この契約結婚は君を幸せにしないから、破棄して、逃げて、忘れます。

箱根ハコ

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01 つかの間の時間

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 廃墟のように見える寂れた一室を、一面を発光する緑のコケが覆い尽くしており、カガヤキムシが飛び交っている。

 地上では滅多に見られない光景にエルン・リッジはほぅとため息を漏らした。

 なんて美しい光景なんだろう。気分が高揚し、歌い出しそうだった。こんな時に不謹慎だとわかっているが、これはエルンが見たかった光景の一つだったのだ。

「すばらしい……! ああ、採集用に小さな採集箱しか持ってこなかったのが悔やまれる!」

 エルンは頭を抱えつつも、コケに近寄る。どうやら太陽の光を反射する地上のヒカリゴケと違い、このダンジョンのものは自ら光を発しているようだった。一体どういった仕組みなのだろう。

「虫眼鏡だけじゃなく、顕微鏡も持ってくればよかった……」

 肩を落としていると、がさり、と背後から足音がして振り返った。

「………あ」

 そこには、エルンが所属している勇者パーティのアタッカーであるルーヴェル・ラヴィエールが立っていた。

 黒髪は短く切り揃えられ、瞳は星のように輝く銀灰色。そのツリ目がちな目元は、どこか恐ろしくも感じるが、逆に彼の顔立ちを更に魅力的に見せている。いつもは甲冑を身に着けているが、今は就寝前のためか、すべて外していた。代わりにシンプルなシャツとズボンを身に着け、腰には剣を携えるだけの軽装だった。その高い身長と服越しにもわかる程よく鍛え上げられた筋肉が、堂々とした彼の雰囲気を醸し出していた。

 対するエルンはルーヴェルほどの身長もなく、筋肉質な体つきでもなかった。黒い瞳を持ち、肩まで伸びた黒髪はゆるやかなウェーブがかかっている。日頃から大荷物を持ち歩いているため足腰は鍛えられているものの、運動神経は決して良くない。群青色のローブに包まれた貧相な体はルーヴェルと並ぶとどうしても見劣りしてしまうと、エルンは思っていた。

 彼はここにエルンがいると知らなかったようで、口を小さく開けて佇んでいた。

「……ルーヴェル君、どうしたんだい?」

 エルンはすぐに真面目な顔を貼り付ける。
 エルンの方はというと、勇者パーティのヒーラーで、植物の研究をしていた。

 この世界では、まだ人間が住み着く前からダンジョンと呼ばれる場所が存在し、魔獣が棲みついていた。本来ならば、人間と魔獣が棲み分けて共存できれば理想的だった。しかし、魔獣は時折ダンジョンの外へと姿を現し、襲って人間を食べることがあるため、非常に厄介な存在となっていた。

 一方で、人間もダンジョンの中に眠る希少な鉱石や貴重な植物を求め、危険を承知で足を踏み入れることが多かった。その結果、ダンジョンを巡る争いが絶えず続き、たびたび殺し合いが繰り返されていた。

 特に、人を癒やす薬草や高価な鉱物が眠っているとされるダンジョンは、ごく稀に人間によって征服されることがある。そうしたダンジョンは、人々にとって貴重な資源の宝庫として重宝されるのだ。

 エルンたちが今足を踏み入れているダンジョンもその一つだった。

 ここはかつて人間により征服され、万病に効くと噂される薬草が生えていることで知られている。

 けれど今から四年ほど前に、このダンジョンに住み着いた怪物であるサセニアの登場で事態は一変した。
 入っていた人間を次々に殺し、他の魔獣のエサにする。そうしてこのダンジョンの中では再び魔獣が増え続け、薬草採集を困難にしてしまっていた。

 その結果、エルンたちが住むアーランド王国では、病にかかった場合に治る可能性が低くなり、それに伴って死亡率も上昇していた。
 このままではまずいと判断した国王が国中から勇者を募り、ダンジョン討伐に繰り出したのが今から三年前の話だった。

 そして半年前、エルンは高等教育を終え、ヒーラーとして勇者パーティに入れてもらおうとしていたところ、教師に声をかけられた。

 なんでも、成績優秀者でパーティを組んでダンジョン討伐に向かってみないか、という話だった。





 教師により集められた生徒たちが顔合わせした時、エルンは口をぽかんと開けてしまった。

 ずっと前からあこがれていたルーヴェルがいたのだった。彼は騎士団長の長男として、また、類まれな身体能力で男女ともに人気があり、もしかしたら彼ならサセニアを倒せるのではないかと噂されていた。
 遠くから見ているだけだった彼がまさかパーティの一員として呼ばれているとは。

 真顔で立っている彼が、エルンに対して何を考えているのかわからない。これまでろくに話したこともなかったのだ。

 無表情だとこんなに怖く感じる人なのだな、とエルンは遠くから見ていた彼の笑顔を思い出しつつも、一応とばかりに愛想笑いを浮かべて話しかける。

「あの……、ルーヴェル君も、パーティを組むと教師に呼ばれたんですよね?」

 少し早めに来たからだろうか、集合場所である講義室にはエルンとルーヴェルしかいなかった。
エルンは恐る恐る尋ねる。

「ああ……。君はエルン・リッジだろう? たしか、治癒魔法のコースでは毎回上位争いをしていた……」

 知ってくれていたのか。エルンはぽかんと口を開ける。
 そんな彼にルーヴェルは手を差し出してきた。

「よろしく。俺は今回どうしても魔獣を倒したい。だから、ぜひこのパーティを組めればいいと思っている」

 そう言って彼が柔らかく微笑んだ瞬間、それまでまとっていた恐ろしい雰囲気が消え、エルンの心に突風が吹き荒れたような心地に陥った。どんどん心臓が高鳴っていき、慌ててエルンは彼の手を握り返す。

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 この日に芽生えた恋心は、まだ小さなもので、エルンは意識することはなかった。けれど、いざダンジョンに入り、ルーヴェルに何度も助けられた結果、彼へ恋をしてしまっている自分を認めざるを得なくなったのだった。

 彼は、ダンジョンの中で何度もエルンを守ってくれた。そうして、すっかり恋心が育ってしまったのだった。

 更には、ルーヴェルは圧倒的に強かった。

 今回のダンジョン探索でも、それが如実に証明された。他の者なら攻略に五年はかかるとされるダンジョンであるにもかかわらず、エルンたちのパーティはわずか半年で最奥部にたどり着いた。

 ほとんどルーヴェルのおかげである。強力なモンスターを瞬く間に倒していく様は圧巻だった。
 また、仲間たちもそれぞれ優れた特殊能力を駆使し、体力を削られることなく敵を次々と片付けていった。

 その結果、ヒーラーであるエルンが力を発揮する場面はほとんどなく、助かっている反面、どこか申し訳ない気持ちになっていた。
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