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59 高梨家
しおりを挟むそうして帰り着いた章介の家に鍵がかかっており、中は誰もいないようだった。
「じいちゃん! 俺だよ! 陸だ! 帰ってきたよ!」
玄関の引き戸をどんどんと叩きながら声を掛ける。けれど、返事はない。どうしたのだろうと途方にくれていると、背後から声がかかった。
「……もしかして、陸ちゃん?」
隣に住んでいる主婦の飯島だった。知り合いの声でとりあえず外に出てきたのだろう、Tシャツに半パン、サンダルという軽装だった。陸が小さい頃からの知り合いで、たまに作りすぎたからと惣菜を持ってきてくれた、面倒見がいい人だった。
「飯島さん……、あの、じいちゃんは?」
振り返る。飯島は陸がいなくなった時とほぼ同じような外見年齢だった。
「ちょっと、どうしたの? 陸ちゃん! あんた、この半年間どこに行っていたの?」
あちらの世界もこちらの世界と同じように過ぎていたらしく、陸がいなくなっていた期間は半年だったようだ。
「ごめん……、えっと、海外で手術受けてきたんだ」
「そうなの? あらまぁ、足も治っちゃって!」
飯島は陸の足を見て納得しているようだった。
「駄目よ、そういう事はちゃんと章介さんに言ってから行かないと! 章介さん、本当に陸ちゃんのことを心配していたんだから!」
彼女は腰に手を当てて陸を睨みつける。陸は殊勝に頷いた。
「そうですよね……。すみません。ちょっと当時行き違いがあって、うまく連絡が取れなかったんです」
自分でも苦しい言い訳だと思ったが、飯島はそれ以上は聞かないでいてくれるようだった。
彼女は頬に手を当て、ふぅとため息をついた。
「章介さん、今はここに住んでいないのよ。アナタがいなくなって、めっきり衰えちゃってね……。働けなくなって、生活保護を受けようとしたら、行政を通じて長い間疎遠になっていた妹さんに連絡が行ったようで、今はそこで一緒に暮らしているようなの」
陸は口をぽかんと開ける。
章介の現在に胸が傷んだし、妹とやらの存在も初めて聞いた。
「……そうなんですか。あの、どこに行けば会えるでしょうか?」
飯島が教えてくれた場所は、意外にも電車を使って一時間とかからない街だった。
とりあえず連絡を、と飯島の家に行って電話を貸してもらう。震える心臓を抑えながら呼び出し音を聞いていると、数コール目で相手が出た。
『はい。高梨です』
知らない女性の声だった。
「あの、俺、高梨陸と言います。そちらに高梨章介はいますか?」
声が震える。電話の相手の声が低くなった。
『……本物ですか?』
どうやら警戒されているようだった。
「はい。今まで連絡できずに大変申し訳ありませんでした……。詳しいことは直接話したいので、まずはじいちゃんに会わせてもらえないでしょうか?」
女性は少し押し黙り、章介の名前を呼ぶ。
こうして、数時間後に彼女の家で同居している娘夫婦が迎えに来てくれることになった。
家の前で待っていると、一台のワゴン車が到着した。
中から一人の男性が降りてくる。章介だった。
「じいちゃん……!」
涙が溢れてくる。この半年間ずっと会いたいと思っていた。章介は陸の顔を見て目を丸くしている。
「……陸」
よろよろと歩き、陸に抱きついてくる。彼から知らない洗剤の匂いがした。
「陸……、陸、よく生きててくれたなぁ……! 今までどこにいたんだ? 足はもう大丈夫なのか?」
彼の声は涙声だった。陸も祖父の背中に手を回す。以前よりも痩せているようだった。
「うん……。ごめん、俺、連絡取れなくて……!」
待っている間に、どうやって言い訳しようかと考えていた。素直に異世界に行ってレースに参加していただなんて言おうものなら、悪ければ精神病院送りである。
「どうしようもなく辛くなって、友達からお金を借りて衝動的に海外に行って……、そこで手術を受けたんだ」
我ながらクオリティの低い嘘だとわかっている。それでも章介はまじまじと陸を見て、ぽんぽんと優しく肩を叩いてくれた。
「……そんなことも、あるかもしれんなぁ」
信じてくれたというよりは、本当のことを言っていないとわかった上で、今は見逃してくれるようだった。
章介のそういうところに、陸はこれまでも救われてきた。
「……ありがとう」
陸は眉尻を下げる。
「じゃあ本当に陸さんなの? あらまぁ、結構大きい子じゃない」
車を路肩に停止して様子を伺っていたらしい、章介の妹の娘夫婦が出てきていた。
どちらも四十代前半くらいだろうか。女性の方は小さく可愛らしい外見で、茶色く髪を染めていた。本当に慌てて来てくれたのだろう、化粧はしておらず、キャラクターもののシャツとGパンといった出で立ちだった。男性の方は黒い髪でところどころ白髪が生えている。人が良さそうな顔で、目尻にうっすらと皺ができていた。細長い目だがタレ目で、にこにこと笑って妻と章介、陸のやり取りを眺めていた。
「あんた、駄目よ? 勝手にいなくなったりしちゃ……。章介さん、すごく心配していたんだからね?」
腰に手を当てて、妻は陸の前に立つ。陸は肩を落として頭を下げた。
「はい……。大変申し訳ありませんでした」
陸が素直に謝ったのを見て、彼女は口をぽかんと開けた。どうやら彼女の中では陸は非行少年としての像が出来上がってしまっていたらしい。
男性が一歩前に出る。
「とりあえず、今後のこともあるし、一度僕達の家に来てもらえるかな? 僕の名前は篤郎。妻は結と言うんだ」
彼の助け舟に乗ることにした。陸はコクリと頷く。
そうして彼も一緒に現在章介が住んでいる家へと行くことになったのだった。
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