29 / 39
挨拶に向けて
しおりを挟む初めての差し入れからのシンガポール行きを誓い合ったあの日から、諸々の準備を進めていたら時間なんてあっという間に過ぎていた。
予定している両親への挨拶を三日後に控えている。
諸々の準備ーーシンガポールに行くにあたっての仕事のことや両親のことだ。
因みに、クリス博士に計らいにより、実際にシンガポールに行くのは来春、四月になった。
仕事については、まだ数ヶ月の猶予もあるし、職場のトップであり親戚でもある意外に頼もしい譲院長のサポートのお陰で頗る順調に事が運んでいる。
となると、残るは両親ばかりなり。特に心配性の父をどうやって説得するかだ。
譲おじさんによれば、これまでも少しずつ少しずつ、窪塚が神の手である父親を凌ぐほどのいい腕を有し将来有望の脳外科医で、どんなに真面目で誠意ある好青年であるかをこんこんと語ってアピールしてくれているそうで。
『日本に留まらず、いつどこかから引き抜きがあったり、いい話が舞い込んでくるかもわからないとは、ことあるごとに大袈裟に言ってあるから。とっくに覚悟はできてるんじゃないかなぁ』
そう言って、最近すっかり定着してきたご自慢の白髪交じりのご立派な顎髭を大事そうに撫でつつそんなことを言ってくれていたけれど、そんなに上手くいくのだろうか。
私も窪塚も院長室の応接セットでおじさんと向かい合い、半信半疑で耳を傾けていた。
窪塚のご両親とは、クリス博士への返事を伝える段階で、既に話し合っている。
もしもうちの両親が許してくれなかった場合、窪塚のご両親も一緒に説得してくださることにもなった。
あとは、来る三日後の十九日にうちの両親と対峙する日を待つばかり。
刻々と近い付いてくる挨拶の日を目前に、私の気持ちもそわそわと落ち着かなくなっていた。
無意識のうちに溜息まで零れてしまっていたらしい。
「こらこら、折角一緒に過ごしてるのに、溜息なんてつくなよ。幸せが逃げてくだろ」
それを珍しく早く仕事を上がることができた窪塚に指摘され、視線を上げて窪塚に目を向けると、とっても優しい目で見つめられて、途端に心が上向いていく。
「ごめん」
「バーカ、謝んな」
「うん」
「おっ、素直じゃん」
「へへっ」
久しぶりにかずさんの店へコインパーキングから徒歩で向かう途中だったので、手はしっかりと繋ぎあっている。
俗に言う恋人繋ぎだ。
街なかだというのに、行き交う人が途切れたのをいいことに、その手を引き寄せてぎゅっと抱きつきながら応えると、窪塚がすかさず包み込むようにして逞しい胸に抱き寄せてくれたので、たちどころに身も心もほっかほかだ。
シンガポール行きを決めてからというもの窪塚が前よりも頼もしくなったように感じられる。
それには少なからず自分のことが影響しているんだと思うと、自然と笑みが綻んでしまう。
十二月も半ばを過ぎて、身を刺すような冷たい風が吹きすさぶなか、以前にも増して逞しくなった窪塚のお陰で、寒さなんて吹き飛んでいた。
ふたりの世界に酔いしれていた私たちの元に、意外な人物からの声が届いて。
「あっれ~、どこのバカップルかと思えば、窪塚と神宮寺じゃん。こんなところで会うなんて奇遇だね~」
ふたり仲良く同時にビクッと反応して意識を向けた先には、長いストレートの黒髪と大きな瞳が印象的なスレンダー美人の腰に手を添えニッコリと微笑んでいる藤堂の姿があった。
途端に、窪塚の身体が不自然に強張ってしまう。
まさか、私の元カレだってことを意識してるのかな? いやいや、結婚どころかシンガポールにまで着いていくんだし。藤堂も彼女らしき女性同伴だし。
ーーさすがにそれはないよね。
そう思い直し、そのついでに、そういえば、ここからほど近い最寄り駅は、母校である東都医大の目と鼻の先だったことを思い出す。
同時に、医大生時代の記憶が舞い戻り、懐かしさを覚えた。
窪塚は仕事の関連で何度か会っているようだけれど、私が藤堂と顔を合わせるのは、今年の春に藤堂主催のプチ同窓会に窪塚とともに参加して以来のことだ。
だから余計に懐かしく思えたのだろう。
0
あなたにおすすめの小説
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
思わせぶりには騙されない。
ぽぽ
恋愛
「もう好きなのやめる」
恋愛経験ゼロの地味な女、小森陸。
そんな陸と仲良くなったのは、社内でも圧倒的人気を誇る“思わせぶりな男”加藤隼人。
加藤に片思いをするが、自分には脈が一切ないことを知った陸は、恋心を手放す決意をする。
自分磨きを始め、新しい恋を探し始めたそのとき、自分に興味ないと思っていた後輩から距離を縮められ…
毎週金曜日の夜に更新します。その他の曜日は不定期です。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる