この契約結婚は君を幸せにしないから、破棄して、逃げて、忘れます。

箱根ハコ

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50 アッシュ1

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 翌日、エルンが黒板を使って指示を送り、それに従ってルーヴェルが作り上げた魔術具によって、フローリアンが仕掛けた光の壁は無事に取り払われた。

「よかった……、とりあえず、これで餓死の心配はなくなりましたね」

 はぁ、とシーダ大きく安堵の吐息を吐き出した。
 荷物を抱え直すと、エルンはフローリアンの匂いを探す。昨日のことなので匂いは少なくなっているが、かろうじて辿れそうだった。

「ワウ」

 ついてきて、と目配せを送ると、ルーヴェルは了解したように頷き、エルンの後ろに続いた。
 昨日の会話以来、ルーヴェルとの間にはぎこちない空気が漂っている。彼はあまり喋らなくなってしまった。昨日の作業時は、エルンが獣の姿とはいえ、柔らかい言葉をかけてくれていたというのに。
 自分は、何か彼に嫌われるようなことを言ってしまったのだろうか。そう不安に思いつつも、この状態では直接尋ねることはできない。
 今は魔獣の姿でよかったのかもしれない、とエルンは密かに思う。おかげで、黙っていてもおかしいと思われないだろうから。
 匂いを辿っていくと、フローリアンの体臭に加え、血と、肉が焼けたような匂いが濃くなっていった。不審に思いながらも、万が一のことを考えて歩を早める。
 フローリアンは、ダンジョンの一室に横たわっていた。
周囲には木の根がびっしりと張り巡らされ、まるで彼を包み込むように取り囲んでいる。
 明かりは灯されておらず、周囲は暗闇に覆われていた。エルンたちが持参したランプの光が差し込むことで、ようやくその場に人がひとり横たわっていることがわかった。
 倒れているフローリアンを目にした瞬間、一同は息を呑んだ。
彼の服は焼け焦げ、腹部からは血が流れ落ちている。
 体のあちこちには火傷の痕が残り、美しかった顔も半分近くが焼けただれてしまっていた。

「ワウ! ワウワウ!」

 エルンは近寄り、いつものクセで回復魔法を唱える。当然のように何も起こらなかった。エルンは振り返ると、自分の鞄を開けるように鼻先で指示を出す。ルーヴェルが荷物をあさり、回復薬を取り出した。
 惜しげもなく眼の前の怪我人に使用する。二本目を空にした時に、小さくフローリアンの瞼が震えた。

「ワウ……!」

 よかった、と甘い鳴き声を出す。

「……エルン君。ああ、やっぱりあの光の壁は壊せたんだね。よかった……」

「ワウ?」

 息も絶え絶えに告げるフローリアンの言葉に、エルンは首を傾げる。フローリアンはいまだ起き上がれないようで、エルンをじっと凝視していた。

「君たちを閉じ込めていたことだけが心残りだったんだ。だから、無事に逃げられたようでよかった。私に構わずもう地上に戻って……」

「それは出来ない」

 フローリアンの言葉にはっきりとした一言を返したのはルーヴェルだった。
 彼はフローリアンの隣に座ると、彼の顔を覗き込む。その少し後ろでは、シーダがどこか緊張した面持ちで片膝をつき、腰を下ろしていた。

「一体何があったか、語ってもらおう。俺達はダンジョンの中で閉じ込められたんだ。それくらいは聞く権利があるはずだ」

 フローリアンは苦笑を返し、唇を引き結んだ。あくまでも口を割る気はなさそうだった。

「もしも何も言わないのであれば、こちらは騎士団の力を使ってアッシュを逮捕するが、それでもいいか?」

 彼の言葉も態度も冷たく、普段のエルンに対する態度が嘘のようだった。
 途端にフローリアンは顔を青くする。ゆっくりとした動きだったが、はっきりと首を振った。

「……君は、どこまでわかっているんだい?」

 声がかすれていて、話すのも辛そうだった。ルーヴェルは低い声で返した。

「あとは、証拠さえつかめればというところだ」

「……そう」

 彼はまだ迷っているように口を開けては閉じてを繰り返していた。

「……なぜまだかばう? 君をそんな目に合わせたのはアッシュだろう?」

 フローリアンは唇を引き結ぶ。否定しないということはそうなのだろう。

「……兄さんは、私のためにたくさん苦労して、私をアカデミーに入れてくれたんだ。恩がある。……それに、まだ愛しているんだ」

 後ろでシーダが息を呑む音がする。ルーヴェルは目を細めた。

「……そんな傷だらけにされてもか?」

「……ああ」

 そうなのだろうか。エルンは痛ましい気持ちでフローリアンを見る。どこかヤケになっている風でもあった。
 ルーヴェルは唇を引き結び、更に続ける。

「……これは、俺の憶測なんだが、彼は君をかばうとか言ったんじゃないのか? 人間を魔獣化してしまう魔術具を作ったのは君だろう? それは人道に対する罪だ。大方アッシュに作るように要請されて作ったら、今度は何らかの詭弁を弄して君が罪を背負う形に言いくるめられたんじゃないのか?」

「……っ」

 フローリアンの表情がこわばる。ルーヴェルは続けた。

「いいか? 技術そのものには罪はない。それをどう使うかで罪が生まれるんだ。もしも君が反省してもとに戻す魔術具を作るというのなら……」

 けれど、フローリアンはゆっくりと首を横に振った。

「……違う。それは、できない。技術はもう私の手を離れている」


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