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【2区 7.3km 二神 心枝(2年)】
② 女王の逆襲
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2区の心枝が、7・3キロのうちの中間点を通過した。
「心枝、聞こえるか? 3キロが9分21秒。今ね、藤井さんと一緒に行ってて凄く良いペース。今日追い風だから、多少速くても大丈夫だからね。いいかい、周りは気にしなくていいぞ。しっかり自分の走りに集中して、あと半分、頑張ろう」
その時、ポケットのスマホが振動した。
(心枝のお母さんからメールだ)
——立花先生お疲れ様です。3キロ地点で応援しました。あんなにスッキリした表情で走ってる心枝、初めて見ました。
立花は思わず笑みがこぼれた。二神姉妹が中学生の頃からの長い付き合いである。部員の親御さんには練習日誌のコピーを毎月送っている。心枝の場合、特に夏合宿の7月8月、これまで故障と体調不良で空白だらけだったメニュー表がびっしり埋まった。それを見て心枝のお母さんはとても喜んでくれた。今年こそは元気に駅伝を走っている姿を見たいと思っていたはずだ。
【画面はバイクです。どのチームにつけていますか】
「はい。バイクは1区14位からの巻き返しをはかるローズ大学につけています。先ほどまで前を走っていた5人の集団を、ごそっと抜いて、これで9位浮上。姫路は3キロ通過9分9秒という物凄いハイペースで突っ込んできています!」
さすがは姫路さんだ。この劣勢に飲み込まれることなく順位を押し上げている。長野県内でも中学生の頃から有名だったから、立花もよく知っている選手だ。腕を鞭のようにしならせる美しいフォームと、強靭なキック力で地面を蹴り上げるダイナミックな走りが、見事に共存していた。
ただ、バイクカメラが近くて走りづらいのか、さっきから手で追い払うようなジェスチャーを見せている。バイクのほうも真っ直ぐ走ればいいのに、どうして何度もぶつかりそうになるかな。
立花も学生時代に箱根駅伝で経験したことがある。接触事故は論外だが、近くを並走されるだけでも想像以上に気が散る。ある意味では、注目される選手の宿命とも言えるが、走りを伝えるための撮影が選手の邪魔になっては本末転倒だろう。いや……。
(もしかしてこれ、バイクのほうじゃなくて、姫路さんが真っ直ぐ走っていないのか?)
姫路さんに追い抜かれた集団は、画面の右端に寄り、ぴったり張り付くようにインコースを走っている。それに比べて姫路さんはさっきから右に寄ったり、左に寄ったり、不思議なコース取りだ。なんというか、フラフラしているような。
この三溪園のあたりの道路は、海に沿って2キロ近く続く長い左カーブとなっており、彼女たちのようにインコースを攻めないと遠回りになってしまう。それなのに、どうしてそんなもったいない走り方をしているのだろうか。
【追い上げるローズ大学・姫路の映像をご覧いただいています。何かこうして見ていると、覚悟の決まったような、そんな走りにも見えますよね、鱒川さん】
「我々のほうもね、必死に前を追う姫路さんってあんまり見慣れていないですよね」
【確かにそうですね。姫路薫はこれまで1年時から三年連続で1区を務めました。その中で区間2位・区間賞・区間賞と、みなと駅伝の先頭を走り続けてきました。四度目にして初めてビハインドでタスキをもらう展開です】
「姫路さん、実は9月の全日本インカレの後に少し右脚の甲を痛めて、練習から外れる時期があったそうなんですね。監督の鬼塚さんも『状態は良い時の五割ぐらい』という話もされていました」
『なるほど。それで1区より少し距離が短い2区に回ったということも考えられますね。さあ果たしてこの後、前回女王のローズ大学、巻き返しなるでしょうか。第56回・全国大学女子横浜みなと駅伝です』
◇
CM明け。上空からの映像で、根岸の製油所が映し出されている。立ち並ぶ球体状のタンクは、広大な海の景色の中でもひときわ目立つ存在だ。このあたりまで来ると、2区はいよいよ中盤。3区の磯子中継所も近づいてきている。
選手たちは今、首都高を走っている。高速道路上がコースとなっている駅伝はさすがに珍しい。みなと駅伝の開催日は、国道16号を迂回路として、有料道路を停止しての大がかりなイベントとなっている。後ろから追いかけている監督車はともかく、前の選手たちが料金所をくぐり抜けていく様はなかなか非日常感がある。
3位グループは、ネモフィラ大学の選手が脱落し、今は心枝とジャスミン大学の藤井さんの二人になっている。そのひとつ先を走る2位のデイジー大学にもかなり近づいてきているのだが……。いつになったら実況されるのだろうか。
『さて、先頭のデルフィ大学・西出が、まもなく5キロのチェックポイントを迎えようというところ。現在、首都高速湾岸線上、先ほどゲスト解説の福山さんのお話にもありました、少し抑えて耐える区間ですね?」
「はい、今まさにそうですね。あ、でもこれ、後ろの2位が見えなくなってきている感じですかね?」
そこに、2位のデイジー大学・岩田さんにつけている2号車実況が入ってくる。
「そうなんです。デイジー大学3年生の岩田なんですが、ペースがなかなか上がりません。中継所では30秒だった差が、先ほど手元の時計で測ったところ42秒まで広がっています。三溪園付近の湾岸カーブで、トップのデルフィ大学の姿が見えなくなる時間が増えてきています」
解説の鱒川さんはこう分析する。
「先頭の西出さんが今日凄く良い走りをしていてなかなか落ちてこないので、力的には追いかける岩田さんのほうが上だと思いますが、焦りが出てきているかもしれないですね」
【なるほど。追いつくはずが、逆にどんどん差が開いていくというのは精神的にダメージがありそうですね】
2位のランナーを映し出す2号車実況にはまだ続きがあった。
「そしてですね、この後ろ、ご覧ください!」
(おっ?)
「現在3位を走るジャスミンの藤井実咲と、アイリスの二神心枝の二人が、2位の背後まで迫ってきています!」
ようやく触れられたか。これで3位グループが2位グループになった。すごいぞ、心枝。
テレビ画面の下側には、追い上げる二人の名前と出身高校が表示されている。実はこの二人、ともに今や長野県の駅伝名門校である佐久東高校の出身。心枝は2年生。ジャスミンの藤井さんが3年生で、蓮李の一学年後輩にあたる。
二人で前を追う姿は一見、先輩後輩の協力タッグにも見えるが、この舞台に上がるまでの経緯、つまり高校時代の実績は、両者対照的。
藤井さんは高校時代、佐久東が全国高校駅伝で初優勝した年のアンカーを務め、華々しくゴールテープを切った選手だ。右手の人差し指を天高く掲げ、喜びを身体全体で表現したゴールシーンの写真は、翌年の大会ポスターで表紙を飾っている。1区で教え子の蓮李が区間賞、おまけに久しぶりの地元長野の優勝ということで、強く印象に残っている。
一方で、それを高校1年時に見ていた心枝のほうは、結局三年間メンバーに入ることはできなかった。
「心枝、聞こえるか? 3キロが9分21秒。今ね、藤井さんと一緒に行ってて凄く良いペース。今日追い風だから、多少速くても大丈夫だからね。いいかい、周りは気にしなくていいぞ。しっかり自分の走りに集中して、あと半分、頑張ろう」
その時、ポケットのスマホが振動した。
(心枝のお母さんからメールだ)
——立花先生お疲れ様です。3キロ地点で応援しました。あんなにスッキリした表情で走ってる心枝、初めて見ました。
立花は思わず笑みがこぼれた。二神姉妹が中学生の頃からの長い付き合いである。部員の親御さんには練習日誌のコピーを毎月送っている。心枝の場合、特に夏合宿の7月8月、これまで故障と体調不良で空白だらけだったメニュー表がびっしり埋まった。それを見て心枝のお母さんはとても喜んでくれた。今年こそは元気に駅伝を走っている姿を見たいと思っていたはずだ。
【画面はバイクです。どのチームにつけていますか】
「はい。バイクは1区14位からの巻き返しをはかるローズ大学につけています。先ほどまで前を走っていた5人の集団を、ごそっと抜いて、これで9位浮上。姫路は3キロ通過9分9秒という物凄いハイペースで突っ込んできています!」
さすがは姫路さんだ。この劣勢に飲み込まれることなく順位を押し上げている。長野県内でも中学生の頃から有名だったから、立花もよく知っている選手だ。腕を鞭のようにしならせる美しいフォームと、強靭なキック力で地面を蹴り上げるダイナミックな走りが、見事に共存していた。
ただ、バイクカメラが近くて走りづらいのか、さっきから手で追い払うようなジェスチャーを見せている。バイクのほうも真っ直ぐ走ればいいのに、どうして何度もぶつかりそうになるかな。
立花も学生時代に箱根駅伝で経験したことがある。接触事故は論外だが、近くを並走されるだけでも想像以上に気が散る。ある意味では、注目される選手の宿命とも言えるが、走りを伝えるための撮影が選手の邪魔になっては本末転倒だろう。いや……。
(もしかしてこれ、バイクのほうじゃなくて、姫路さんが真っ直ぐ走っていないのか?)
姫路さんに追い抜かれた集団は、画面の右端に寄り、ぴったり張り付くようにインコースを走っている。それに比べて姫路さんはさっきから右に寄ったり、左に寄ったり、不思議なコース取りだ。なんというか、フラフラしているような。
この三溪園のあたりの道路は、海に沿って2キロ近く続く長い左カーブとなっており、彼女たちのようにインコースを攻めないと遠回りになってしまう。それなのに、どうしてそんなもったいない走り方をしているのだろうか。
【追い上げるローズ大学・姫路の映像をご覧いただいています。何かこうして見ていると、覚悟の決まったような、そんな走りにも見えますよね、鱒川さん】
「我々のほうもね、必死に前を追う姫路さんってあんまり見慣れていないですよね」
【確かにそうですね。姫路薫はこれまで1年時から三年連続で1区を務めました。その中で区間2位・区間賞・区間賞と、みなと駅伝の先頭を走り続けてきました。四度目にして初めてビハインドでタスキをもらう展開です】
「姫路さん、実は9月の全日本インカレの後に少し右脚の甲を痛めて、練習から外れる時期があったそうなんですね。監督の鬼塚さんも『状態は良い時の五割ぐらい』という話もされていました」
『なるほど。それで1区より少し距離が短い2区に回ったということも考えられますね。さあ果たしてこの後、前回女王のローズ大学、巻き返しなるでしょうか。第56回・全国大学女子横浜みなと駅伝です』
◇
CM明け。上空からの映像で、根岸の製油所が映し出されている。立ち並ぶ球体状のタンクは、広大な海の景色の中でもひときわ目立つ存在だ。このあたりまで来ると、2区はいよいよ中盤。3区の磯子中継所も近づいてきている。
選手たちは今、首都高を走っている。高速道路上がコースとなっている駅伝はさすがに珍しい。みなと駅伝の開催日は、国道16号を迂回路として、有料道路を停止しての大がかりなイベントとなっている。後ろから追いかけている監督車はともかく、前の選手たちが料金所をくぐり抜けていく様はなかなか非日常感がある。
3位グループは、ネモフィラ大学の選手が脱落し、今は心枝とジャスミン大学の藤井さんの二人になっている。そのひとつ先を走る2位のデイジー大学にもかなり近づいてきているのだが……。いつになったら実況されるのだろうか。
『さて、先頭のデルフィ大学・西出が、まもなく5キロのチェックポイントを迎えようというところ。現在、首都高速湾岸線上、先ほどゲスト解説の福山さんのお話にもありました、少し抑えて耐える区間ですね?」
「はい、今まさにそうですね。あ、でもこれ、後ろの2位が見えなくなってきている感じですかね?」
そこに、2位のデイジー大学・岩田さんにつけている2号車実況が入ってくる。
「そうなんです。デイジー大学3年生の岩田なんですが、ペースがなかなか上がりません。中継所では30秒だった差が、先ほど手元の時計で測ったところ42秒まで広がっています。三溪園付近の湾岸カーブで、トップのデルフィ大学の姿が見えなくなる時間が増えてきています」
解説の鱒川さんはこう分析する。
「先頭の西出さんが今日凄く良い走りをしていてなかなか落ちてこないので、力的には追いかける岩田さんのほうが上だと思いますが、焦りが出てきているかもしれないですね」
【なるほど。追いつくはずが、逆にどんどん差が開いていくというのは精神的にダメージがありそうですね】
2位のランナーを映し出す2号車実況にはまだ続きがあった。
「そしてですね、この後ろ、ご覧ください!」
(おっ?)
「現在3位を走るジャスミンの藤井実咲と、アイリスの二神心枝の二人が、2位の背後まで迫ってきています!」
ようやく触れられたか。これで3位グループが2位グループになった。すごいぞ、心枝。
テレビ画面の下側には、追い上げる二人の名前と出身高校が表示されている。実はこの二人、ともに今や長野県の駅伝名門校である佐久東高校の出身。心枝は2年生。ジャスミンの藤井さんが3年生で、蓮李の一学年後輩にあたる。
二人で前を追う姿は一見、先輩後輩の協力タッグにも見えるが、この舞台に上がるまでの経緯、つまり高校時代の実績は、両者対照的。
藤井さんは高校時代、佐久東が全国高校駅伝で初優勝した年のアンカーを務め、華々しくゴールテープを切った選手だ。右手の人差し指を天高く掲げ、喜びを身体全体で表現したゴールシーンの写真は、翌年の大会ポスターで表紙を飾っている。1区で教え子の蓮李が区間賞、おまけに久しぶりの地元長野の優勝ということで、強く印象に残っている。
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