
「あやつは本当に顕奕なのか……? 驚くほどに自軍の状況に通暁し、未来への展望も匂わせている。まったく別人のような、真っすぐな瞳だったな」
持久論……か。袁紹は椅子に深く腰掛けなおし、両手を組む。
「一理ある。公孫のイナゴどもと我らでは物量差が違うからな。賊徒をいかに撃破しようとも、公孫を潰さなくては次から次に湧いてくるものだ」
冀州の黒山賊に対応する部隊からは、援軍要請も入っている。
また長女の袁譚には北海を攻略し、孔融を倒すよう命を下すつもりだった。
「手広く兵を分散させすぎたやもしれぬ。顕奕の案を以て引き締めを図るのも悪くない手段だな」
袁紹は早速、自らの参謀たる田豊・沮授を呼び寄せることにした。
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