犬くんの話

有箱

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噂の犬くん【1】

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 容赦なく殺しにかかってくる、ブラック企業に僕はいた。『お前は会社の犬だ』と罵られ、こきつかわれていた。
 しかし、突然倒産してからは一変、ホワイト企業である有末《ありすえ》社に勤めさせてもらっている。
 後になって知った話だが、倒産へ手招きしたのも同社《ありすえ》だったそうだ。

 救われ、三年も大事にされれば信頼は積もる。
 ただ一つだけ、全幅の信頼に踏み切れない要素があった。それは会社の有名人――犬くんの存在だ。

 有末社は探偵業を生業にしている。業務は調査や潜入を主とし、会社に腰を据えての仕事は少なかった。
 そんな状況でも、数少ない雑談は起こる。その際、百に近い確率で、“犬くん”の名前は出てきた。 

 存在が気になりだして早幾月――今、はじめて彼を目の前にしている。

「確認は以上ですが、何か質問はありますか?」

 書類を読み合わせした後、犬くん――こと犬飼さんが呟いた。
 実は今回、僕は彼とタッグを組んで仕事する。よって、打ち合わせのため会社に集合した次第だ。
 想像していた姿と、ほとんど同じで驚いた。

 やや幼めの顔。片目を隠すほどの長い前髪。体を覆うパーカーは布を余し、皺を作っている。
 中でも一際存在を放っていたのは、目の隈だった。社畜と呼ぶに相応しい、月のシルエットがある。表情は全く動かない。

 “聞いた話、全ての依頼を引き受けているらしいよ”
 “犬くんだけ、ずっーと働いているよね”
 “命に関わる仕事だってしているとか”
 “なんで犬かって? 名前もそうだけど、どう見ても社長の犬だもん”――そんな噂ばかりが彼にはくっついていた。

 僕には、どの内容もが信じがたかった。この真っ白な企業で、彼だけが前職の僕と同じだったからだ。会社の犬と呼ばれ、思考力を奪われるまで働き詰めにされた僕と。

 ホワイト企業なのに社畜――噂が歩いているだけか、会社の裏の顔なのか。ずっと気になっていた。
 それに、ずっと考えている。もし彼が、本当に一日中働かされているのだとしたら。僕は。
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