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【第1話 運命のライバル】2037.06
② あなたを見ていた
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「趣味の良いフットギアね」
エリカさんは、楓の履いているシューズを見て爽やかに笑った。
「は、はい、ありがとうございます」
どうやら予想通りだったみたいだ。実は、楓が履いている『シルフィード』は、エリカさんと同じモデルなのだ。逆に、話しかけられるような話題なんて他に思いつかない。
それにしても、自身のと同じフットギアを見て「趣味の良い」だなんて。エリカさんって案外お茶目な人なのかもしれない。楓は少しだけ肩の力が抜けた。
「どこの国の言葉だったかしら。『素敵な靴は、素敵な場所へと連れていってくれる』という格言があるの」
「へぇ!」
「だから、ここで出会えたのも、何かの縁かもしれないわね」
夢みたいだ。他でもない憧れのエリカさんからそんなことを言ってもらえるなんて。これからレースが始まることなんて忘れてしまいそうなくらい、すっかりフワフワした気持ちになっていた。
しかし、エリカさんはその空気をさっとしまいこむように、表情を引き締めた。
「けど、初めて出会ったわ。この時代に、私以外にシルフィードを履いている人……」
そう言われ、楓は無意識に足元へ視線を落とす。楓のフットギアを担当してくれた、フットラボのマイさんから聞いた話を思い出す。
十二年前に登場した、第ゼロ世代のフットギア『モデルS=シルフィード』。当時の技術を結集して作られた革新的な存在だったが、初期のごくわずかな時期にしか出回らず、技術革新の流れで淘汰されていくことになる。
早くも翌年には、欠点を改良した第一世代フットギア『モデルA=アトラス』の提供が開始され、その後も第二世代『モデルB=ブルーパルナス』、第三世代『モデルC=クロノスタージュ』へと進化を遂げる。シルフィードは最前線から姿を消し、もはや「過去の遺物」を振り返る者はいなくなった。
しかしある時、一人の例外が現れる。それが、神宮寺エリカさんだった。
十八歳を迎えた翌年度にフットギアの使用が解禁されるタイミングで、ほぼ全ての選手が最新の第三世代モデルを選ぶ中、彼女だけはシルフィードを選んだのだという。
それだけ珍しいと、もしかしたら真似したと思われているかもしれない。けれど、実際は順番が違う。だから、今年新たに加わったもう一人の例外は、ちょうど弁明の機会を得られたことに、ある意味ホッとしているのだった。
「えっと、あの。私、シルフィードしか履けなかったんです」
そのとき、二人の頭上を雲と飛行機が横切り、エリカさんの表情にゆっくりと黒い影を落とした。騒音が止んでも、エリカさんは顔を強張らせたまま、目を丸くしている。そして息をつまらせ、ぽつりとつぶやいた。
「シルフィード、しか?」
(あれ……? なんだか、マズいこと言っちゃったかな……?)
楓は戸惑い、沈黙を埋めようと慌てて口を開く。
「試走の時、最新モデルだとシンクロエラーになってしまって。それでシューマイスターの方が、シンクロの進みが遅い昔のモデルなら合うかもしれないって、倉庫から出してきてくれたのがシルフィードで……」
フットギアのかかと部分に埋め込まれている『精霊石』には、ランナーの脳波や心拍数をはじめとする健康状態、路面状態などを読み取ることで、最適なサポートを実現する『シンクロ』という機能が備わっている。これにより、安定性・クッション性・反発性・スパイクピンの有無に至るまで、持ち主の理想のシューズへと自在にその姿を変える。
通常なら、第一世代まで順に遡れば、どれか一つは適合して上手く作動するものだそうだが……。
「それで?」
「シルフィードだけは、エラーが出なかったんです」
「……そんなことが……」
エリカさんは顎に手を当て、まるで楓の存在など忘れたみたいに、黙って考え込んでしまった。あぁ、喋れば喋るほど、話がこじれていく気がする。置いてけぼりの楓が何もわからずおどおどしていると、とある違和感に気がついた。
(……ん、なんか、すごく見られてる?)
それまで背景の模様と化していた周囲の様子が、急に鮮明になって浮かび上がる。気づけば、『報道』と書かれたビブスを着た大人たちが、何台ものカメラを回していた。
二人だけの世界なんてもの、世間は許してくれないらしい。彼らは獲物を狙う猛禽のように、エリカさんの一挙手一投足を逃すまいとレンズを向けている。
(うわ……え、これ全部……エリカさん狙い……?)
当然、楓はお邪魔虫。せいぜいオマケがいいところである。オマケで結構。だから、さっき漫画みたいにコケたところも、ぜひともバッサリカットしていただきたい。
「ん? どうしたの」
不思議そうにエリカさんが顔を向ける。
「あの、カメ、カメ……」
「亀?」
「……カメラが!」
「あぁ、これね」
エリカさんは、これほどまでに威圧感のある黒々とした機械の集団を、楓が指摘するまですっかり忘れていたみたいな言い方をした。
「この人たち、私が動くと一緒についてきちゃうの」
そりゃ、そうでしょう。エリカさんは困ったように眉を下げているけど、どこか慣れた様子だった。それから、ふっと大きく瞬きをした。
「お互い頑張りましょうね」
「は、はいっ」
楓は震える声を絞り出し、颯爽とカメラを撒いて走り去っていく背中に向かって何度もペコペコとお辞儀をした。
(すごい、夢みたい。エリカさんとおはなししちゃった……!)
そこへ、入れ替わるようにドタドタと突進してくる者が一名。
「ねぇ。ちょっと、ちょっと!」
余韻に浸る間もない。いつの間にか柱の陰で存在感を消していたラギちゃんが、辛抱たまらんと言わんばかりに飛び出してきた。
「ど、ど、ど、どうして神宮寺さんが、バンビに話しかけにくるわけ?」
驚きと好奇心が入り混じった表情で、楓の腕をぐいっと掴む。その目はキラキラと光り、完全に興奮状態。
「もう、ラギちゃん、隠れてないで早く助けに来てよ~」
「あら。気を遣ってあげたのよ? お邪魔かと思って」
「心臓バクバクで、走る前からヘトヘトだよ……」
「なぁに、よかったじゃないの。憧れの神宮寺さんと喋れて」
そう。靴紐を結ぼうとしたとき、直前まで隣にいたのはラギちゃんのはずだったのだ。でも、名前を呼ばれて顔を上げたら、まさかの……。あぁ、思い出しただけで顔から火が出そう。
「で、お二人はどういったご関係で?」
「関係も何も、今日初めて話したよ。たまたまシューズが同じっていう、ただそれだけ」
楓は笑ってみせたが、ラギちゃんは納得いっていない様子。
「本当にそれだけ? だったら、なんで神宮寺さんはバンビの名前知ってたのさ?」
「あれ? そう言われてみれば、確かに」
(栗原楓さんよね、ってフルネームで。どうして私の名前なんて知っていたんだろう?)
エリカさんは、楓の履いているシューズを見て爽やかに笑った。
「は、はい、ありがとうございます」
どうやら予想通りだったみたいだ。実は、楓が履いている『シルフィード』は、エリカさんと同じモデルなのだ。逆に、話しかけられるような話題なんて他に思いつかない。
それにしても、自身のと同じフットギアを見て「趣味の良い」だなんて。エリカさんって案外お茶目な人なのかもしれない。楓は少しだけ肩の力が抜けた。
「どこの国の言葉だったかしら。『素敵な靴は、素敵な場所へと連れていってくれる』という格言があるの」
「へぇ!」
「だから、ここで出会えたのも、何かの縁かもしれないわね」
夢みたいだ。他でもない憧れのエリカさんからそんなことを言ってもらえるなんて。これからレースが始まることなんて忘れてしまいそうなくらい、すっかりフワフワした気持ちになっていた。
しかし、エリカさんはその空気をさっとしまいこむように、表情を引き締めた。
「けど、初めて出会ったわ。この時代に、私以外にシルフィードを履いている人……」
そう言われ、楓は無意識に足元へ視線を落とす。楓のフットギアを担当してくれた、フットラボのマイさんから聞いた話を思い出す。
十二年前に登場した、第ゼロ世代のフットギア『モデルS=シルフィード』。当時の技術を結集して作られた革新的な存在だったが、初期のごくわずかな時期にしか出回らず、技術革新の流れで淘汰されていくことになる。
早くも翌年には、欠点を改良した第一世代フットギア『モデルA=アトラス』の提供が開始され、その後も第二世代『モデルB=ブルーパルナス』、第三世代『モデルC=クロノスタージュ』へと進化を遂げる。シルフィードは最前線から姿を消し、もはや「過去の遺物」を振り返る者はいなくなった。
しかしある時、一人の例外が現れる。それが、神宮寺エリカさんだった。
十八歳を迎えた翌年度にフットギアの使用が解禁されるタイミングで、ほぼ全ての選手が最新の第三世代モデルを選ぶ中、彼女だけはシルフィードを選んだのだという。
それだけ珍しいと、もしかしたら真似したと思われているかもしれない。けれど、実際は順番が違う。だから、今年新たに加わったもう一人の例外は、ちょうど弁明の機会を得られたことに、ある意味ホッとしているのだった。
「えっと、あの。私、シルフィードしか履けなかったんです」
そのとき、二人の頭上を雲と飛行機が横切り、エリカさんの表情にゆっくりと黒い影を落とした。騒音が止んでも、エリカさんは顔を強張らせたまま、目を丸くしている。そして息をつまらせ、ぽつりとつぶやいた。
「シルフィード、しか?」
(あれ……? なんだか、マズいこと言っちゃったかな……?)
楓は戸惑い、沈黙を埋めようと慌てて口を開く。
「試走の時、最新モデルだとシンクロエラーになってしまって。それでシューマイスターの方が、シンクロの進みが遅い昔のモデルなら合うかもしれないって、倉庫から出してきてくれたのがシルフィードで……」
フットギアのかかと部分に埋め込まれている『精霊石』には、ランナーの脳波や心拍数をはじめとする健康状態、路面状態などを読み取ることで、最適なサポートを実現する『シンクロ』という機能が備わっている。これにより、安定性・クッション性・反発性・スパイクピンの有無に至るまで、持ち主の理想のシューズへと自在にその姿を変える。
通常なら、第一世代まで順に遡れば、どれか一つは適合して上手く作動するものだそうだが……。
「それで?」
「シルフィードだけは、エラーが出なかったんです」
「……そんなことが……」
エリカさんは顎に手を当て、まるで楓の存在など忘れたみたいに、黙って考え込んでしまった。あぁ、喋れば喋るほど、話がこじれていく気がする。置いてけぼりの楓が何もわからずおどおどしていると、とある違和感に気がついた。
(……ん、なんか、すごく見られてる?)
それまで背景の模様と化していた周囲の様子が、急に鮮明になって浮かび上がる。気づけば、『報道』と書かれたビブスを着た大人たちが、何台ものカメラを回していた。
二人だけの世界なんてもの、世間は許してくれないらしい。彼らは獲物を狙う猛禽のように、エリカさんの一挙手一投足を逃すまいとレンズを向けている。
(うわ……え、これ全部……エリカさん狙い……?)
当然、楓はお邪魔虫。せいぜいオマケがいいところである。オマケで結構。だから、さっき漫画みたいにコケたところも、ぜひともバッサリカットしていただきたい。
「ん? どうしたの」
不思議そうにエリカさんが顔を向ける。
「あの、カメ、カメ……」
「亀?」
「……カメラが!」
「あぁ、これね」
エリカさんは、これほどまでに威圧感のある黒々とした機械の集団を、楓が指摘するまですっかり忘れていたみたいな言い方をした。
「この人たち、私が動くと一緒についてきちゃうの」
そりゃ、そうでしょう。エリカさんは困ったように眉を下げているけど、どこか慣れた様子だった。それから、ふっと大きく瞬きをした。
「お互い頑張りましょうね」
「は、はいっ」
楓は震える声を絞り出し、颯爽とカメラを撒いて走り去っていく背中に向かって何度もペコペコとお辞儀をした。
(すごい、夢みたい。エリカさんとおはなししちゃった……!)
そこへ、入れ替わるようにドタドタと突進してくる者が一名。
「ねぇ。ちょっと、ちょっと!」
余韻に浸る間もない。いつの間にか柱の陰で存在感を消していたラギちゃんが、辛抱たまらんと言わんばかりに飛び出してきた。
「ど、ど、ど、どうして神宮寺さんが、バンビに話しかけにくるわけ?」
驚きと好奇心が入り混じった表情で、楓の腕をぐいっと掴む。その目はキラキラと光り、完全に興奮状態。
「もう、ラギちゃん、隠れてないで早く助けに来てよ~」
「あら。気を遣ってあげたのよ? お邪魔かと思って」
「心臓バクバクで、走る前からヘトヘトだよ……」
「なぁに、よかったじゃないの。憧れの神宮寺さんと喋れて」
そう。靴紐を結ぼうとしたとき、直前まで隣にいたのはラギちゃんのはずだったのだ。でも、名前を呼ばれて顔を上げたら、まさかの……。あぁ、思い出しただけで顔から火が出そう。
「で、お二人はどういったご関係で?」
「関係も何も、今日初めて話したよ。たまたまシューズが同じっていう、ただそれだけ」
楓は笑ってみせたが、ラギちゃんは納得いっていない様子。
「本当にそれだけ? だったら、なんで神宮寺さんはバンビの名前知ってたのさ?」
「あれ? そう言われてみれば、確かに」
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