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【第7話 チームの力学】2037.09
① 副キャプテンは誰だ!?
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突然の侵入者に緊張が走る。女の園にたった一人の異分子が入ってくるだけでこれだけの脅威になる。男は手持ち無沙汰に金髪混じりの長髪を後ろでかくなどしている。
半袖のTシャツに半ズボン。サイボーグのようにゴツゴツした手足の筋肉は黒々としており、無駄な脂肪は一切なく、血管が浮き出ている。
たとえ朝陽たち駅伝部でも、もしも彼が凶器をかざして追いかけてきたら……短距離では、この男に軍配が上がるかもしれない。
「はい、みんなおつかれさーん」
(うわっ)
その声に、膝から崩れ落ちそうになった。
助かった。張り詰めた場の空気を見事なまでに粉砕する、別の男性の声がした。坂の下の中継所から車で戻ってきたのだろうか。そして、なぜか両手にパンパンのビニール袋をぶら下げている。
「なあ、どっちが勝ったか気になるだろう?」
どっちが勝ったかって、その満面の笑みは答えを言っているようなものだろう。そっか、バンビ頑張ったな……。
(って、いやいやいや。バンビには悪いけど今はそれどころじゃないんだよ)
「あの……」
「ん、朝陽、どうした?」
朝陽は小声で話し、手振りはせず、目線だけで男のいる方向を示した。
「なんか、変な人がいて」
「え、変な人? どこだ!?」
立花監督が男のほうを眺めると――。
「キャーーッ」
突然、監督の後ろからついてきていたラギちゃんが悲鳴を上げた。その目は蓮李先輩のほうを見ている。しまった、目を離した隙に。
(蓮李先輩が危ない……!)
「もしかして、キヌタ自動車のモチヅキ選手ですか!?」
ラギちゃんはその男のほうへ一目散に向かうと、なんの警戒心も無しに、というか、尻尾を振りながら話しかけてしまった。
「そうだが」
男は答える。わけもわからず朝陽が立ち尽くしていると、立花監督がとんでもないことを言った。
「俺が呼んだんだよ」
(……は?)
「後でちゃんと紹介するよ。それよりみんな、デルフィ大学さんから差し入れでアイスを分けていただいたから、サポート組から選んでいいぞ」
「おい、アイスより先に俺の紹介をしろ。お前が話通してないせいで、俺は取材の記者か何かだと勘違いされてんだよ」
いや、朝陽から見れば、この人は記者ではなく確実に不審者である。
「最近調子どうよ?」
「聞け、おい」
この二人の関係がわからない。とりあえず、話が噛み合っていない。
(いや、一周回って噛み合っているのか?)
そんなことより。
朝陽は腹が立った。こっちがどんだけ神経を尖らせたと思っているんだ。聞き覚えのある安全な声が聞こえて、朝陽は心底ホッとしたのだ。
しかし、危険因子を連れてきたのがその安心する声の主だったと知り、キレそうになった。いやマジで、どこかの血管の二、三本は行ってると思う。
◇
茉莉先輩、ヘレナ、ラギちゃんのサポート組三人がビニール袋の中のアイスを物色している間、朝陽は蓮李先輩に尋ねてみた。
「蓮李先輩。さっき、どうしてあの人に近寄ったんですか」
「うーん。まぁ、あのまま全員シカトで怒らせちゃったら、そっちのほうがマズいかと思って」
あの場にいたのは、朝陽、蓮李先輩、そしてデルフィ大学の数人。「お前ら、アイリスの駅伝部?」と、初対面でタメ口をきく無骨な口調が響き、せっせと片付けをしていたみんなの動きが止まったのだった。
女性視点、その場に適したトーンの喋り方をできていない時点で、それはもう警戒(あるいは無視)に値するだけの「変な人」なのだ。
「私は蓮李先輩が心配でしたよ」
「ありがとうね。でも、大丈夫だと思った。あの人の脚見た?」
蓮李先輩は代わりに自分のふくらはぎをツンツン指している。
(脚?)
朝陽はそれどころじゃなかったが、確かにあの人の手足は見た。でもそれは、警戒心を強める要素でしかなかった。
「あれだけ洗練された筋肉をしているのは、少なくとも関係者だと思ったんだ」
「けど、あの格好で取材の人だとは思わなくないですか。しかも "お前ら" 呼ばわりだし」
「ああ、あれはね、時間稼ぎだよ。わざと職業を間違えて立ち往生させて、大人の男性が近くにいることもチラつかせて。あとは、みんなに聞こえるように言うことで、もうすぐ監督戻ってくるからねって安心させたかった。その隙に誰かが連絡してくれればいいわけだしね」
残念ながら、固まっていた朝陽はそんな機転は利かせられなかった。
「しかもね、あれは走ることを相当突き詰めた人の肉体だよ。男子選手には詳しくないけど、きっとある程度走りの世界で名声があって、たぶん手荒なことはできない。まあ、立花監督の知り合いとまでは知らなかったけどね」
あの一瞬でそこまで見通していたんだ。蓮李先輩には敵わないなと、朝陽は改めて思った。
◇
望月という男が臨時コーチとしてやってきたのは、8月の中旬。長野合宿の終盤だった。
立花監督の大学時代の同期で、当時はキャプテンでエースだった人らしい。だけど、最初にみんなの前で挨拶した時は「望月です。よろしく」の一言だけ。これだったら、そこに慌てて補足説明でフォローを入れている立花監督のほうが、よっぽどキャプテンっぽいと思った。
そうそう。監督の補足の中には「大学時代には、箱根駅伝で "花の2区" を走ったんだよ」というのもあった。柚希なんかミーハーだからキャーキャー騒いでいるけど。自分の挨拶は一言で済ませて、他はぜーんぶ立花監督がフォロー。過去の実績なんか紹介されながら、自分は気分良くなってスカしている。そういうところがなんか気に食わないと思った。
箱根駅伝走ったのがそんなに偉いのかい。それに、箱根なら立花監督だって走っている。なんで監督はわざわざこんな人を呼んだのだろう。
「ねぇラギちゃん、アレってそんなに凄い人なの?」
「え、朝陽先輩、あんまりテレビで駅伝とか見ないんですか」
「うーん、まあやってたら見るけど、そんなに一人一人までは覚えてないというか」
「現役バリバリの実業団ランナーですよ。私、望月さんが箱根駅伝走ってた大学生の頃から見てました。あっ、あとでサインしてもらわなきゃ!」
まあとにかく、面倒臭そうだから、なるべく目をつけられないようにしよう、っと。
夕方。午後練習後に集合して整列した時、立花監督は望月にコメントを求めた。
「俺を呼んだからには、思ったことは言わせてもらうぞ、立花」
「ぜひお願いしたい。今、チームは大きく変われるチャンスの時期にあると思うんだ。だからこそ、望月を呼んだ」
いや、この人に喋らせたって、きっと最初の挨拶の時みたいにボソッと喋って終わるだけだって。
「じゃあぶっちゃけるが。このチームには、致命的な欠点がある」
一体何を言い出すのだろうか。と思えば。
「この駅伝部ってさ、副キャプテンって、いねえの?」
(えっ?)
それは、特に朝陽にとっては絶対に聞き逃せない一文だった。
半袖のTシャツに半ズボン。サイボーグのようにゴツゴツした手足の筋肉は黒々としており、無駄な脂肪は一切なく、血管が浮き出ている。
たとえ朝陽たち駅伝部でも、もしも彼が凶器をかざして追いかけてきたら……短距離では、この男に軍配が上がるかもしれない。
「はい、みんなおつかれさーん」
(うわっ)
その声に、膝から崩れ落ちそうになった。
助かった。張り詰めた場の空気を見事なまでに粉砕する、別の男性の声がした。坂の下の中継所から車で戻ってきたのだろうか。そして、なぜか両手にパンパンのビニール袋をぶら下げている。
「なあ、どっちが勝ったか気になるだろう?」
どっちが勝ったかって、その満面の笑みは答えを言っているようなものだろう。そっか、バンビ頑張ったな……。
(って、いやいやいや。バンビには悪いけど今はそれどころじゃないんだよ)
「あの……」
「ん、朝陽、どうした?」
朝陽は小声で話し、手振りはせず、目線だけで男のいる方向を示した。
「なんか、変な人がいて」
「え、変な人? どこだ!?」
立花監督が男のほうを眺めると――。
「キャーーッ」
突然、監督の後ろからついてきていたラギちゃんが悲鳴を上げた。その目は蓮李先輩のほうを見ている。しまった、目を離した隙に。
(蓮李先輩が危ない……!)
「もしかして、キヌタ自動車のモチヅキ選手ですか!?」
ラギちゃんはその男のほうへ一目散に向かうと、なんの警戒心も無しに、というか、尻尾を振りながら話しかけてしまった。
「そうだが」
男は答える。わけもわからず朝陽が立ち尽くしていると、立花監督がとんでもないことを言った。
「俺が呼んだんだよ」
(……は?)
「後でちゃんと紹介するよ。それよりみんな、デルフィ大学さんから差し入れでアイスを分けていただいたから、サポート組から選んでいいぞ」
「おい、アイスより先に俺の紹介をしろ。お前が話通してないせいで、俺は取材の記者か何かだと勘違いされてんだよ」
いや、朝陽から見れば、この人は記者ではなく確実に不審者である。
「最近調子どうよ?」
「聞け、おい」
この二人の関係がわからない。とりあえず、話が噛み合っていない。
(いや、一周回って噛み合っているのか?)
そんなことより。
朝陽は腹が立った。こっちがどんだけ神経を尖らせたと思っているんだ。聞き覚えのある安全な声が聞こえて、朝陽は心底ホッとしたのだ。
しかし、危険因子を連れてきたのがその安心する声の主だったと知り、キレそうになった。いやマジで、どこかの血管の二、三本は行ってると思う。
◇
茉莉先輩、ヘレナ、ラギちゃんのサポート組三人がビニール袋の中のアイスを物色している間、朝陽は蓮李先輩に尋ねてみた。
「蓮李先輩。さっき、どうしてあの人に近寄ったんですか」
「うーん。まぁ、あのまま全員シカトで怒らせちゃったら、そっちのほうがマズいかと思って」
あの場にいたのは、朝陽、蓮李先輩、そしてデルフィ大学の数人。「お前ら、アイリスの駅伝部?」と、初対面でタメ口をきく無骨な口調が響き、せっせと片付けをしていたみんなの動きが止まったのだった。
女性視点、その場に適したトーンの喋り方をできていない時点で、それはもう警戒(あるいは無視)に値するだけの「変な人」なのだ。
「私は蓮李先輩が心配でしたよ」
「ありがとうね。でも、大丈夫だと思った。あの人の脚見た?」
蓮李先輩は代わりに自分のふくらはぎをツンツン指している。
(脚?)
朝陽はそれどころじゃなかったが、確かにあの人の手足は見た。でもそれは、警戒心を強める要素でしかなかった。
「あれだけ洗練された筋肉をしているのは、少なくとも関係者だと思ったんだ」
「けど、あの格好で取材の人だとは思わなくないですか。しかも "お前ら" 呼ばわりだし」
「ああ、あれはね、時間稼ぎだよ。わざと職業を間違えて立ち往生させて、大人の男性が近くにいることもチラつかせて。あとは、みんなに聞こえるように言うことで、もうすぐ監督戻ってくるからねって安心させたかった。その隙に誰かが連絡してくれればいいわけだしね」
残念ながら、固まっていた朝陽はそんな機転は利かせられなかった。
「しかもね、あれは走ることを相当突き詰めた人の肉体だよ。男子選手には詳しくないけど、きっとある程度走りの世界で名声があって、たぶん手荒なことはできない。まあ、立花監督の知り合いとまでは知らなかったけどね」
あの一瞬でそこまで見通していたんだ。蓮李先輩には敵わないなと、朝陽は改めて思った。
◇
望月という男が臨時コーチとしてやってきたのは、8月の中旬。長野合宿の終盤だった。
立花監督の大学時代の同期で、当時はキャプテンでエースだった人らしい。だけど、最初にみんなの前で挨拶した時は「望月です。よろしく」の一言だけ。これだったら、そこに慌てて補足説明でフォローを入れている立花監督のほうが、よっぽどキャプテンっぽいと思った。
そうそう。監督の補足の中には「大学時代には、箱根駅伝で "花の2区" を走ったんだよ」というのもあった。柚希なんかミーハーだからキャーキャー騒いでいるけど。自分の挨拶は一言で済ませて、他はぜーんぶ立花監督がフォロー。過去の実績なんか紹介されながら、自分は気分良くなってスカしている。そういうところがなんか気に食わないと思った。
箱根駅伝走ったのがそんなに偉いのかい。それに、箱根なら立花監督だって走っている。なんで監督はわざわざこんな人を呼んだのだろう。
「ねぇラギちゃん、アレってそんなに凄い人なの?」
「え、朝陽先輩、あんまりテレビで駅伝とか見ないんですか」
「うーん、まあやってたら見るけど、そんなに一人一人までは覚えてないというか」
「現役バリバリの実業団ランナーですよ。私、望月さんが箱根駅伝走ってた大学生の頃から見てました。あっ、あとでサインしてもらわなきゃ!」
まあとにかく、面倒臭そうだから、なるべく目をつけられないようにしよう、っと。
夕方。午後練習後に集合して整列した時、立花監督は望月にコメントを求めた。
「俺を呼んだからには、思ったことは言わせてもらうぞ、立花」
「ぜひお願いしたい。今、チームは大きく変われるチャンスの時期にあると思うんだ。だからこそ、望月を呼んだ」
いや、この人に喋らせたって、きっと最初の挨拶の時みたいにボソッと喋って終わるだけだって。
「じゃあぶっちゃけるが。このチームには、致命的な欠点がある」
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