4 / 91
【第1話 運命のライバル】2037.06
④ 人さし指の魔法
しおりを挟む
なんと、先頭を走っていたはずのエリカさんが、コーナーで大きく外側に寄り、今にも止まりそうなほどスピードを落としていた。会場の歓声が、一気に失われ、ざわめきに変わる。楓の心境も、スタンドで騒然としている観衆たちとまったく同じだった。
(エリカさん、どうしちゃったの!?)
誰かをペースメーカーにしようと、戦略的に先頭を譲った様子でもない。ラギちゃんの話でも、エリカさんほどの実力者を引っ張れるような選手は、ここにいないはずだ。
ジャスミン大学のもう片方の選手が、すかさず代わりに先頭へ出る。一方でエリカさんは、外側を大回りしながら、他のランナーに次々と内側から追い抜かれ、ズルズルと後退していく。そしてついには、楓のところまで。
するとエリカさんは突然、予想もつかない行動に出た。
(お、おわっ)
驚いた。彼女は強引に集団の中へ入り込み、楓の目の前を陣取った。なんて大胆な。何を考えているのか、まったく読めない。お店の行列だって、自分より前にいた人が割り込んでくるなんて見たことがない。
ただ、突如乱入してきたエリカさんの背中を見つめるうちに、楓はあることに気がついた。アタックが止んでいる。
さっき肘打ちをしてきた選手たちは、急に窮屈で遠慮がちな走り方になっていた。
(そうか……! 誰もエリカさんには強く当たれないんだ)
楓と同じく小柄なのに、その凄みとオーラがまるで違う。ただそこにいるだけで、自然と道が開く。本当に何から何まで、スゴいとしか言いようがない。
え、これって、ひょっとして。
(……助けてくれたってこと?)
彼女もそれをわかっていて、集団に割り込み、楓への攻撃をやめさせたのではないか?
いやいや、ありえない。だって、チームメイトでもない無関係な選手を、どうしてわざわざ助ける必要があるのだ。
コーナーで左に体を傾けるエリカさんは、チラリと斜め後ろを振り向く。その瞳は、明らかに何かメッセージを持っていた。「ついてきなさい」なのか、「ここにいれば安全だ」と言っているのか。わからない。
しかし、たしかに楓と目が合っている。
(やっぱり、助けてくれたんだ!)
今のエリカさんは、スタート前に話しかけてくれた時の穏やかな表情とは一変して、レースを支配する鋭い眼差しに切り替わっていた。カッコいい……。いやいや、そんなこと言っている場合か。
翻弄はまだ終わらなかった。第4コーナーを回り、ホームストレートへと戻ってくるときだった。
「ここへ来なさい」
エリカさんの人さし指が右側のスペースを指し示した。
(え、どういうこと……?)
考えてもわからない疑問の泡が、膨らんでは弾けてを繰り返す。楓が戸惑っていると、エリカさんはそれを見透かしたように、さらに鋭く指先を突き出す。あまりの気迫に、気づけばその指示に従ってしまっていた。
(あれ、私……敵チームの選手の言うこと聞いちゃってる!?)
見えない糸に引っ張られる。エリカさんはそのまま手をこまねきながら、さらに「こっち、こっち」と手を煽る。バスケのスクリーンプレイみたいに、エリカさんが壁になって、楓とともに前へ。さっきまで自分を囲んでいた集団の選手たちが、ごそっと後方へ流れていく。そして、その先は——。
(あれれ!? 私たち、先頭に出ちゃったんですけど!)
どうしよう。どうしよう。攻撃は止んだ。楓を囲んでいた集団の圧迫感も消えた。エリカさんと一緒にいれば安全。それは間違いない。でも、これで合っているの?
一周目が終わる。各大学の監督たちが、ハードルを寄せ集めた仕切りの向こうから、声を張り上げる。その中から、ひときわ大きな怒声が飛んできた。
「84秒かかってんだ、このタコ! 後ろさっさと引き離さんか!」
エリカさんのお父さんであり、ジャスミン大学の監督、神宮寺監督だ。しかし、当のエリカさんはその言葉をまったく気にする様子もなく、涼しい顔でスルーしている。
(あのー、いいんですか。お父様、めっちゃお怒りになられていますけど……)
その隣に辛うじてアイリスの立花監督の姿を見つけた。しかし、指示は口パクだった。額に血管を浮き出しながら叫んでいる神宮寺監督が、それを綺麗サッパリかき消してしまっているのだ。
(げっ、何も聞こえない)
けど、一周目のラップだけは把握した——84秒。エリカさんが84秒ということは、自分もほぼ同じペースだったことになる。信じられないことだけど、今、自分はエリカさんと並んで走っているのだ。
(練習してきたのは80秒ペース……これならついていけそう?)
そう思った矢先、エリカさんが徐々にペースを上げ始めた。楓が遅れそうになると、エリカさんは振り返り、軽く手をひらひらと動かして合図を送る。「もっと上げるわよ」とでも言いたげな仕草だった。
(いやいや、ダメですそれは!!)
このままだと、予定の80秒ペースを切ってしまう。自分一人のレースならまだしも、今日は合計タイムで競うチーム戦。勝手なことをするわけにはいかない。
(監督の指示は、誰かの後ろについてスタミナを温存するように、って。でも、まさかエリカさんの後ろにつくとは誰も思ってないよね!?)
これじゃ、スタミナを温存するどころじゃない。
後ろの方から、他校の監督たちの声が結構遅れて聞こえてきた。つまり、すでに後ろの集団は思った以上に離れてしまっているらしい。
(どうしよう……)
自分から減速して、またあの集団に戻る? いや、それじゃ、さっきの攻撃をまた受けに行くようなものだ。かといって、このままエリカさんについていけば、確実にオーバーペースになる。
最悪なのは、そのどちらも選ばず、中途半端に単独走を始めてしまうことだ。自分ひとりでペースを作るなんて、そんな技量は持ち合わせていない。
楓は決断を迫られている。前へついていくのか、後ろへ戻るのか——。
(エリカさん、どうしちゃったの!?)
誰かをペースメーカーにしようと、戦略的に先頭を譲った様子でもない。ラギちゃんの話でも、エリカさんほどの実力者を引っ張れるような選手は、ここにいないはずだ。
ジャスミン大学のもう片方の選手が、すかさず代わりに先頭へ出る。一方でエリカさんは、外側を大回りしながら、他のランナーに次々と内側から追い抜かれ、ズルズルと後退していく。そしてついには、楓のところまで。
するとエリカさんは突然、予想もつかない行動に出た。
(お、おわっ)
驚いた。彼女は強引に集団の中へ入り込み、楓の目の前を陣取った。なんて大胆な。何を考えているのか、まったく読めない。お店の行列だって、自分より前にいた人が割り込んでくるなんて見たことがない。
ただ、突如乱入してきたエリカさんの背中を見つめるうちに、楓はあることに気がついた。アタックが止んでいる。
さっき肘打ちをしてきた選手たちは、急に窮屈で遠慮がちな走り方になっていた。
(そうか……! 誰もエリカさんには強く当たれないんだ)
楓と同じく小柄なのに、その凄みとオーラがまるで違う。ただそこにいるだけで、自然と道が開く。本当に何から何まで、スゴいとしか言いようがない。
え、これって、ひょっとして。
(……助けてくれたってこと?)
彼女もそれをわかっていて、集団に割り込み、楓への攻撃をやめさせたのではないか?
いやいや、ありえない。だって、チームメイトでもない無関係な選手を、どうしてわざわざ助ける必要があるのだ。
コーナーで左に体を傾けるエリカさんは、チラリと斜め後ろを振り向く。その瞳は、明らかに何かメッセージを持っていた。「ついてきなさい」なのか、「ここにいれば安全だ」と言っているのか。わからない。
しかし、たしかに楓と目が合っている。
(やっぱり、助けてくれたんだ!)
今のエリカさんは、スタート前に話しかけてくれた時の穏やかな表情とは一変して、レースを支配する鋭い眼差しに切り替わっていた。カッコいい……。いやいや、そんなこと言っている場合か。
翻弄はまだ終わらなかった。第4コーナーを回り、ホームストレートへと戻ってくるときだった。
「ここへ来なさい」
エリカさんの人さし指が右側のスペースを指し示した。
(え、どういうこと……?)
考えてもわからない疑問の泡が、膨らんでは弾けてを繰り返す。楓が戸惑っていると、エリカさんはそれを見透かしたように、さらに鋭く指先を突き出す。あまりの気迫に、気づけばその指示に従ってしまっていた。
(あれ、私……敵チームの選手の言うこと聞いちゃってる!?)
見えない糸に引っ張られる。エリカさんはそのまま手をこまねきながら、さらに「こっち、こっち」と手を煽る。バスケのスクリーンプレイみたいに、エリカさんが壁になって、楓とともに前へ。さっきまで自分を囲んでいた集団の選手たちが、ごそっと後方へ流れていく。そして、その先は——。
(あれれ!? 私たち、先頭に出ちゃったんですけど!)
どうしよう。どうしよう。攻撃は止んだ。楓を囲んでいた集団の圧迫感も消えた。エリカさんと一緒にいれば安全。それは間違いない。でも、これで合っているの?
一周目が終わる。各大学の監督たちが、ハードルを寄せ集めた仕切りの向こうから、声を張り上げる。その中から、ひときわ大きな怒声が飛んできた。
「84秒かかってんだ、このタコ! 後ろさっさと引き離さんか!」
エリカさんのお父さんであり、ジャスミン大学の監督、神宮寺監督だ。しかし、当のエリカさんはその言葉をまったく気にする様子もなく、涼しい顔でスルーしている。
(あのー、いいんですか。お父様、めっちゃお怒りになられていますけど……)
その隣に辛うじてアイリスの立花監督の姿を見つけた。しかし、指示は口パクだった。額に血管を浮き出しながら叫んでいる神宮寺監督が、それを綺麗サッパリかき消してしまっているのだ。
(げっ、何も聞こえない)
けど、一周目のラップだけは把握した——84秒。エリカさんが84秒ということは、自分もほぼ同じペースだったことになる。信じられないことだけど、今、自分はエリカさんと並んで走っているのだ。
(練習してきたのは80秒ペース……これならついていけそう?)
そう思った矢先、エリカさんが徐々にペースを上げ始めた。楓が遅れそうになると、エリカさんは振り返り、軽く手をひらひらと動かして合図を送る。「もっと上げるわよ」とでも言いたげな仕草だった。
(いやいや、ダメですそれは!!)
このままだと、予定の80秒ペースを切ってしまう。自分一人のレースならまだしも、今日は合計タイムで競うチーム戦。勝手なことをするわけにはいかない。
(監督の指示は、誰かの後ろについてスタミナを温存するように、って。でも、まさかエリカさんの後ろにつくとは誰も思ってないよね!?)
これじゃ、スタミナを温存するどころじゃない。
後ろの方から、他校の監督たちの声が結構遅れて聞こえてきた。つまり、すでに後ろの集団は思った以上に離れてしまっているらしい。
(どうしよう……)
自分から減速して、またあの集団に戻る? いや、それじゃ、さっきの攻撃をまた受けに行くようなものだ。かといって、このままエリカさんについていけば、確実にオーバーペースになる。
最悪なのは、そのどちらも選ばず、中途半端に単独走を始めてしまうことだ。自分ひとりでペースを作るなんて、そんな技量は持ち合わせていない。
楓は決断を迫られている。前へついていくのか、後ろへ戻るのか——。
37
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる