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66 挨拶
しおりを挟むフレイに一通り軽く道具の使い方の説明をしてから風呂に入れる。
その間に陸は食器を片付けていた。
フレイの提案が頭をしめている。
この一年の間に考えなかったといえば嘘になる。またあちらの世界でフレイの背中に乗って飛んで暮らしたい。
けれどすぐにその生活はありえないと否定してきた。
またそうして暮らせると思うと、心がはやる。ぜひ帰りたいと思ってしまった。
けれど同時に、章介の顔も思い浮かぶ。
章介と陸は今では月に一度会う程度の関係になっていた。
陸が電車に乗って章介の家に行き、夕食を食べて帰る。最初は陸を敵視していた悠斗と伊吹も次第に懐いてくれて、陸は両親が死んでいなかったらこんな感じだったのだろうかと思いを馳せる時もあった。
章介は何と言うだろうか。結は? 篤郎は?
彼らの顔を思い浮かべる。じわじわと落ち着かない気持ちになっていった。
まずは、章介と直接会って話そう。
陸はそう考え、早速明日仕事を休み、章介に会いに行くことにしたのだった。
翌日、仕事を休んだ陸が一番に向かったのはドラッグストアだった。
こちらではフレイの青い髪は目立つ。何が行われるかわからず不安そうな顔をするフレイをなだめすかし、一日だけ染められる染髪剤で彼の髪を黒く染めたのだった。
次にスーツ専門店へ行く。
自分のものをフレイにも貸そうと思ったのだったが、丈があわなかったのだ。
正直、フレイのスーツ姿を見てみたいという下心もあり、更にはあちらの世界の服はシンプルなものとは言え、材質からして目立ってしまうという危惧もあり、まずはフレイの服を整えようと思った。
とはいえ、陸の給料はけして多くはない。
フレイにタートルネックを着せ、首の鱗を隠し、予算を伝えておいて、店の人に見繕ってもらったのだった。
その結果。
「陸……、こんなことは言いたくないんだが……、お前、騙されてるんじゃないのか?」
章介に会わせたい人がいると言って会食の席を設けてもらった。
彼が篤郎達と住んでいる街の個人経営の居酒屋の隅で、章介はフレイを一目見るなり、そんな事を言ってきたのだ。
半個室となっており、布で周囲の視線からは隠されている。中央に長細い机があり、陸とフレイが隣り合い、正面に章介が座っていた。
やっぱりそう思うよなぁ、と陸は遠い目をする。
スーツを着て身なりを整えたフレイはどこの海外俳優かと思うほどにかっこよかった。
会わせたい人などという言葉を使ったからだろうか、章介は陸の恋人として、女性を紹介されるものだと考えていたようだった。
けれど陸に連れられてきたのはスーツを着た青い瞳のイケメンで、その時点で章介の警戒心は最高潮に到達したようだった。
章介は眉間にしわを寄せ、フレイをまじまじと見ている。
陸はまずは、と酒を頼んでからフレイを紹介した。
失踪している間に知り合ったフレイだ、と。
フレイ自身、章介を見た瞬間に彼が陸が言っていた祖父だとわかったようで殊勝にも頭を下げていた。
「いや……、そう思うかもしれないけど、彼が騙すつもりがないことは俺が保証するから!」
「……でもなぁ」
章介はフレイと陸を交互に見る。
嘘をついて、ごまかして黙って行くことも考えた。
けれど、大切な存在である章介には本当のことを言って、納得の上で笑って送り出してほしいと思ってしまったのだ。
「…………」
フレイは持ってきたノートにペンで記述する。
はじめまして ふれい と いいます りく の おじいさん あいたかった
あまり上手だとは言えない字で書かれた言葉に、章介は数度目を瞬かせた。
「……ああ、はじめまして」
そうして章介は頭を下げる。フレイも見様見真似なのか、再び頭を下げた。
「……フレイはここに来るために、ひらがなで簡単な会話を覚えてくれたんだ」
説明をすると、章介はフレイをまじまじと見た。
「……彼はどこの出身なんだ?」
「ダグーっていう小さな国で……」
異世界と言っても信じてくれないだろうし、話をややこしくするだろうから、あえて国名だけで返した。
もしもこれが陸と同じ世代の人間ならその場でスマホを取り出して調べていただろうが、章介が持っているスマホは通話機能に焦点を絞ったシニア向けの格安スマホだった。普段から使い込んでいないようで、彼は顔をしかめるだけだった。
「……聞いたことがない名前だな」
今度はフレイが直接口を開いた。
「りく、すき。いっしょに、いたい」
表情が真剣で、陸も赤面してしまった。
あちらの世界では自動翻訳のおかげで言葉をどう発音するかはわからなかったようだったので、昨日の間にいくつかの単語の発音を新たに覚えたのだ。
章介も同じだったようで、戸惑ったように口を開けては閉じてをくりかえしていた。
「……外人さんは、表現がストレートだなぁ」
それもあるだろうが、知っている言語のバリエーションが限られているので、直球で話さざるを得ないのだろう。
章介はフレイの瞳を暫くの間見つめた後、陸に向き直った。
「それで、陸はこの男についていきたいと言うんだな?」
背筋を正し、陸は頷いた。
「うん……、でもそこはすごく遠い国で、一度行ったらしばらく会えなくなるんだ。連絡も取れなくなって……、今みたいにいつでも声が聞けるなんてことはなくなってしまう」
叱られている子供みたいに、上目遣いで話してしまう。
章介は皺だらけの顔を伏せ、何かを考えているようだった。
「……それでも、陸はその人と一緒に行きたいんだな?」
確認するように尋ねられ、陸は再び頷く。
「……ごめん」
ふぅ、と章介がため息をついた。
「何を謝ることがある。陸、お前がそうしたいならそうすればいい」
ば、と顔を上げ、章介をまじまじと見た。彼は複雑そうにしながらも、口角をあげていた。
「昔からお前は、人に尽くしすぎるきらいがあった。箱根を目指したのも、もしかしたら俺が駅伝を好きだからだったかもしれないと、いなくなってからよく考えていたんだ。そのプレッシャーで、失踪したのかもしれないと……」
陸は涙目になってゆるく首を横にふる。確かに、章介が喜んでくれればいいと思っていなかったかといえば嘘になる。
それでも、己の足を使って早く走る感覚に魅せられ、もっと上を目指したいという気持ちは確かに存在した。
「そんな陸が、今度はちゃんと報告をしてから、望んで遠くに行こうとしているんだ。さみしくはなるが、引き止められるわけがないだろう」
じわりと涙が溢れてくる。
「……ありがとう、じいちゃん」
章介が身を乗り出して頭を撫でてくれる。
これも最後になるのだろうかと思いつつ、陸は黙って撫でられていた。
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