52 / 92
51 アッシュ2
しおりを挟むぽろり、と彼の眦から涙がこぼれる。ルーヴェルは指の腹で優しく拭った。
「離れているとは?」
ぐ、とフローリアンは唇を引き結ぶ。この場においてもなお言いたくないのだろう。
「……ワウ」
エルンはフローリアンの顔を覗き込む。フローリアンはまじまじとエルンを見て、苦しそうに顔を歪めた。
ルーヴェルがエルンの前足に手を置いた。
「君が兄をかばい続けたら、エルンはずっとこの姿でいなければいけない。意思の疎通にも時間がかかる。人間からは討伐対象としてみなされる。それがどんなに辛いことか、あなたに想像できるだろうか」
彼はフローリアンの情に訴えることにしたようだ。銀髪の麗人の目が潤み、涙がこぼれてきた。
「……私はあくまで、虫やネズミといった、人間以外を魔獣化する魔術具を作っただけだ。そして、魔獣化した彼らがその姿を維持できるように……、栄養のある蜜を出せるように、アシュヴァリーの木の根に魔術具でもって、薬を投与した」
つまり、アーランドのダンジョンで木の根に突き刺さっていた魔術具は、フローリアンが作ったものだったのだろう。
「けれど、そこであの木は独自の進化を遂げてしまったんだ。……蜜を出す栄養を取るために、魔獣化した獣を食べるようになった。どうやら、動物が死ぬ際の匂いに反応して捕食するようだね。食虫植物のように、体内の細胞を収縮させることによって根を死体に巻き付けて、そこから栄養を得るようになったんだ」
思わず息を呑む。しかし、植物や動物などの生き物を対象とした研究においては、研究者の予想を超えた成長を遂げることが稀にある。
「そうして、より栄養を得た木の蜜を飲むことで、魔獣は虫やネズミと言った小動物だけではなく、人間や、他の魔獣まで四つ目の魔獣とすることができるようになってしまったんだ。そして、死んだら木の栄養となる……。ゴーレムの件も、この副産物なんだろうね」
以前、フローリアンが観測小屋でアッシュに語っていた内容は、こういうことだったのかとエルンは思い出す。
「エルン君が以前言っていた、アシュヴァリーの木の根を削いだらルーヴェル君が凶暴化したり、その木の根をゴーレム達が奪い合ったのも、あの木が微小な物質を常に発しているからだ。以前話しただろう? アブラナは、アブラムシに葉を食べられると、アブラムシにとって苦い物質を放って食べられないようにするって。それが、今回の木でも起きていたんだと思う……」
どうやら、その件についてはまだ十分に調査されておらず、話し方からしても憶測の域を出ないもののようだった。それでも、エルンは彼の推察に納得してしまう。
「それを兄に報告したら、私の研究ノートと論文を奪われて、彼の私設研究班に横流しされたんだ。その結果、人間を魔獣に出来る魔道具を作り出してしまったようだ……」
コホ、と彼の唇の端から血が流れ落ち、口を伝って地面に落ちた。エルンは爪を立てないように肉球で彼の頬を拭う。
「……なるほど。それもこれも全ては商売のためというものか?」
ルーヴェルはじっとフローリアンを見つめる。フローリアンは苦笑を返した。
「もうそこまで見当がついているんだね……。そうだよ。魔術具があっても、使う対象がいなければ意味がない。だから、ダンジョンに魔獣を増やすことでまずは需要を作り、そこで簡単に倒せるように攻撃系の魔術具を供給していったんだ」
はっとエルンは息を呑む。
アッシュの仕事は魔術具の開発と販売である。
そして、大体五年前には敵を簡単に倒せるような魔術具が普及し、多くの人間がダンジョンの中に入っていっていた。
ルーヴェルは重い口調で尋ねる。
「俺が魔獣になったのは七年前だから、その頃にはもうある程度は研究は進められていたということか?」
フローリアンは首肯する。
「そうだね……。もともと、十年前には着手していた」
「そのために、オーリストだけではなく、アーランド近辺のダンジョンにまで入ったというのか?」
ルーヴェルの問に、さらにフローリアンは頷いた。
「植生のせいかな……? アーランドのダンジョンのほうではすぐに独自の進化が起こった」
ふいに、アーランドのダンジョンではヒカリゴケがやたら繁茂していたことを思い出す。あれも、今思えば独自進化している植生の一つだろう。
「……でも、こちらの、オーリストの方では最近わかったことだから、対応が遅れてしまっていたんだ」
「……なんだよ、それ」
シーダが震える声で呟く。
「じゃあ、魔獣サセリアも、その後人間が魔獣になるようになっていったのも、元を正せばアンタやアンタの兄が金目当てに始めたことだったってのかよ」
彼の声は低く、拳は血管が浮き出るほどに握りしめられていた。
「サセリアに殺されたやつもいる。魔獣になったまま、行方不明になった人もいれば、戻れない人だっている。騎士団からもそういう奴らが何人も出た。悪いことをしたって思わないのかよ!」
シーダはフローリアンに近づいて、胸ぐらを掴んだ。急に揺り動かされたからか、フローリアンが血を吐き出す。
「……っ、げほっ」
「おい、シーダ……」
ルーヴェルが止めようとする。シーダはそんな先輩に向かって悪態をついた。
「先輩だって未だ戻りきれていないじゃないですか! 憎くないんですか!?」
「…………」
顔を歪め、ルーヴェルは口を閉ざす。それでも、シーダの手を止めて、フローリアンを地面に横たえさせた。
彼はか細い声で返す。
「……もちろん悪いと思っている。ルーヴェル君にしても、五年も時間を奪ってしまって……。謝っても、許されないかも知れないけれど、謝らせてほしい……。本当に、申し訳ないことをした……」
彼の声は涙声で、嗚咽混じりだったのでうまく聞き取れなかった。それでも、ルーヴェルの眉間のシワが消え、憐れむような表情が浮かんでいた。
「もうやめようと何度も言った。……ルーヴェル君が現れてからは、なんとか元に戻れる薬を作れないか試行錯誤していた。……でも、そのたびに兄さんが止めるんだ。そんな薬を作ってしまったら、商売に支障が出るからって……」
彼の瞳が潤んでいる。まるで胎児のように横向きに寝転がり、自分の身を抱えた。
「兄さんに言われたことは、絶対なんだ……。幼い頃に両親をなくしたから、兄さんが必死になって育ててくれた。私が高い学費がかかる学校に行きたいと言ったときも、必死にお金を工面してくれた。私がそんな彼を愛してしまったときも、応えてくれた……。私に愛をくれたんだ……。裏切れるわけがない」
嗚咽をもらしながら訴える様子は、赤ん坊のようだった。エルンは泣きそうになる。あの、いつも飄々として、輝いているように見えていたフローリアンが、こうしてボロボロになってか細い声で心情を吐露する様子をかわいそうだと思ってしまったのだ。
425
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。
何もしない悪役令息になってみた
ゆい
BL
アダマス王国を舞台に繰り広げられるBLゲーム【宝石の交響曲《シンフォニー》】
家名に宝石の名前が入っている攻略対象5人と、男爵令息のヒロイン?であるルテウスが剣と魔法で、幾多の障害と困難を乗り越えて、学園卒業までに攻略対象とハッピーエンドを目指すゲーム。
悪役令息として、前世の記憶を取り戻した僕リアムは何もしないことを選択した。
主人公が成長するにつれて、一人称が『僕』から『私』に変わっていきます。
またしても突発的な思いつきによる投稿です。
楽しくお読みいただけたら嬉しいです。
誤字脱字等で文章を突然改稿するかもです。誤字脱字のご報告をいただけるとありがたいです。
2025.7.31 本編完結しました。
2025.8.2 番外編完結しました。
2025.8.4 加筆修正しました。
2025.11.7 番外編追加しました。
2025.11.12 番外編追加分完結しました。
回帰したシリルの見る夢は
riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。
しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。
嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。
執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語!
執着アルファ×回帰オメガ
本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます。
物語お楽しみいただけたら幸いです。
***
2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました!
応援してくれた皆様のお陰です。
ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!!
☆☆☆
2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!!
応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。
巻き戻った悪役令息のかぶってた猫
いいはな
BL
婚約者のアーノルドからある日突然断罪され、処刑されたルイ。目覚めるとなぜか処刑される一年前に時間が巻き戻っていた。
なんとか処刑を回避しようと奔走するルイだが、すでにその頃にはアーノルドが思いを寄せていたミカエルへと嫌がらせをしており、もはやアーノルドとの関係修復は不可能。断頭台は目の前。処刑へと秒読み。
全てがどうでも良くなったルイはそれまで被っていた猫を脱ぎ捨てて、せめてありのままの自分で生きていこうとする。
果たして、悪役令息であったルイは処刑までにありのままの自分を受け入れてくれる友人を作ることができるのか――!?
冷たく見えるが素は天然ポワポワな受けとそんな受けに振り回されがちな溺愛攻めのお話。
※キスくらいしかしませんが、一応性描写がある話は※をつけます。※話の都合上、主人公が一度死にます。※前半はほとんど溺愛要素は無いと思います。※ちょっとした悪役が出てきますが、ざまぁの予定はありません。※この世界は男同士での婚約が当たり前な世界になっております。
初投稿です。至らない点も多々あるとは思いますが、空よりも広く、海よりも深い心で読んでいただけると幸いです。
また、この作品は亀更新になると思われます。あらかじめご了承ください。
ドジで惨殺されそうな悪役の僕、平穏と領地を守ろうとしたら暴虐だったはずの領主様に迫られている気がする……僕がいらないなら詰め寄らないでくれ!
迷路を跳ぶ狐
BL
いつもドジで、今日もお仕えする領主様に怒鳴られていた僕。自分が、ゲームの世界に悪役として転生していることに気づいた。このままだと、この領地は惨事が起こる。けれど、選択肢を間違えば、領地は助かっても王国が潰れる。そんな未来が怖くて動き出した僕だけど、すでに領地も王城も策略だらけ。その上、冷酷だったはずの領主様は、やけに僕との距離が近くて……僕は平穏が欲しいだけなのに! 僕のこと、いらないんじゃなかったの!? 惨劇が怖いので先に城を守りましょう!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる