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44 心配
しおりを挟む食事をし、和樹とフェルディと別れる。二人の住居はここ、ダグーにあったのでこの夜で彼らとはしばしの別離となる。
別れを惜しみ、また二週間後にと約束をして二人はラリの待つオルツェ集落へと戻ったのだった。
予定よりも二日遅かった帰還を心配してくれていたようで、ラリは玄関にフレイが降り立つと扉を開け、二人の無事を確認すると抱きしめてくれた。
「心配していましたが、無事に帰れて何よりです」
ニコニコと微笑む老爺に陸も笑顔を返す。
「すみません、少し俺が体調を崩して二日ほどダグーで休養していたんです。でも、もう今は大丈夫ですから……」
老人は心配そうな顔を陸に向けたが、彼の体調におかしなところがないとわかると踵を返した。
「これから夕食を作ります。二人共、水でも浴びて着替えてきてください。洗濯物は明日洗えばいいでしょう」
すっかり辺りは暗くなっている。
ラリの言葉にフレイも陸も賛同し、彼の後をついていった。
「フレイに、何かあったんですか」
翌日、ラリに尋ねられて陸は口ごもった。これと言った理由は思い当たらない。
相変わらずフレイはぼんやりしていて、練習に身が入っていないようだった。見かねたラリはフレイに自主練を言い渡し、陸をつれて家に戻る。
居間で二人きりになり、ラリはそう本題を切り出したのだった。
「……やっぱり、なんだかおかしいですよね……」
陸は肩を落とす。陸の様子に、ラリは片眉をあげた。
「思い当たることはない、と……」
「はい。一昨日くらいから急に元気がなくなって……」
思い当たることと言えば、手を繋いで疑似恋人ごっこをしようと言われ、バディでいようと払い除けたことくらいである。
「……あの、フレイは俺以外の人を乗せたことはないようでしたけど、何か理由があるんですか? フレイくらい速いドラゴンだったら、他に誰か乗りたいという人がいてもおかしくないと思うんですけれど……」
フレイがやたら不安がっている理由は、陸が心変わりをするかもしれないからである。
もともとは彼の飛び方に問題があるから志願者が寄って来なかったからだと思っていたが、もしかしたら、以前のバディに他のドラゴンに心変わりをされたからとか、そういった要因があるのではないかと思ったのだ。
「……そうですね」
ラリは少し考え込む。それから、窓の外を見た。からりと雲一つない晴天が広がっている。
「……フレイは、十八になるまで娼館で育てられていたようです」
ぽつり、と老人が漏らす。
「そこで、何をするにも『お前には無理だ』と母に言われていたようで……」
これは本人からは聞いておらず、ラリが独自に調べたことのようだった。
「その後、彼女は死んで、父親に引き取られ、私のところに預けられました」
きゅ、と胸が痛む。両親が死んで、章介のところに預けられた己とフレイの姿が脳内で被った。
「ウィング・クラッシュ・レースに出場するのは私が提案したことですけれど、優勝して賞金でナターシアさんを買い戻すという話以上に、彼は自分を認めてほしいという願望があったのではないかと、私は思っています」
彼は再び陸の方を向くと、手元の茶に手を伸ばす。しかし、飲もうとはせず、手持ち無沙汰にカップの縁をこつこつと叩くだけだった。
「彼は、レースに出ようとしてライダーを募った。けれど、中々彼の後ろに乗ろうという人は現れなかった。陸さんも覚えているでしょう? フレイの後ろに乗って気を失った時のことを。昔のフレイはあの時よりももっと雑な飛び方をしていました。だから、多くのライダー志願者は彼に乗るのは命の危険を感じるので乗りたくなかった」
確かにそれは陸も忘れられない苦い記憶だった。そうして暫くの間フレイの後ろに乗るのを怖いと思っていたし、フレイはそんな陸を見てなんとか懐柔しようとしていた。
「その間、ライダー志願者に来るものと言えば、彼の顔や身体が目当ての人たちばかりで、そうした人たちはすぐに去っていきました。……だからでしょうか、彼はもしかしたら、幼少期からの母の呪いともいえる言葉もあり、己の可能性を今ひとつ信じきれていないのかもしれません」
ぐ、と陸は唇を引き結ぶ。
ふいに、以前の世界の事を思い出した。章介は幼少期からずっと陸のそばにいてくれて、時に叱り、時に褒め、親としての愛を注いでくれていた。陸に駅伝という目標が出来てからは、応援してくれ、朝練に出るときには陸よりも早く起きて朝食を作ってくれていた。
愛されている、と言う言葉を聞いた時、陸は何よりもまず章介を思い出す。
対するフレイといえば、娼館という、偽物の愛を売る場所で母親に『お前には無理だ』となにかと言われて育ってきた。
まともな親の下に生まれ、教育を受けて育っていれば、今頃はレースに出場し、優勝争いにも加われていたかもしれないのに、ライダーさえ見つからない始末。
やっと見つかった陸にも去られるかもしれないと思い、他の人が求めたように、恋人として振る舞おうとした。
彼の心を想像し、陸の心臓が締め付けられた。
こちらの世界ではどうかはわからないが、あちらの世界で人権教育を受けて育った陸は何かをして貰う代わりの対価として自分の身体や性を差し出すのは良くないことだと思っているし、できることならフレイにそんなことをして欲しくなかった。
「……普通、バディというものはそうした……、相手の考え方やこれまで育ってきた環境に踏み込んでもいいものなのでしょうか?」
気がつけば陸の口からそんな言葉がこぼれ出ていた。ラリは皺だらけの顔に埋もれそうになっている瞳をこちらに向ける。どこか見透かそうとしているような視線に居心地が悪くなったが、陸は唇を引き結んでまっすぐに視線を返した。
ラリはふっと微笑む。
「そういうのは、そのバディによるでしょう。陸さんは、フレイとどういう関係を築きたいのでしょうか? それによっては、踏み込んだほうがいいかもしれませんね」
穏やかな口調だったが、そこには陸に対する気遣いも、フレイに対する思いやりも読み取れる。
あちらの世界でもこちらの世界でも、だから老人という生き物に弱いのだろうな、と陸は口角をあげた。
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